与えてもらった名前を名乗ることで未来が大きく変わるとしても、私は自分で名前も運命も選びたい

珠宮さくら

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第1章

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(よし。固定するだけ。私にもできる)


自己暗示を必死にかけて、気合いを入れている女の子は、折れた枝に細心の注意を持って触れようとした。彼女には変な緊張感があった。どうにも、そういうことが苦手なのかも知れない。いや、それか。失敗すれば取り返しのつかないことになると思って物凄く緊張していたのかも知れない。

その時だった。


「がぁぅ!!」
「っ、!?」


そこに唸り声をあげる何かが現れたのだ。それにびっくりしない人なんていないはずだ。少女も、肩を震わせた。

彼女の場合、唸り声よりも慎重に木に触ろうとしたところだった方が大きかったが、この場合は唸り声に過剰反応していても恥ずかしいことではないが、唸り声より折れた木の方が重要だった。少女がびっくりしたせいで、木の枝がどうにかならないことに心からホッとしていた。


(まだ、触る前で良かった。完全に捩じ切ったのが私だったら、最悪なんて言葉じゃ済まされなかったわ。治したいだけなのに。悪化させたなんて絶対にしたくない)


そんなことを思って、驚かせた何かを見るために少女は振り返ることにした。その時までは、唸り声からして獣だろうとは思っていたが、大物だとは欠片も思っていなかった。


そこにいたのは……。


(熊?! しかも、ツキノワグマ!?)


どう見ても熊がいた。後ろ足で立ち上がって、威嚇する姿に場違いなことに少女は、物凄い観察力で瞬時にこう思った。


(本当に三日月みたいな模様があるんだ。こんなに近くで見たのは初めてかも。……ん? 初めて、よね??)


今思うことなのかというものを考えてばかりいたが、この時ほど身の危険を感じていいはずなのにこれまた場違いなことを考えた少女は他にはいないだろう。

いや、そんなことを呑気に考えている間に死んでいただろうが、この時はそうはならなかった。ずっとツキノワグマは彼女を威嚇するように唸っていたのに襲って来ることはなかった。

熊も唸ってはいるが、反応が思っているのと違うかなように困惑しているのも威嚇の中にまじっているようだったが、少女は全く違うことを考えていた。


(記憶がなくても、何の動物かはわかるものなのね。これは、物凄くまずいかも。大きな熊さんだわ。ここの主かしら? 縄張りだったとか? だから、収穫を急いだ……? ありそうね。というか。これ、熊さん的に私が悪さしているように見えたりしないわよね……?)


そう内心で思って、まずいと本気で思っているのか怪しいところはあった。本人は、まずいと十分思っているとしても、他の人からしたら全く足りていないと言える状況にいた。

そして、この少女は更に他の人間なら絶対にやらないことをやった。わざとではない。本気だ。

その手に自分で切り裂いた上着を持ちつつ、こんなことを言った。


「えっと、食べるのは、ちょっと待ってくれないかな? 怒ってるのも、わかるよ。でも、これは私がやったんじゃないの。私は、この枝を固定して治してあげたいだけ。ただ、それだけなの」
「……」


熊にそんなことを馬鹿正直に伝えていた。熊に少女は、向き合って話しかけたのだ。木が話しているのなら、熊にも通じると希望的観測で話しかけたわけではない。

場をもたせようとしているわけでもない。やり過ごすためにしているわけでもない。ただ、その間も痛いと言う声が聞こえていて、木がぐすぐすっと泣いているのが耳に届いている声に本気で、どうにかしたいと思ってのことでしかなかった。


(人間だとしたら、折れてる部分が風でそよいでいるみたいなものよね。そりゃ、痛いわ。……木に痛覚があるなら、そうなるはず。うーん、でも、目の前の熊さんに言葉が通じるのかな?)


そんなことを思っていた。そこに木が言葉を発しているという考えはなかった。木が話せても、熊は話せないだろうと決めつけているつもりはないが、話せたなら唸り声ではなかった気がしていた。

木がさめざめ泣いているのだから、既にあり得ないことは起こっているが、段々と少女の気持ちは消極的になっていっていた。


(まずい。どうやったら、伝わる? どうしたら……)


食べられる前に木を治せるのだろうかと少女は、それだけを考えて思案した。食べられることに対しての恐怖は欠片もなかった。


「……ささえりゃいいのか?」
「へ?」


凄くセクシーな声が身近からして、物凄く間抜けな声を出してしまったのは、少女の方だった。声のした方を見ると、さっき唸り声をあげていた熊がいた。近くで見ても、熊は熊だった。当たり前だが。

だが、言葉を発したのが他にいるのではないかと少女は、きょろきょろしてしまった。


(こんな近くで見たの初めてだわ。……いや、これまでのこと覚えてないから、微妙だけど。この距離は、初めてじゃないとまずいわよね。それにしても、いい声だな。他に人間がいるとかないよね?)


