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第1章 果ての世界のマイナスナイフ
第1話 ウラシマ
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山を見ていた。
大陸の端、メドイン村と名があるものの知る者の少ない、五十人程度が暮らす辺境の小さな村。羊小屋の前、みんなが椅子代わりに使うせいで面が平らになった岩に座りながら、イドラはじっと、東の山に目を向けていた。
村の向こうの、穏やかに広がる平原と丘のさらに向こう。景色を遮る壁のように、ちらちらと木々の緑に彩られた山が聳えている。
イドラという少年にとって、その壁こそが世界の果てだった。
大陸の果て。果ての海と、果ての壁に囲われて。果て尽くしのそこは、十三歳の多感な少年にとって、まるできらびやかで楽しげな様々なことから隔絶された、穏やかな牢獄だった。
山の多いこのランスポ大陸においてその山は、特別巨大なわけではないが、この時季の山嶺には雲と溶け合おうとするような白い雪が薄くわずかに被さっている。白い頂と青い空。その境界を見分けるように、ただ眺める。
生まれた時から遠くに、しかし身近にあった巨体。名前なんてないとばかり思っていたそれが、プレベ山だとか呼ばれていることをイドラは先日教えてもらい、この村と同じでなんにでも名前くらいはあるものなんだな、と妙な感心をした。
「また山を見てるの? 好きだね、キミも」
その名を教えた張本人は、いつの間にか隣にやってきて、イドラにそう話しかけた。
「先生?」
やや離れて遊び騒ぐ、同年代の子らの声も耳に入らないその集中を断ったのは、柔らかな声。イドラは山から視線を外し、先生と呼んだその女性の方を見る。山よりもずっと眺めていたい相手だった。
風が吹いて、黒いロングヘアーがかすかに揺れる。服も同じ黒で、体の大きさにちょうどくらいのローブを着ており、落ち着いて底の見えない雰囲気からも、どこか魔法使いじみてもいた。
が、その実、彼女は旅人だった。
「びっくりした。いつの間にいたんですか、ウラシマ先生」
ウラシマ。三日前、アサインドシスターズを除き外からやってくる者などほぼほぼ皆無であるこの村へやってきた彼女は、そう名乗った。
なんでも、旅人らしかった。
そして、それはイドラにとって、大いなる未知だった。
「ずいぶん集中してたから、声をかけづらくてね。それより昨日も言ったけれど、先生って呼ばれるのは……なんていうか、慣れない。少し恥ずかしくなる」
「でも、先生は先生だよ。すごく物知りだし、あのプレベ山の名前だって教えてくれた!」
三日前のイドラは、それは驚いたものだ。今日と同じように山を見つめていたら、なんとそこから降りて歩いてくる人影があったのだから。最初はすわ、魔物が村を襲いに来た! と騒ぎかけた。
イドラにしてみれば青天の霹靂であり、言ってみれば世界の果てから人がやってきたようなものだ。実際には、ウラシマの方が世界の果てへやってきているわけだが。
ともかく突然の来訪を村は友好的に受け入れた。豊かでなくとも、そのくらいの許容ができないほど貧しくもなかった。イドラは初めにウラシマと会った流れから村の案内なんかも経て、少ししたころにはすっかり懐いていたのだった。
「まあ……先に生きると書いて先生。だとすれば間違いでもない、か」
「? そういえば、先生っていくつ?」
「こら。淑女に年齢を訊くものではないよ」
「う、ごめんなさい」
こつん、と拳骨が岩に座るイドラの頭に落とされる。力はまったくと言っていいほど入っておらず、じゃれ合いのようなやり取りに、口では謝りながらもイドラはついにやけてしまう。
同年代の誰もがまだ持ちえない、大人の怜悧《れいり》を醸す表情や仕草。対して自身が抱える稚拙さを容易く許してくれる、包み込むかのような優しさに満ちた瞳。
そして、ここではないたくさんの場所で培われた、旅の経験。そういったものに、イドラの心は強く惹かれていた。
ふと、頭の上に置かれた拳が開き、代わりに柔らかな手のひらがぽんと置き直される。
「しょうがないね、イドラ君は。それにしてもこんな朝早くから山を眺めて、なにを考えてたのかな? よかったらワタシに教えてほしいな」
「……山の向こうには、なにがあるんだろうって」
