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しおりを挟むヴァリャ・チャンダは、物凄く疲れた顔をして留学先のラジェスについた。美しい景色を堪能する余裕もない。眠り続けてよいのなら、心ゆくまで眠っていたい。そんなことを思うほど、心の底から疲弊していた。
留学するのに移動しただけで、ここまで疲れきったわけではない。まぁ、確かにかなりの長旅だった。ヴァリャが住んでいるフィロマという国からの移動に3週間以上は要した。
でも、それはかなりゆっくりな長旅だった。なにせ、一緒に留学する公爵家の令嬢のカシシャ・ネヘラの馬車にヴァリャは相乗りさせてもらえたのだ。男爵令嬢のヴァリャにとっては非常にありがたいことだった。
いや、男爵令嬢ということが関係ないほど、色々ありすぎたヴァリャにとって、カシシャこそ救世主にしか思えなかった。彼女の家族にも、助けてもらってばかりいた。
移動にも、流石はネヘラ公爵家の令嬢だけあって、雇われた護衛が数名ついていた。そんな護衛たちは、ヴァリャのこともついでのように守ってくれていた。カシシャの友達だからと手助けまでしてくれ、時折ヴァリャが読書好きだとカシシャに聞いたのか。フィロマでは買えない本を買って来てくれたりした。
そのおかげで移動しながら、本を読めてヴァリャは新しい書物との出会いにウキウキしていた。本を読まない護衛にその話を掻い摘んで話すと物凄く喜ばれた。
そのうち、護衛たちの方から、自然とヴァリャに本の話を聞いて来て、掻い摘んで話すのに感謝されるようになった。
感謝するのは、ヴァリャの方だというのに大袈裟に勉強になったと言い出すようにまでなったのは、割とすぐのことだった。
ヴァリャは、大仰な人たちだと思っていた。彼女は、覚えている本の話をしているだけで、大したことをしているつもりは全くなかった。
それこそ、ヴァリャにとって至れり尽くせりだというのにカシシャは……。
「やつれていたのが、幾分、よくなったようだけど。もっとゆっくりにすればよかったわね」
「え? そんな、これ以上は申し訳ないです」
「あら、遠慮することないわ。あなたは、私の大事なお友達だもの」
「カシシャ様」
「遠慮することないわ」
そう、ヴァリャは留学に出発する前に既にやつれていた。理由は、病気になったからではない。
チャンダ男爵である父が再婚したことで、ヴァリャの生活が一変してしまったのだ。ただですら、余裕のない暮らしをしているのに再婚相手とその連れ子は、お構いなしにお金を使うのだ。
しかも、連れ子だと思っていたら、母が病気になってから浮気していたようで、父の実の娘という腹違いの異母妹がヴァリャにはできたのだ。
母が亡くなって喪も明けていないというのに結婚して、再婚相手と異母妹を連れて来た時にヴァリャはあまりのことに言葉を失ってしまった。
ただですら、母を亡くしてショックを受けているヴァリャに父は全く優しくないことばかりをしてくれたのだ。元より優しさを娘のはずのヴァリャに向けてくれていたかというとそれすら怪しい人だが、ここまで真逆なことをするとは思いもしなかった。いや、思いたくもなかった。
だが、再婚してしまったものをヴァリャはどうにもできない。ならば、チャンダ男爵家として相応しいようにしてもらおうとしても、義母と異母妹は元平民なこともあり、男爵であろうとも貴族になったことにすっかり浮かれていた。
ヴァリャは、それでも異母妹になったディルフィニア・チャンダが学園で恥をかかないように5つ下の彼女にあれこれ教えようとしたが……。
「義姉さんが、意地悪する!」
「ヴァリャ。ディルフィニアと仲良くしろ」
「……」
「全く、毎回言われないとできないのか?
