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第3章 断裂眼球
第49話 幻影たちのレシプロシティ
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「……生と死はサイクルだ。それがあんたの言う、神が作った自然の摂理だろう。いたずらに人の命だけを永遠にすれば、人が住むための土地も、人が食べていくための食糧も、あらゆるリソースが足りなくなる。いつかこの世界は人で溢れかえることになるぞ」
「フン。下らん危惧だな……それさえ、無限の時間があれば解決できる。問題点が浮上することはあるだろう。壁に突き当たることもあるだろう。だが、いずれ乗り越える! あらゆる問題は解決される。人は愚かであっても、前には進んでいける生き物だ。私はそう信じる」
「信じる、だと」
耳障りのいい言葉を吐く。これまでさんざん、その人間を踏み台にしてきたくせに。
ふと赤い眼が、そしてそれと対の黒い眼が、探るようにイドラを視る。
「反対にお前は、神が敷いた法則になにがあっても殉じると?」
「イドラさん……近づいてきます!」
「ああ。ワダツミを抜いておくんだ」
「同じ川の流れの中に、二度は身を置けないように。自然を形作る神の摂理がヒトの命を定めているのなら——私は百年仕えた主にも背き、神なき荒野に救いを探そう」
視線を向けたまま、悠然とレツェリは歩き出す。その手になにも握られておらずとも、ミロウを思えば、眼窩に収まるその赤い眼だけで充分すぎるほどに脅威だった。
イドラはマイナスナイフを引き抜き、ソニアも背負ったワダツミを抜き放つ。
レツェリのギフトの能力は依然、謎に包まれている。
赤い眼球。ミロウの腕を刎ね飛ばした。また、彼女曰く防御をすり抜けた。
(だが……整理すればあと少しでたどり着ける気がする。あいつは同じく、ギフトの力で老化を抑えているんだ)
ギフトに能力二つは備わらない。ならば——すべては同じ能力が見せる、別の現象なのだ。
切断。斬撃を飛ばす、と捉えたのは早計だった。
不老。若い姿を百年以上も保っている。
二つの現象はかけ離れすぎている。応用が利く能力なのは間違いなくて、だからこそ読み取るのは難しい。
それでも。客観的に見て根拠に乏しい推論ではあったが、イドラは、自分になら解けると漠然と考えた。
それはひょっとすると、同じレアリティ1の天恵を持つ者としての、ある種の連帯感だったのかもしれない。百年に一度の同胞。二者が出会うなどありえない。その不可能は、不老という能力に破られた。
「時に不死殺し。貴様が洞窟から見つけたあの小瓶の底に溜まっていた砂がなんなのか、気が付いているか?」
「え?」
思考に差し込まれる声。思わず耳を傾ける。
「あれは、マイナスナイフでイモータルを殺した際に出る砂だ。不死殺しの噂は二年ほど前から探っていてな。だから私としては、スクレイピーで試さずとも真偽のほどはわかっていたが……周囲はそうもいかん」
「砂——わざわざ、採取したってのか。僕が殺したあとに。それは……つまり」
イモータルをマイナスナイフで殺した時には、かすかに積まれた白い砂だけが遺される。
確かに、事実だった。三年前——故郷のメドイン村で、シスター・オルファが村に誘導したイモータルを殺した時。一番初めの不死殺しから、先日のヴェートラルに至るまで、ずっとそうだった。
しかし三年間、そのことを深く気に留めたこともなかった。単なる魔物の死体と変わらない、いや、砂でしかないのだからそれよりも些事であるとしか考えていなかった。
それを。この男は、密かに採っていた? いつ? どのイモータルで?