「向こう? ああ……この前ちらっと言ったけど、プレべ山の向こう側にはちょっとした集落があったよ。ここに来る途中にお世話になったんだ。山を越えるのは大変だったから、横着せず海沿いに回ってこればよかったとも後悔したけれど」
「旅人だもんね、ウラシマ先生は。山を越えるのって、どんななんだろう。頂上にも行ったの?」
「ふふっ、頂上は踏まなかったね。そっか、キミは村を出たいんだ」
「そう、なのかな。うん……たぶんそうなんだ」
毎日のように山を見ながら、どこかまだ漠然としていた願い。穏やかな水槽で窒息しかけて、ぱくぱくと口を開いていた心が望むものを、ウラシマの言葉でようやくイドラは言語化された形で自覚した。
村を出たい。
この目で、壁の向こうを見てみたい。
もっと広い場所で、多くのものを見て、たくさんの人と会ってみたい。
「夢を見るんだ」
この頃のイドラが、たまに見る悪夢。
細かい凹凸のディテールがわからない、遠目からの景色がそのまますぐ近くに現れた不可思議な壁。そこに手を伸ばすも、とても上には登れない。遠くから見る山はまさしく壁そのもので、道になる坂など探すまでもなく存在しない、完全な絶壁だった。
「高い高い、山の壁。いくら登ろうとしても登れない。足元には黒い霧が立ち込めて、僕は呑み込まれる」
どうすれば登れるのか。どうすれば、山の頂上へ達することができるのか。壁を乗り越えられるのか。
それを考えているうちに、どこからともなく黒い霧が足元から体を包もうとしてくる。
「……そのまま、僕は死んじゃうんだ。こんな夢を、何度も見てる」
黒い霧は、時間だった。
山に取り付けないまま、たちまちに立ち込めた霧にイドラは呑み込まれてしまう。追いすがる時間に取り殺されてしまう。後に残るのは、なにもできないまま歳だけを取った、乾いて細くなってしまった自身の死体だけ。
そんな塩梅の夢だった。痛みや苦しみはないが、ネガティブなものを感じずにはいられない。
あるいはそれは、イドラの心の底にある焦燥を映し出したものなのかもしれなかった。
「幸運だね、キミは」
元気づけるように、ゆっくりとイドラの頭を撫でながら、いつもと同じの温和な声色でウラシマは言う。
「幸運っ? なんで。先生、僕の話聞いてた?」
「もちろん。確かに嫌な夢かもしれないけれど、キミは幸運だよ。だって、そんな夢を見た今も、こうして生きているんだから」
「……? どういうこと、ですか?」
ウラシマのことを先生と慕うイドラは、世界や大陸の知らない話を聴くときや、文字の読み書きを教えてもらうときなんかは、努めて敬語を使うようにしていた。
思わせぶりなウラシマの言葉に、その癖が今、自然と出た。
「こんな話があるのさ。夢の中で死ぬと、本当に死ぬ」
「えっ、そんな。夢の中で死ぬと本当に死ぬ? まさか」
「脳が……頭が、誤作動を起こすわけだね。実際には怪我ひとつないのに、夢の中で全身がバラバラになったりすると、本当にそうなったんじゃないかって勘違いして、自分から生きることをやめちゃうんだ」
「ひ——」
滔々とした語り口が、かえってイドラに生々しい想像をさせた。
夢で死に、それと同期するように現実でも生命活動を止めてしまう。覚めない夢に囚われるようなものだ。黒い霧に取り殺され、そのまま朝になっても目覚めない自分の姿がありありと思い浮かんだ。
「だからさ、ちゃんと今朝も起きられたキミは幸運だよ。よかったじゃないか」
「う、うん」
うまく言いくるめられた気がまったくしないではなかったが、そんな恐ろしい話を聞くと頷くしかなかった。恐々とした表情で首を縦に振るイドラに、愛らしい子犬でも見るような微笑みが向けられる。
「イドラ君は、この村は嫌い?」
「ううん、ここはいいところだと思う。本当に。たまにイーオフのやつに意地悪はされるけど、でも母さんは優しいし、村のみんなも父親のいない僕をちょくちょく気遣ってくれる。穏やかで、悪い場所じゃないってことくらい子どもの僕にもわかる、けど」
「けど?」
「いいところ、だけど……同じ昼と同じ夜を何度も繰り返して、周りにあるのは山と森と海ばかり。まるで世界の果てみたいだって、どうしても思っちゃうんだ」
「世界の果て、か。事実大陸の端なんだから間違いじゃないし、そう思うのは悪いことでもない。キミも若いしね、ふふ、若者は都会に出たがるものさ」
目を細めて笑うウラシマ。なんだか楽しそうだ、とイドラは思った。
