流れてひかる─竜人伝説の古の里─

伊崎 夕風

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序章

【2】夏乃

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    虹色に輝く鱗が光を受けてキラキラと反射する。サラサラと風になびく鬣《たてがみ》。慈悲深く彼方を見つめる双眸。黒く美しい、堂々とした体躯の竜は、体をうねらせながら空を悠々と泳いで行く。
 その背に跨り、女は誇り高く顔を上げた。海に沈む夕日が、その二人を紅く染める。海の波は光を紅くキラキラと反射させて、二人の目に映る。

 ずっと焦がれて、ようやく見る事が出来た海。暖かな風を受けて、裳裾がはためく。

 ──もう、どこにも行くな。俺のそばにいろ。決して離れるな──

 竜は言った。愛おしさがその声から伝わってくる。恐れも悲しみも共に。胸が熱い。体の底から愛おしさが込み上げてくる。

 ──離れないよ、何があってもずっと見てるから──

    女は鬣に頬を押し当てた。分かっている。それはもう、叶わない願いだと。その目から熱い涙が零れ、風は涙をさらっていく。

 *

     雪が積もるのは、もう、この冬最後だろうか。

    起き抜けに、そっとカーテンを開け、外の景色を見た夏乃は目を細めた。目の奥を刺すような雪の白さに、ぼんやりとした頭が刺激される。

「っつ……」

    僅かに顔を顰め、こめかみを押えてため息をつく。この痛みは雪の白さのせいではないことをわかっている。ここ最近、毎朝感じる頭痛だ。バナナとヨーグルトで軽く朝食を済ませた夏乃は、処方された頭痛薬を白湯で喉に流し込む。

こんな日はこたつでゴロゴロしていたい。一度入るとなかなか出られなくなるのをわかっているので、朝はコタツは付けずに床暖房だけをタイマーで付けるようにしている。

タイツの足元がヒヤッとする度、コタツの誘惑に負けそうになる。

    3月上旬。いい加減、寒さにもうんざりだ。早く暖かくならないかな、と棚からポーチを出すと、化粧をするために鏡の前に座った。鏡の中の自分を観察する。目の下にうっすらとクマができていた。

    仕事に出かける支度を済ませ、黒の冬用のレインブーツを履きこむ。キャメルの皮のバッグを肩にかけ、片手に車のキーを持った夏乃は、家を出てすぐ、肩を竦めた。

「寒っ」

    風が少しでも熱を奪わないよう、淡いグレーのマフラーに顔を埋めるようにして、廊下を歩く。マンションのエレベーターの前に立つ。出勤時、いつも会う小学生の姉弟が、夏乃の前でエレベーターが来るのを並んで立って待っている。ランドセルのキーホルダーや給食袋が揺れて、微かな鈴の音がした。
 姉の方がこちらに気がつくと、ニコッと笑って、「おはようございます」と言った。それに弟の方も気がついて続けて挨拶する。夏乃も笑顔で「おはよう」と挨拶を返すと、2人が顔を見合わせて笑った。

寒さに赤くなった2人の鼻先が可愛い。

 また前を向いた2人の後ろ姿に、昔の自分と五つ下の従弟、尊が重なる。

    下の姉妹を立て続けに産んだ伯母が、育児で大変そうだったので、尊は夏乃の家によく預けられていた。夏乃には兄弟がいなかった為、尊を弟のように可愛がった。尊が高学年になる頃までは姉弟のように仲良く大きくなった。

 それを目の前の二人に重ねて見てしまう。

 やって来たエレベーターに乗り込み、8階から降りていく。そのほんの少しの間、壁にもたれて軽く目を閉じた。

 最近、寝不足だ。いつも夜中に1度はうなされて起きてしまう。なんの夢を見ているのかよく覚えていないが、起きた時、なにかに焦っているような気持ちになるのだ。

 周りに気が付かれない程度にため息をつくと、目を開けた。


「北澤センセ、クマできてる」

 ロッカー室で会った看護師の坂本綾が、鏡の後ろから指摘する。

「最近、疲れてるくせに上手く眠れないの」

「とか言ってぇ」

 綾は夏乃を覗き込んで、ふふっと笑った。

「何?」

「北澤センセ、彼氏でもできました?」

 化粧台の隣の椅子に座ったのは河原恵。2人とも夏乃と同い歳の看護師である。河原恵は既婚子持ち、坂本綾はただいま絶賛彼氏募集中である。

「いないよ。こんな忙しいのに、そんな暇無い」

「またまたぁ。最近、なんだか悩ましいため息ついてることあるの、知ってるよ?」

 敬語を外して話してくるのは、同僚であると同時に友人でもあるからだ。

「疲れてるだけ」
「えー、なんか色気ないなぁ」
「勿体ないよね、こんな美人なのに」

 2人は好き放題に夏乃をからかう。

 夏乃は駆け出しの小児科医である。やりがいのある仕事ではあるが、女が1人前にやって行くには、なかなかに厳しい世界でもある。そんな中、この2人の存在には、心を救われることも多い。

