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11初めてのデート
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発端は3日前だった。
書く時間があるなら会いに行きたい、という性質のシグルドから珍しく手紙が届いた。
最近は激務のようで、彼とはここ一週間ほど会えていなかった。
何事かと逸る気持ちを抑えながら手紙を開く。彼は顔に似合わずとても流麗な文字を書く。レイ様の厳しい教育の賜物だろう。
そんな美しい文字で、ティアに会えなくて辛い、死にそうだ、ということがツラツラツラツラと書かれていた。
私は脱力しながらソファに深く腰を下ろす。
ふと、「3日後」という文字に目が留まった。
3日後の収穫祭に一緒に行こう。夕刻前に迎えに行くから準備をしておいてくれ。お忍びで行くのでラフな格好で、と結ばれていた。
お忍びで祭りなど初めての経験だ。私は心が湧きたった。
早速侍女達を呼んで服装の相談を始める。ラフな格好とはどの程度だろう?アドバイスを貰いながら、私は夜会以上に気合を入れて収穫祭の日に臨んだ。
「ティア!」
目の前に現れるなり、とんでもない勢いで抱きすくめられた。
「く、苦しいわシグルド……」
「すまない……でも無理だ。もう少し……」
頼む、と耳元で囁かれて、私は敢え無く陥落した。10日ぶりだ。私だって会いたかった。シグルドの背に腕を回すと、更に深く抱き込まれた。
「会いたかったわ……」
返事の代わりに深い口付けが落とされた。そこへたまたまレオンが通りがかって慌てて逃げ去ったことに、私は気付かなかった――
今日は庶民に徹する、ということで馬車を使わず街まで二人で歩いた。歩きやすい靴を選んでいて良かった、と密かに胸を撫で下ろす。
収穫祭は王家公認の祭りなだけあって、街の中心に近付くにつれ賑わいが増していく。
「シグルド、ラフな格好って……こんな感じで良かったのかしら?」
侍女たちにアドバイスを貰い、ふんだんにフリルのあしらわれたエプロンドレス、というスタイルに決めた。髪もおさげに結ってもらい、どこからどう見ても完璧な町娘の出来上がりだ。周囲を見回しても、そう違和感はないようだ。
「ああ、商家のお嬢様に見える。そんな格好も……中々そそるな」
シグルドの目がギラリと妖しく光ったのを見なかったことにした。
「お嬢様?町娘のつもりだったのだけど…間違ったかしら」
「品までは隠せないんだな」
シグルドは私を抱き寄せ、こめかみに口付けた。かくいうシグルドはシャツにベストにトラウザーズ、という今まで見たこともないラフな格好だ。しかも着慣れているようでやけに様になっている。
「シグルド、もしかしてよくそんな恰好を?」
「ああ、お忍びでよく街を歩くんだ。貴族の目線では見えないことも多いだろ?」
シグルドは何でもないことのようにサラリと言う。
「今日の俺たちは商家のお嬢様と護衛ってとこだな」
沈みかけた陽の茜色が、シグルドの髪を更に紅く染めてゆく。私は眩しさに目を細めた。
「行こうか、お嬢様」
重ねた手は恋人繋ぎに組み替えられた。辺りの喧騒も掻き消される程に、私の五感全てはシグルドに向かう。
「はぐれるなよ」
私は繋がれた手をぎゅっと握った。
「離さないで」
シグルドは一瞬目を瞠ると、柔らかく表情を緩めた。
「死んでも離さない」
街は熱気に溢れていた。往来は屋台で埋め尽くされ、私は物珍しさに目を奪われる。シグルドはそんな私を楽しそうに見詰めながら、目についたものを無差別に買い漁った。
「ふふ、こんなに食べられないわ」
広場のベンチに腰を落ち着け、シグルドが餌付けするように購入品を次々私に食べさせる。もう、と私が笑うと、シグルドの指先が私の唇を撫でた。そしてその指をぺろりと舌先で舐める。
「旨いな」
いつになくシグルドが優しく笑うので、私はなんだか落ち着かなかった。