「そっか、だったら——」
「おいっ、見ろよ! ザコギフトのイドラがウラシマと話してるぞ!」
ウラシマがなにかを言おうとすると、やや離れて、揶揄するような声音がそれを遮った。
見れば、イドラと歳の近い村の少年たちがいた。その三人を見るからに率いる、チャンバラごっこでもしていたのか手にちょうどイイ感じの木の棒を持った、特徴的な真っ赤な髪の子どもが指示棒のごとくイドラたちにその先を向けていた。
「おっと、ワタシたちに言っているみたいだね」
「ハグレ者とヨソ者、お似合いじゃねーの!? ぎゃはははっ」
「イ、イーオフ……」
「悔しかったら言い返してみろよハズレ野郎が! 紙も切れないナイフなんだから、体でも鍛えたらどーだ!?」
赤髪の少年は取り巻きの者らとともに、けたけたと笑い声を上げる。
「う……い、行こう先生っ」
「わっ」
岩から飛び降りると、イドラはウラシマの手を引っ張ってそそくさとその場を離れた。言い訳のしようもない逃走だった。
羊小屋から離れ、人気のない落ち着いた木陰まで来ると、イドラは我に返って手を離す。
——突然のことに手をつないでしまったが、怒っていないだろうか。
荒い息で肩を上下させながら、ちらりと自分より背の高い女性の顔色を窺う。
「中々に気の強そうな子だったね」
幸い、ウラシマはそんな気配はちっともなく、息も切らさずいつもの微笑を浮かべていた。
「う、うん。村長の息子のイーオフだよ、まだ村に来て三日のウラシマ先生は知らないだろうけど……とってもイヤミなやつなんだ。いつも僕を馬鹿にして」
「村長さんの。そうなんだ」
「真っ赤な髪は村長譲りなんだ、もっとも僕が十になる頃にはすっかり禿げあがっちゃったけどっ」
「ぷっ、あはは。なるほど、あのおじさまのまぶしい頭皮も昔は立派な髪が生えてたわけだ」
「うん。村長は優しい人だけれど、イーオフはまるで真逆さ。もっとも……僕と違ってイーオフは実際、すごいギフトを持ってるから。悔しいけど、言ってることは正しいんだ」
ギフト。それは、天恵とも称される。
この世界において、人は誰しも数えで十歳になると、その人間にしか扱ない道具——多くは武器が空からその人間のもとへと降ってくる。
ゆえに、ほとんどの大陸で信仰されているロトコル教において、ギフトは天に棲まうロトコル神からの恵みなのだとされていた。
大陸の端、メドイン村と名があるものの知る者の少ない、五十人程度が暮らす辺境の小さな村。羊小屋の前、みんなが椅子代わりに使うせいで面が平らになった岩に座りながら、イドラはじっと、東の山に目を向けていた。
村の向こうの、穏やかに広がる平原と丘のさらに向こう。景色を遮る壁のように、ちらちらと木々の緑に彩られた山が聳えている。
イドラという少年にとって、その壁こそが世界の果てだった。
大陸の果て。果ての海と、果ての壁に囲われて。果て尽くしのそこは、十三歳の多感な少年にとって、まるできらびやかで楽しげな様々なことから隔絶された、穏やかな牢獄だった。
山の多いこのランスポ大陸においてその山は、特別巨大なわけではないが、この時季の山嶺には雲と溶け合おうとするような白い雪が薄くわずかに被さっている。白い頂と青い空。その境界を見分けるように、ただ眺める。
生まれた時から遠くに、しかし身近にあった巨体。名前なんてないとばかり思っていたそれが、プレベ山だとか呼ばれていることをイドラは先日教えてもらい、この村と同じでなんにでも名前くらいはあるものなんだな、と妙な感心をした。
「また山を見てるの? 好きだね、キミも」
その名を教えた張本人は、いつの間にか隣にやってきて、イドラにそう話しかけた。
「先生?」
やや離れて遊び騒ぐ、同年代の子らの声も耳に入らないその集中を断ったのは、柔らかな声。イドラは山から視線を外し、先生と呼んだその女性の方を見る。山よりもずっと眺めていたい相手だった。
風が吹いて、黒いロングヘアーがかすかに揺れる。服も同じ黒で、体の大きさにちょうどくらいのローブを着ており、落ち着いて底の見えない雰囲気からも、どこか魔法使いじみてもいた。
が、その実、彼女は旅人だった。
「びっくりした。いつの間にいたんですか、ウラシマ先生」
ウラシマ。三日前、アサインドシスターズを除き外からやってくる者などほぼほぼ皆無であるこの村へやってきた彼女は、そう名乗った。
なんでも、旅人らしかった。