「ね、夏乃、合コン、行かない?」

 綾がスマホの画面を見せた。外資系の会社員が相手らしい。

「行かないよ、懲りたもん」

 看護師の中に医師が混じっていた事で、気まずい空気になった過去の合コンを思い出して、ため息をついた。

「うーん、外資系なら大丈夫だと思うけどな」

 男はなんで自分より優れた職業とキャリアを持った女を嫌煙するのだろう。
 これまで付き合ったことのあるのは同業者か、学生のうちでも同じ医療関係者だ。

「まあ、夏乃だったら引く手あまただと思うけど、結婚して子育てするつもりあるなら、早めの方が楽よ?変にランクアップしてから育休取るのも大変だしね」

 チーフに上がるかどうかのところでマミートラックに入った過去のある恵が言う。半年前に復帰したばかりのワーキングマザーだ。

「子供は産みたい、絶対」

 と、夏乃は真剣な目をした。
 夏乃は親を亡くしている。祖母がいるが、もし将来、他界する時が来れば夏乃は天涯孤独である。伯父には娘同然に扱われていると言っても、やはり本物の娘には敵わない。自分の家族が欲しい、その気持ちは強い。

「でもごめん、合コンはいいや」

 夏乃は弱く笑った。2年前、こっぴどい振られ方をしてから、恋愛には臆病になっている。自覚はあるけど、今は仕事を頑張りたいと決めている。
「まあ、仕方ないか」
 綾はポン、と肩を叩いて、お先に、とロッカー室を出ていった。
「おっと、私たちも早く行こう?」

 同じ小児科チームである恵と夏乃は、化粧ポーチをしまって、立ち上がった。

 *


「じゃあ頭痛が続いてるってことですね。一応CTを撮りますし、結果が出るまで少し時間が長引くので、処置室で横になって待っててください」
    夏乃は目の前の母親にそういうと、患者である岡野みきに向き直った。

小学四年生。これまでずっと発達外来で診てきた患者だった。

知的障害はないが、少しASDの傾向がある。それも診断がつかない程度のものだ。みきに関しては、ほんの少し、こだわりの強い部分があるが、少し頑固な性格、という括りに入れられる程度。言葉のやり取りも問題ない。だが他者との違和感を強く、敏感に感じ取る感覚の強さを持っている子で、それが集団の中でのしんどさに繋がっているようだ。

    みきは五月雨登校と言われる、行ったり行かなかったりを繰り返す子だった。そこで発達障害を疑った母がこの病院を頼ってきたのだ。

     母親はミキを普通に戻すことが完治であると強く信じていたが、まずその考えを改めて貰う為に、カウンセラーを紹介した。

    子供のサポートにあたって、親の凝り固まった考えを正してもらうことは、この先の子供のサポート体制を大きく変える。カウンセリングは順調のようで、みきの母親も随分子に対する理解が変わってきたようだ。

    だが、心配なのは、みきが未だに母親に過剰適応する所だった。それを母親に伝えたが、家ではわがままも言うし、外だからだという。

     何か問題の根元があるような気がするのだ。それは夏乃が介入すべき事では無いが、時々その事に触れて様子を聞くことにしている。問題意識を持って、母親が向き合ってくれることを願うばかりであった。

「ちょっと冷やしてみる?和らぐかもしれないし」

 夏乃の言葉に、こくんと頷くみきの頭をそっと撫でる。少しおでこが張っているような感覚があった。

「お母さん、みきちゃんのおでこ、ちょっと張ってる感じがするんですけど、元々ですか?」

「え?」

 母親はみきのおでこをそっと触った。みきはちらっと母親の顔を見た。母親の顔をやはりよく見る。

「あ、ほんと。こんなふうじゃなかったと思います」

「まあ、CT撮ってみて、確認しますので、…お願いします」

    そばにいた看護師に支持すると、車椅子にみきを乗せて、母親も一緒に診察室を出ていった。

「はぁ…頭痛だけか。でもおでこちょっと張ってたしな、なんだろう」

     夏乃は調べ物として、付箋にメモ書きをしてバインダーの裏に貼る。

「次の方どうぞ」

    月曜の午前診は忙しい。予約システムが導入されてから、待合の混雑は無くなったが、予約を入れたのに時間ギリギリにやってくる患者がいる。子供相手のことだから仕方ないところはあるのだけど。

    午前診を終えて、食堂へ向かう途中、検査から戻ってきたみきが笑顔で、夏乃に手を振った。
「検査終わりました?」
    母親に声をかけると、母親は弱く笑った。ずっと頭痛がすると言うので、休みがちな学校を長く休ませてることも、そのまま全く登校できなくなったらどうしようと言う不安に繋がっている。その上、自分もリモートで仕事になることも、みきが席を外しているときに零していた。父親が一緒に受診することも全くないし、子育てに関するかなりの精神的負担が母親だけにかかっている。

