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第2章 鮮烈なるイモータル
第28話 雲の上に行け
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静謐な空間の中心には何者かが佇んでいた。その後ろには、演説台のようなものが唯一といっていい調度品として置かれている。
「おっと、かしこまらなくてもいいよ。私はレツェリ、このランスポ大陸におけるロトコル教を管轄する司教だ。さきほど廊下で大声を出していたミロウ君から聞いているかな?」
「……まあ」
イドラのせいで若干の恥をかいたミロウのことを偲びつつ、曖昧に頷く。眼前の男——声を聞かなければそうとも判断できなかっただろう——に対し、イドラは戸惑いを隠しきれずにいた。
そこに立っていたのは、体格を隠す真っ白いローブに身を包む男だった。髪は黒く、背筋は老体にはとても見えない真っすぐさだったが、顔はローブと同じ白の面紗《めんしゃ》に覆われて窺えない。
(いくつだ……? 老人には見えない……ような、そうでもないような)
これまでに出会ったことのない、不思議な雰囲気の人間だった。
声はしわがれておらず青年のそれのようにも聞こえる。しかし同時に言葉の端々からにじみ出す雰囲気は、まるで壮年のような特有の気配がある。多くを経験した造詣が。
印象がぶれる。相手がどのような人間なのか、まるで底が見えない。人間性の深淵さがそうさせているのか。
アンバランスな印象も、顔を見ればはっきりするのだろう。けれど白い布はまったく透けてもおらず、厳正にかんばせを覆い隠している。そもそも前が見えているのか、とどうでもいい疑問を抱く。
「できるなら協会自慢のステンドグラスは、明るい間に観てもらいたかったがね。今夜は雲が出てるせいで月明かりも望めそうにない。残念だよ」
底知れぬ司教——レツェリは面紗を揺らして首を振ると、一歩イドラに近づいた。心の裡《うち》に踏み込まれるような気がして、後ずさりたくなるのをこらえる。
「……スクレイピーの一件では僕を試してくれたな。それで、今度はなにをやらせるつもりなんだ。あんたの言う通りもう夜だ、前置きはいい」
トゲのある言い方になったのは、呑まれまいとする無意識下の抵抗だったのかもしれない。
不遜な言い方に眉をしかめるでもなく——白い布に隔てられ実際のほどはわからないが——それさえ見透かしたように、レツェリは平静と言う。
「スクレイピーに関してはすまないな、どうしても不死殺しの実証が必要だった。エクソシストたちの納得のためにも。外部の人間に頼ることは、それだけで彼らの矜持に砂をかけることになる」
「近く行われる作戦に僕を使うつもりだって聞いた。イモータルの殺害なら、とりあえず話くらいは聞かせてもらう。受けるかどうかは条件次第だ」
「それはありがたい。念のため言っておくが、他言は無用だよ。協会の中でもトップクラスの機密でね、市井に知られれば混乱は避けられない」
「もちろん、無為に言い触らしたりはしないつもりだが……ひとり、連れがいるんだ。その子には知らせることになると思う」
「連れ? 不死殺しは単独で旅をしていると聞き及んでいたのだがね」
「わけあって、今は二人だ」
レツェリは思案するように、しばし口を閉じた。途端に耳に痛いほどの静寂が礼拝室に満ちる。
「……ふむ、そのくらいは構わないか。作戦の決行はすぐだ」
「具体的になにをどうするのか、そろそろ教えてくれないか。僕を呼ぶってことはイモータル絡みだろう」
「ああ、察しの通り、イモータルだよ。それもヴェートラルだ」
「ヴェー……? 待て、それって確か」
ついさっき、馬車の名前で聞いた名だった。
ヴェートラル。512年前、世界で最初に現れたイモータル。英雄ハブリのギフトにより、封印がされた——