研究に利用された? ならばそれは——
「ああ、本当に、心から感謝しよう。貴様のおかげで『不死宿し』は可能になった。あの白砂を固めて形成する核《コア》を胎《はら》の中に埋め込むことこそが、人体にイモータルを宿らせる方法だ」
「ソニアが不死憑きだと呼ばれたのは——僕の、せい」
あんな砂、地面に埋めておけばよかったのに。川や海にでも沈めてしまえばよかったのに。エクソシストたちの葬送のように。
イドラの浅慮が不死憑きを、不死宿しを生んだ。
自分勝手な贖罪の旅のせいで、ソニアの人生が損なわれた。オルファの正気が失われた。
僕のせいで——
「動揺したなァ。その十年も持たんなまっちょろい感傷が命取りだ」
「——ぁ」
一瞬、頭が白に染められる。動揺を誘う、単純な手に引っかかったことを遅れて理解する。
不死殺しが普段相手にするのは所詮、意思疎通など不可能極まりないイモータルと、後はやはり会話など望むべくもない魔物が主だ。このように対話で揺さぶりをかけてくる、人間の狡猾さには慣れていない。
レツェリは赤い眼でイドラを捉え、五メートルもない間合いで酷薄に笑う。どんな動作も武器も必要ない。
その眼球さえあれば。
「氾濫ッ!」
「む……水? はッ、それが不死宿し、ソニアのギフトの力というわけか」
イドラとレツェリの間に割り込むようにして放たれた水流に、レツェリは素直にも後退して距離を取り直した。
ソニアがワダツミで援護してくれた形だ。放っておけばイドラの腕か脚か、はたまた胴が切断されていただろう。
「ソニア……僕は。僕のせいで、ソニアは……」
「あの。もし謝ったら、イドラさんのこと本気で怒りますからね」
尾を引く動揺に心を乱されるイドラに対し、ソニアはどこか拗ねたような声色で言った。
「わたし、イドラさんのせいだなんてちっとも思ってませんからっ。全部あの人が悪いんじゃないですか。それなのに、わたしを助けてくれたイドラさんが悔やむなんて、ばかみたいです!」
「馬鹿みたい、って」
「だってそうでしょう。わたしがイドラさんといて幸せで、感謝だってたくさんしてるのに、肝心のイドラさんがわたしのことで後悔するなんておかしいです」
「……そっか。そうかもな、また僕は自分本位な感情に沈みかけてた。ありがとう」
「いえっ。だってわたしたち、補い合う関係じゃないですか」
「ああ、そうだった。すまん——あ、謝っちゃった」
「ぁ。……い、今のはノーカウントにしておきますっ」
「助かるよ」
なんとも間の抜けたやり取りに、思わずイドラは苦笑を浮かべる。だがそれで、心にかかった暗雲は晴れてくれるのだから不思議だ。
後悔はある。イドラが一応、念のためにとイモータルを殺した後の砂を処分していれば、レツェリの研究はまだまだ難航続きだったに違いない。
間違いは三年前からずっと続いていた。あるいはこれも、ウラシマがいれば起こらなかった過失なのか。だが、悔やんだからといってソニアが救われるわけでもない。ウラシマが還ってくるわけでもない。時計の針は戻らない。
先生との決別は、もう済ませた。ヴェートラルを殺した日。あの、ソニアと同じ瞳の色をした陽が沈む谷で。
「仲睦まじいことだ。牢も相部屋がいいか?」
「……そうだな。お返しに、その余裕を剥いでやるよ。レツェリ」
「なんだと?」
時恵の針は戻らない。しかし、遅らせることができる者がいた。問題はそれが、限られた空間に及ぶことだ。
先のレツェリの行動を見て。これまでの情報と照らし合わせることで、イドラはついにその眼球の機能を理解した。
そしてそれは——同じ能力でなくとも、同じ概念に影響を及ぼすものとして、自らのギフトへの理解を得ることにもつながる。
マイナスナイフの青い切っ先を突きつけ、イドラは言い放つ。
「あんたのギフト。その眼球の機能はただひとつだ。『指定した空間の時間を遅らせる』。停止にほとんど近い状態にな」
「フン。下らん危惧だな……それさえ、無限の時間があれば解決できる。問題点が浮上することはあるだろう。壁に突き当たることもあるだろう。だが、いずれ乗り越える! あらゆる問題は解決される。人は愚かであっても、前には進んでいける生き物だ。私はそう信じる」
「信じる、だと」
耳障りのいい言葉を吐く。これまでさんざん、その人間を踏み台にしてきたくせに。
ふと赤い眼が、そしてそれと対の黒い眼が、探るようにイドラを視る。
「反対にお前は、神が敷いた法則になにがあっても殉じると?」
「イドラさん……近づいてきます!」
「ああ。ワダツミを抜いておくんだ」
「同じ川の流れの中に、二度は身を置けないように。自然を形作る神の摂理がヒトの命を定めているのなら——私は百年仕えた主にも背き、神なき荒野に救いを探そう」
視線を向けたまま、悠然とレツェリは歩き出す。その手になにも握られておらずとも、ミロウを思えば、眼窩に収まるその赤い眼だけで充分すぎるほどに脅威だった。
イドラはマイナスナイフを引き抜き、ソニアも背負ったワダツミを抜き放つ。
レツェリのギフトの能力は依然、謎に包まれている。
赤い眼球。ミロウの腕を刎ね飛ばした。また、彼女曰く防御をすり抜けた。
(だが……整理すればあと少しでたどり着ける気がする。あいつは同じく、ギフトの力で老化を抑えているんだ)
ギフトに能力二つは備わらない。ならば——すべては同じ能力が見せる、別の現象なのだ。
切断。斬撃を飛ばす、と捉えたのは早計だった。
不老。若い姿を百年以上も保っている。
二つの現象はかけ離れすぎている。応用が利く能力なのは間違いなくて、だからこそ読み取るのは難しい。
それでも。客観的に見て根拠に乏しい推論ではあったが、イドラは、自分になら解けると漠然と考えた。
それはひょっとすると、同じレアリティ1の天恵を持つ者としての、ある種の連帯感だったのかもしれない。百年に一度の同胞。二者が出会うなどありえない。その不可能は、不老という能力に破られた。
「時に不死殺し。貴様が洞窟から見つけたあの小瓶の底に溜まっていた砂がなんなのか、気が付いているか?」
「え?」
思考に差し込まれる声。思わず耳を傾ける。
「あれは、マイナスナイフでイモータルを殺した際に出る砂だ。不死殺しの噂は二年ほど前から探っていてな。だから私としては、スクレイピーで試さずとも真偽のほどはわかっていたが……周囲はそうもいかん」
「砂——わざわざ、採取したってのか。僕が殺したあとに。それは……つまり」
イモータルをマイナスナイフで殺した時には、かすかに積まれた白い砂だけが遺される。
確かに、事実だった。三年前——故郷のメドイン村で、シスター・オルファが村に誘導したイモータルを殺した時。一番初めの不死殺しから、先日のヴェートラルに至るまで、ずっとそうだった。
しかし三年間、そのことを深く気に留めたこともなかった。単なる魔物の死体と変わらない、いや、砂でしかないのだからそれよりも些事であるとしか考えていなかった。
それを。この男は、密かに採っていた? いつ? どのイモータルで?