もう、するな」
「……わかりました」
異母妹は、ヴァリャが意地悪をすると父に告げ口するのだ。
それを聞いた父は、何をしているかをよく聞きもせずにヴァリャにそんなことばかりを言った。仲良くする気が全くないのは、異母妹だ。
ヴァリャは、恥をかかせたくなくて必死になっているのにそれすら、父はわかっていないのだ。だから、ヴァリャはわかったと言ってからは、何も言わなくなった。仲良くする気など、あちらにもないのだ。ヴァリャだけがすることではないはずだ。
父は、それからも再婚相手とディルフィニアにとことん甘いことばかりした。そのせいで、家計が火の車になっていることを伝えても……。
「あいつの病気の時でも、金を工面していたのだろ? どうにかしろ」
「っ、!?」
父は、母のことをあいつと言ったのだ。それにヴァリャは眉を顰めずにはいられなかった。ヴァリャの母の病気の治療費を工面していたのは、父が無能で安月給なせいだ。苦しむ姿など見たいわけがない。だから、ヴァリャは必死にお金を工面していたというのに。父親は、そんなことを娘に言ったのだ。それにこれ以上ないほど、失望した。怒りなど、わかなかった。目の前の男が、自分の父親なことが恥ずかしいとすら思ってしまった。
そもそも、父の再婚相手と浮気の末に作った異母妹のためになぜ、ヴァリャがお金を工面してまで、そんな人たちを贅沢させてやらねばならないというのか。ヴァリャには、全くわからなかった。
それでも、文句も言わずにそれなりのことをしていたのは、ヴァリャが留学生に選ばれていたからだ。それなりに旅費なりを積み立てていたのだが、それすら見つかってしまった。
「なんだ。こんなに溜め込んでいたのか」
「待ってください! それは、留学費用です」
「留学だと? そんな贅沢なことをする余裕はない。これは、家で有効利用する」
「っ!?」
父にそのお金を取り上げられてしまったのだ。ヴァリャが、貯めたというのにそのお金すら父のモノ。果ては、義母たちのモノになるのが、当たり前のようにされてしまったのだ。
留学の何が贅沢だというのか。自分たちは、贅沢三昧しているというのに。ボロを着ているヴァリャにそんなことを平然と言ったのだ。
母のこと以外で、ヴァリャがこんなに泣いたのは初めてのことだった。悔しいやら、悲しいやら、ヴァリャは泣き腫らして、留学の辞退をしようとした覚束ない足取りで歩いていたところで、カシシャが声をかけてくれたのだ。
「ヴァリャ……? どうしたの?」
「カシシャ様」
「やだ。こんなに泣き腫らした顔をして、顔色も悪いわ。ちゃんと休んでいるの?」
彼女は公爵家の令嬢で、こんな風に話すことも前まではなかった。
きっかけは彼女の妹だった。ヴァリャの母と同じ病になり、ヴァリャがその病を知ってから、母のために効く薬について調べあげたのを彼女に渡したのだ。
「これ、あなた、1人で?」
「はい」
「ありがとう。主治医に必ず渡すわ」
お互い大事な人が、よくなると言いとそんな風な話をしてわかれた。でも、その時にはヴァリャはわかっていた。母には、その調べ上げたことを試しても、元気になるのは難しいことを。その代わりにまだ間に合いそうなカシシャの妹を救えたら、そう思って、あれを渡したのだ。
ヴァリャの母はやはり駄目だったが、彼女の妹は劇的に回復したらしく、ネヘラ公爵家から物凄く感謝された。
父は何もしていないのに鼻を高くしていたが、あちらは全部お見通しだった。それもあり、薬代もお礼だと出してくれていた。
だから、留学費用を貯めることができたのだ。それを全て、あの人たちの贅沢のために使われることになったのだ。ヴァリャは、光の灯らない目をしていた。
憔悴しきったヴァリャに何があったか聞いたカシシャは、ヴァリャとは真逆に怒りに燃えた目をした。
「……ヴァリャ。大丈夫よ」
「カシシャ様」
「あなたは、私より優秀なのだもの。留学するのに援助を受けられるわ」
「援助……?」
ヴァリャは、まだ望みがあるとわかっていたが、泣き疲れているのもあって、頭が働かずにいた。ぼんやりとカシシャを見つめた。そんなヴァリャの手を彼女はしっかりと握りしめた。
「それにあちらに行く時は、私と行きましょう。それと住むところも、ホームステイできるところを見つけるわ」
「でも、そんな……」
迷惑をかけられないと思ったが、カシシャは……。
「任せて。あなたは、妹の恩人だもの。あの子は、私の命そのものよ。あなたは、私たち姉妹を、家族を救ってくれたの。それに多くの人たちも、あなたの調べた薬で、助かっている。そんな人の邪魔をさせたりしないわ」
「……」
「あなたの人生を台無しにさせたりしない」
「っ、」