「検査のデータが来るまで処置室でお待ちください。もし食べられるようなら食事して頂いても構いませんし…」

    言うと、母親はみきに向き直って、

「ご飯食べる?」

    と聞いた。その時の母親の優しい顔に、みきはパッと顔を輝かせた。

「じゃあオムライス!」

    みきが思いのほか笑顔を見せたので、医者として、ほっとする。母親もほっとした顔をしていた。

「うん、食欲あってよかった。ではまた後で」

    夏乃は頭を下げた。みきに手を振ってその場を去った。

    そのCTで見つけた異変に、夏乃は驚いた。まだはっきりしないが、おでこの骨の当たりが分厚くなっているのだ。こんな症例は見た事がない。自分の病院で外科も兼ねている、伯父に意見が聞きたくなった。

    夏乃が電話をかけると、伯父はすぐに電話をとった。休み時間も限られているので、後でデータを送るので、よその外科にも問い合わせて欲しいと伝えると、快く了解してくれた。

 通話を切ると、

「頼みの伯父様かい?」

    その声を聞いて、夏乃は聞こえないようにため息をついた。振り返ると中庭の死角になったベンチに横になっていた医師がこちらを見ていた。

「立ち聞きですか?」

    その人物は身体を起こすと、しれっとした顔でこちらを見下すように一瞥した。無精髭に白衣。くたびれた感じのする三十代の医師だ。

倉田誠也。
病棟勤務で普段は会わないが、研修医時代、散々しごかれた相手である。

「北澤先生はお嬢様ですからねぇ、困ったことが有れば伯父様に相談した方が早いもんな」

「…何が言いたいんですか?」

    夏乃がうんざりした目を向けた時だった。倉田が真剣な顔をしてそばまで来た。顔を近づけ小声で言った。

「はあ、気をつけろよ、お前のこと妬んでるやつなんか、いっぱいいるんだから。医局の岡田先生だって、いい顔しないだろ」

「私は、原因が分かって、早く対処できれば、患者が辛い思いするのが短く済むと思ってるだけです」

    伯父との会話を聞かれていたことが悔やまれる。こうやって、何かにつけては、夏乃のことをお嬢様だなんだと嫌味を言うのだ、この医師は。

「上に報告して許可出るまでで手間かかるもんな」

     からかいの色が消えた、同情気味の言葉に、悔しいが頷く。その通りだからだ。倉田は嫌な男ではあるが、医師としては信頼出来る。内科病棟にいるが、外科医としても腕がいいと聞いたことがある。

倉田はさておき、話は戻る。
上の人間の仕事が遅いとは思わない。だがもっと迅速に対応できないものか、と夏乃は常に歯がゆく思っている。

「もし原因分かったら教えろよ?」

 中庭の灰皿の前で煙草に火を付けた。 

「?どうしてですか?」

「変な噂聞いたんだよ、実家近くの山里の病院で、ツノが生えてくる奇病が出たらしい」

「はあ?」

    夏乃は倉田を振り返った。面食らった。

「俺の方の入院患者にも、お前の患者と似たような症状の人がいる」

「え?そうなんですか?」

「角って言うのは半信半疑なんだけどな。CT撮った印象としては、突然変異としか言えないんだよ、額の上に、骨が出来始めてる」

    夏乃は倉田の顔をまじまじと見た。

「頼んだぞ」

 肩をポンと叩かれた。先程の冷やかしの雰囲気はすっかり消え、倉田はそこから去っていく。その後ろ姿を見送った夏乃は、空を見上げると、また雨が降り出しそうだな、と目を細めた。気分転換に、中庭を少し歩いてから、診療室へと戻ることにした。

    出入口に、同い年の看護師二人がいた。坂本彩と河原恵。 

「夏乃センセ、逢い引きですかぁ?」

「ちょっと、冗談がすぎるって……」

    夏乃はげんなりと二人を見た。

「えー?倉田先生、あんなだけどよく見るとちょっといいじゃない?渋いし」

「ちゃんとしたら絶対カッコイイ!」

「ほらほらーァ、サボってたら師長にまた怒られるよ?持ち場に戻る!」

     夏乃がパンパンと手を叩くと、二人はまだにやにやしながら階段の方へとあるいていった。

(まあ、言ってることはわかんないでもないけどね)

 無精髭をキチンと剃って、自分で切ってそうな髪をちゃんとカットして整えたら、それだけで絶対に違うと思う。1度聞いてみたことがある。髪を理容室で切らないんですか?と。

「人に関わんの仕事だけでいいわ」

 などと言い放ったのだ。変人だと思う。見てくれが良くても中身がなぁ、と苦笑いして、夏乃は診療室へ向かった。




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