研究に利用された? ならばそれは——
「ああ、本当に、心から感謝しよう。貴様のおかげで『不死宿し』は可能になった。あの白砂を固めて形成する核《コア》を胎《はら》の中に埋め込むことこそが、人体にイモータルを宿らせる方法だ」
「ソニアが不死憑きだと呼ばれたのは——僕の、せい」
あんな砂、地面に埋めておけばよかったのに。川や海にでも沈めてしまえばよかったのに。エクソシストたちの葬送のように。
イドラの浅慮が不死憑きを、不死宿しを生んだ。
自分勝手な贖罪の旅のせいで、ソニアの人生が損なわれた。オルファの正気が失われた。
僕のせいで——
「動揺したなァ。その十年も持たんなまっちょろい感傷が命取りだ」
「——ぁ」
一瞬、頭が白に染められる。動揺を誘う、単純な手に引っかかったことを遅れて理解する。
不死殺しが普段相手にするのは所詮、意思疎通など不可能極まりないイモータルと、後はやはり会話など望むべくもない魔物が主だ。このように対話で揺さぶりをかけてくる、人間の狡猾さには慣れていない。
レツェリは赤い眼でイドラを捉え、五メートルもない間合いで酷薄に笑う。どんな動作も武器も必要ない。
その眼球さえあれば。
「氾濫ッ!」
「む……水? はッ、それが不死宿し、ソニアのギフトの力というわけか」
イドラとレツェリの間に割り込むようにして放たれた水流に、レツェリは素直にも後退して距離を取り直した。
ソニアがワダツミで援護してくれた形だ。放っておけばイドラの腕か脚か、はたまた胴が切断されていただろう。
「ソニア……僕は。僕のせいで、ソニアは……」
「あの。もし謝ったら、イドラさんのこと本気で怒りますからね」
尾を引く動揺に心を乱されるイドラに対し、ソニアはどこか拗ねたような声色で言った。
「わたし、イドラさんのせいだなんてちっとも思ってませんからっ。全部あの人が悪いんじゃないですか。それなのに、わたしを助けてくれたイドラさんが悔やむなんて、ばかみたいです!」
「馬鹿みたい、って」
「だってそうでしょう。わたしがイドラさんといて幸せで、感謝だってたくさんしてるのに、肝心のイドラさんがわたしのことで後悔するなんておかしいです」
「……そっか。そうかもな、また僕は自分本位な感情に沈みかけてた。ありがとう」
「いえっ。だってわたしたち、補い合う関係じゃないですか」
「ああ、そうだった。すまん——あ、謝っちゃった」
「ぁ。……い、今のはノーカウントにしておきますっ」
「助かるよ」
なんとも間の抜けたやり取りに、思わずイドラは苦笑を浮かべる。だがそれで、心にかかった暗雲は晴れてくれるのだから不思議だ。
後悔はある。イドラが一応、念のためにとイモータルを殺した後の砂を処分していれば、レツェリの研究はまだまだ難航続きだったに違いない。
間違いは三年前からずっと続いていた。あるいはこれも、ウラシマがいれば起こらなかった過失なのか。だが、悔やんだからといってソニアが救われるわけでもない。ウラシマが還ってくるわけでもない。時計の針は戻らない。
先生との決別は、もう済ませた。ヴェートラルを殺した日。あの、ソニアと同じ瞳の色をした陽が沈む谷で。
「仲睦まじいことだ。牢も相部屋がいいか?」
「……そうだな。お返しに、その余裕を剥いでやるよ。レツェリ」
「なんだと?」
時恵の針は戻らない。しかし、遅らせることができる者がいた。問題はそれが、限られた空間に及ぶことだ。
先のレツェリの行動を見て。これまでの情報と照らし合わせることで、イドラはついにその眼球の機能を理解した。
そしてそれは——同じ能力でなくとも、同じ概念に影響を及ぼすものとして、自らのギフトへの理解を得ることにもつながる。
マイナスナイフの青い切っ先を突きつけ、イドラは言い放つ。
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