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 それからルアと再び会ったのは二日後のことだった。
 手紙を送るとルアはすぐに応じてくれ、屋敷までわざわざ足を運んでくれたのだ。
 ベンから到着の知らせを受け応接室に入ると、日当たりのいいソファにゆったりと寛ぎ、優雅な所作で紅茶を嗜むルアがいた。

 明るい陽光の下で見るルアの髪は、金とコントラストを成す淡い茜色が神秘的でとても美しい。
 この国の皇族には時折ローズブロンドという珍しい髪色を持つ子が生まれる。
 ルアの実母は皇帝と同腹の妹皇女なので、その血を濃く受け継いだのだろう。

 現在この髪色を持つ皇族はルアただ一人だけだ。
 一目で素性が割れてしまうので、お忍びの際や非公式の場などでは染めることも多いと報告書には記されていた。
 時に人目が煩わしい感覚は私にも痛いほど理解できる。
 ましてやルアほど立場のある人なら尚更だろう。

「今日も美しいですね、クロエ。俺のための手間なら嬉しいのですが」
「見苦しくない程度に装うのが精一杯ですけれど……大公殿下のお眼鏡に適うようでしたら幸いです」

『大公殿下』と呼んだ瞬間、ルアの片眉がピクリと吊り上がった。

「堅苦しいことは苦手と言ったはずですよ、クロエ。契約を交わす以上、俺達は浅からぬ仲になるんです。それとも……」

 すっと目を眇めルアは体を前に乗り出した。

「その身に直接知らしめられることをお望みですか」

 悪戯っぽく微笑みながらも、その瞳の奥からは微かな怒りを感じた。
 これまで会ったことはないとはいえ、私達は従兄妹同士だ。
 余所余所しさが気に障ったのだろうか……やはり彼の心の内は読めない。

「お気に障ったのでしたら謝罪します。私はこの通り気の利かない人間ですし、これからもあなたの気分を損ねるかもしれません。それでも本当に気は変わりませんか」

 ここで断られたら相手を探すため、再び社交場へ出向かなければならなくなる。
 気は重いけれど、この場の選択権はあくまでもルアにある。
 ルアはゆったりと足を組むと、今度は柔和な笑みを浮かべた。

「変わりませんよ。このような権利を他の男共へ渡すなど癪ですし、何より俺を選んだのはクロエでしょう」

 そんなつもりではなかったけれど、正直に事情を打ち明けた時点でそう受け取られても仕方がなかったのかもしれない。

「そうですね、あなたが引き受けてくださるなら私も助かります」
「引き受けますよ。条件は本当にこれだけでいいのですか?」

 差し出した契約書に目を通しながら、ルアは訝しげに首を傾げた。
 守秘義務などの一般的な条項とは別に私が書き加えたのは、子が生まれた場合の親権放棄のみだったからだろうか。

「私に必要なのは、あくまでも後継のみですから」
「ならばできなかった場合は? 一年と定めた理由も気になりますね」
「その場合は諦めます。期限は……極めて私的なことにルアの大切な時間を割いて頂くわけですから、長くてもそのくらいが限界ではないかと。ご希望でしたら更に縮めていただいても構いません」

 これは単なる私の我儘だ。
 成り行きとはいえ、巻き込まれるルアへの負担を最小限に留めたい気持ちに嘘偽りはない。

「逆に、ルアのほうから要望などはありませんか?」
「そうですね……報酬は不要です。それと逢瀬は月に一、二度程度とありますが、俺から求めることは一切認めないということですか」
「え、と……?」

 パチパチと二、三度瞬く。
 単なる子作りなのだから最低限で最大効率を見込める方法が最適だろう。
 それ以外でルアが私を求める? そんなことがあるのだろうか。

「可能な限りルアの要望には応えると約束しました。なのでよほどのことがない限り、あなたからの求めを私のほうで拒むつもりはありません」

 ルアは満足そうに笑むと、報酬に関する条項を削除し、契約書にサインをした。

「ルア……本当によろしいのですね」
「あなたこそよく知りもしない俺を選んだこと、後悔しませんか」
「しても構いません」

 きっぱり言い切ると、ルアは探るような目を私に向けた。

「潔いのですね」
「どのような選択をしても、常に後悔は付き纏うものですから。自分で選んだ以上結果は全て受け入れます」

 ルアは形の良い唇に皮肉げな笑みを刻んだ。

「そうですか……まあ契約期間中は存分に愉しみましょう、互いに」

『愉しむ』という言葉の意味が、この時の私にはよく分からなかった。
 だから特に深く考えることはせず、契約書を一通封筒に入れルアに手渡した。
 ルアはそれを折りたたんで内ポケットにしまうと、顎に手を当てじっと私の顔を見据えた。
 その艶やかな眼差しに一瞬ドキリとする。
 ルアの持つ深紅の瞳には、人の本能に訴えかける独特の色香がある。

「クロエ、この契約はいつから有効でしょう」
「今日からですね」

 そう言ってからハッとする。
 まさか――

「では早速今日からはじめましょう。やはり夜がいいですか?」
「あ、えと……そう、ですね」

 私の戸惑いすら楽しむかのように、ルアは容赦なく淡々と斬り込んでくる。

「では、それまでこちらで仮眠してもいいですか?」
「それでしたら客間をお使いください。すぐにご案内――」
「当主直々に案内頂けるとは光栄ですね」

 ルアはにこやかに立ち上がり、すかさず私の手を取って指先に口付けた。
 侍女に案内をさせるつもりが機先を制されてしまった。

「……揶揄わないでください。どうぞこちらです」

 私は応接室から一番近い客室へルアを案内した。そしてそのまま出ようとしたところ、扉を後ろ手に閉ざされてしまった。

「あの、ルア?」

 怪訝な顔をする私の顎を捉え、ルアはゆっくりと親指の腹で私の唇をなぞる。

「クロエは人を疑うことを知らないのですか」
「あなたとは正式に契約を交わした仲ではありませんか。いったい何を疑えと?」
「俺のようなロクでもない男を信じるなど……あなたは本当に世間知らずですね」

 嘲るように口の端を吊り上げながら、ルアはドレスの胸元から指を差し入れ、直に乳房に触れた。指先が先端に触れた瞬間ひくりと体が震える。

「ル、ア……まだ夜では……湯浴みも……んっ」
「俺は気にしませんよ。クロエ、あなたは処女ですか?」
「……処女では、いけませんか?」

 ルアはそこでピタリと指の動きを止めると、呆れたように溜め息を吐いた。

「まさかとは思いましたが……処女でありながらあのような契約を?」
「ルア……今ならまだ間に合います、手を引きますか?」

 挑むように見上げると、ルアは興が削がれたとでもいうようにふいっと顔を逸らして身を引いた。

「既に契約は締結済みです。初めてならばそれなりに準備も必要でしょう。俺は少し仮眠を取らせてもらいますよ。ではまた夜に」

 そう言って後ろ手に手を振りながら、ルアはベッドにゴロリと寝転がった。

「はい、また夜に……」

 一礼して部屋を出るなりガクッと膝が抜け、その場にへたり込んでしまった。
 処女は面倒だと失望させてしまったのだろうか。
 でも、そればかりは今更どうにもならない。
 それよりもルアから時折放たれる強い敵意のようなもの、そして感じる恐怖心はいったいなんなのだろう。
 そのピリピリとした空気に心が擦り減らされ、彼の側にいると一寸たりとも気が抜けない。
 ルアに深入りは禁物だ。
 契約以上のことは決して求めず、淡々とことを進めよう。
 彼とは期限の定められた、ほんのひと時の関係に過ぎないのだから――

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