ベルチャーナの話ではそんなところだ。
「聖封印のこと、知ってくれているようだね。話が早くて助かるよ」
「さっきベルチャーナが詳しく教えてくれた。作戦の内容に関わるからだったんだな」
「え? 作戦……えっ、漏洩…………まあいいか。あの奔放さが彼女の美点だ、うん。それでその聖封印だけど、実はもう半分解けてる。遠い遠いはるか昔、三年に渡って大陸を暴れた白い大蛇、ヴェートラルの復活はわりと間近に迫ってるんだ。近頃の地震はその兆候」
「は?」
こともなげに吐いた司教の言葉が理解できず、イドラは口を開けて呆けた。
「解けるものなのか? 聖封印っていうのは」
「解けるし、溶ける。英雄はとうに亡く、このままでは大陸全土が危うい。どうかな? これだけ言えばわかるだろう。君は、英雄になってみる気はないか?」
馬車の中で、冗談交じりに言っていたことが現実に迫る。
英雄——
とんだ甘言だ。司教の言葉に絡めとられないよう、イドラは静かに気を引き締める。
「原初のイモータルだがなんだか知らないが、お得意の葬送は効かないのか」
「聖封印を決行した場所は知ってるかな? 東の山脈の奥、ロパディン渓谷だよ。あそこは大陸の中心にある。海への誘導は現実的じゃないね、雷を飼いならすようなものだ」
「地中に埋めるのは? どちらかと言えば葬送はそっちの割合の方が多いはずだろ」
協会を避けていたイドラだが、葬送済みのイモータルを殺すことは進んでやっていた。
当然ながら海はどこにでもあるものではなく、必然、葬送は海中に沈めるより地中に埋める方が多くなる。そのくらいは経験から知っていた。
「ヴェートラルの大きさは規格外だ。あれを埋めようとするなら、五、六年は協会総出で穴を掘らなきゃいけないだろうね。いやあ、手遅れも手遅れ、聖封印の緩みに気付くのが遅すぎた」
「あっけらかんと言うなぁ、あんた……」
そんな巨大なイモータル、この三年イモータルを狩り続けたイドラでも到底見たことがない。
本当なら大事だ。他言無用と釘を刺されたのにも納得するしかない。
「不死殺し。単刀直入に言うけれど、君のギフトはそんな化け物を殺せるかな?」
「無理だ。僕のギフトはイモータルに通じるってだけで、強力なものでもなんでもない。そんな怪物が一撃二撃で死ぬわけでもないだろうし。お眼鏡にかなわなくて悪いが、英雄なんて程遠い人間だ、僕は」
「フ、素直だね。この私にそんな風に物を言う人間は久しぶりだよ」
「気に障ったか? 悪いけど、個人的な感情であんたに敬意は持てそうにない」
「シスター・オルファの一件だね」
「——。知ってたのか」
「イドラ君はメドイン村の生まれらしいじゃないか。協会のシスターが働いた行為については私からも謝らせてほしい。すまなかった」
「……別にあんたが悪いわけじゃない。頭を上げてくれ」
——出自を調べられている。
なんとも言えない、この怖気を誘う感覚はなんなのだろうか。これもやはり、三年前の事件が要因の、バイアスのかかった不信なのか。
「しかしどうか、検討してみてほしい。ヴェートラルを殺しうるのは君の持つギフトだけだ。我々協会も全力でバックアップする。精鋭を連れ、葬送に近い拘束状態の準備を施したうえで聖封印を自ら破却し、致死の攻撃を浴びせる——ヴェートラル聖殺作戦は、君というピースが不可欠だ」
「……僕だって、危機をむざむざ見過ごしたくはない。イモータルを殺すのは、このギフトを手にした者の責務のはずだ」
「受けてくれるかい? 協会の権限で限られていることなら、どんな報酬も授けよう」
「なら——」
どうあれ、イモータルがいるのなら殺さねばならない。
とりわけ協会が手の付けられないものならば、全力を尽くして殺す。それが己に課した義務だ。
