愛なんだ

渡 幸美

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それぞれの

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愛なんてものは、身勝手だ。


例えそこに、どんな想いがあったとしても。




「アルバート、今、なんと?」

「うん、だから君との婚約を解消したいんた、ロレッタ」


春の暖かな昼下がり。色とりどりの花が咲き誇るアルバート様のお屋敷の庭園。そこでの婚約者同士の定例のお茶会で、彼は急にそんなことを言い出した。


……いえ、急、ではないかしら。


「それはそこに侍らせていらっしゃる、ココット様と関係がおありで?」


彼の隣には、庇護欲をそそる可愛らしいご令嬢が、勝ち誇ったようなにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。

少し前から、彼と社交界を賑わせている彼女の事は認識していた。ああ、また彼の悪い癖が出て来たのだと、一時の事だろうと静観していたのだ。


「そうさ!よく分かったね?僕は真実の愛に目覚めたんだよ!」


まさか、今さら彼の頭にまたお花畑ができるとは考えていなかった。自分を過大評価してしまったようね。反省は後でするとして、とりあえずこの場をどうにか収めないといけない。

……それにしても今さら感を感じるのも禁じ得ないのだけれど。



彼と私が婚約したのは三年前。私が貴族学園の最終学年であった18歳で、彼は……三つも年下の、15歳だった。


当時の彼は、良く言えばおおらかで自由奔放で……甘えん坊な人だった。あくまでも良く言えば、であって、自由すぎてご当主様は頭を悩ませた。なんせ、彼は侯爵家の一粒種。醜聞に巻き込まれる(巻き込むとも言う)のも、危険な女性を連れてこられても大変に困る。女性達に囲まれるのも、幼くして母君を亡くされたアルバートの寂しさの表れだからと周りの女性達も甘々だったのだ。

まあ、彼は高位貴族あるあるのとても綺麗な顔面をお持ちだし、上手く懐柔すれば筆頭侯爵家を意のままに……的な人々もいただろう。


もちろん私は、そんな彼にまっっっったく興味がなく、自分の目標に向かって努力していた。うちは領地を持たない子爵家だが、それなりの商会を抱え、それなりに栄えている。外国にも支店があり、学園をトップで卒業できたら留学兼支店修行をするはずだった。だから婚約者も置かず勉強に勤しんでいたのだが、それが裏目に出た形だ。


ある日、侯爵家からまさかの縁談。

息子の日頃の行いを心配した侯爵様が、婚約を強く勧めたらしい。そうしたら、なんと。


「ロレッタ嬢とならいいよー」


とか、抜かしやがったらしい。いけない、つい言葉が乱れたわ。どうやら彼に全く興味を示さなかったために逆に目をつけられていたようだった。失敗した、学年も三つも離れているし、私のような表情の薄い女など歯牙にもかけないであろうと油断していた。少し位は興味のあるふりをするべきだった、と思っても、後の祭りな訳で。


「ロレッタ嬢、高嶺の花だし。ふふ、自慢だよねぇ」


別に高嶺の花になるつもりなんて無かった。ただひたすらに、自分の目的の為に努力していたのだ。1度本を読めば覚えられる!とかの天才なんかじゃないから、トップを守るのに必死に勉強して。友人と遊ぶのも我慢して。すべてを頑張ったのだ。こんなことなら、仮の婚約者でも作っておけば……とまた後悔しても、以下同文だ。侯爵様は私が優秀だと大層喜び、うちは筆頭で大のお得意様でもある侯爵家の申し入れを断れるはずもなく……。私の今までの努力が水泡に帰した瞬間だった。


正直、かなりしょげました。泣く泣く、なんてもんじゃない。けれど、私も貴族の端くれだ。決まった以上は努力した。


私なりに彼に寄り添い、時には叱責し、共に学んで。始めは傍若無人だった彼も私に心を開いてくれた。女性を侍らすこともなくなり、激しい愛情ではなくともお互いに家族のような情愛は育めていると思っていた。の、だけれど。


