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第298話 子爵
しおりを挟むセスに先導されて歩く赤絨毯の両脇には数多くの貴族や騎士が隙間なく立っていて、歩みを進める俺の事を物珍しそうに観察していた。まるで動物園のパンダにでもなった気分だ。赤絨毯の行き止まり、つまり視線の先には玉座に座るクロノワールの姿が見える。厳密に言うと彼女の身分は未だ皇女のはずだが、あそこに座っていると言う事は皇帝になるのも時間の問題なのだろう。
ゆっくりと時間をかけて玉座の手前まで辿り着いた俺は、静かに片膝をついて頭を下げる。周りが何も言わないので今のところ間違った事はしていないようだ。すました顔でここまで来たが、実のところさっきから心臓が銅鑼を鳴らしたようにうるさく鳴っている。静まれ!俺の心臓!
「ようこそエスト殿。しばらくぶりですね」
玉座に座るクロノワールから涼やかな声がかかる。いつもと同じく穏やかな笑みを浮かべている彼女は、まるでこちらの緊張を解きほぐそうとしているかのようだ。そして彼女は静かだが不思議と響き渡る声で謁見の間に居る者全てに対して話しかけた。
「皆も知っての通り、エスト殿とその配下の者達は先の皇位継承に関わる騒動で大変に尽力してくれました。しかしその後、国を取り纏める事を優先するあまり勇者達に対する正当な報酬を与える機会を失ったのです。ですが今日、エスト殿が訪れてくれた事でようやく帝国として礼をする機会が訪れました。私は今日この場において、エスト殿に対し子爵の位とそれに伴う領地を与えると宣言します。何か異存のある者はいますか?」
皇女の問いかけには誰も異を唱えなかった。俺も特に言う事は無いんだが…今クロノワールは子爵と言ったような気がするけど気のせいか?名誉がついていなかったようだし、男爵よりも一つ上の位になっている。言い間違えたんだろうか。
「ならば、皇女クロノワールの名の元に、勇者エストをアルゴス帝国の子爵に任じます。エスト殿、こちらへ」
近くに寄るように促されたので、立ちあがってクロノワールに近づく。すると彼女は横に控えていた侍従の差し出す盆の上から一振りの短剣を受け取ると、こちらに向かって差し出してくる。どうしていいか解らずに戸惑う俺に、セスが小声で教えてくれた。
「…エスト殿、跪いて両手で受け取ってください」
なるほど、欧米の人がプロポーズする時にやる形を取れと言う事か。言われた通りのポーズを取った俺にクロノワールは笑顔を浮かべて短剣を差し出して来た。それを受け取り深く頭を下げる。これで合ってるといいんだが…と思った瞬間、謁見の間全体が割れんばかりの歓声に包まれた。一体何事だ?
「おお!これで勇者殿が我がアルゴスの一員に!」
「新たな子爵の誕生だ!」
「勇者エスト万歳!」
「クロノワール様万歳!」
「アルゴス帝国に栄光あれ!」
…やっぱりさっきのは聞き間違いじゃなかったようだ。なんか話が変な方向に流れてないかコレ?完全にアルゴスの貴族になってる気がするんだけど…だがそんな俺には構わず、クロノワールは弾んだ声で皆に告げる。
「さあ、祝いの宴を始めましょうか。皆も今日は楽しみなさい」
『おおー!』
主役であるはずなのに完全に蚊帳の外に置かれて呆気にとられる俺を他所に、謁見の間に居る人々は談笑しながらぞろぞろと連なり、宴の会場であろう大広間を目指して出て行った。すると、ぽつりとその場に残された俺に最後まで残ったクロノワールが静かに歩み寄ってきた。
「エスト殿、行かないんですか?」
「いやその…行きますけど。なんか聞いてた話と違うような気がして…」
「子爵の件ですか?当初は名誉子爵として遇するつもりだったのですが、我が国の恩人であるエスト殿を一代限りの名ばかり貴族にする事に反対の声が多かったのです。彼等の言う事ももっともなので、名誉と言う文言を無くし正式な貴族として扱う事に決めたのです。…もしかしてご気分を害されましたか?」
首をかしげながらこちらの顔を覗き込んでくるクロノワールの真意は解らない。本当に反対意見があったかどうかなど俺には確かめようがないからだ。しかし今回の一件、皇女の思惑はどうであれ俺に損は無いのだ。ならば文句をつける必要も無いだろう。
「いえ、そんな事はありません。身分不相応な爵位をいただいた事に戸惑っていただけです」
「そうですか。ならよかった」
後でリムリック王子辺りが何か言いそうな気はするが、それはその時考えよう。会場までエスコートしてくださいますか?と笑うクロノワールの手を取り、俺達二人は謁見の間を後にした。
------
俺のために開かれた宴は使節として招かれた時よりも豪華で、参加している人数も見た感じ三割ぐらいは増えていた気がした。宴と言っても、そこは一応主役なので料理や酒を楽しむ余裕も無く、次から次へと挨拶に訪れる貴族や騎士達の対応に追われて終始愛想笑いを浮かべていただけだ。それだけならまだ良かったが、中には自分の娘を俺の結婚相手にとか、自分自身を売り込みに来るご婦人方まで居て対応に苦慮したものだ。
そんな嵐のような夜が過ぎた翌日、俺は城の中に用意された一室のベッドの上で目が覚めた。今日は新たに俺の領地となった土地まで視察に行く事が決まっているので、昨日は帰る事無く城に留まっていた。
「失礼します。おはようございますエスト様。朝食をお持ちしました」
トレイに食事を乗せたメイドが部屋に入ってきた。ちょうど腹が減っていたので早速食事に手を伸ばし、あっと言う間に平らげる。昨日はまともに食事をする暇が無かったからな。空腹を満たして一息ついていたところ、部屋に新たな来客が訪れた。誰かと思えばセスだ。
「おはようございますエスト殿。お迎えに上がりました」
「お迎え…ですか?」
「はい。エスト様の新しい領地までは私がご案内します。表に馬車を待たせておりますので、早速向かいましょう」
そう言ってセスは部屋を後にする。なるほど、いよいよか。一体どんな土地でどんな人達が住んでいるのか今から楽しみだ。俺は子供の様にワクワクしながら席を立ち、セスの後を小走りで追いかけた。
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