そしてそれとは別に、イドラにはひとつ考えていることがあった。
「——雲の上の行き方を知っているか?」
ウラシマの遺言。三年経ってもまるで手がかりの見つからないそれについて、問うてみたかった。
雲の上、地を這う人間には決して届かない空の彼方には、ロトコル神の住まう神の国があるとされている。ギフトはそこから、人々のためにもたらされるのだ。
であれば、ロトコル教の教会の人間に聞いてみることが、なにかしらのヒントにつながるのではないか。そう思い始めたのは今日昨日のことではないが、これまでずっと協会を避けてきたせいでタイミングがなかった。
これはそんな折に降って湧いた、またとない機会だ。イドラとて、オルファの件を引きずって教会を避けるままではよくないと常々感じてはいた。
「…………。どこでそれを?」
レツェリは、またしてもしばしの沈黙を経て、低い声でそう訊いた。
「旅の途中、北方でふと小耳にはさんだ。以来、気になってるんだ。流れるのが生きがいの旅人としては、神の国なんてものがあるのなら是非立ち寄りたい」
根も葉もない嘘を、心にもない嘘でくるんで吐く。
白い布の向こうで底知れぬ司教はなにを思っているのか。いくら見つめても、見透かすことはできない。
「ハハ、神の国は神のもの。人が空の向こうにたどり着ける日はきっと、あるとしてもずっとずっと先のことだ」
「そりゃあ、ロトコル教の司教としては、神のいる雲の上なんて行っちゃだめなのかもしれないけど」
「ロトコル教としてはアウトだろうね。人は所詮、神の被造物だ。あまねく自然と同じように。ただし、うん、そうだな……実を言うとそうでない思想もある」
「え? どういうことだ」
「フィジー大陸のビオス教を知ってるかな? 彼らの信仰はロトコル教とも似通う点が多い。しかし、決定的な相違点もあり……そのうちのひとつが彼らが言うところの『箱船』だよ」
旅をして各地を回ったイドラも、まったく初耳の話だった。
それも当然だろう。各地と言っても、所詮はランスポ大陸の中だけの話。イドラが知るのは七つの大陸のうちの一つに過ぎず、世界は広い。
どこへ行こうとも人々は同じ神を信じ、その偉大なる行いに深く感謝をしていた。人も、人が生きる糧を得る自然も、唯一無二のギフトも、すべてロトコル神からのお恵みだ。
信心深いとは言えないイドラであったが、そのように考えるのが当然の文化圏でこれまで生きてきた。だから、そうでないという考えが主流の場所があるというのは、当たり前のことではあったが、意識してみるとなんだか不思議な気がした。
「箱船。聞いたことがないな」
「ロトコル教ではまったくない概念だからね。まあ、一種の終末思想だよ。ビオス教ではやがて、人は神の怒りに触れ、果ての海の大氾濫が起きるとされている」
「果ての海が洪水を起こすと? それは……無限大の海が溢れでもすれば、大陸は全部沈んじゃうだろうな」
「だろうね、実際にそんな災害が起こるとは別として。この大氾濫・大洪水をマッドフラッドと呼び、これを逃れるための天への階段が『箱船』、だったかな? なにせ私の信じる神は洪水なんて起こさないからね、あまり深くは知らない」
「天への階段。つまりそれが——」
雲の上にたどり着く手段。
ビオス教の箱船。これこそ、ウラシマの遺言をひも解く鍵になる。三年の旅を経て、イドラはついに彼女の真意に触れる手がかりを得た。
レツェリは頷き、それから肩をすくめた。
「私としたことがつい話しすぎてしまった。この話は報酬の餌にすればよかったかな? フフ」
「……いや。いいことを聞かせてもらった。僕にできることはするさ」
「しかし繰り返すが、私とてビオス教については詳しくない。そこで、ヴェートラルを倒した暁には協会の書庫を見せようじゃないか。ロトコル教の本に興味はないだろうが、禁書として他宗教のものも少しあったと記憶している」
「それは助かる。フィジー大陸に出向くとしても、もう少し情報がほしい」
「本気で雲の上を目指しているんだね、君は。ま、期待していてくれ。他大陸だとこうした禁書は燃やされたり埋められたりすることもあるからね、おおらかな司教である私に感謝してくれたまえよ」
冗談ぶった言い方をするレツェリ。イドラはここぞとばかりに、少し彼の素性を探ってみることにした。
「感謝と言うけれど、あんた、実は結構若いんじゃないのか。禁書を残してたのはあんたじゃなく、あんたの先代や先々代の司教のおかげじゃないのか?」
「ん? さあどうだろう? 若く見えているのなら嬉しい限りだ。歳は取りたくないものだからね、クク」
軽くいなされてしまい、イドラは苦い顔をしそうになった。こうしたところがどうにも人柄を掴ませてくれない。
「とにかく、君の助力を嬉しく思うよ。イドラ君が同じ時代に生まれてくれて、本当によかった」
「礼は作戦が終わってからにしてくれ」
「ああ、そうだね。君の同伴者も待っているかもしれないし、手短に概要を話そう。まず地理上の話からだが——」
*
最後に作戦の決行が二日後であることを伝えられ、イドラは聖堂を後にした。
日付が変わるまで、あとわずかといったところだろうか。相変わらず空には雲がわだかまり、月も小さな星々も隠れされてしまっている。
この時間になればさしもの大都会デーグラムも、喧噪は鳴りを潜めている。おそらくは場所にもよるのだろうが、少なくとも聖堂の辺りは夜の帳が誘うまま静けさの中に沈む。
こんな日は曇天の庭を思い出す。あの、色鮮やかな花壇をより鮮やかな赤が濡らす、恩人を失った庭の風景を。
「そういえばミロウ。廊下で騒いでた声、司教さまにもガッツリ聞こえてたみたいだぞ」
「ええっ!?」
思いのほか派手な驚き方をされてしまった。イドラは笑いつつ、心の中だけで感謝を告げる。
独りでいれば、こういった時は追憶に意識を浸してしまう。考えまい考えまいと思っても、否応なしにそうなってしまうものだ。
この三年はずっとそうだった。
誰かと話すのは、気を紛らわせてくれる。
「おっと、かしこまらなくてもいいよ。私はレツェリ、このランスポ大陸におけるロトコル教を管轄する司教だ。さきほど廊下で大声を出していたミロウ君から聞いているかな?」
「……まあ」
イドラのせいで若干の恥をかいたミロウのことを偲びつつ、曖昧に頷く。眼前の男——声を聞かなければそうとも判断できなかっただろう——に対し、イドラは戸惑いを隠しきれずにいた。
そこに立っていたのは、体格を隠す真っ白いローブに身を包む男だった。髪は黒く、背筋は老体にはとても見えない真っすぐさだったが、顔はローブと同じ白の面紗《めんしゃ》に覆われて窺えない。
(いくつだ……? 老人には見えない……ような、そうでもないような)
これまでに出会ったことのない、不思議な雰囲気の人間だった。
声はしわがれておらず青年のそれのようにも聞こえる。しかし同時に言葉の端々からにじみ出す雰囲気は、まるで壮年のような特有の気配がある。多くを経験した造詣が。
印象がぶれる。相手がどのような人間なのか、まるで底が見えない。人間性の深淵さがそうさせているのか。
アンバランスな印象も、顔を見ればはっきりするのだろう。けれど白い布はまったく透けてもおらず、厳正にかんばせを覆い隠している。そもそも前が見えているのか、とどうでもいい疑問を抱く。
「できるなら協会自慢のステンドグラスは、明るい間に観てもらいたかったがね。今夜は雲が出てるせいで月明かりも望めそうにない。残念だよ」
底知れぬ司教——レツェリは面紗を揺らして首を振ると、一歩イドラに近づいた。心の裡《うち》に踏み込まれるような気がして、後ずさりたくなるのをこらえる。