「ロレッタ?」


私の長い沈黙に、怪訝な声でアルバートが呼び掛けて来る。


「あ、申し訳ございません、急なお話で。……僭越ながら、侯爵様は何と?」

「もちろん、父からも許可を取ってある!心配するな」

「心配って……」


そりゃ、君は今年学園を卒業するからね、若いよね。そう、今年彼が学園を卒業したら結婚することになっていた。対して私は三つも歳上だ。貴族的にはいろいろ大問題だ。


「君は、一人でも生きていけるだろう?」

「……は?」


ありきたりな、でも心を抉るその言葉に彼を見ると、彼は鼻を掻きながら微笑みを湛えていた。


「僕なんかより優秀だし、ずっと鼻についていたんだよね。姉ぶるしさ。美人だし、連れていて自慢だったけど、もう疲れたんだ。やっぱり結婚するなら癒しがないとね。その点、ココットは可愛らしい」

「まあ、アルバート様。ありがとうございます」


やはり鼻を掻きながら言うアルバートの言葉に、嬉しそうに頬を赤らめるココット様。


……ああ、これって。


「君は多少の傷がついても、どうってことないだろう?」


アルバートの皮肉に微笑みに、私はお辞儀を返す。


「……婚約解消、承りました。三年間、お世話になりました」



◇◇◇



彼女が優雅なカーテシーをして去って行くのを見届ける。やはり美しい人だな、と思う。


少しの間、二人で彼女が去った後を見つめていた。

そして、彼が私の方を向き直して安堵したような微笑みを浮かべる。


「さて、これで終了!ココット嬢も名演技をありがとう」

「いえ……私は、すべてが演技というわけでもありませんでしたし」

「ん?ごめん、聞こえなかった」

「何でもありませんわ。……無事にお話が進んで良かったですね」

「そうだね。ともかくこれで、ロレッタは何の憂いもなく、の元に行けるだろう」

「憂いなく、はどうでしょうね?」

「ん?」


彼は不思議そうに首を傾げる。自分では気づいていないのだろう。

彼女は、彼が鼻を掻くそぶりを見せた時に、何かに気づいたように彼の申し込みを了承した。……嘘をつくときに見せる、彼の癖。敏い彼女はきっとこの三文芝居に気づいたのだろう。


私が彼にこの婚約を持ち込んだのは三ヶ月前のこと。


うちは歴史だけは古い、しがない伯爵家だ。父は古い血統だけが自慢の、領地経営が全くできない人で、私は自分なりに勉強しながら執事と共に伯爵家を支えていた。もちろん、お嬢様の母も役に立たない。いずれは頑張っていい嫁入り先を見つけて、後を継ぐ弟の力になろうと思っていた。


そんな時。だめ親父あるあるで父が嘘の投資話にひっかかり、我が伯爵家は膨大な借金を抱えてしまったのだ。

アホだ。アホすぎる。投資で「絶対」損しない、は100%詐欺だ。何年貴族をやってんのよ。


と、怒った所で現状はどうにもならない。これもまたお決まりで物凄く嫌だけど。家の為、弟の為に仕方ない。必死に内密にしていても、どこからかうちの借金を聞きつけて来た大貴族の後妻になるしかないと腹を括った。

そんな時に声を掛けて来たのが、アルバート様だった。さすがは侯爵家と言おうか、うちの内情を全てご存知だった。


「ココット嬢。そんな爺に嫁ぐくらいなら、僕に協力してくれない?……まあ、鬼畜なお願いなのは、その爺と変わらないけどね」


自嘲気味に笑うアルバート様。学園ではいつも明るくて紳士で。彼を変えた婚約者様と仲睦まじいと有名で。そんな彼の見たことのない表情に疑問を持って、話を聞いた。


そして話を聞いて、驚いた。愛する彼女と婚約解消するために協力してほしいと言うのだから。その為に私を新しい婚約者にしたいと。


「なぜ……」

「そもそも、僕の気まぐれと我が儘で成立した婚約だからね。……そろそろ彼女に自由を返してあげようと思って」

「でも、お互いに想い合われていると、噂で……」

「うん。愛されていると思うよ。家族として。でもやっぱり僕は我が儘みたいだ。一番に愛されていないと嫌だと気づいたんだよ」


その寂しげな微笑みに全てを悟った。きっと、彼女に落ち度はない。誠実に、アルバート様と向かいあったからこそ、彼は変わった。けれど、変わった彼は気づいてしまったのだろう、彼女の心の機微に。