こんなラフな格好をしていても、シグルドは多くの女性達の視線を奪っていた。これまでのほんの数時間でも、熱い視線と突き刺さる視線とを嫌というほど味わった。一体シグルドは自分の魅力を分かっているのだろうか。
「シグルド、これをあなたに……受け取ってくれる?」
私はポケットに忍ばせていたチェーンをシグルドの掌に乗せた。
この衣装を購入する際、シグルドに似合いそうだと買ったペンダントだった。シルバーのチェーンにペンダントトップは馬蹄形で、真ん中には翡翠が乗っている。そう、私の瞳の色。
シグルドは意図に気付いたようだ。驚愕に目を見開くと、忽ち笑み崩れた。
「ティア、君の手で着けてくれ」
私は抱き締めるようにシグルドの首に腕を回して金具を嵌める。そうしてそのままシグルドに抱きしめられた。
「最高だティア……ありがとう」
耳元で囁かれる声は熱を孕んでいた。顎を上向かされ口付けられる、そう思った時――
「お熱いね、妬けるじゃないか」
この声は……
「お前……俺達を監視でもしてるのか?」
「ああ、今はお忍びだからルーとでも呼んで。あと礼も要らないよリーティア」
ルクス様はにっこりと笑う。本当に監視でもされているのだろうか。先日のミシアの邸といい、恐ろしいタイミングでルクス様は現れる。
「祭りに毎年忍んできていること、お前は知ってるだろ?」
「偶然にしては出来過ぎだろうが。まあいい、俺は婚約者を可愛がるのに忙しいから邪魔するな、ルー」
シグルドが不機嫌全開の黒い笑みを浮かべる。対する殿下は感情の読めない、いわゆるアルカイックスマイルを湛えていた。
「リーティア、今日は町娘風?商家の令嬢かな?可愛いよとっても」
流れるように手を取られ、甲に口付けられた。
「ありがとうございます。ルー様はお忍びでも……隠しきれてませんわね」
少し棘を含んで微笑むと、殿下は楽しそうに目を細めた。
「そう、それは困ったな。来年はリーティアに服を選んでもらうかな」
「ふふ、できない約束はいたしませんわ」
「全く釣れないね。そこもまた可愛らしいけれど」
「ルー」
感情の籠もらない、静かに凪いだシグルドの声は、冷え冷えと辺りを凍てつかせた。殿下の後ろに控える騎士たちも青褪めている。
私は先程贈ったネックレスのチェーンをぐっと掴んで引いた。そして倒れ込んできたシグルドの顔を両手で挟んで口付ける。
シグルドは驚愕に目を見開いていた。私は構わず更に深く口付ける。徐々にシグルドが調子を取り戻し、私の背に腕を回した。そこで私は唇を離す。
そして上気した顔のままルクス様を横目に見、微笑んだ。
「申し訳ありません……シグルドがルクス様ばかり構うので……嫉妬してしまいましたわ」
この時初めて、殿下の素の表情を見た気がした。ほんの一瞬のことで気の所為だったかもしれない。次に見た時には殿下はいつもの微笑を浮かべていた。
「ふ……これ以上無粋な真似は嫌われてしまうね。また会おう、リーティア」
殿下の後ろ姿を見詰め、私はホッと力が抜けてシグルドに凭れ掛かった。
「ごめんなさいシグルド。とても……はしたないことをしたわ」
流石にやり過ぎたと思う。私は合わせる顔がなくて、シグルドの胸に顔を埋めた。
と、シグルドが声を上げて笑い出した。驚いて彼を見上げると、両手で頬を挟まれた。
「ああ、ティア君は本当に最高だ!俺に相応しい最高に悪い女だ!」
額に額を合わせて心から楽しそうに笑っていた。私はほっとため息を付いて、彼の胸元で揺れる翡翠をぼんやりと見詰めていた。
「実際に目の辺りにすると……中々クるものがあるね」
「はい?」
「独り言さ」
護衛は礼をして後ろに控える。
リーティアがシグルドに口付けていた光景が脳裏に焼き付いて離れない。
何故だろう。およそ令嬢らしくない、はしたない行動だと蔑む気持ちは全く起きなかった。
むしろあれが私であったなら……想像しただけで身の裡が震える心地がした。
だが実際は違う。私では有り得ない、決して。
「嫉妬?まさか……」
嫉妬など……私は常にされる側の人間だ。これまでも、そしてこれからも。
だが、胸が痛いのだ。ギリギリと焼け付くように。
リーティアは何故私のものではないのだ?
浮かんだ思いにハっとする。そして打ち消すように頭を振った。
「ままならぬものだな、心というものは……」
胸苦しさに耐えるよう、私は憎いほど美しい月を見上げ、ため息をついた。
書く時間があるなら会いに行きたい、という性質のシグルドから珍しく手紙が届いた。
最近は激務のようで、彼とはここ一週間ほど会えていなかった。
何事かと逸る気持ちを抑えながら手紙を開く。彼は顔に似合わずとても流麗な文字を書く。レイ様の厳しい教育の賜物だろう。
そんな美しい文字で、ティアに会えなくて辛い、死にそうだ、ということがツラツラツラツラと書かれていた。
私は脱力しながらソファに深く腰を下ろす。
ふと、「3日後」という文字に目が留まった。
3日後の収穫祭に一緒に行こう。夕刻前に迎えに行くから準備をしておいてくれ。お忍びで行くのでラフな格好で、と結ばれていた。
お忍びで祭りなど初めての経験だ。私は心が湧きたった。
早速侍女達を呼んで服装の相談を始める。ラフな格好とはどの程度だろう?アドバイスを貰いながら、私は夜会以上に気合を入れて収穫祭の日に臨んだ。
「ティア!」
目の前に現れるなり、とんでもない勢いで抱きすくめられた。
「く、苦しいわシグルド……」
「すまない……でも無理だ。もう少し……」
頼む、と耳元で囁かれて、私は敢え無く陥落した。10日ぶりだ。私だって会いたかった。シグルドの背に腕を回すと、更に深く抱き込まれた。
「会いたかったわ……」
返事の代わりに深い口付けが落とされた。そこへたまたまレオンが通りがかって慌てて逃げ去ったことに、私は気付かなかった――
今日は庶民に徹する、ということで馬車を使わず街まで二人で歩いた。歩きやすい靴を選んでいて良かった、と密かに胸を撫で下ろす。
収穫祭は王家公認の祭りなだけあって、街の中心に近付くにつれ賑わいが増していく。
「シグルド、ラフな格好って……こんな感じで良かったのかしら?」
侍女たちにアドバイスを貰い、ふんだんにフリルのあしらわれたエプロンドレス、というスタイルに決めた。髪もおさげに結ってもらい、どこからどう見ても完璧な町娘の出来上がりだ。周囲を見回しても、そう違和感はないようだ。
「ああ、商家のお嬢様に見える。そんな格好も……中々そそるな」
シグルドの目がギラリと妖しく光ったのを見なかったことにした。
「お嬢様?町娘のつもりだったのだけど…間違ったかしら」
「品までは隠せないんだな」
シグルドは私を抱き寄せ、こめかみに口付けた。かくいうシグルドはシャツにベストにトラウザーズ、という今まで見たこともないラフな格好だ。しかも着慣れているようでやけに様になっている。
「シグルド、もしかしてよくそんな恰好を?」
「ああ、お忍びでよく街を歩くんだ。貴族の目線では見えないことも多いだろ?」
シグルドは何でもないことのようにサラリと言う。
「今日の俺たちは商家のお嬢様と護衛ってとこだな」
沈みかけた陽の茜色が、シグルドの髪を更に紅く染めてゆく。私は眩しさに目を細めた。
「行こうか、お嬢様」
重ねた手は恋人繋ぎに組み替えられた。辺りの喧騒も掻き消される程に、私の五感全てはシグルドに向かう。
「はぐれるなよ」
私は繋がれた手をぎゅっと握った。
「離さないで」
シグルドは一瞬目を瞠ると、柔らかく表情を緩めた。
「死んでも離さない」
街は熱気に溢れていた。往来は屋台で埋め尽くされ、私は物珍しさに目を奪われる。シグルドはそんな私を楽しそうに見詰めながら、目についたものを無差別に買い漁った。
「ふふ、こんなに食べられないわ」
広場のベンチに腰を落ち着け、シグルドが餌付けするように購入品を次々私に食べさせる。もう、と私が笑うと、シグルドの指先が私の唇を撫でた。そしてその指をぺろりと舌先で舐める。
「旨いな」
いつになくシグルドが優しく笑うので、私はなんだか落ち着かなかった。
こんなラフな格好をしていても、シグルドは多くの女性達の視線を奪っていた。これまでのほんの数時間でも、熱い視線と突き刺さる視線とを嫌というほど味わった。一体シグルドは自分の魅力を分かっているのだろうか。
「シグルド、これをあなたに……受け取ってくれる?」
私はポケットに忍ばせていたチェーンをシグルドの掌に乗せた。
この衣装を購入する際、シグルドに似合いそうだと買ったペンダントだった。シルバーのチェーンにペンダントトップは馬蹄形で、真ん中には翡翠が乗っている。そう、私の瞳の色。
シグルドは意図に気付いたようだ。驚愕に目を見開くと、忽ち笑み崩れた。
「ティア、君の手で着けてくれ」
私は抱き締めるようにシグルドの首に腕を回して金具を嵌める。そうしてそのままシグルドに抱きしめられた。
「最高だティア……ありがとう」
耳元で囁かれる声は熱を孕んでいた。顎を上向かされ口付けられる、そう思った時――
「お熱いね、妬けるじゃないか」
この声は……
「お前……俺達を監視でもしてるのか?」
「ああ、今はお忍びだからルーとでも呼んで。あと礼も要らないよリーティア」
ルクス様はにっこりと笑う。本当に監視でもされているのだろうか。先日のミシアの邸といい、恐ろしいタイミングでルクス様は現れる。
「祭りに毎年忍んできていること、お前は知ってるだろ?」
「偶然にしては出来過ぎだろうが。まあいい、俺は婚約者を可愛がるのに忙しいから邪魔するな、ルー」
シグルドが不機嫌全開の黒い笑みを浮かべる。対する殿下は感情の読めない、いわゆるアルカイックスマイルを湛えていた。
「リーティア、今日は町娘風?商家の令嬢かな?可愛いよとっても」
流れるように手を取られ、甲に口付けられた。
「ありがとうございます。ルー様はお忍びでも……隠しきれてませんわね」
少し棘を含んで微笑むと、殿下は楽しそうに目を細めた。
「そう、それは困ったな。来年はリーティアに服を選んでもらうかな」
「ふふ、できない約束はいたしませんわ」
「全く釣れないね。そこもまた可愛らしいけれど」
「ルー」
感情の籠もらない、静かに凪いだシグルドの声は、冷え冷えと辺りを凍てつかせた。殿下の後ろに控える騎士たちも青褪めている。
私は先程贈ったネックレスのチェーンをぐっと掴んで引いた。そして倒れ込んできたシグルドの顔を両手で挟んで口付ける。
シグルドは驚愕に目を見開いていた。私は構わず更に深く口付ける。徐々にシグルドが調子を取り戻し、私の背に腕を回した。そこで私は唇を離す。
そして上気した顔のままルクス様を横目に見、微笑んだ。
「申し訳ありません……シグルドがルクス様ばかり構うので……嫉妬してしまいましたわ」
この時初めて、殿下の素の表情を見た気がした。ほんの一瞬のことで気の所為だったかもしれない。次に見た時には殿下はいつもの微笑を浮かべていた。
「ふ……これ以上無粋な真似は嫌われてしまうね。また会おう、リーティア」
殿下の後ろ姿を見詰め、私はホッと力が抜けてシグルドに凭れ掛かった。
「ごめんなさいシグルド。とても……はしたないことをしたわ」
流石にやり過ぎたと思う。私は合わせる顔がなくて、シグルドの胸に顔を埋めた。
と、シグルドが声を上げて笑い出した。驚いて彼を見上げると、両手で頬を挟まれた。
「ああ、ティア君は本当に最高だ!俺に相応しい最高に悪い女だ!」
額に額を合わせて心から楽しそうに笑っていた。私はほっとため息を付いて、彼の胸元で揺れる翡翠をぼんやりと見詰めていた。
「実際に目の辺りにすると……中々クるものがあるね」
「はい?」
「独り言さ」
護衛は礼をして後ろに控える。
リーティアがシグルドに口付けていた光景が脳裏に焼き付いて離れない。
何故だろう。およそ令嬢らしくない、はしたない行動だと蔑む気持ちは全く起きなかった。
むしろあれが私であったなら……想像しただけで身の裡が震える心地がした。
だが実際は違う。私では有り得ない、決して。
「嫉妬?まさか……」
嫉妬など……私は常にされる側の人間だ。これまでも、そしてこれからも。
だが、胸が痛いのだ。ギリギリと焼け付くように。
リーティアは何故私のものではないのだ?
浮かんだ思いにハっとする。そして打ち消すように頭を振った。
「ままならぬものだな、心というものは……」
胸苦しさに耐えるよう、私は憎いほど美しい月を見上げ、ため息をついた。
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