初恋の人にもう一度会いたくて頑張っていたのにそれが叶わぬ願いだと知りました。記憶を失くしても、私の中で消えないものがあったようです

珠宮さくら

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幼い頃によく遊んでくれた男の人がいた。その人とは、一回りは離れていただろうか。彼は質素な身なりをしていて粗雑に見せていながらも、隠しきれない育ちの良さと隠そうにも隠しきれない端正な顔立ちと風邪一つ引いたことがないと言っていた誰もが羨むような美丈夫な身体をしている人だった。

もっとも、その頃に会っていた少女には顔の良さや美丈夫さなんて大した魅力はなかった。

それは、成長しても変わらなかったかもしれない。そういう見た目の良さだけで、心惹かれることはなかった。まぁ、何はともあれ、幼い頃の彼女は、その人に会えるのを楽しみにしていた。理由は、子供らしいものだった。

その傍らに時折、もう1人いた気はするが少女はそちらのことをあまり気にかけていなかった。何か言っても困った顔をするばかりで、困らせているのがよくわかってしまったからだ。

だから話しかけるのはいつも同じ人。そのうちふらっといなくなって、戻って来る時もあれば戻って来ない時もあった。忙しい人だけど子供たちだけで何かあるといけないとたまに様子を見に来ているような人がいた。

でも、その人より少女が待ち焦がれている相手は……。


「トレイシー」
「お兄ちゃんだ! きょうも、あそんでくれるの?」
「いいぞ。何して遊ぶんだ?」


世の女性なら、みんなが見とれるような男性だと成長した彼女にも彼の外見が、そう見えることはわかったが、あの頃会っていた彼女には欠片もわからなかった。

まぁ、成長しても世の令嬢と同じように反応できるかは別として、子供の頃よりはそれなりにわかるようにはなったはずだ。

その方はとても良い声をしていた。あの声1つで、女性がキャーキャー騒ぐほどの声だとは思いもしなかった。

その頃、暇を持て余していた少女にとって、唯一の遊び相手にすぎなかったため、名を呼ばれることより遊んでくれることを何より喜んでいた。声の良さだけでは満足などできなかった。

少女は、その人に遊んでもらいながら毎回、突拍子も無いことを私は、その人に尋ねていた。

たとえば……。


「ねぇ、どうして、くもはおちてこないの?」


草むらに2人で寝転びながら、不意に年端もいかぬ子供が、そんなことを言うのだ。その質問に答えられる大人が、この国にも、他所の国にも平然と答えられる者が、どれほどいるかもわからないものだとは思いもしなかった。


「雲は風で流れ行くもの。落ちる落ちないなんて馬鹿げたことを言うな」

「雲が落ちてくるわけがないでしょ」

「そんなこと知るか。全く、他所でするなよ。また、馬鹿なことを聞くと笑われる。お前だけでなくて、私たちも笑われるんだ。やめろ」


少女が両親や周りにその話をしても馬鹿げたことを言うなと怒られるようなことばかりだが、その人は決して怒ることも、答えにつまることもなかった。

ただ、知っていることを教えてくれているようだったが、その人がただ、その答えを知っているというよりも、知識を応用して答えを導き出していることばかりを私は、どうやら聞いていたようだ。


「そうなんだ!」


その人は、きちんと答えてくれて、それに満足して雲を見ていた。その人の答えを少女は幼いながらも、すぐに理解できた。

そんなことをきちんと答えても理解できないと言うこともなかった。本当にわかっているのかと彼は聞くことはなかった。

隣で、彼は雲ではなくトレイシーを見ていた。腕枕をして寝所で艶事とでも言うかのような色気があったが、幼い少女にはそんなものわからなかった。

成長したところで、色気なんてわからなかっただろう。わかるようになるまで、彼は待っていてはくれなかった。


「なぁ、トレイシー」
「ん~?」
「俺は、お前ほど、答えることが楽しい質問をされたことがない」
「? そうなの? みんな、わたしがしつもんするときげんわるくなるよ?」
「なら、そういうことは俺にだけ聞け。答えてやる」
「なんでも?」
「何でもだ」


少女は嬉しくて満面の笑顔を見せたはずだ。

だが、彼の方は少女とそんな約束をしたのをちょっとは後悔したのではないかと思うほど、幼い頃の彼女はその人にありとあらゆる疑問をぶつけた。

あまりに質問攻めに辟易したようには、まるで見えなかった。だが、しばらくして逆にどう思うかを聞かれるようになったのは、彼も同じことがしたくなったのだろう。煩わしくなったからではなかったはずだ。

