1 / 1
ご褒美のタルトタタン
しおりを挟む
「申し訳ございません。整理券の配布は終了してしまいまして……」
(あぁ、マジか)
私はがっくりと肩を落としながら、フルーツタルト専門店を後にした。
旬のフルーツをふんだんに使った宝石のようなタルトが人気のお店で、私はそこの季節限定新作であるミックスベリーのタルトを食べるため、張り切って開店一時間前に馳せ参じた……はずだった。けれどそれでもライバルたちに競り勝つことはできなくて、すでに歩道にまで伸びている行列を恨めしそうに眺めることになってしまったのだ。
(痛恨のミス。何やってんだ、私。せっかく電車を乗り継いで来たっていうのに)
社会人二年目の私は、自分への「ご褒美」として、休日にカフェに行くことにしている。学生時代からカフェ巡りをすることに憧れていて、働く大人になってようやく夢が実現できるようになったのだ。
SNSにはカフェで注文した、いわゆる映えるスイーツやドリンクの写真を毎週アップしているのだが、今日の分はどうしたものか。
(ミックスベリーのタルトの代わり、どうしようかな……)
私は白いため息を吐き出しながら、まだまだ冷える十時台の町をとぼとぼと歩く。
スマートフォンで代わりになるカフェを検索してみるも、この辺りは十一時オープンの店がほとんどらしく、なかなか行く宛が見つからない。早朝から営業しているファストフード店で時間を潰し、目ぼしいカフェがオープンするまで待機しようか……と私が地図アプリを開こうとしていると――。
ふわりとほろ苦いコーヒーの香りを感じ、ハッと思わずスマートフォンから顔を上げた。
私が香りを追って周囲を見回すと、白い壁にモカブラウンの屋根をした小さな喫茶店が目に入った。スマートフォンの検索では出て来ていなかったが、どうやらブックカフェらしい。
私はこれまでブックカフェという場所に入ったことがなかったのだが、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに抗えず、静かにお店のドアを開いた。
「開いている席にどうぞ。本もご自由に」
マスターと呼ぶべきなのか分からないが、落ち着いた雰囲気のスマートな中年男性が、カウンターの向こうから優しい声で迎え入れてくれた。
お客は私の他に、テーブル席に大学生風の女性、カウンター席に常連と思しき老紳士。私は席に着く前に、入り口にあった黒板のメニュー表で見た【コーヒーとケーキのおまかせセット】を注文し、空いている奥のソファ席にぽふんと腰掛けた。いつもは限りなく映えるスイーツを求めて注文するのだが、このお店のメニューは、どうやら「おまかせ」しかないらしい。おすすめ品を日替わりで提供してくれるのだろうか。
私は「なかなか挑戦的だな」と、少し楽しみに思いながら、近くの本棚に視線をやった。
最近私は、めっきり本を読まなくなっていた。読むとしたら、電子で読める漫画かネットニュース記事。別にブックカフェに来たからといって、無理に本を読む必要はないだろう……と、私はローテーブルに置いたスマートフォンに手を伸ばしかけていたのだが、なんの偶然か。
(これ……、就活の息抜きで読んでたやつだ)
私が就活講座の合間や、面接を終えたご褒美に読んでいた小説が、目の前の本棚に並んでいたのだ。社会人になり、読書から縁遠くなってしまっていたので知らなかったのだが、シリーズは今も続いているらしい。当時、私が最新刊として買って読んだ五巻を超えて、その本棚には八巻までの小説が置かれていた。
私は思わず懐かしくなり、小説の一巻を手に取った。本当は続きの六巻が気になったが、内容を覚えていなかったらどうしようという思いが頭をよぎり、まずは始まりの一冊目に手を伸ばしたのである。
けれど、それは要らぬ心配だった。読み始めると、当時少ないバイト代を軍資金に、とびきり面白い一冊を買って帰ろうと意気込んで書店を訪れた記憶まで蘇り、つい、ひとりでクスリと笑ってしまった。
(懐かしいな。二巻が出るのが待ち遠しくて、一巻を何回も読み返してた)
私が思い出に浸りながらページをめくっていると、ほどなくしてマスターがコーヒーとケーキを運んできてくれた。
「【モカコーヒーとタルトタタン】です。ごゆっくりどうぞ」
マスターは、私が本に夢中になっている姿を見たからか、「僕も新刊が待ち遠しくて」と穏やかな笑みを浮かべて去って行った。同士を見つけたみたいで、私もなんだか嬉しくなってしまう。
そして、お楽しみのカフェタイムだ。
私はコーヒーの種類には詳しくないが、一口飲んだだけで「美味しい」と無意識に言葉が飛び出てきた。苦味が少なくて、ブラックコーヒーをあまり飲まない私でも飲みやすい。なんだかフルーティな味がする。