「こんなことを弱味につけ込んで頼むくらい、どうしようもない男だし。勝手だよね」

「私ごときが言うのも憚れますが、愛情はそんな側面もあるのでは?」

「ココット嬢……」

「お話、ありがたく受けさせていただきます。よろしくお願い致します」

「……ありがとう。伯爵家の借金はすぐに対応するよ。そして、ごめん」


そのごめんは、弱味につけ込んだ謝罪なのか、自分が一番に愛してもらいたいと言ったその口で、私を一番にできない謝罪なのか。……両方か。


きっと私は、寂しげな貴方の微笑みを見た時から貴方に惹かれていた。貴方は罪の意識もあって、私を大切にしてくれる。貴方は一番じゃないと嫌だと言ったけど、二番でも何でも貴方の傍にいられるならそれでいいと思う私は、きっと狡い女よね。


でもいいの。負けない位、愛するから。



◇◇◇


あの日、彼女の家に行かなければ今でも彼女と共にいられただろうか、なんて、いまだに考える自分に失笑する。


昔の僕は典型的なダメ男で、甘やかしてくれる世間にどっぷり甘やかされていた。5歳で母が亡くなった寂しさで、女性に母を求めていたことは否めない。さらに僕の顔は女性受けをするらしく、皆代わる代わる可愛がってくれてそれに何の疑問も持たなかった。


そして15歳になり、婚約が決まった。それがロレッタだ。三つも歳上の才媛。ロレッタは僕に靡かない数少ない女性だった。歳上のお姉様方は特に甘やかしてくれるのに。いつも前を向いて、清く正しく美しく、を体現しているような人で、僕は彼女が眩しく感じると同時に、汚したいような衝動にも駆られたのだ。けれど、僕はあっさり彼女に負けた。


「お母様が早くに亡くなられて……それは確かに寂しいですよね、分かります。私も3歳で母を失くしておりますから」

「え……」

「しかも恥ずかしながら、愛人との失踪です。私の存在意義が全否定されたようでした。アルバート様はお寂しいでしょうが、愛されて幸せでしたね」


と、さらりと言われ、急激に自分が恥ずかしくなった。そうだ、僕は愛してくれた母をも利用して楽しんでいたのだ。


それからは、彼女とたくさん話をして、たくさん勉強をした。彼女にふさわしくなりたかったから。今まで甘えていた分を取り返すように。彼女は姉のように時には教師のように優しく寄り添ってくれた。そんな彼女に日に日に惹かれていく自分がいた。


ある日のこと。


ロレッタの家の商会に頼んでいた品が届いたと連絡が入った。いつもは彼女がこちらに届けてくれたのだが、久しぶりに子爵にも挨拶をしようと、こちらから出向いた。


そして、そこにいたのは見たことのないロレッタだった。


いや、見たことがないんじゃない。現に、子爵も周りの従業員も至っていつも通りだ。僕が、急に気づいただけだ。


彼に向ける安心したような笑顔。彼の横は、きっと無意識に甘えられるところなのだろう。


「アルバート、いらっしゃいませ!」


彼女は僕にも笑ってくれる。きっと愛してくれている。でもそれは、決定的に僕とは違う愛だ。


それでもいいと思おうとした。そもそも愛のない結婚なんて、貴族は珍しくない。情を持てただけでも、充分幸せだろう。それにもしかしたら、ずっと傍にいられれば、いずれは僕にもあの顔を見せてくれるかもしれない。


そんなことを考えているうちに、あと半年で学園を卒業するまでになってしまった。卒業したら、ロレッタと結婚できる。このまま、一緒にいたいのが本音だ。けれど、まだロレッタが僕にあの笑顔を見せてくれることはなかった。あ、誤解しないでね、彼女はとても誠実だったよ。僕のいい婚約者であるように、とても尽くしてくれた。きっと不貞だってしない。


でも、足元が揺らぐような、妙な不安感がずっと付きまとって離れなかった。


僕はロレッタに内緒で、彼と会うことにした。


仕事にかこつけて約束を取り付けたので、僕からのロレッタの話に始めは警戒していた彼だったが、絶対に不敬に取らない念書を持ってきた、と僕の言葉に驚きながらも商人らしくきっちり内容を確認して、頭を下げてきた。