それは、この国と隣国との壮大な事業計画についてだった。

長年、話題になるのだが、そのほとんどが荒唐無稽だと大人たちが馬鹿げたことだと思っていた。実現不可能だと言うものばかりだったようだが、その頃の少女は……。


「トレイシーは、どう思う?」
「ん~、わたしなら……」


うとうとしながらでも、聞かれたことに答えていた。中には、大人であろうとも、聞いていた彼はであろうとも、想像も、発想もできないものばかりをポンポンと拙いながらも言葉にした。

彼女は思いつくままに答えていただけで、その答えによって、実現不可能だと言われていたことが可能になりそうなことを言っているとは、これっぽっちも思っていなかった。

そもそも、実現不可能だとは少女は聞いた時から思っていなかった。今も、そうだ。可能なことでしかなかった。

うとうとしていた少女は、眠りに落ちる前にこんなことを言っていたようだ。言ったことも覚えていなかったが。


「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「たくさんのひとが、かぞくみんなで、おいしいものをたべられそうだね」
「……」
「みんなが、しあわせになれるよ」


その事業の先にあるものが、みんなの幸せな笑顔に繋がることだと思ったのだ。

眠る前のせいか。それがありありと見えた。そんなことを言って眠りに落ちた少女を彼は……。


「あぁ、そうだな。だから、実現しなくては。俺とお前がいれば、成功するだろう」


すぅ~すぅ~と寝息を立てる少女を慈愛に満ちた目で見つめた。


「いや、俺がいなくとも、お前なら成功しそうだ。……俺ですら、難問なのをお前は答えられるのだからな。お前が、もっと早く生まれていてくれたら、俺の隣に立たせたかった」


頬にかかる髪をそっと退けた。眠り続ける少女には、その時の彼がどんな顔をしたいたかを見れなかった。


「俺が、こんなにも婚約者になってほしいと思ったのは、お前が初めてだ。王太子の婚約者に相応しい者がいるなら、お前だ。お前に支えられたら、俺はどんなことでも成し遂げられるだろう。お前が、王太子に相応しい娘だと証明することができたら、共にいられたのだがな」


この時、少女は彼の言葉を全部を聞いてはいなかった。

ただ、それまで聞いたこともない声音で切実に言うのを聞いて、彼女は……。


(おうたいしにそうおうしいむすめ……? それになれば、お兄ちゃんといられるんだ)


そこだけが残り、少女の中に残った。この後、彼は遊ぶことができなくなったと言い、二度と会うことはなかった。

もっと年上のそのお兄さんよりも目上の人でよく似た人が、残された少女をなんと慰めていいかわからずに見ていた。彼も、少女の側によくいたのだが、覚えていたのは会えなくなった方だけが記憶に強く残っていた。


「お兄ちゃんとずっといっしょにいたい」


会えなくなったことに少女は毎日泣いた。そして、何日もしてから、こう思うようになった。


「おうたいにふさわしいものになればいいんだ。そしたら、ずっといっしょにいられる」


王太子が何かなんて、わからなかった。ただ、そこからがむしゃらにトレイシーは、勉強やマナーを手当たり次第に吸収していった。

全ては、再びお兄さんに会いたいがためだった。

でも、頑張っている間に世間では文武両道で何をさせても卒がなく、世の令嬢たちを虜にしてやまない人がついに婚約したと大騒ぎになっていた。

その人こそ、少女がずっと一緒にいて遊んでもらっていた人であり、王太子の婚約者になりたいと必死になっている間にとっくに婚約者ができていたのだが、彼女が頑張っている間に無駄なことをしていると知ることはなかった。

いつ見かけても相思相愛に見える王太子とその婚約者だったが、数年して王太子が不慮の事故で亡くなってしまったのだ。

婚約者を助けようとして亡くなったとも、年の離れた弟を助けようとしたとも言われているが、本当は何があったかはわかっていない。

でも、その訃報すら、彼女の耳に入って来なかった。


(王太子の婚約者になりたい。それになれたら、あの人に再び会える。ずっと一緒にいられる)


彼女は、ただ、それを叶えるためにその日その日を精一杯努力して生きていた。その集中力は凄まじく、余計なことが耳に入って来なかったこともあり、王太子が婚約者を探し始めたという知らせしか、聞こえていなかった。


(やった! これで、婚約者に選ばれたら、ずっと一緒にいられる!)


そう、彼女は愚かにも、あの時たくさん遊んでくれたお兄さんと婚約できるとこの時まで本気で信じていた。


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