「……スクレイピーの一件では僕を試してくれたな。それで、今度はなにをやらせるつもりなんだ。あんたの言う通りもう夜だ、前置きはいい」
トゲのある言い方になったのは、呑まれまいとする無意識下の抵抗だったのかもしれない。
不遜な言い方に眉をしかめるでもなく——白い布に隔てられ実際のほどはわからないが——それさえ見透かしたように、レツェリは平静と言う。
「スクレイピーに関してはすまないな、どうしても不死殺しの実証が必要だった。エクソシストたちの納得のためにも。外部の人間に頼ることは、それだけで彼らの矜持に砂をかけることになる」
「近く行われる作戦に僕を使うつもりだって聞いた。イモータルの殺害なら、とりあえず話くらいは聞かせてもらう。受けるかどうかは条件次第だ」
「それはありがたい。念のため言っておくが、他言は無用だよ。協会の中でもトップクラスの機密でね、市井に知られれば混乱は避けられない」
「もちろん、無為に言い触らしたりはしないつもりだが……ひとり、連れがいるんだ。その子には知らせることになると思う」
「連れ? 不死殺しは単独で旅をしていると聞き及んでいたのだがね」
「わけあって、今は二人だ」
レツェリは思案するように、しばし口を閉じた。途端に耳に痛いほどの静寂が礼拝室に満ちる。
「……ふむ、そのくらいは構わないか。作戦の決行はすぐだ」
「具体的になにをどうするのか、そろそろ教えてくれないか。僕を呼ぶってことはイモータル絡みだろう」
「ああ、察しの通り、イモータルだよ。それもヴェートラルだ」
「ヴェー……? 待て、それって確か」
ついさっき、馬車の名前で聞いた名だった。
ヴェートラル。512年前、世界で最初に現れたイモータル。英雄ハブリのギフトにより、封印がされた——
ベルチャーナの話ではそんなところだ。
「聖封印のこと、知ってくれているようだね。話が早くて助かるよ」
「さっきベルチャーナが詳しく教えてくれた。作戦の内容に関わるからだったんだな」
「え? 作戦……えっ、漏洩…………まあいいか。あの奔放さが彼女の美点だ、うん。それでその聖封印だけど、実はもう半分解けてる。遠い遠いはるか昔、三年に渡って大陸を暴れた白い大蛇、ヴェートラルの復活はわりと間近に迫ってるんだ。近頃の地震はその兆候」
「は?」
こともなげに吐いた司教の言葉が理解できず、イドラは口を開けて呆けた。
「解けるものなのか? 聖封印っていうのは」
「解けるし、溶ける。英雄はとうに亡く、このままでは大陸全土が危うい。どうかな? これだけ言えばわかるだろう。君は、英雄になってみる気はないか?」
馬車の中で、冗談交じりに言っていたことが現実に迫る。
英雄——
とんだ甘言だ。司教の言葉に絡めとられないよう、イドラは静かに気を引き締める。
「原初のイモータルだがなんだか知らないが、お得意の葬送は効かないのか」
「聖封印を決行した場所は知ってるかな? 東の山脈の奥、ロパディン渓谷だよ。あそこは大陸の中心にある。海への誘導は現実的じゃないね、雷を飼いならすようなものだ」
「地中に埋めるのは? どちらかと言えば葬送はそっちの割合の方が多いはずだろ」
協会を避けていたイドラだが、葬送済みのイモータルを殺すことは進んでやっていた。
当然ながら海はどこにでもあるものではなく、必然、葬送は海中に沈めるより地中に埋める方が多くなる。そのくらいは経験から知っていた。
「ヴェートラルの大きさは規格外だ。あれを埋めようとするなら、五、六年は協会総出で穴を掘らなきゃいけないだろうね。いやあ、手遅れも手遅れ、聖封印の緩みに気付くのが遅すぎた」
「あっけらかんと言うなぁ、あんた……」
そんな巨大なイモータル、この三年イモータルを狩り続けたイドラでも到底見たことがない。
本当なら大事だ。他言無用と釘を刺されたのにも納得するしかない。
