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第15話:対立と食害

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【魔王六十五日目】

 今日はいつもとは違う街に《遍在》を送り込んでいる。

 街には村から追い出されたであろう流民もいたが、街の空気そのものはそこまで悪いものではなかった。
 街行く人々には笑顔があり、皆が幸せというものを堪能していた。
 では、これから起こることを見ても幸せでいられるか試してみるとしよう。

『おじさん、この野菜はどこのもの?』

「こいつかい? これはちょっと寒い場所でとれるやつだね」

 僕は今、露天市場にいる。
 活気に満ち溢れた場所であり、生きるために必要なものがほとんど揃っている。
 つまり、生きるためには必ずここに訪れなければならない場所ということだ。

『あんた、正気か! あそこは魔王の手下のせいで畑が大変なことになってるんだぞ!』

「な……いきなり大声出してなんだよアンタ……」

 わざと注目を集めるために騒ぎ立てる。
 人間にとって食べるということはとても重要なことだ。
 だからこそ、食べる物に何かがあると思ってしまえば、そこに大きな影を落とすことになる。

『あそこの村がどうなっているのか知ってるのか? 人間の死体を肥料にしてるんだぞ! あんた、人間の死体で出来た物を売ってるんだぞ!』

 各地でスケイブが畑をダメにしているということは、知っている人は知っている事実である。
 もちろん、死体がバラまかれているところもあるのだが、この果物がそうして出来ているものかどうかは分からないだろう。

 なら何故こんなことをしているのか?
 ただのいちゃもんである。
 案の定、露天市場に来ていた人々が何事かとこちらを遠巻きに見物している。

『俺の知り合いがこいつを食って倒れたんだぞ! どうしてこんな物を売れるんだ!』

「変なことを言うな! こいつは普通の野菜だ、毒も何も入っちゃいねぇ!」

『毒が入ってなければいいのか? 死体を肥料にして作られた野菜なんだぞ!』

 僕の発言を聞いた一部の人は嫌そうな顔をしている。
 まぁ実際に害がなかろうと、人の死体を利用して作られたものは口にしたくないと思う人もいるだろう……当たり前だ、人なんだから。

 人の倫理観というものは素晴らしいものだ、犯罪や過激な手段を抑制してくれる。
 だけど、その倫理観は人間の共通規格であって、個人に対しての共通規格としては適していないのだ。

 だから、こうやって死体を利用しているという可能性を与えることで、食べることを躊躇してしまう人が出てくる。
 もちろん普通に食べられる人もいることだろう、気にしない人もいるだろう……だが、食べられない者も確実にいるのだ。

 そして、そういう人物はその食べ物を食べないようにするが、他の人は問題ないとして食べたりする。
 それを見た倫理観の高い人達はどう思うのだろうか?

 食べるのを止めた方がいいと言うだろう、他にも食べられるものがあると言うだろう。
 それに賛同する人がいるならば、そういう人が増えていくことになる。
 だが、それに反対する人もいるので、そういう人とは対立するだろう。

 たかが食べ物の好き嫌いならば問題はない、些細な諍いで終わるだろう。
 だが、これに人としての倫理というものが介入してくると話は別だ。

 ただその野菜を食べるというだけで、その野菜に嫌悪感を出している人々は狂ったように野菜を食べた人を批難する。

 「死体を食べるのと同じだ」「どうかしている!」「他にも選択肢があるのに、どうして!」
 そしてそういう人々は一つのグループになり、自分達にとっての異物を排除しようとするのだが、それを許さない人々もいる……決して解決しない対立の始まりである。

 これは「自分が普通」だと思っている人ほどなりやすく、人よりも高尚な倫理観を持つ人に罹りやすい病気のようなものだ。
 しかも、無意識に他の人にも感染するから性質が悪い。

 誤解がないように弁明するならば、彼らに悪意というものはない、むしろ正しいことをしていると思って行動しているのだ。
 ただ、その正しいと思っているものが、あたかも普通の感性であり、世界にとって常識だと思っているのが間違いなのである。

 同じ人なんていないという言葉があるように、人類は皆が異常なのである。
 普通という言葉でひとくくりにできるわけがないのだ。

 ……と、まぁ壮大に考えたところで僕一人がこの野菜の危険性を説いたところで意味がない。
 こういうものは、身近な人が情報を発信してこそ意味があるのだ。

『俺の友達はこれを食べて死んだ! もしアンタが売ったこれを食べて人が死んだらどうするつもりだ、責任を取れるのか!』

「俺ぁずっとこいつを売ってきたし、それで死んだやつもいねぇ! それ以上いちゃもんをつけるなら、衛兵を呼びつけるぞ!」

 こちらの挑発にのってきたおかげで、あちらのボルテージも最高潮だ。
 周囲の観衆も増え、僕が望んでいた環境が完成しようとしていた。

『じゃあ俺がそいつを食べて証明してやる! お前が売ってるそいつはとんだ危険物なんだってな!』

 そう言って僕は懐から出した硬貨を全部その店主に叩きつけて野菜を掻っ攫う。
 相手に何か文句があろうと、金を出した以上これを奪い返すことはできないだろう。
 そして僕が一口でレタスのような野菜を噛み、咀嚼して……苦しみ始めた。

