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第345話 フェンリル

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「ガアアッ!」

血走った眼で俺達を睨み付けていたフェンリルは、鋭く一声吠えて大地を蹴りだし一気に俺達に向けて跳躍してきた。その巨体の為かまだまだ距離があると言うのにひとっ跳びだ。巨大な狼が牙を剥きながら自分に迫る光景と言うのは本能的に恐怖を感じさせるものの、俺はそれを振り切ると対抗するように飛び出して、アイギスの盾で光の障壁を展開させた。

突然目の前に光の壁が現れた事に驚いたフェンリルは身をよじって回避しようとしたが、一度跳び上がってしまえば空中で方向転換など不可能だ。奴はなす術もなく障壁に激突し、そのまま地面に叩き落された。

「今だ!」

俺の合図に機会を窺っていたクレア達が一斉に攻撃を開始する。魔力を籠めた矢が雨あられと殺到したかと思うと巨大な水竜が襲い掛かり、シャリーのスリングショットから放たれた石が猛烈な速度で空を切る。ディアベルは普段あまり使う事の無い水の精霊、ウンディーネを召喚して水の刃を放っていた。

いかに巨大な狼とは言え、しょせんは大きいだけの魔物。それら全ての攻撃を喰らって無事に済むとは思えなかった。だが彼女達の攻撃が直撃する瞬間、フェンリルの姿は霞が消えたように消滅し俺の真横に出現していたのだ。

「ガアアア!」
「なに!?くっ!」

いきなり現れたフェンリルはそのまま俺を一飲みにしようと巨大な口を開けてぶつかってくる。咄嗟の事で防御が遅れた俺は一瞬にして噛み砕かれそうになったが、バリエの鎧に魔力を流す事で身体能力を強化し、間一髪回避に成功した。ガチリと牙の鳴る音を立てて無念そうな表情を浮かべたフェンリルは、再び姿を消すと今度は俺達より少し離れた位置に出現する。

「危なかった…にしても、どうなってんだこれ?」
「恐らく本来の姿が精霊だから出来る事なんだろう。でなければ主殿でもあるまいし、いきなり姿を消すなど…」

瞬間転移を敵が使って来ると想像した事ぐらいはあったが、実際にやられたら脅威だな。警戒したところで、どうしても一瞬反応が遅れてしまう。これに対抗するには…

「みんな!奴が消えたらとにかく動け!その場に留まってるとやられるぞ!」

俺の言葉にみんなが頷く。他にいい方法があれば別だが、咄嗟に思いつく対抗策はそれぐらいだ。もっと考えたかったが再び地を蹴ったフェンリルが迫ってきたために思考を放棄して奴に向き直る。クレア達が再度攻撃を仕掛けるが、またしても当たる直前に姿を消し今度はシャリーの後ろに出現する。匂いで解ったかそれとも勘かは判断し辛いが、動き出していた彼女は咄嗟に横に跳んでフェンリルの攻撃を躱した。

「まずいな…このままじゃ、そのうち避けきれなくなるぞ」

後手に回ったら一方的に攻撃されるのみ。今度はこっちから仕掛けてみよう。俺は転移を発動してフェンリルの後ろに回り込み、その足目がけて斬りつけた。が、奴もそれを察知したのか再び姿が掻き消える。味方の近くに出現するフェンリルを追うように転移を繰り返したが、結局効果的な攻撃を加える事が出来なかった。

「これじゃイタチごっこ…そうだ、さっきの手を試してみるか」
「ご主人様、何か良い案でも?」
「ああ。たぶんこれで上手くいく」

唸りを上げるフェンリルを無視して俺は魔力を高めると、空中にいくつもの火炎球を作りだす。浮かび上がった火炎球はクレア達が居る方にそれぞれ飛んだ後、彼女達の周囲をぐるぐると回り始める。これはこの階層に降りて来た時に使った暖を取る方法だ。単なる思い付きだったが、これならフェンリルが噛みつこうとしても回転する火炎球が直撃する事になる。

「ガウ…」

転移自体が封じられた訳でもないのに、フェンリルは転移して襲って来ない。飛びついた途端火達磨になるのが理解できているようだ。だがこうなったらしめたもの。転移さえ封じれば、もう奴はただ大きいだけの狼に過ぎない。今更俺達が苦戦する相手では無かった。

「仕掛けます!」

クレアがフェンリルの逃げ場が無いように、宙に向けて放った矢が等間隔で降ってくる。これで転移でどこに逃げても命中するはずだ。ますます逃げ場が無くなったフェンリルにレヴィアとディアベルが水の竜と水の刃で攻撃する。ディアベルの一撃を跳んで躱したフェンリルだったが、しつこく追いかけてくる水の竜から逃れるため一番与しやすい見かけのシャリーに向けて走り出した。

