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しおりを挟む初代聖女の生誕の地に建てられた神殿の中にある祈りの場で、その女性は今日も祈っていた。
だが、ある知らせを耳にするやいなや駆け出したのは、すぐだった。
(いつ戻って来られるかわからないと言っていたのに。こんなに早く戻って来ることになるなんて、何かあったに違いないわ)
走り出した女性の名前は、ヴィルヘルミーネ・ギュンター。伯爵家の娘だ。この街で、彼女のことを知らない者は、他所から来たばかりの者しかいない。
彼女は、元婚約者の子息で、名前はランドルフ・シュナイダー。子爵家の一人息子が街に戻って来たという知らせを耳にするなり、今まで一度もしたことがないことをした。神殿で祈るのを中断して、神殿の祈りの場だというのにそんなことお構いなしに走り出してしまったのだ。
ここは、王都から馬車で、数週間ほど離れた街で、この世界の誰もが知っている初代聖女が生まれた場所に建てられた神殿がある街として、王都に次いで発展し、繁栄してきた。
ここの神殿は、王都に建っている豪華絢爛なきらびやかさは全くないが、身分に関係なく祈ることができる場所となっていた。その辺も王都とは色々と違っているが、初代聖女の想いが散りばめられた神殿となっていた。その想いを頑なに守り続けてきた場所でもあった。
そんな神殿の中を走るなんて、行儀の悪いことをしている者など、小さい子供ですらいないのだが、そんなことをしたヴィルヘルミーネ。この街で知らない者がいない存在となっていたが、それでも許されることではない。むしろ、彼女が一番してはいけない行為だった。
だが、こんなことをいつもするわけではない。生まれて初めてのことをしていた。だからといって、言い訳にはならないが、それこそ気が動転しすぎたせいで、本人もわかっていなかった。もとより走るとか、運動全般があまり得意ではないヴィルヘルミーネが、走っても大した速さにはならなかったが、それでも気が急いてしまって走らずにはいられなかった。
「ヴィルヘルミーネ様!」
その時に誰かが、彼女の名前を呼んでいたようだが、その呼び止める声で止まることはしなかった。
ヴィルヘルミーネには、その声よりも元婚約者のことが心配すぎて止まることなどできなかった。
神殿で走るヴィルヘルミーネを咎めるだけでなくて、その声には何があったのかを聞きたかったものが含まれていたようだが、ヴィルヘルミーネには届いていなかった。
(ランドルフ様に一体、何があったのかしら。ご無事でいて)
そこまで、ヴィルヘルミーネが元婚約者のことを心配するのには、深い理由があった。
ランドルフは、しばらく前に自分が無事に戻って来られるかもわからない伝染病が発生したところに医者の卵として志願して行くと言い出したのだ。
その伝染病は未知数で、数年おきにちらほらと報告がなされていたようだが、いつもなら自然に終息しているため、こんな大事になるとは思っていなかった。
それが、いつまで経ってもおさまったと耳にしないまま、ついにはこの街からも取り急ぎ医者を派遣するようにと王都から王命がくだり、王都から来た医者たちと共に現地に向かうことになったのだ。
そんなことになったことに街の人たちは、ただならぬ雰囲気を感じる者とそれでも呑気にしたままな者とわかれたが、そんな中で医者の卵のランドルフが、その場所に志願して自分も行くことに決めたとヴィルヘルミーネに告げたのだ。そのことについては、ヴィルヘルミーネの記憶にも鮮明に残っている。
それこそ、そのやり取りについては、昨日のことのように思い返せた。そうでなければ、ランドルフとのやり取りをそこまで覚えていなかっただろうが、それだけ印象が強かったのだ。
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