そして、それはイドラにとって、大いなる未知だった。
「ずいぶん集中してたから、声をかけづらくてね。それより昨日も言ったけれど、先生って呼ばれるのは……なんていうか、慣れない。少し恥ずかしくなる」
「でも、先生は先生だよ。すごく物知りだし、あのプレベ山の名前だって教えてくれた!」
三日前のイドラは、それは驚いたものだ。今日と同じように山を見つめていたら、なんとそこから降りて歩いてくる人影があったのだから。最初はすわ、魔物が村を襲いに来た! と騒ぎかけた。
イドラにしてみれば青天の霹靂であり、言ってみれば世界の果てから人がやってきたようなものだ。実際には、ウラシマの方が世界の果てへやってきているわけだが。
ともかく突然の来訪を村は友好的に受け入れた。豊かでなくとも、そのくらいの許容ができないほど貧しくもなかった。イドラは初めにウラシマと会った流れから村の案内なんかも経て、少ししたころにはすっかり懐いていたのだった。
「まあ……先に生きると書いて先生。だとすれば間違いでもない、か」
「? そういえば、先生っていくつ?」
「こら。淑女に年齢を訊くものではないよ」
「う、ごめんなさい」
こつん、と拳骨が岩に座るイドラの頭に落とされる。力はまったくと言っていいほど入っておらず、じゃれ合いのようなやり取りに、口では謝りながらもイドラはついにやけてしまう。
同年代の誰もがまだ持ちえない、大人の怜悧《れいり》を醸す表情や仕草。対して自身が抱える稚拙さを容易く許してくれる、包み込むかのような優しさに満ちた瞳。
そして、ここではないたくさんの場所で培われた、旅の経験。そういったものに、イドラの心は強く惹かれていた。
ふと、頭の上に置かれた拳が開き、代わりに柔らかな手のひらがぽんと置き直される。
「しょうがないね、イドラ君は。それにしてもこんな朝早くから山を眺めて、なにを考えてたのかな? よかったらワタシに教えてほしいな」
「……山の向こうには、なにがあるんだろうって」
「向こう? ああ……この前ちらっと言ったけど、プレべ山の向こう側にはちょっとした集落があったよ。ここに来る途中にお世話になったんだ。山を越えるのは大変だったから、横着せず海沿いに回ってこればよかったとも後悔したけれど」
「旅人だもんね、ウラシマ先生は。山を越えるのって、どんななんだろう。頂上にも行ったの?」
「ふふっ、頂上は踏まなかったね。そっか、キミは村を出たいんだ」
「そう、なのかな。うん……たぶんそうなんだ」
毎日のように山を見ながら、どこかまだ漠然としていた願い。穏やかな水槽で窒息しかけて、ぱくぱくと口を開いていた心が望むものを、ウラシマの言葉でようやくイドラは言語化された形で自覚した。
村を出たい。
この目で、壁の向こうを見てみたい。
もっと広い場所で、多くのものを見て、たくさんの人と会ってみたい。
「夢を見るんだ」
この頃のイドラが、たまに見る悪夢。
細かい凹凸のディテールがわからない、遠目からの景色がそのまますぐ近くに現れた不可思議な壁。そこに手を伸ばすも、とても上には登れない。遠くから見る山はまさしく壁そのもので、道になる坂など探すまでもなく存在しない、完全な絶壁だった。
「高い高い、山の壁。いくら登ろうとしても登れない。足元には黒い霧が立ち込めて、僕は呑み込まれる」
どうすれば登れるのか。どうすれば、山の頂上へ達することができるのか。壁を乗り越えられるのか。
それを考えているうちに、どこからともなく黒い霧が足元から体を包もうとしてくる。
「……そのまま、僕は死んじゃうんだ。こんな夢を、何度も見てる」
黒い霧は、時間だった。
山に取り付けないまま、たちまちに立ち込めた霧にイドラは呑み込まれてしまう。追いすがる時間に取り殺されてしまう。後に残るのは、なにもできないまま歳だけを取った、乾いて細くなってしまった自身の死体だけ。
そんな塩梅の夢だった。痛みや苦しみはないが、ネガティブなものを感じずにはいられない。
あるいはそれは、イドラの心の底にある焦燥を映し出したものなのかもしれなかった。
「幸運だね、キミは」
元気づけるように、ゆっくりとイドラの頭を撫でながら、いつもと同じの温和な声色でウラシマは言う。
「幸運っ? なんで。先生、僕の話聞いてた?」
「もちろん。確かに嫌な夢かもしれないけれど、キミは幸運だよ。だって、そんな夢を見た今も、こうして生きているんだから」