猛烈な勢いで走るフェンリルはシャリーの目前で地面に前足を叩きつけ急ブレーキをかけると同時に、大量の雪の塊を彼女の周囲で回転する火炎球にぶつけてくる。ジュッと言う短い音を立てて火炎球が消滅すると、シャリーを噛み千切ろうとフェンリルが彼女に向けて牙を剥いた。だがその巨大な牙が彼女に触れる直前、奴の両顎は巨大な力で引き剥がされたかのように跳ね返る。腕輪の力で身を守ったシャリーは間髪入れずフェンリルの口に二振り短剣を突き刺す。

「ガアアッ!」

シャリーの短剣から噴き出る炎と、精神を蝕む黒い霧の同時攻撃を受けたフェンリルは激痛に身をよじる。そこに追いかけてきたレヴィアの水竜が直撃し奴の腹を食い破った。悲鳴を上げながらも何とかその場を離れ、再びこちらを威嚇するフェンリル。だがその腹からは大量の血が溢れ出し、命が尽きる寸前に見えた。

「早く楽にしてやる…」
「待った!主殿、少し待ってくれ!」

一気に首を斬り落とそうと動き出す俺をディアベルの鋭い声が制止する。何をするのかと思ったら、彼女はケルケイオンを抜き放ち、その光を苦しむフェンリルに浴びせた。すると、体中の魔力を上手く操れなくなったフェンリルは次第にその姿を霞ませていき、最終的に半透明の精霊らしい姿へと形を変貌させる。

精霊の姿になったフェンリルからはさっきまでの凶暴性など欠片も感じられず、静かに佇むその姿からは気品や風格すら感じさせた。いったいどう言う事か解らず戸惑う俺達を他所に、一人ディアベルはフェンリルの前へと歩いて行く。慌てて止めようとする俺達に笑顔を向けて、彼女は自分を見下ろすフェンリルと対峙した。

「氷の精霊王よ。正気を取り戻したか?」
「小さき者達よ、感謝する。お前のおかげで私は本来の姿を取り戻す事が出来た」

渋い声で落ち着いて話すフェンリルからは、もう敵意を感じられなくなっている。さっきまでの態度はなんだったんだと言いたいぐらいだ。俺達が取り残されている間にも、ディアベルとフェンリルの会話は続く。

「助けてもらった礼に、なにか私に望みはあるか?出来る範囲で応えよう」
「ならば私と契約して欲しい。お前ほどの精霊が力を貸してくれるなら、これほど心強い事は無い」
「…いいだろう。お前の実力があれば私と契約するに相応しい。今後は好きな時に私を呼び出すと良い」

そう言うとフェンリルの体は細かな雪の様に散り散りになり、ディアベルの体に染み込んだと思ったら姿を消してしまった。ディアベルは呆気にとられる俺達に向き直り、ようやく事情を説明してくれる。

「主殿達は知らないだろうが、暴走した精霊はその魔力の流れを正常に戻してやる事で契約できる場合があるのだ。今回はケルケイオンの助けもあり、なんとか殺す寸前で正気に戻す事が出来た」
「そうだったのか…説明が無かったから何事かと思ったぞ」
「すまない。あの状況では悠長に話している暇が無かったからな。だが、これで私も今まで契約できていなかった氷の精霊を呼び出す事が出来るようになった。しかもいきなり精霊王だから、一から上げる必要は無いぞ」

呼び出せる精霊の種類が増えた事でディアベルは上機嫌だ。確かにさっきのが仲間になるとしたら、かなりの戦力アップは間違いない。だが…

「ところでディアベル、この場合経験値はどうなるんだ?」

すっかり当初の目的を忘れていたのか、俺の言葉にディアベルがピタリと動きを止めた。そして申し訳なさそうな顔になり、言い訳らしい事を並べ始める。

「ええと…この場合は倒した訳では無いから経験値は入らない…申し訳ない。だが!その分強力な精霊が味方になったのだ。別にいいだろう?」

強気なのか弱気なのか解らない態度のディアベルに苦笑しか出てこないが、別に俺も本気で攻めてる訳では無い。この後どんどん下の階に潜って行けば、レベルアップの機会などいくらでもあるからだ。

「嘘だよ。誰も怒ってないって。それよりさっさと次の階に行こうぜ。ここは寒すぎる」

突然の嵐や襲撃に遭った時は少々焦ったが、結果としてディアベルの魔法を強化できると言う願ってもなかったイベントで俺達の戦力アップを計れた。これは幸先良いスタートだろう。さっさとこんな寒い所を出て、どこか落ち着ける場所でお茶の一杯でも飲みたいものだ。俺達は足にまとわりつく雪をかき分けながら、次の階段を求めてその場を後にした。
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