「アルバート様のお気持ちを受け取りました。こちらは納めて下さい。私も真摯にお話いたします」


そう言って念書は僕に戻し、包み隠さず話をしてくれた。

ロレッタと恋仲だったこと。しかし、彼は優秀だが、平民だ。子爵家には立派な跡取りもいるが、美しい娘は、やはり上位貴族に嫁がせたいのと考えるのが貴族の親だ。

子爵は譲らない二人に条件を出した。彼には仕事で一定の成果を上げること。ロレッタは学園でトップを維持すること。そして二人で外国の支店を更に磐石にすること。

そして全てが順調で、頑張る二人に子爵も絆され始め、もう少しで彼女の卒業を待つばかり、だった頃。僕という横やりが入ったという訳だ。


僕は、何て事を。


子どもの癇癪のようなもので、二人の努力を無駄にしたのだ。恥ずかしくて顔を上げられない。


「それは……すまなかった。僕の我が儘で……」

「そんな、アルバート様のせいではありません。侯爵家との縁は、商会にもありがたいことです。お嬢様も、ご自分で決められたのです。それに、誓ってお二人が婚約をされてから不貞を働くようなことはしておりませんので!」

「うん、それは分かってるさ」


侯爵家を舐めてもらったら困る。情報収集はお手のものだ。……そう、だからこそ本当なのだ、二人の誠実さが。

ロレッタの覚悟が。


「……君は、結婚しないの?」

「やりかけの仕事が山積みでして。お嬢様が関係なくとも、やり遂げたいのです」

「……そう」


悔しいな、いい男だな。


彼の晴れ晴れとした表情は、それでもロレッタへの愛情が読み取れて。遠くから見守る愛を貫く決意にさえ見えた。いや、実際そうなのだろう。


やっぱり、僕の我が儘は簡単に直らないらしいよ、ロレッタ。

君の隣で一番じゃないなんて、どうしても嫌だと思ってしまうのだから。あの、一番の笑顔が欲しかったのだから。


「ねぇ、彼女が傷物になっても構わないよね?」


最後のこの我が儘を受け入れて、甘やかしてよ、ロレッタ。



◇◇◇


「いつ、気づかれたのかしら……」


隣国へ向かう船に揺られながら、一人言る。

愛する人が居ながらも、受けた婚約。いろいろと難のあるお相手だったけれど、避けられないのなら受けて立とうと思った。全てをしっかりと捨てて、彼と向き合おうと決めて。


「それは俺にも。ただ、彼の学園卒業の数ヶ月前程に自分に接触して来られました」

「……そう」


愛する彼が、隣で言葉を拾ってくれる。三年越しに夢が現実になろうとしている。


あの日から三ヶ月経った。あの時、あの彼の癖を見て、全てを悟った。


「貴族なのだから、気をつけなさいと言ったのに」

「……心配?」

「そりゃあね。これでも三年間、きちんと向き合って……」


と、そこまで言った所で、彼に強く抱き締められて言葉を塞がれる。


「すみません、彼の気持ちも、お嬢……ロレッタの気持ちも分かっているのですが……他の男の話はやはり……狭量ですみません」


大人の男性の切なそうな表情に、自分の胸が高鳴るのが分かる。ずっと、ずっと大好きだった人。


「ふふっ、ごめんなさい、もうしないわ。でも、彼の幸せも祈らせて?……それと、彼女の」

「それは、はい。俺も祈ります、もちろん」


あれから、ココット様の噂もあちこちで聞いた。主に縁談を断られた爺の仕業だろう。私とのことも相まって、きっと辛いはずなのに、こっそり会いに行った私に「アルバート様のことは任せて下さい」と、強い笑顔で言ってくれた。これから彼女が支えてくれるだろうと安心するのは、きっと私の勝手なのだろうけれど。


「どんなに綺麗事を言っても、貴方といられるのが一番幸せよ」

「俺もです。ロレッタ」



ーーー愛なんて、身勝手だ。


身勝手だけど全てを抱き締めて、私は幸せになるのだ。


そう、ならなくては。


アルバートの為にも。

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