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1巻

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「お父様、こちらは……」

 奈落の底へ突き落とされる、とはこんな心地だろうか。
 ジュリアンとの顔合わせからきっちりひと月後、私のもとへ陛下直々の召喚状が届いた。封蝋は確かに王家のもので、金で箔押しされた美しい便箋には一週間後の日付と私の名が記されていた。
 陛下が私との個人的対面を希望されるだなんて……
 父は何か知っているのか「大丈夫だから行ってきなさい」と安心させるように肩を叩いてくれたけれど、その夜は不安でろくに眠ることができなかった。
 陛下が私を呼び出す意図はなんだろう。先日のジュリアンへの不敬以外思い当たらない。
 やっぱり何かお咎めを受けるのだろうか……
 この一週間は生きた心地がせず、最悪の事態ばかりが常に頭をよぎっていた。
 そうして迎えた運命の日、私は王宮行きの馬車に揺られていた。

「お待ち致しておりました、エティエンヌ令嬢」

 不意の呼びかけにハッと我に返る。
 いつの間にか馬車は王宮へ辿り着いていて、前回と同じ侍女が馬車の外でにこやかにたたずんでいた。
 私は覚悟を決めて馬車を降り、侍女の背を追った。
 案内され、辿り着いたのは謁見室だった。細かい金細工の施された重厚な扉を死んだ魚のような目で見上げる。
 私の二度目の人生は今日終わってしまうのだろうか……まだ十年しか生きていないのにな……
 そんな私の悲愴な様子に思うところがあったのか、侍女が小声で耳打ちをしてきた。

「悪いお話ではないはずです。どうかそう緊張なさらずに」

 侍女のその優しさがジンと胸に沁みて、目頭が熱くなる。侍女はさらに私の手を握って励ますように微笑んでくれた。

「ありがとうございます……!」

 勇気をもらった私は意を決して扉をノックした。
「入れ」と重々しい声と共に中から扉が開かれる。背後から聞こえる「頑張ってください!」との励ましに背を押されながら、私は謁見室へ足を踏み入れた。
 てっきり上段の玉座にいるものと思っていた陛下は、私を待ち構えるように下段にたたずんでいた。
 私は慌てて淑女の礼をして、深く頭を下げる。すると意外にも優しい声で、陛下は私に顔を上げるようにと言った。

「よく来てくれたな、ルイーズ嬢」
「お目通り叶いまして恐悦至極にございます、陛下。ルイーズ・エティエンヌでございます」
「ああ、そう固くならず楽にしてくれ。今日はそなたに折り入って頼みがあって呼んだのだ」

 頼み? 咎めの間違いじゃないだろうか。平静を装いつつも内心は戦々恐々だ。
 震えそうになる足を叱咤激励しつつ、私はまた深々と頭を下げる。

「わたくしにできることでしたらなんなりと」
「ふむ……実はな、先日の見合いの模様、大変面白……いや、興味深く聞かせてもらった。ルイーズ嬢には是非とも我が愚息、ジュリアンの友となってもらいたいのだが……どうだろうか?」

 一瞬頭の中が真っ白になって、陛下の言葉をうまく飲み込めなかった。
 友? 私があのジュリアンの? 
 さあっと青褪める私とは対照的に、陛下はニコニコと人好きのする笑みを浮かべている。私は震え出しそうになる手をぎゅっと握った。

「恐れながら陛下、先日わたくしは殿下を侮辱し、不敬を働きました。そんなわたくしが友など……」
「ああ、そのことは不問に付す。むしろそなたの存在はジュリアンのいい刺激になると見込んでの頼みなのだ」