「不死殺し。単刀直入に言うけれど、君のギフトはそんな化け物を殺せるかな?」
「無理だ。僕のギフトはイモータルに通じるってだけで、強力なものでもなんでもない。そんな怪物が一撃二撃で死ぬわけでもないだろうし。お眼鏡にかなわなくて悪いが、英雄なんて程遠い人間だ、僕は」
「フ、素直だね。この私にそんな風に物を言う人間は久しぶりだよ」
「気に障ったか? 悪いけど、個人的な感情であんたに敬意は持てそうにない」
「シスター・オルファの一件だね」
「——。知ってたのか」
「イドラ君はメドイン村の生まれらしいじゃないか。協会のシスターが働いた行為については私からも謝らせてほしい。すまなかった」
「……別にあんたが悪いわけじゃない。頭を上げてくれ」
——出自を調べられている。
なんとも言えない、この怖気を誘う感覚はなんなのだろうか。これもやはり、三年前の事件が要因の、バイアスのかかった不信なのか。
「しかしどうか、検討してみてほしい。ヴェートラルを殺しうるのは君の持つギフトだけだ。我々協会も全力でバックアップする。精鋭を連れ、葬送に近い拘束状態の準備を施したうえで聖封印を自ら破却し、致死の攻撃を浴びせる——ヴェートラル聖殺作戦は、君というピースが不可欠だ」
「……僕だって、危機をむざむざ見過ごしたくはない。イモータルを殺すのは、このギフトを手にした者の責務のはずだ」
「受けてくれるかい? 協会の権限で限られていることなら、どんな報酬も授けよう」
「なら——」
どうあれ、イモータルがいるのなら殺さねばならない。
とりわけ協会が手の付けられないものならば、全力を尽くして殺す。それが己に課した義務だ。
そしてそれとは別に、イドラにはひとつ考えていることがあった。
「——雲の上の行き方を知っているか?」
ウラシマの遺言。三年経ってもまるで手がかりの見つからないそれについて、問うてみたかった。
雲の上、地を這う人間には決して届かない空の彼方には、ロトコル神の住まう神の国があるとされている。ギフトはそこから、人々のためにもたらされるのだ。
であれば、ロトコル教の教会の人間に聞いてみることが、なにかしらのヒントにつながるのではないか。そう思い始めたのは今日昨日のことではないが、これまでずっと協会を避けてきたせいでタイミングがなかった。
これはそんな折に降って湧いた、またとない機会だ。イドラとて、オルファの件を引きずって教会を避けるままではよくないと常々感じてはいた。
「…………。どこでそれを?」
レツェリは、またしてもしばしの沈黙を経て、低い声でそう訊いた。
「旅の途中、北方でふと小耳にはさんだ。以来、気になってるんだ。流れるのが生きがいの旅人としては、神の国なんてものがあるのなら是非立ち寄りたい」
根も葉もない嘘を、心にもない嘘でくるんで吐く。
白い布の向こうで底知れぬ司教はなにを思っているのか。いくら見つめても、見透かすことはできない。
「ハハ、神の国は神のもの。人が空の向こうにたどり着ける日はきっと、あるとしてもずっとずっと先のことだ」
「そりゃあ、ロトコル教の司教としては、神のいる雲の上なんて行っちゃだめなのかもしれないけど」
「ロトコル教としてはアウトだろうね。人は所詮、神の被造物だ。あまねく自然と同じように。ただし、うん、そうだな……実を言うとそうでない思想もある」
「え? どういうことだ」
「フィジー大陸のビオス教を知ってるかな? 彼らの信仰はロトコル教とも似通う点が多い。しかし、決定的な相違点もあり……そのうちのひとつが彼らが言うところの『箱船』だよ」
旅をして各地を回ったイドラも、まったく初耳の話だった。
それも当然だろう。各地と言っても、所詮はランスポ大陸の中だけの話。イドラが知るのは七つの大陸のうちの一つに過ぎず、世界は広い。