『うう……お……ごぉ……あああああ!』

 大声で苦しみの声をあげながら、地面を転がる。
 鼻水やよだれを撒き散らし、あたかも苦しんでいるかのような演出をする。

「お、おい! 大丈夫か!」

 心配になった誰かが手を差し伸ばしてきたが、その手を振り払って立ち上がる。
 だが僕は狂乱したかのように暴れ、近くにあった店に突っ込んだり地面を掻き毟ろうとする。

『がぁ! ゲェッ、オエッ!』

 食べたものを吐き出すかのような行動をとりつつ、懐から小さい釘を取り出して口の中に入れる。
 流石にそろそろ止めないとマズイと思ったのか、何人かの人が僕を取り押さえようとするのだが、もう手遅れである。
 口の中にある釘を飲み込むと、僕の体は溶けて本体の場所まで意識が引き戻された。
 後に残ったものは、最悪の後味となった静寂であった。


 さて、これであの街に癒やせない大きな傷跡を残すことができた。
 あの店主も大変だろう、何故なら自分の店にある売り物を食べたら人が苦しみだし、取り押さえようとしたら溶けて死んでしまったのだから。

 これが僕のいた現代社会であれば、現実離れすぎてホログラムとか編集された動画だろうということになるだろう。
 それどころか、不謹慎であるということで自粛する流れになるかもしれない。

 だが、この世界は違う。
 何故なら、この世界には魔法と奇跡がありふれているからだ。
 人が溶けたとしたとしてもフィクションとは思わず、呪いか何かだと思ってしまうのだ。

 しかも、医療や科学が未発達である以上、原因の特定もほぼ不可能である。
 なにせ魔王の祝福《遍在》で生み出した分身なのだ、証拠も何も残らない。
 せいぜいその場に残された釘くらいしか調べるものはないのだが、周囲の露天も一緒に破壊したのでその釘の出所は分からないだろう。

 それからあの街はどうなるのか?
 今までと同じように食べ物を食べられるのか?
 前まで食べていたものも本当は危険ものではなかったのか?

 それを確かめるには食べるしかないのだが、食事の度に不安がよぎるのだ。
 商人は自身の商品の安全性を確認するために奔走しなければならず、人々はそれが本当のことなのかを疑い続けなければならない。
 今まで当たり前のようにできていた買い物と食事という行為に疑わなければならない、一日や二日ではなく、これからもずっとだ。

 誰も幸せになれない疑心暗鬼の完成である。
 この疑心暗鬼のひどいところは、解決するには人々が忘れ去らなければならないということなのだが、人が死んでおいてそう簡単に忘れることなどできようもない。

 あとは[この方法で絶対に安全!]という宣伝を商人側が行い、それを人々が信じることでも疑いが解消されるのだろうが、その時はもう一度僕がそこに向かって死ぬフリをすればいい。
 そうすれば、誰も[絶対に安全な方法]を信じることができなくなるのだから。

 あとはまぁ、僕が食べて死んだ野菜を[拒食派]と[無害派]の対立が一掃激しくなるくらいか。

 [拒食派]は、実際に食べて死んだ人がいる以上、他の野菜で代用すべきだと主張するだろう。
 [無害派]は、実際に自分達が食べても大丈夫なのだから問題ないと主張するだろう。

 どちらも正しく、どちらも間違っている主張だ。
 [無害派]は、死んだ人が食べたものが特別……例外なのだと主張する。
 [拒食派]は、その例外を自分が食べないという保証がないと言い、わずかな可能性でも死ぬリスクがあるのなら、排除すべきだと主張する。

 平行線である。
 どちらもお互いが憎くて言っているわけではない、むしろ善意で対立しているのだ。

 そして、この対立が続けばどうなるのか?
 自分の意見を聞かない相手は間違っていると思い、異分子……下手をすると魔王の手下だと判断する可能性すらある。
 そうなると、あとは大炎上である。

 善意と善意による対立がいつしか憎しみを生み出し、互いに後には退けない状況となる。
 例え後から自分の過ちが見つかったとしても、絶対にそれを認めることはないだろう。
 それどころか、それを捏造されたものだとして相手を批難するかもしれない。

 どうしてこうなるのか?
 人は正しさというモノサシで物事を計っているからだ。
 だから、今まで自分が使っていたモノサシが正しくないと指摘されると怒るのだ。
 「今まで自分が正しいとしていたものが正しくないのか」と思ってしまうのだ。

 相手にそんなつもりがないと分かっているとしよう、人から聞いて自分はそうならないように気をつけようとするだろう。
 それでも、いざその時になれば大多数の人は同じ過ちを繰り返すことだろう。
 正しいものを求め、それを壊そうとするものが脅威に見える……それが人間に備えられた防衛本能なのだ。

 ……と大仰に語ったところで、たかだか一つの街に対立の種を撒いた程度である。
 だから、これから他の街でも同じことをするとしよう。
 呪われた地で食べた作物を食べると死ぬ恐れがある。

 これが起きた街を、唯一の場所にしてはならない。
 何処にいようと……何処であろうとも、等しく人が死ぬということを知ってもらわなければならない。

 行き過ぎた善意を感染させるために、僕は人々に恐怖を撒き散らそう。

 善とは後味の良いことであり、悪とは後味の悪いものである。
 あっちの世界にあった、誰かの言葉である。

 それではこの言葉が本当に正しいのか、この世界の人々に立証してもらうことにしよう。
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