まじまじとそんなことを思って熊を見ていると……。


「なんだよ。動物が話して悪いか?」
「……」


不愉快そうに熊は、少女を見下ろしてきた。その差は10センチくらいの差があった。

それは、他人から見たら悲鳴を上げていたかも知れない光景だが、悲鳴を上げるような人は現れなかった。

その熊の目が物語っている。なんか、文句あるかと言っているのは、少女にもよくわかった。でも、その少女もまた悲鳴を上げるような人物ではなかった。怖すぎて声が出ないわけではない。


「えっと、悪くないけど、その、ごめんなさい。私、記憶がなくて、わからないことだらけで……」
「それでか。お前、変な匂いするぞ」
「っ、!?」


10歳ほとの少女は、変な匂いと言われてぎょっとしてしまった。この年代には、死活問題だ。いや、年代関係なく、女性には聞き捨てならない言葉だ。

異性に言われたら立ち直れない。だが、この場合は相手は熊だ。どう思えばいいのだろうか……?


「……それ、臭いってこと?」



(凄く嫌なんだけど)


少女は、腕をクンクンと嗅いだが、草むらと土の匂いがした。

異性関係なく、嫌なものは嫌だと思うのは早かった。


(長い間、寝ころがってたから……? 違う。寝てたんだっけ。もう、寝てたことすら忘れかけてる。それより、これが臭いって言われると……)


近くにいる熊を見ずにはいられなかった。この距離感で獣臭がしているのだ。じとっと見たくなるのは無理もないはずだが、熊は少女の物言いたげな視線に気づいていなかった。

それこそ、臭いうんねんで少女は熊を睨んでいるのだが、彼はそんな睨みなんて大した強さも脅威も感じることはなかったようだ。


「いや、……まぁいい。さっさとしろ」


熊は器用に枝を軽々と支えてくれていた。その動きというか。やりたいことを聞いて、協力しようとしてくれている姿が人間っぽく見えてならなかった。


(なんか、熊なのに中身が人間みたい。目の錯覚かな? 後ろにチャックあったりして……)


そんなことを思ってしまっていた。そうなると少女は、あることを確かめたくなってしまった。好奇心が勝ってしまって、少女は熊の背中をそろりと確認しようとした。こんな時にだ。気になり出したら止まらなくなるところがあるようだ。


「泣くな。治してくれるって言ってるぞ」
“本当? 治る?”


サワサワと若い木は揺らめいて折れていない枝を動かした。


「っ、」


そこで、熊の背中を確認するよりも、少女は木の方が大事だということを思い出した。


(チャックがあるかなんて見てる場合じゃなかったわ)


少女は、ぴしっと背筋を伸ばした。若い木が、少女を見ている気がした。木の目がどこにあるのかはわからなかったが、目になるような部分があるのは確かだろう。


「全力を尽くすわ」
「……」


そこから、四苦八苦しながら折れた枝を何とか固定することができた。


(私1人じゃ上手くできなかったわ。……できないどころか。完全に切断していた。そっちの自信しかないわ。……ねじ切らなくて良かった)


結論からいうと熊の方が器用だった。いや、力があって、その上で、物凄く器用だった。そのおかげで、言い出しっぺが想像していたより凄く綺麗に固定できていた。


(おっきな手で、包帯を巻く熊って中々いないわよね。そして、私は思っていたよりも、不器用ってことがわかったわ。それか、この状況に思いの外、緊張していたのかも)


手は震えていないし、腰が抜けることもないが、不器用なのを熊が側にいるせいにしたかったが、難しいだろうなと少女は思っていた。

そこから、色々と覚えていないことについて考えた。こんな熊だらけだとしたら、人間なんて必要ないのではないかとすら思ってしまった。

でも、そこを掘り下げるよりも今は目の前のことだ。なにせ、立派なツキノワグマがいるのだと思うだろう。でも、彼女は違っていた。


「まだ痛い?」
“ちょっとだけ。でも、ありがとう”
「どういたしまして。あ、お水汲んで来ようか? お水たっぷりと光合成すれば早く治るかも」
“お水! 嬉しい!”


少女は、熊より木の心配をしていた。自分が食べられるかも知れないというのにだ。彼女は、ただ無邪気に喜ぶ木を撫でていた。


「……こっちだ」
「へ?」
「川がある」


熊は、二足歩行で歩き始めて、その姿はやはり人間にも見えなくもない。いや、少女には人間に時折、見えた。


(目の錯覚かな? 疲れてるのね。きっと、そう。チャックもないし、彼は熊。正真正銘の熊。人間っぽく見えるのも、私の希望的観測ってところよね)


目をこすっても、何も変わることはなかった。少女は、逃げるなら今だと思うことなく、ツキノワグマの後をついて行った。


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