どこへ行こうとも人々は同じ神を信じ、その偉大なる行いに深く感謝をしていた。人も、人が生きる糧を得る自然も、唯一無二のギフトも、すべてロトコル神からのお恵みだ。
信心深いとは言えないイドラであったが、そのように考えるのが当然の文化圏でこれまで生きてきた。だから、そうでないという考えが主流の場所があるというのは、当たり前のことではあったが、意識してみるとなんだか不思議な気がした。
「箱船。聞いたことがないな」
「ロトコル教ではまったくない概念だからね。まあ、一種の終末思想だよ。ビオス教ではやがて、人は神の怒りに触れ、果ての海の大氾濫が起きるとされている」
「果ての海が洪水を起こすと? それは……無限大の海が溢れでもすれば、大陸は全部沈んじゃうだろうな」
「だろうね、実際にそんな災害が起こるとは別として。この大氾濫・大洪水をマッドフラッドと呼び、これを逃れるための天への階段が『箱船』、だったかな? なにせ私の信じる神は洪水なんて起こさないからね、あまり深くは知らない」
「天への階段。つまりそれが——」
雲の上にたどり着く手段。
ビオス教の箱船。これこそ、ウラシマの遺言をひも解く鍵になる。三年の旅を経て、イドラはついに彼女の真意に触れる手がかりを得た。
レツェリは頷き、それから肩をすくめた。
「私としたことがつい話しすぎてしまった。この話は報酬の餌にすればよかったかな? フフ」
「……いや。いいことを聞かせてもらった。僕にできることはするさ」
「しかし繰り返すが、私とてビオス教については詳しくない。そこで、ヴェートラルを倒した暁には協会の書庫を見せようじゃないか。ロトコル教の本に興味はないだろうが、禁書として他宗教のものも少しあったと記憶している」
「それは助かる。フィジー大陸に出向くとしても、もう少し情報がほしい」
「本気で雲の上を目指しているんだね、君は。ま、期待していてくれ。他大陸だとこうした禁書は燃やされたり埋められたりすることもあるからね、おおらかな司教である私に感謝してくれたまえよ」
冗談ぶった言い方をするレツェリ。イドラはここぞとばかりに、少し彼の素性を探ってみることにした。
「感謝と言うけれど、あんた、実は結構若いんじゃないのか。禁書を残してたのはあんたじゃなく、あんたの先代や先々代の司教のおかげじゃないのか?」
「ん? さあどうだろう? 若く見えているのなら嬉しい限りだ。歳は取りたくないものだからね、クク」
軽くいなされてしまい、イドラは苦い顔をしそうになった。こうしたところがどうにも人柄を掴ませてくれない。
「とにかく、君の助力を嬉しく思うよ。イドラ君が同じ時代に生まれてくれて、本当によかった」
「礼は作戦が終わってからにしてくれ」
「ああ、そうだね。君の同伴者も待っているかもしれないし、手短に概要を話そう。まず地理上の話からだが——」
*
最後に作戦の決行が二日後であることを伝えられ、イドラは聖堂を後にした。
日付が変わるまで、あとわずかといったところだろうか。相変わらず空には雲がわだかまり、月も小さな星々も隠れされてしまっている。
この時間になればさしもの大都会デーグラムも、喧噪は鳴りを潜めている。おそらくは場所にもよるのだろうが、少なくとも聖堂の辺りは夜の帳が誘うまま静けさの中に沈む。
こんな日は曇天の庭を思い出す。あの、色鮮やかな花壇をより鮮やかな赤が濡らす、恩人を失った庭の風景を。
「そういえばミロウ。廊下で騒いでた声、司教さまにもガッツリ聞こえてたみたいだぞ」
「ええっ!?」
思いのほか派手な驚き方をされてしまった。イドラは笑いつつ、心の中だけで感謝を告げる。
独りでいれば、こういった時は追憶に意識を浸してしまう。考えまい考えまいと思っても、否応なしにそうなってしまうものだ。
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