ヴァリャの父は、娘が辞退したと思っていた。それなのに留学に行くと聞いて、物凄く怒っていたが、すぐに怒るのを辞めた。
優秀ゆえに援助を受けられるとわかり、ヴァリャのことを何かと周りに褒められたらしく、またも鼻を高くして行きたければ行けばといいと言い出したのだ。
「好きにしろ」
「……わかりました。そうします」
「だが、留学先で恥をかかせるようなことはするなよ」
今まで、ヴァリャは父に恥をかかせたことはない。逆はよくあるが。
そんな風に父が気を変えたのも、ネヘラ公爵家が裏で動いてくれたからだとヴァリャにもすぐにわかった。表立ってヴァリャを助ければ、大変なことになるため、面倒なことに周りを利用することにしたようだ。
それによって、褒めちぎられることになった父は見たことないほど、ご機嫌だった。そんな父に何か思う気持ちは、ヴァリャには残っていなかった。
ヴァリャは気が変わる前にとばかりに準備したが、隣国に行くと聞いたディルフィニアが……。
「義姉さんばっかりずるい!!」
「……」
ディルフィニアは、留学しに行くのを遊びに行くと思ったようだ。ずるい、ずるいと癇癪を起こしたのだ。異母妹の癇癪は、ものを投げ飛ばすのだ。暴れまわるディルフィニアに父と義母は、何も言わなかった。
言わないどころか。さっさと安全なところに避難していた。
そんな大人たちに呆れつつ、ヴァリャは……。
「勉強三昧ですけど、代わりますか?」
「え? 勉強……?」
異母妹は、何で?と言わんばかりの顔をしてものを投げ飛ばすのをやめた。やはり、遊びに行くと思っていたようだ。留学と旅行を一緒にされても困る。
そして、そんなディルフィニアに何も言わずに安全なところに避難して、我関せずで黙り込む大人たちにも、ヴァリャはげんなりした。
「えぇ、援助もされるのですから、それなりの結果を出さなければ、お金を返せと言われるかもしれません。借りた人が返すのですよ。それでも、行きますか?」
「っ、嫌よ! そんなとこまで行って、勉強なんてしたくない! 遊べないならいい!!」
「……」
ヴァリャは、そんなことがあって疲れ切っていた。
それを知っているからこそ、カシシャがゆっくりと移動してくれたのだ。護衛たちも何かと気遣ってくれたのも、事情を知ってのことだ。
「あの、それで、私のホームステイ先というのは、どこなのですか?」
「あなたの親戚のところよ」
「え? 親戚??」
「えぇ、私のお母様のご友人でもいらっしゃるわ。私も、お会いしたことあるけど、とても良い方よ」
カシシャの言葉にそうなのだろうと思いつつ、親戚と聞いて首を傾げた。母の葬儀には、大して親戚は来なかったのだ。特に母方の親族は少なかった。
だから、母方の方の親戚はめっきり少ないものとヴァリャは思っていた。
ホームステイ先が、どこかをカシシャに詳しく聞かずにたどり着いた。
そこで、出迎えてくれたのは……。
「長旅で疲れたでしょう?」
「お母様……?」
出迎えてくれたのは、病気で亡くなる前に老け込んだ母ではなくて、元気な頃の母がそこにいた。まるで、悲しいことなど何一つなかったかのようにヴァリャの前に立っていた。
暖かくて陽だまりのように優しい母がまるで、何事もなかったようにヴァリャのことを労るように話しかけて来たのだ。これまでのことが、全て夢だったのかと都合よく思ってしまうほどだった。
その人は母の従妹だった。隣国に嫁いだ彼女は、留学中ヴァリャが家から学園に通えるようにできないだろうかとカシシャの母から頼まれて、二つ返事で了承してくれたようだ。
あまりにそっくりな姿に心が疲弊していたこともあり、ヴァリャは思わず号泣してしまった。もう二度と会うことは叶わないと思っていた。その母が目の前にいる気がして、安堵してしまってもいた。
「私としたことが、お姉様に自分が似ていたのを失念していたわ。驚かせてしまったわね」
「いえ、私の方こそ、これから、お世話になるというのにご挨拶もせず、泣き出してしまって、申し訳ありません」
ヴァリャは、ひとしきり泣いてから、頭を撫でる手に母とは違うとわかった。どんなに姿形が似ていても、その手つき1つで違いがわかった。
そのため、そこから冷静になれた。初対面で、泣き出してしまったのだ。困らせるに決まっている。
「いえ、私が悪いんです。そんなに似ていらっしゃるとは知らずに。ただ、喜んでほしくて……。ヴァリャ、ごめんなさい」
「いいえ、カシシャ様。とても、嬉しいです。公爵様と公爵夫人にも、お礼を、それに護衛の皆様にも……」
だが、そうは言っても、ヴァリャは限界だったようだ。色んなことがありすぎたヴァリャの視界は、そこで暗転した。
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