 陛下は芝居がかったように両手を上げ、やれやれあの愚息のことを考えると頭が痛い、と頭を振って苦笑した。
 その父親然とした優しい表情におや、と思う。
 ジュリアンがあんなぼうじゃくじんに育ったのは、それを助長する人間と環境があったからだ。
 ジュリアンを愚息と呼んではばからないということは、どうやら陛下もそのことはよく把握されているようだ。それどころか嫌われることしかしていない私をわざわざジュリアンに近づけようとするだなんて……
 賢王と名高い陛下が、これほどジュリアンを気にかけながら、それでも暴君のように育っている彼を放置する意図は何だろう。
 まさか、試している? 
 そう考えた時ゾクッとした。
 陛下には現在六人の王子がいる。悪評はあれど血筋の正当性からジュリアンが王太子最有力候補と目されているけれど、陛下は公の場で一度も『誰が次の王太子か』について明言していない。
 彼はジュリアンの父親である前に冷徹な統治者だ。原作でも、血筋だけで優遇したり、後継者に指名したりするような方ではない印象があった。もしかしたら陛下なりにジュリアンに対して光明を見出して、機会を与えようとしているのだろうか。
 ここで気がかりなのは、既に婚約者候補から外れた私がジュリアンの友人となった場合、私と実家の未来にどんな影響が及ぶのかということ。
 何もせず黙ってやり過ごせば、問題はないのだろうか。
 ああ、でも嫌だ……本音は断固断りたい。関わらないことこそが私の、ひいてはエティエンヌ家の最善なのに……
 腹立ち半分で投げつけた言葉が、まさかこんな結果を招くだなんて最悪だ。私は全てにおいてもっと慎重になるべきだった。今更かつな自分を呪っても後の祭りだけれど。
 優しい父母の、そして可愛い弟の顔が頭をよぎる。
 悔しい……至高の存在を前にすれば、私の一族がどれだけ権勢を誇ろうと答えなど一択しかない。

「……かしこまりました。身に余る大役を賜り、光栄に存じます」

 やっぱりジュリアンからは逃れられない運命なの? 
 内心涙目になりながら、震える手でカーテシーをする。

「期待している」

 頭上から降ってくる声にふと視線を上げると、陛下がニィッと唇に笑みを刻んだ。
 笑っているのに、目が笑っていない――私を値踏みするような冷たい眼差しに、ゾクゾクッと全身に鳥肌が立った。


 その後屋敷に戻ってから、私は思い出し得る限りのゲーム知識を書き出し、これからの身の振り方を決めることにした。
 ひとまず今後の目標を三点に絞ってみる。
 ①ジュリアンから逃れ、素敵な旦那様を見つけて温かい家庭を築く。
 前世の願いが今世にも引き継がれ、どうしても温かい家庭というものに憧れがある。互いを労わり尊重し合えるような伴侶はんりょに巡り合えたら、これ以上の幸せはない。どんな手を使ってでもジュリアンから逃れ、理想の旦那様を見つけて今生こそ幸せになってみせる。
 もちろん私の立場的に政略結婚の可能性は高いし、そこはよく理解しているつもりだ。でも父の見る目はイマイチ信用できないので、余程な場合に限り全力で辞退させていただく。
 ②協力者を増やす。
 何をするにも人脈や情報は大切だ。ざっと記憶を巡らせ、私はルイーズに絶対の忠誠を誓っていた騎士を一人思い出した。ただルイーズも彼もメインキャラではないので、どの時点で巡り合えるのかが分からない。、情報収集をおこたらず、どうにか機会を逃さないようにしなければ。
 あとは原作のようにやたらと敵を作らず、平和で穏やかな人間関係を築いていこう。そうしたら自ずと味方も増えていくかもしれない。
 ③家族を大事にして仲良くする。
 ジュリアンに出会う前のルイーズは家族仲もいい、誰もが羨む幸せな令嬢だった。
 けれど、嫉妬が彼女の心を蝕み家族仲はこじれにこじれてしまう。特に弟のセルジオとの仲は最悪だった。セルジオは家門を守るため、最終的に王家側についてルイーズを陥れることを決意するのだ。だから家族と、特にセルジオとは仲良くする……というか既に私はセルジオが可愛くて仕方なく、嫌がられる程に可愛がっている。むしろ構いすぎて嫌われてしまう可能性のほうが高い、気を付けよう……

「よし、こんなものかな!」

 書き出したノートを眺め、今後の方針が粗方決まったことに満足する。
 まだ何も始まってはいないし何も手にしてはいないけれど、地道に頑張って、ジュリアンとの関係だけはどうにか断ち切りたい。
 当面の問題は半ば脅しのように取り決められてしまったジュリアンとの交流だ。ああ、心底億劫で堪らない。
 そもそも「友人」とは対等な関係の上で成り立つものだ。私を下等な生き物と見下し、ゴミや虫けらのようにしか思っていないジュリアンと友人関係だなんて笑ってしまう。
 でも、私はこの目標を達成するためならどんなことにも耐えてみせる。見合いの場では堪えきれなかったけれど、本来私の武器はこの並外れた忍耐力のはずなのだから。