「……? どういうこと、ですか?」
ウラシマのことを先生と慕うイドラは、世界や大陸の知らない話を聴くときや、文字の読み書きを教えてもらうときなんかは、努めて敬語を使うようにしていた。
思わせぶりなウラシマの言葉に、その癖が今、自然と出た。
「こんな話があるのさ。夢の中で死ぬと、本当に死ぬ」
「えっ、そんな。夢の中で死ぬと本当に死ぬ? まさか」
「脳が……頭が、誤作動を起こすわけだね。実際には怪我ひとつないのに、夢の中で全身がバラバラになったりすると、本当にそうなったんじゃないかって勘違いして、自分から生きることをやめちゃうんだ」
「ひ——」
滔々とした語り口が、かえってイドラに生々しい想像をさせた。
夢で死に、それと同期するように現実でも生命活動を止めてしまう。覚めない夢に囚われるようなものだ。黒い霧に取り殺され、そのまま朝になっても目覚めない自分の姿がありありと思い浮かんだ。
「だからさ、ちゃんと今朝も起きられたキミは幸運だよ。よかったじゃないか」
「う、うん」
うまく言いくるめられた気がまったくしないではなかったが、そんな恐ろしい話を聞くと頷くしかなかった。恐々とした表情で首を縦に振るイドラに、愛らしい子犬でも見るような微笑みが向けられる。
「イドラ君は、この村は嫌い?」
「ううん、ここはいいところだと思う。本当に。たまにイーオフのやつに意地悪はされるけど、でも母さんは優しいし、村のみんなも父親のいない僕をちょくちょく気遣ってくれる。穏やかで、悪い場所じゃないってことくらい子どもの僕にもわかる、けど」
「けど?」
「いいところ、だけど……同じ昼と同じ夜を何度も繰り返して、周りにあるのは山と森と海ばかり。まるで世界の果てみたいだって、どうしても思っちゃうんだ」
「世界の果て、か。事実大陸の端なんだから間違いじゃないし、そう思うのは悪いことでもない。キミも若いしね、ふふ、若者は都会に出たがるものさ」
目を細めて笑うウラシマ。なんだか楽しそうだ、とイドラは思った。
「そっか、だったら——」
「おいっ、見ろよ! ザコギフトのイドラがウラシマと話してるぞ!」
ウラシマがなにかを言おうとすると、やや離れて、揶揄するような声音がそれを遮った。
見れば、イドラと歳の近い村の少年たちがいた。その三人を見るからに率いる、チャンバラごっこでもしていたのか手にちょうどイイ感じの木の棒を持った、特徴的な真っ赤な髪の子どもが指示棒のごとくイドラたちにその先を向けていた。
「おっと、ワタシたちに言っているみたいだね」
「ハグレ者とヨソ者、お似合いじゃねーの!? ぎゃはははっ」
「イ、イーオフ……」
「悔しかったら言い返してみろよハズレ野郎が! 紙も切れないナイフなんだから、体でも鍛えたらどーだ!?」
赤髪の少年は取り巻きの者らとともに、けたけたと笑い声を上げる。
「う……い、行こう先生っ」
「わっ」
岩から飛び降りると、イドラはウラシマの手を引っ張ってそそくさとその場を離れた。言い訳のしようもない逃走だった。
羊小屋から離れ、人気のない落ち着いた木陰まで来ると、イドラは我に返って手を離す。
——突然のことに手をつないでしまったが、怒っていないだろうか。
荒い息で肩を上下させながら、ちらりと自分より背の高い女性の顔色を窺う。
「中々に気の強そうな子だったね」
幸い、ウラシマはそんな気配はちっともなく、息も切らさずいつもの微笑を浮かべていた。
「う、うん。村長の息子のイーオフだよ、まだ村に来て三日のウラシマ先生は知らないだろうけど……とってもイヤミなやつなんだ。いつも僕を馬鹿にして」
「村長さんの。そうなんだ」
「真っ赤な髪は村長譲りなんだ、もっとも僕が十になる頃にはすっかり禿げあがっちゃったけどっ」
「ぷっ、あはは。なるほど、あのおじさまのまぶしい頭皮も昔は立派な髪が生えてたわけだ」
「うん。村長は優しい人だけれど、イーオフはまるで真逆さ。もっとも……僕と違ってイーオフは実際、すごいギフトを持ってるから。悔しいけど、言ってることは正しいんだ」
ギフト。それは、天恵とも称される。
この世界において、人は誰しも数えで十歳になると、その人間にしか扱ない道具——多くは武器が空からその人間のもとへと降ってくる。
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