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第243話 感謝
しおりを挟む翌日、二日酔いや食べ過ぎでうんうん唸っているクレア達のために、果実の味付けをしてある冷えた水を一階で頼むと、人数分のコップを用意して宿を出る事にした。行って来るよと言う俺に顔を伏せたまま手を上げる彼女達。どうやら声を出すのも辛いらしい。
ミレーニアの王城前に辿り着た俺の姿を確認した兵士が、驚いて城内に駆けこんでいく。確か彼に会うのは三回目ぐらいだったかな。もう俺がネムルをぶちのめした事は末端にまで伝わっているようで、遠巻きに見る目には怯えの色がある。彼等の目から見れば、俺は誰も倒せなかった悪魔を倒した上に国王に暴行を働いた乱暴者でしかなく、こんな扱いになるのも当然だろう。
城内に押し入る気も無かったのでしばらくその場で待っていると、昨日見たネムルの娘を先頭に多くの兵がこちらに向かって来るのが見えた。足を止めた兵士達からネムルの娘だけが進み出て俺の前に立つ。昨日程ではないが随分緊張しているのが見て取れた。また俺が暴れでもしないか気が気じゃないのだろう。
「エスト殿、昨日は父が大変失礼いたしました。それで、本日はどのようなご用件で?」
「これを返しに来た」
ぎこちない笑顔を向ける娘に懐から取り出した賢者の石を差し出すと、娘は驚きの表情を浮かべてそれを受け取るかどうか迷っていた。
「これは…」
「おかげで仲間は全快したよ。ありがとう」
人が頭を下げたのがそんなに意外だったのか、娘のみならず周囲の人間まで息をのむのが伝わってきた。…世話になったら礼ぐらいするよ。俺を何だと思って…いや、猛獣扱いなのだったか。頭を下げる俺と賢者の石を交互に見た娘は、何かを決意した様に口を開く。
「…エスト殿、せっかくここまで足を運んでいただいたのです。よろしければ中でお茶の一つもご馳走させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「姫様!?」
突然の申し出に、言われた当人より周りの人間が焦りを濃くする。国王に暴行を働いた狼藉者が、今度はその娘に牙をむくとでも思ったのだろう。だが娘は家臣達の止めて欲しそうな視線を無視し、ついて来るように促すと城内に向けて歩き出した。どうした者かと思ったが、流石にこのまま帰るのも失礼かと思い黙って後に続く事にした。
城内を歩いていると、すれ違う人々が俺を確認しては回れ右してその場から立ち去る光景には若干傷つく。昨日騒ぎのあった広間を通り過ぎ、案内されたのは城内の一角にある小さなテラスだった。小さいと言っても王城内の物だけあって貧相ではなく、賓客を迎えられる豪奢な造りになっている。娘に促されていくつかある席の内一つに腰かける。すると間を置かずに女中達がひんやりと冷えた飲み物と一緒に、どこか見覚えのある袋をいくつかテーブルの上に置いて行った。
「これは…?」
「それはエスト殿が本来受け取るべき報酬です。あの悪魔の支配する大地を解放してくれたのですから、お礼をするのは当然かと」
「いやしかし…」
袋の中には昨日同様に金貨がつまっている。しかも昨日より袋の数が増えているのだ。ネムルとの約束で悪魔討伐の褒美として賢者の石を借り受ける約束はしていたが、金銭の受け取りは全く出ていなかった。なので貰って良いものかどうか躊躇してしまう。
「賢者の石はエスト殿がお持ちください。城に眠らせておくより、必要としている人々の手に渡る方が石も喜ぶでしょう。それに、我々は肥沃な大地を手に入れる事が出来たのですから、その金貨ぐらいならお礼をしてもお釣りが来るぐらいです」
戸惑う俺を他所に、一方的に話を続ける娘。こう言う強引な所は流石にネムルと親子なんだなと実感する。賢者の石を持ったままでいいのは正直助かる。この先今回のような事が起きない保証はないし、保険があった方が安心できる。金貨も新たな領土を得た対価と考えれば、そこまで気兼ねする必要も無いだろう。ありがたく頂戴する事にして袋に手を伸ばした時、娘が再び口を開いた。
「エスト殿。それを受け取る前にお約束して頂きたいのですが、昨日父に暴行した事は誰にも口外しないで欲しいのです」
娘の顔には笑みが浮かんでいる。なるほど、そう言う事か。国王の名誉のためにも、俺にボコボコにされた噂などが広まるとマズいのだろう。国民からは舐められて他国からも軽く見られる。そんな事態を避けるための口止め料と言う訳だ。ただの善意で差し出された金よりそっちの方が信用できるし、俺としても異存はない。
「解ったよ。決して口外しないと約束しよう。ではあまり長居するのも悪いからこれで失礼する。これ以上城内の人間に怖がられるのは本意じゃないからな。ところで最後に聞くが、君の名前は?」
ハッとして口元をおさえた娘は、苦笑と共に名乗る。長々と話をしていたのに、今まで名前すら聞いていなかった事に今更ながら気がついたのだ。
「私の名はデゼル。国王ネムルの一人娘です。ではエスト殿、お達者で」
ネムルはともかく、デゼルの代になるとこの国は今より発展しそうな気がする。胆力、交渉力、そして決断力と、今の時点でも全てネムルを上回っているだろう。今度来た時にどのように国が変わっているか今から楽しみだ。俺はデゼルに礼を言って、転移でエレーミアを後にした。
次に現れたのはファータにある旧集会所だ。入口にいた兵士達に声をかけ中に入れてもらい、レベリオ達の部屋まで案内してもらった。
「エスト殿、シャリーの具合はもう良いのか?」
「お陰様でね。俺より元気だよ。それよりこれを受け取ってくれ」
そう言って出迎えてくれたレベリオに、さっきデゼルから受け取った金貨の袋を全て渡す。ズシリと重い袋を覗き込んだレベリオは驚いて突き返そうとするが、それを手で制した。
「エスト殿、突然こんな大金を渡されても…!」
「受け取ってくれ。そんなんじゃ全然足りないだろうけど、シャリーに使ってくれたフォリアの雫の代金だ」
「しかし…!」
「ファータはこれから大変なんだから、その足を引っ張るような事はしたくないんだ。それに俺は金持ちだからさ、稼ごうと思えばいつでも稼げる」
フォリアの雫一つ手に入れるのに、大商人達は大金を積んで争うと聞く。この程度の金では一つ買えるかどうかだ。だが自分達だけ得をして助けてくれた人々に礼もしないと言うのは絶対にダメだ。情けは人の為ならず。良い事をすれば、その内自分にも良い事があるだろう。
「わかった。ではありがたく受け取っておこう。エスト殿達には国を取り戻す手助けをしてもらったのだから、気にしなくてもよいのだがな…」
「まあいいじゃないか。気がすまないと言うなら、国が復興した時に飯でも奢ってくれればいいさ」
「あはは!ではその時は出来うる限りのご馳走を用意させてもらうよ」
これでシャリーの一件での騒動は終わりを告げた。一部を除いて大体が丸く収まったのは上出来だろう。残念ながら指輪の手がかりを見つける事とは出来なかったが、それも次の国に行けば何とかなるような気がする。だが、今日一日ぐらいは仲間達とゆっくり過ごす事にしよう。俺はレベリオに礼を言い、転移でクレア達の下に戻ったのだった。
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