「姉さん?」

 不意の呼びかけに思考が中断され、慌ててノートを閉じる。
 ガバッと顔を上げると、いつの間に部屋に入ってきたのか、セルジオが怪訝そうに私を見ていた。

「セルジオ!? ごめんね考え事してて気付かなくて……」
「姉さんらしくないね、城で何かあったの?」

 少し癖のある赤毛にエメラルドグリーンの瞳――私と同じ色彩を持つ弟が若干探るような目付きで問う。聡明なセルジオのことだ、例え誤魔化してもすぐに嘘は見破られてしまうだろう。
 私はセルジオに今日あったことを正直に打ち明けることにした。

「うん……実はジュリアン殿下と友人として交流してほしいって陛下から……」
「ジュリアン殿下だって!? 臣下達も頭を痛める暗愚ぶりだと評判じゃないか」
「セルジオ……」

 とても七歳児とは思えない言葉のチョイスに苦笑が浮かぶ。
 セルジオは父の血を濃く引いたのか、とんでもなく聡明な子だ。世間では神童ともっぱらの評判で、既に様々な学園からオファーが殺到している。贔屓目抜きにしても容姿は整っているし、姉としては鼻高々だ。

「そうね、一度しか会ってないけど、その評判は決して大袈裟ではなかったわ……」

 はぁと溜息をつくと、セルジオは悔しげに唇を噛みしめた。

「僕が小さいから……まだなんの力もないから……」

 ああ、この子は幼いなりに私の境遇にいきどおってくれているのか。なんて姉想いの優しい弟なんだろう。

「セルジオっ!」

 立ち上がってガバッとセルジオを抱きしめる。

「や、やめっ……放して姉さん!」
「やだ! セルジオが可愛すぎるんだもん!」

 ああ、本当に私の弟は可愛い。ジュリアンなんかのために将来仲違いするなんて信じられない。
 抱きしめたセルジオがもの言いたげにこちらを見上げてくる。私はそんな可愛い弟の頭を撫でながら微笑んだ。

「正直ゆううつではあるけどね、彼の婚約者になることに比べたらこのくらいなんてことないわ」

 そう、ジュリアンとの一生の牢獄から逃れられたのだ、このくらいはまだましなのかもしれない。甚だ不本意ではあるけれど……
 やれやれと天を仰ぐと、セルジオはギュッと私のスカートの裾を握った。

「早く、大人になりたい……」
「えーセルジオはそのままでいてほしいなぁ。もうホント可愛いんだから!」

 再び抱きつくと抗議を諦めたのか、セルジオは棒立ちのまま微動だにしなかった。
 こんなに優しい姉思いの弟に心配をかけてはいけない。そして将来悲しい選択をさせないためにもジュリアンに、運命に負けて堪るかと、私は改めて肝に銘じるのだった。


 身構えていたジュリアンとの初会合の機会はその翌月に訪れた。
 前日から食事が喉を通らないほどゆううつだったものの、「しっかり見張りをつけてもらうから」という父の言葉を信じて王宮へ向かった。玄関ホールまで見送りに来てくれたセルジオは、終始ブスッと膨れていたけれど。

「――再度お目通り叶いまして光栄に存じます、殿下」

 応接室に通され鮮やかな金髪が目に入った瞬間、私は今度こそ無礼を働かないように深々と頭を下げて、淑女の礼をした。でも、いつまで経っても楽にしろという声掛けはない。目上の人間から声掛けがないまま頭を上げることは不敬にあたる。だから私はその姿勢をキープするほかない。
 これは早速の意趣返しだろうか……
 手も足もプルプルと震え出すけれど、すぐそこにふんぞり返って座っているジュリアンは無言を貫いたままだ。
 私が苦しんでいる様をたのしんでいるのだろうか……本当に性格が悪い! 
 それでも、この会合は陛下から直々に依頼されたものだ。一度は許されたとはいえ、これ以上王族であるジュリアンに不敬を働くことはできない。
 結局どれくらいの時間そうしていただろう。グラグラと目眩を感じはじめた頃、お茶とお茶菓子を手にした侍女が入ってきて、すぐに退出した。その後侍女から報告を受けたのか、侍従らしき男性が一人慌てて駆け込んできて、私をソファに座らせてくれた。
 ああ、助かった……全身の力が抜けると共にホッと安堵の息が漏れる。
 するとすかさずチッと盛大な舌打ちが聞こえてくる。

「貴様……私の邪魔をしたな! ただでは済まさぬぞ!」
「恐れながら殿下、私は陛下の命を受けてこちらへ参りました。くれぐれもルイーズ様に粗相がないようにと陛下からきつく言い渡されております」

 なるほど、この男性は陛下からの見張りだったらしい。感謝の気持ちを込めて目礼すると、ガシャーン! と大きな音が響き、ビクリと体が跳ねた。見れば床には割れたカップやお菓子が無残にも散らばっている。
 ジュリアンがかんしゃくを起こしてテーブルのものを全て床に落としたようだ。

「殿下! お静まりください!」

 ジュリアンはいさめる侍従を蹴り飛ばした。その弾みで、侍従のメガネが大きく弧を描いて後方に吹き飛ぶ。
 信じられない……なんて酷いことを! 
 ダメだ、半ば強制とはいえ私自身がした陛下との約束事に、他人を巻き込んではいけない。この侍従にだって守るべき大切な存在がいるはずなのだから。
 私は咄嗟に侍従とジュリアンの間に割って入った。その途端ジュリアンの振り上げた掌が私の頬に当たる。痛いというより熱い。チカチカと視界に星が散る。
 小さいくせになんて馬鹿力だ。こんな容赦ない力で日々暴力に訴えていたなんて。
 ジンジンと熱を持つ頬を押さえ、私は屈んで床に落ちた眼鏡を拾い、侍従に手渡した。

「大丈夫ですか? 巻き込んでしまってごめんなさい」
「ルイーズ様、そんなことよりもお顔の手当を……」
「いいえ、私はジュリアン殿下の『友人』として招かれているのですから、これぐらい戯れの範疇でしょう。熱い歓迎痛み入ります、殿下」

 痛みで涙が滲むけれど、ここでは絶対に泣くもんか――その一心でジュリアンを見上げ無理やり笑顔を作った。
 するとジュリアンは若干狼狽うろたえたように一歩後ずさる。流石に私に手をあげるつもりはなかったのだろうか。
 私は侍従を立ち上がらせると、酷い有様の床に目を落とした。

「申し訳ありませんが片づけをお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます、すぐに別室へご案内いたします」
「いえ、その必要はありません。殿下、今日はご気分が優れないようですのでまた日を改めさせていただきます」

 よろしいですよね、と視線を投げるとジュリアンはコクコクと首を縦に振った。

「では失礼いたします」
「ま、待て!」

 慌てた様子でジュリアンに引き止められた。そしてジュリアンは私のもとまでツカツカと足早にやってくると、バッと手を振り上げた。また殴る気かと反射的に身構えると、ジュリアンは不貞腐れたようにブスッと顔をしかめた。

「殴らないから、ジッとしていろ」

 その言葉に先ほどまでの険は感じられない。いぶかしく思いながら様子を伺っていると、ジュリアンは私の頬の上に手をかざした。
 すると不思議なことに熱と痛みがスッと嘘のように引いていく。
 まさかこれ、治癒魔法? 
 思わず首を傾げると「まだ動くな!」と苛立たしげに怒鳴られた。

「申し訳ありません……」

 慌てて姿勢を正し、真剣な様子のジュリアンを観察するように眺める。
 この世界には少数ながら魔法を使える者達が存在するけれど、ジュリアンにそんな設定があっただろうか。少なくとも原作内で魔法を使う場面はなかったように思う。ただ、ジュリアンの母親である王妃様の家系にかつて大魔導師が存在したことは有名な話だ。
 なるほど、ならば魔法が使えてもなんら不思議はない。でも――

「ありがとうございます。でも何故治療してくださるのですか?」
「か、勘違いするな! 貴様のその不細工な顔に傷でも残ったらますます嫁のもらい手がなくなるだろ! 責任取れなんて死んでも言われたくないからなっ!」

 ――なるほど、私と同じ気持ちのようで何よりだ。
 顔を真っ赤にして毛を逆立てているジュリアンに、私はにっこりと微笑んだ。

「安心してください、死んでも言いませんから」
「なんだと! この身の程知らずのチンクシャめが!」

 なおもギャンギャン吠えたてるジュリアンを右から左に受け流す。
 ああ、もう本当に面倒くさい人だ。この暴君は、全てが自分を中心に回っていると信じて疑っていない。
 一応治療してくれるのは有難いけれど、そもそも些細なことで暴れる自身のその幼稚さ、異常さに気付いてほしい。まあ、原作通りならヒロインに会うまでは無理なんだろうけれど……
 あれこれと考えを巡らせている間にも、ジュリアンは真剣な顔で私の頬に手をかざし続けていた。

「……治ったぞ」

 憮然と告げられ頬に触れてみると、熱や腫れはなく、痛みも嘘のように消え失せている。
 初めて目にする魔法――素直に凄い力だと感心する。同時に、親のかたきのように嫌っている私にその貴重な力を使ってくれたことにほんの少しだけ感謝する気持ちも湧く。
 まあ元はといえばジュリアンのかんしゃくが原因なんだけれど……
 陛下がジュリアンを見捨てず影から見守り続けている要因は、この一抹の良心のようなものも関係しているのだろうか。