続いて、タルトタタン。フランスのタタン姉妹がうっかりミスで作ったケーキである、くらいのことは知っていたけれど、実際に食べるのは初めてだった。とにかくりんごがぎっしりだ。語彙力がなくて恥ずかしいが、キャラメリゼされたりんごがタルト生地の上に乗っている。
フォークで食べやすくカットして口にに放り込むと、甘酸っぱいりんごとサクサクとしたタルトの組み合わせに、私はさらに語彙力を失った。
「美味しい……」
二回目だ。けれど、それしか表現しようがない。気の利いた形容詞や誉め言葉なんて思いつかない。SNSにアップして、知らない誰かにお勧めするための宣伝ワードやハッシュタグなんて、もってのほかで――。
(あ。そういえば、写真撮ってないや……)
私はその時になってようやく、いつもは欠かさないカフェでの写真撮影を忘れていたことに気がついた。けれど、「まぁ、いっか」と、特に大きながっかり感も抱かなかった。
私はソファにうずもれるようにもたれかかり、ほっこりとした温かい息を吐き出す。
せかせかとお洒落なカフェをリサーチし、キラキラと華やかな写真を「ご褒美」としてSNSに載せることよりも、今この店で過ごした数十分の方が、私にとってはよほど「ご褒美」だ。
***
「また来ます……」
「お待ちしております。来週新刊が出るそうなので、仕入れておきますね」
その後小説を三巻まで読み進め、ケーキのお代わりまでして大満足であるものの、長居し過ぎて少しばかり気恥ずかしい私に、マスターは優しい笑みを向けてくれたのだった。
(あぁ、マジか)
私はがっくりと肩を落としながら、フルーツタルト専門店を後にした。
旬のフルーツをふんだんに使った宝石のようなタルトが人気のお店で、私はそこの季節限定新作であるミックスベリーのタルトを食べるため、張り切って開店一時間前に馳せ参じた……はずだった。けれどそれでもライバルたちに競り勝つことはできなくて、すでに歩道にまで伸びている行列を恨めしそうに眺めることになってしまったのだ。
(痛恨のミス。何やってんだ、私。せっかく電車を乗り継いで来たっていうのに)
社会人二年目の私は、自分への「ご褒美」として、休日にカフェに行くことにしている。学生時代からカフェ巡りをすることに憧れていて、働く大人になってようやく夢が実現できるようになったのだ。
SNSにはカフェで注文した、いわゆる映えるスイーツやドリンクの写真を毎週アップしているのだが、今日の分はどうしたものか。
(ミックスベリーのタルトの代わり、どうしようかな……)
私は白いため息を吐き出しながら、まだまだ冷える十時台の町をとぼとぼと歩く。
スマートフォンで代わりになるカフェを検索してみるも、この辺りは十一時オープンの店がほとんどらしく、なかなか行く宛が見つからない。早朝から営業しているファストフード店で時間を潰し、目ぼしいカフェがオープンするまで待機しようか……と私が地図アプリを開こうとしていると――。
ふわりとほろ苦いコーヒーの香りを感じ、ハッと思わずスマートフォンから顔を上げた。
私が香りを追って周囲を見回すと、白い壁にモカブラウンの屋根をした小さな喫茶店が目に入った。スマートフォンの検索では出て来ていなかったが、どうやらブックカフェらしい。
私はこれまでブックカフェという場所に入ったことがなかったのだが、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに抗えず、静かにお店のドアを開いた。
「開いている席にどうぞ。本もご自由に」
マスターと呼ぶべきなのか分からないが、落ち着いた雰囲気のスマートな中年男性が、カウンターの向こうから優しい声で迎え入れてくれた。
お客は私の他に、テーブル席に大学生風の女性、カウンター席に常連と思しき老紳士。私は席に着く前に、入り口にあった黒板のメニュー表で見た【コーヒーとケーキのおまかせセット】を注文し、空いている奥のソファ席にぽふんと腰掛けた。いつもは限りなく映えるスイーツを求めて注文するのだが、このお店のメニューは、どうやら「おまかせ」しかないらしい。おすすめ品を日替わりで提供してくれるのだろうか。
私は「なかなか挑戦的だな」と、少し楽しみに思いながら、近くの本棚に視線をやった。
最近私は、めっきり本を読まなくなっていた。読むとしたら、電子で読める漫画かネットニュース記事。別にブックカフェに来たからといって、無理に本を読む必要はないだろう……と、私はローテーブルに置いたスマートフォンに手を伸ばしかけていたのだが、なんの偶然か。
(これ……、就活の息抜きで読んでたやつだ)
私が就活講座の合間や、面接を終えたご褒美に読んでいた小説が、目の前の本棚に並んでいたのだ。社会人になり、読書から縁遠くなってしまっていたので知らなかったのだが、シリーズは今も続いているらしい。当時、私が最新刊として買って読んだ五巻を超えて、その本棚には八巻までの小説が置かれていた。
