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しおりを挟む散々な目にあって、早いもので数年が経っていた。
ジェンシーナは、その日、思っていたよりも、帰りが遅くなったことに走りたくなっていた。今日は、できる限り早く帰って来いと父に何度も念押しされていたのだが、すっかりいつもより遅くなってしまったのだ。それにジェンシーナは、物凄く焦っていた。
だが、侯爵家の令嬢が学園の廊下を爆走していたと噂されるわけにはいかない。もう、殆どの生徒が下校しているとは思うが、まだ全員が帰ってはいないのだ。
以前、もう誰もいないだろうと思いジェンシーナが爆走したら、次の日からしばらく学園でちょっとした騒ぎになった。不審者が現れたと騒がれたのではなくて、別のことで騒がれることになったのだ。
それも、なぜか幽霊が出たみたいに騒がれたのだ。凄い勢いで移動していたから、窓の外から見たら人間ではないみたいに見えてしまったことが原因のようだ。
そのせいで、幽霊だと言われてしまったのだが、幼い頃からジェンシーナの脚力が以上なのを知っている幼なじみの公爵家の子息のメイヴァント・ルードは、それを聞いてすぐに察するものがあったようだ。流石は幼なじみというべきか。そんな足の速さをもっているのは、ジェンシーナしかいないと思われたのだ。
ジェンシーナは、幽霊うんねんの話を全く知らずにメイヴァントにあることを確認されたのだが……。
「なぁ、ジェンシーナ」
「ん? 何?」
「お前、昨日、遅くまでいたよな?」
「あー、確かに残ってたけど、それが?」
ジェンシーナは、幼なじみがなぜそんなことを確認するのかがわからなかった。目が合うとなぜか、やっぱりお前かと言うように見えて、ジェンシーナは首を傾げたくなった。そんな目をされる覚えが、ジェンシーナには全くなかった。でも、その目はやらかしたなと物語っている。それはよくわかるが、何を言いたいのかまでは流石にわからなかった。
するとそれを耳にした他の令嬢が……。
「まぁ、ジェンシーナ様も、幽霊を見たのですか?」
「え? 幽霊??」
なぜ、遅くまで残っていただけで、そんなことを言われるのかがわからなかった。目をパチクリさせて、どこをどう繋げたら、そういう流れになるのかが、ジェンシーナには全くわからなかった。しかも、幽霊って、そんなものを信じているのかと思ってもいた。
その間、メイヴァントが何とも言えない顔をしてジェンシーナを見ていることに気づいていなかった。ジェンシーナの反応から、知らないのは明らかなため、そのまま観察することにしたようだ。
令嬢は、ジェンシーナの視線などお構いなしに更にこう続けた。
「その幽霊、物凄く移動するのが早かったらしいですわ」
「……」
メイヴァントが、じっとジェンシーナを見ていることにようやく気づいた。それを何も言えずに思わず、無駄な抵抗だろうが、ジェンシーナは明々後日の方向を見てメイヴァントから逃れようとしていた。
ジェンシーナには、その幽霊について身に覚えがありすぎた。それを聞いて心当たりがありすぎて、そこから走り去りたくなったが、そんなことすればジェンシーナは自分だとバレると思いとどまって素知らぬ顔をしていた。そうは言っても、顔が引きつっていた気がするが。
「そうらしいぞ。この学園では今やその話題でもちきりだ。ジェンシーナ、幽霊も焦ることあるんだな」
「……」
ダラダラと汗をかきそうになっていた。バレている。流石は、幼なじみだ。
「あら、メイヴァント様は焦っていたと思われるのですか?」
「おや? あなたは、違うのですか?」
メイヴァントは、幼なじみに見せる顔とは違い、顔のいいのを前面に利用する表情をした。
何気にジェンシーナは、その顔が嫌いだった。特にこうしてジェンシーナの目の前で他の令嬢にする時が一番腹が立った。わざわざ、よそ行きの顔をすることはない。そんな顔をして勘違いされたら、どうするのだ。
「え? えっと、何かを追いかけていたとか?」
「なら、気をつけないと大変になりますね。私は、焦って姿を見せただけだと思ったんですよ。そうすれば、滅多なことでは姿を見せないかなと」
「……」
ジェンシーナは、無言を貫いた。それは、どう聞いても、ジェンシーナのことでしかないのだ。下手なことは言えない。
今は大人しくしておかねば、大変だとばかりに黙っていた。勘違いされて困るのは、そっちだぞと言ってやりたいのも飲み込んでいた。
「あら、それなら、そんなに怖くありませんね。何やら人間みたい」
「まぁ、元は生きた人間ですから。思考が、そのままなのも中にはいるんでしょう」
「……」
メイヴァントの話が怖くなくなったと言って、令嬢は礼を言って去って行った。凄く有意義な時間を過ごせたかのようににこにことしていた。
ジェンシーナは、何とも言えない顔をしたまま、それを見送っていた。兄ならば、勘違いさせるようなことをしない。それこそ、後が面倒になるから婚約者と妹のみにしている。
その妹も、そこから除外してくれていいのだが、兄はそれが楽しみらしく、婚約した令嬢も気にしておらず、むしろ面白がっているようでだが。
その点、幼なじみには婚約者がいないのだから、とやかく言うことではない。ましてや思うこともないのだが、ジェンシーナは気に入らなかった。
「ジェンシーナ。滅多にどころか。もう現れないよな?」
「そうなんじゃないですかね」
そう言うしかできなかった。相変わらず、目を合わせられなかった。それに呆れたのか。ため息をつかれた。
それにジェンシーナは、何とも言えない気持ちになったが、何でもないふりをした。ため息をつきたいのは、ジェンシーナの方だ。
「まぁ、しばらく大人しくしとけ」
「……」
「そのうち、忘れるだろ」
メイヴァントは、ジェンシーナが爆走していたのに気づいていながら、わざと話を振ったのだ。そして、見事に釘を差したのだ。次にやったら見つかって恥をかくのはお前だぞと。
直接言われるよりも、堪えたのは確かだ。他の令嬢に愛想を振りまくところなんて見たくなかった。
それが、いつの間にやら学園の七不思議の一つのようになってしまい、それにジェンシーナは頬を引きつらせずにはいられなかった。
たった一度のことで、そこまでになってしまったのだ。幼なじみが釘を差すのも無理はなかったのだ。そのため、二度と幽霊に間違われるわけにはいかなくなった。
再び、メイヴァントに弄られるわけにはいかない。前回、幽霊ではなくてジェンシーナだと彼に暴露されていたら、色々と失っていたはずだが、彼はしなかった。
だからといって、二度目も黙っているかは別の話だ。庇いきれないと暴露されても、メイヴァントを問い詰められない。やらかしたのは、ジェンシーナなのだから。
そんな事があってから、数ヶ月が過ぎていた。その間に爆走幽霊は何かの条件で現れると思われてしまっていた。まぁ、確かに条件付きでしか現れない。なにせ、ジェンシーナが焦っていないと現れることはないのだから。
それを調べようとする生徒も最初の頃はいた。調べてどうするのかと思ったが、そういうのを解明しようとしている生徒どころか。先生までいて、それに驚いてしまった。だが、数ヶ月も経つとそんな生徒も、先生も見られなくなった。
そんな時だった。まだ残っている令嬢に声をかけられたのだ。早足をジェンシーナは侯爵令嬢らしくゆったりしたものに変えることになったが、仕方がない。
それこそ、声をかけられて、ちょっとびっくりして走りたくなったが、堪えたのは知っている声だったからだ。
ジェンシーナの爆走があれば、あの頃、教師に意地悪いことをされて呼ばれる前に逃げきれたのではないかと時折、思うこともあった。もう、教師の名前どころか。顔すら思い出せないが。あれだけ呼び出されて、眼鏡をしていたかすら、うる覚えだ。その程度でしかなかったのだろう。
だが、あの頃は呼び出しをされたら従うものと思っていた。要領よく忘れたフリとか、他の教師と鉢合わせさせるとか。あの現場を他の人に見せていれば、よかったのだと今更になってジェンシーナは思うようになっていた。ジェンシーナの仕返しの方が生ぬるかったはずだ。
次は、あぁはならないと思っても、次などなくていいことだ。ジェンシーナは、足の速さを早く帰ること以外に活かせずにいたが、それも上手く使いこなせなくなっていた。
そもそも、ジェンシーナとて貴族令嬢なのだ。足の速さなんてあっても困る。それよりは、兄のような頭の良さや母たちのような体型になりたかった。切実にジェンシーナは、そんなことを思ってしまった。
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