「感謝いたします、殿下。それでは失礼いたします」

 ジュリアンと侍従に礼をして、私は足早に応接室を出た。
 はあ、やっと終わった! 初日からこの調子では先が思いやられるな……
 解放感とゆううつという両極端な気持ちを抱えながら、私は逃げるように馬車へ駆け込んだのだった。
 屋敷へ着くなり、私は報告と確認のためまっすぐ父の執務室を訪ねた。そうして情報収集した結果、やはりジュリアンには先祖返りのような魔法の才があるらしいことが分かった。中でも強力な攻撃魔法を得意としているので、周囲の者達は余計に彼に逆らえないのだという。
 見合いの日の怯えたような侍従や騎士たちの顔を思い出し、その心中を察して溜息が出る。
 次の呼び出しはいったいいつになるんだろう。考えただけで鳩尾みぞおちがキリキリと痛みだした。


 二回目の呼び出しを受けたのは翌月のことだった。
 この会合は月に一度に設定されているのだろうか……そう思っていたのだけれど、いつからかジュリアンの呼び出しは二週に一度になり、果ては週に一度という頻度に変わっていった。
 会合のたび心身に受ける苦痛は常に人払いが為される上、外傷はジュリアンがその場で治してしまうので、薄々勘づく者がいようと証拠がない。だから誰も咎めることはできないという悪循環が生じている。
 初日の会合で怪我を治してくれたことにはほんの少し感謝したけれど、まさか「治せば傷つけてもいい」という方向にシフトするとは思いもよらなかった。
 まったく何が友人だ、奴隷の間違いだろう。しかも私が周囲の人間に何も告げ口をしないせいか、だんだんとジュリアンのやることはエスカレートしていく。
 こと嫌がらせに関してジュリアンは天才的で、その性根の醜さと歪みっぷりにはつくづく感心させられた。
 悪巧みに割く時間ほど無益なものはない――心底うんざりして、私もはじめは逆らったり反抗的な態度をとったりもしていた。
 でも、そんな私が一切の抵抗を辞めることとなる決定的な出来事が起こったのだ。
 それはある会合の日、少し早めに王宮へ着いてしまったときのこと。
 庭園を散策して時間を潰すことにしたところ、そこで偶然顔見知りの令息と鉢合わせた。特に親しい方ではなかったものの、敵陣に一人あっては見知った存在につい気が緩んでしまう。挨拶がてら軽く雑談を交わしていたところ、運悪くジュリアンに出くわしてしまった。

「貴様……誰だその男は」

 敵意もあらわに令息をめつけるジュリアン。令息は冷や汗をかきながら私とジュリアンの顔を交互に見る。私は彼を庇うように前に進み出て膝を折った。

「第一王子殿下、彼とはちょっとした顔見知りの間柄です」
「そ、そうです! エティエンヌ令嬢と自分は――」
「黙れ! 貴様ごときに発言を許していない!」

 ひいいっと縮こまる哀れな令息を尻目に、ジュリアンは私の手首を掴んで王宮とは反対側の方へ歩いてゆく。私は引きずられるようにジュリアンの後を追うしかなかった。
 やがて辿り着いた先は見慣れない塔のような建物だった。日当たりの良くない暗くジメジメとした場所にあるその建物を見ているだけで陰鬱な気分になる。

「殿下……ここは?」

 ジュリアンはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、建物の影のくさむらに私を押し倒した。そうして上から覗き込むように顔を近づける。

「私の前で他の男と親しげにするとは……いい度胸をしているな」

 すぐに否定の言葉が口をついて出そうになったものの、横を向いて沈黙を保つ。どうせ何を言っても火に油を注ぐだけだ。
 すると強い力で顎を掴まれて上向かされた。途端に怒りとも憎悪ともつかない蒼い瞳が、異様な輝きを放ってギラギラと私を射貫く。
 ゾッとした。ジュリアンに殺されるかもしれないと思ったのは後にも先にもこのときが初めてだった。

「で……んか……?」
「ここがどこかと聞いたな。ここは永久牢獄、一度入ったら二度と出られぬ監獄だ」

 永久牢獄――その名を聞いた瞬間、全身から血の気が引く思いがした。
 だって、そこは『ルイーズ・エティエンヌ』が最後に投獄される場所――

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