私は思わず懐かしくなり、小説の一巻を手に取った。本当は続きの六巻が気になったが、内容を覚えていなかったらどうしようという思いが頭をよぎり、まずは始まりの一冊目に手を伸ばしたのである。
けれど、それは要らぬ心配だった。読み始めると、当時少ないバイト代を軍資金に、とびきり面白い一冊を買って帰ろうと意気込んで書店を訪れた記憶まで蘇り、つい、ひとりでクスリと笑ってしまった。
(懐かしいな。二巻が出るのが待ち遠しくて、一巻を何回も読み返してた)
私が思い出に浸りながらページをめくっていると、ほどなくしてマスターがコーヒーとケーキを運んできてくれた。
「【モカコーヒーとタルトタタン】です。ごゆっくりどうぞ」
マスターは、私が本に夢中になっている姿を見たからか、「僕も新刊が待ち遠しくて」と穏やかな笑みを浮かべて去って行った。同士を見つけたみたいで、私もなんだか嬉しくなってしまう。
そして、お楽しみのカフェタイムだ。
私はコーヒーの種類には詳しくないが、一口飲んだだけで「美味しい」と無意識に言葉が飛び出てきた。苦味が少なくて、ブラックコーヒーをあまり飲まない私でも飲みやすい。なんだかフルーティな味がする。
続いて、タルトタタン。フランスのタタン姉妹がうっかりミスで作ったケーキである、くらいのことは知っていたけれど、実際に食べるのは初めてだった。とにかくりんごがぎっしりだ。語彙力がなくて恥ずかしいが、キャラメリゼされたりんごがタルト生地の上に乗っている。
フォークで食べやすくカットして口にに放り込むと、甘酸っぱいりんごとサクサクとしたタルトの組み合わせに、私はさらに語彙力を失った。
「美味しい……」
二回目だ。けれど、それしか表現しようがない。気の利いた形容詞や誉め言葉なんて思いつかない。SNSにアップして、知らない誰かにお勧めするための宣伝ワードやハッシュタグなんて、もってのほかで――。
(あ。そういえば、写真撮ってないや……)
私はその時になってようやく、いつもは欠かさないカフェでの写真撮影を忘れていたことに気がついた。けれど、「まぁ、いっか」と、特に大きながっかり感も抱かなかった。
私はソファにうずもれるようにもたれかかり、ほっこりとした温かい息を吐き出す。
せかせかとお洒落なカフェをリサーチし、キラキラと華やかな写真を「ご褒美」としてSNSに載せることよりも、今この店で過ごした数十分の方が、私にとってはよほど「ご褒美」だ。
***
「また来ます……」
「お待ちしております。来週新刊が出るそうなので、仕入れておきますね」
その後小説を三巻まで読み進め、ケーキのお代わりまでして大満足であるものの、長居し過ぎて少しばかり気恥ずかしい私に、マスターは優しい笑みを向けてくれたのだった。
0
お気に入りに追加
6
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


心の港
悠井すみれ
ライト文芸
ショッピングモールの一角にあるブックカフェ。その店長である矢部は、売り上げ不振に苦しんでいる。
あくまでも本を売る店でありたい矢部に対して現実は厳しいが──
ほっこり・じんわり大賞参加作品です。

結婚式後夜
百門一新
現代文学
僕は彼女が、可愛くて愛おしくて仕方がない。/結婚式の後、一次会、二次会と続き……最後は二人だけになってしまったものの、朝倉は親友の多田に付き合い四軒目の店に入る。「俺らのマドンナが結婚してしまった」と悔しがる多田に、朝倉は呆れていたが、友人達がこうして付き合ってくれたのは、酒を飲むためだけではなくて――僕は「俺らのマドンナが結婚してしまった」と悔しがる多田に小さく苦笑して、「素晴らしい結婚式だった」と思い返して……。
そんな僕の、結婚式後夜の話だ。
※「小説家になろう」「カクヨム」等にも掲載しています。
物置小屋
黒蝶
大衆娯楽
言葉にはきっと色んな力があるのだと証明したい。
けれど、もうやりたかった仕事を目指せない…。
そもそも、もう自分じゃただ読みあげることすら叶わない。
どうせ眠ってしまうなら、誰かに使ってもらおう。
──ここは、そんな作者が希望や絶望をこめた台詞や台本の物置小屋。
1人向けから演劇向けまで、色々な種類のものを書いていきます。
時々、書くかどうか迷っている物語もあげるかもしれません。
使いたいものがあれば声をかけてください。
リクエスト、常時受け付けます。
お断りさせていただく場合もありますが、できるだけやってみますので読みたい話を教えていただけると嬉しいです。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる