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第2章:城塞都市「ナラキア」編
第15話:到着、城塞都市
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先ほどから目の前にそびえる城門の巨大さに、僕と茜は興奮を隠しきれていなかった。
もう、ほんの目と鼻の先に、目的の地がある。そう考えると、今すぐに駆け出してしまいそうな高揚感がある。
だがここで浮ついてしまうようなら、この先生き残ることはできない。最後の最後まで、気を緩めることは死につながる。
「もう、こんなとこでつまづいているお前らじゃないだろ」
先行ってるからな。
そう残すと、豪は巨大な門を通過して、さっさと歩いて行ってしまった。
「あれは……信頼されていると捉えて良いんだよね?」
僕の問いかけに、茜は苦笑いを返してくる。
「それは少し楽天的すぎじゃないかな。あれはむしろ、無関心だと思うけど」
「……ま、良いや。こいつを倒せば、とうとう到着するんだ――行こう、茜ちゃん」
「私、もう何もしなくて良いでしょ? 座ってるから、丈嗣君頑張ってね」
「ちょ、何でそんなこと言うんだよ!」
軽口を叩きあいながらも、門をくぐる直前、僕たちは表情を引き締めた。
長かったが、ようやく到着するのだ。このエリアボスを倒せば――流王さんたちが待つ、城塞「ナラキア」に。
******
「いや、本当にお疲れ様! それにしても、何だか皆、たくましくなったねぇ」
流王は感慨深げにそうつぶやくと、僕たち全員と握手をした。
ナラキア郊外にあるその屋敷は、外観は注意深く観察しないと見つけられないよう隠されていたが、内装は以前いた街と同様、趣深い造りになっている。
「ようこそ、城塞都市『ナラキア』へ」
「何様だよ。別にこの地を治めてるわけでもあるまいに」
そんな豪の嫌味に取り合わず、流王は僕たち3人を丁重に労った。久しぶりに会えたことの嬉しさも会ったが、これほど惜しみない歓迎を受けるとは思ってもおらず、何だか面映ゆい気分だったことも事実だ。
温かい歓迎ムードの中で、豪から流王にここまでの道程の報告がなされた。
エリアボスであれば、何の苦労もなく倒せるほど、僕と茜が成長していること。
ミルゲの決闘を受け、窮地に陥ったが、何とか資金を取り返したこと。
そして――。
「そうか。ツカサは生きていたか」
「だから、最初から俺はそう言ってただろ。言っとくけど、ホラ吹いてるわけじゃねぇからな。何ならこの2人に聞けば――」
「いや、疑ってないよ。すまなかった」
流王は沈鬱そうに肩を落としていたが、やがて上げた顔には厳しさも漂っていた。
「それはそうとして、安易に獅子旗を追跡したことは褒められたことじゃないな」
「違う! "エムワン"の捜索をしていたら、偶然見つけただけだ」
「噓だな。君は普段冷静で状況も見誤らないが、やつに対してだけはどうにも熱くなってしまうのが心配だ。現に、2人のことも危険にさらしているわけだろう」
図星をつかれ、豪は力なくうなだれた。いつもの威勢は鳴りを潜め、彼らしからぬしおらしさがだらりとたれた腕から伝わってくる。
その様子を見て、流王はふっと表情を和らげた。
「ま、誰にだって弱点はある。それに、人は学習できる生き物だ。本当に大切なものは何か、今の君ならきっと分かっている」
そう言って立ち上がると、彼はぱん、と手を叩いた。
「さ、しけた話はこれくらいにしておこう。それに、俺なんかと話していてもつまらないだろうしね」
「いや、そんなことは……」
「世辞は良い。さあ、行きなさい。皆会いたがってる」
部屋から出た途端、突然大きな掌で、首根っこをむんずと掴まれた。身体が持ち上げられ、声にならない悲鳴が飛び出す。
「ヒエッ」
「よう来たな、丈坊! なんだぁ、その情けない声は」
「一条さん、突然やめて下さい! びっくりするじゃないですか」
「まったく、強いんだか弱いんだか、はっきりせんなお前は」
一条は破顔すると、力いっぱい僕を抱きしめた。
「……何してるんですか」
「歓迎の抱擁だが」
「変な目で見られるからやめてくださいッ」
何とか一条の締めつけから抜け出そうと躍起になっていると、
「あ、丈嗣君!」
懐かしい声が、耳に届いた。
「宇羅ちゃん!」
一条の腕が緩んだ隙にするりと抜け出すと、宇羅がこちらに駆けてくるのが見えた。その後ろには、阿羅が腕を組みながら立っている。
「ごめん、予想外に時間がかかっ……おわっ」
宇羅が飛びついてきた瞬間に、それまで考えていた言葉は綺麗さっぱり消えてなくなった。柔らかな肌の感触が、僕の鼓動を一気に最大ビートまで引き上げる。身体の中で炎が舞い上がり、全身が熱く火照り始めた。
「あ、あの、宇羅ちゃん? ちょ、色々当たって」
「良かった~。なかなか来ないから、皆心配してたんだよ?」
「何言ってんの。豪からちょくちょくメッセージで共有はもらってたでしょ」
呆れ顔をしたまま、阿羅が近づいてくる。
「宇羅、いつまで抱きついてんの。
丈嗣もニヤニヤすんな。気持ち悪いよ」
「なっ、ニヤついてなんかっ」
「あ、茜ちゃん! 心配したんだよ~」
部屋から出てきた茜を目にすると、宇羅はするりと僕から離れ、彼女へと駆け寄っていく。
予想はしていたけど、残念な気分であることは否めない。先ほどまでの肌の感触を忘れないよう、しっかりと記憶に刻みつけておかなければ。
「なに、抱き着かれちゃって勘違いでもしちゃった?」
下卑た笑いを口元に浮かべる阿羅をにらみつけると、彼女はふふんと鼻を鳴らした。
「別に、勘違いなんかしてないよ」
そう強がったみせたが、彼女の表情は揺らがない。
「その割には、鼻の下が伸びまくって馬面になっちゃってたけど」
「そ、そんなことないっ」
「丈坊……どうして……どうして俺のは駄目なんだ……」
「一条さんは黙ってて下さい!」
その後、皆でリビングに移ってから、僕たち3人は文字通りの質問攻めにあった。概要は豪からのメッセージで知っていたようだったが、詳しい話となると当事者の口から直接聞くほかはない。
特に"蟲堕ち"の話になると、次から次へと質問が飛んできた。
「え、ホントに間近で見たの?」
「どんな顔してるの? 蟲みたいなノイズが出てるってほんと?」
「不死身なんでしょ。闘った感想は?」
矢継ぎ早の質問に、僕は答えるので精一杯だった。茜は茜でてんぱっていたし、豪は普段通りむすっとしたままだんまりを決め込んでいるせいで、質問のほとんどには僕が応える形になった。
そんな軽い軟禁状態から解放されたのは、もう夕暮れになる頃合いだった。
僕と茜は揃ってため息をつくと、リビングのソファに身体を預けた。
「いやぁ、まさかこんなに息つく間もなく質問が飛んでくるとは」
「……茜ちゃんはテンパッてただけじゃないの?」
「そ、そんなことないわよ! それに豪君だって黙ったままだったじゃない」
ねぇ、と同意を求めるように豪に視線をやった彼女だったが、豪の物思いにふける表情を見て視線を戻す。
結局、誰もツカサについては質問をしようとしなかった。
むしろそこだけ聞かれないというのは違和感があったが、メンバー全員、彼に気を遣っているのだろう。阿羅などは時折口を滑らせていたが、豪はそれにも反応せず、黙って下を向いていた。
今は、そっとしておいた方が良い。
そんなにおいをかぎとって、僕はおもむろに立ち会った。
「それじゃ、ちょっと疲れたし、部屋に戻って休むよ」
「うん、そうだね。私も行こうかな」
茜と別れ、部屋へと戻る途中、廊下の向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。最初は誰か分からなかったが、近づいてくるにつれ、僕の脳裏に男の顔がぼんやりと浮かんだ。
「あ、路唯さん」
声をかけると、路唯もこちらに気づいたようだった。無表情なその顔はしかし、世に稀な美形だ。女性であれば、誰もが1度は抱かれたいと考えてしまうような、怪しい美貌をマントのように羽織っている。
そういえば、この人とはあまり話したことがない。それに、さっき軟禁されていた時も姿が見えなかった。一匹狼なのだろうが、豪とは少し雰囲気が違う。
そもそも、僕は路唯さんのことを何もしらない。他のメンバーとはそれなりに話をしているが、彼については全てが謎に包まれている。
声をかけたは良いものの、その後気まずい沈黙が流れた。元来引っ込み思案な僕と、無口そうな路唯。その上、これまでほとんど言葉を交わしたことすらない。こうなることは、目に見えていた。
何故、声なんかかけた。
僕の馬鹿。
沈黙に耐え切れず、「今日の夕食について」というとんでもなくつまらない話題を引き合いに出そうとした時、路唯の形の良い唇が動いた。
「ツカサに会ったんだってね」
唐突に、しかも今日誰も触れなかったような繊細な話題を突き出され、僕は狼狽した。
「え、ええ」
「彼のことで、1つ聞きたいんだが、良いかな」
有無を言わさぬ、とはこのことか。
こちらの了解を取り付けるような口調だが、その声音には「はい」以外の返事を許さない峻烈さが込められている気がした。無表情を保ってはいるが、全身から凄まじい圧力を感じる。
「は……い」
「それは良かった。
彼、どんな力を使ってたか覚えてるか」
「ええと、正直分からないんです」
的を得ない回答に、路唯の顔が怪訝そうにひそめられる。
「君は、一応彼と一戦交えたと聞いたんだが」
「ええ。それは、そうなんですけど……」
路唯には申し訳ないが、これは偽らざる本音だ。確かに、1つ1つの力は覚えているが、全体を俯瞰してみると、どうにも説明が難しい。
彼の力を、無理矢理にでも一言で表すとするなら――そう、まるで能力のごった煮のような、そんな印象を受けた。
それを話すと、路唯は何か納得したように頷いた。
「うん。分かった。心配しなくて良い。君の感覚は間違っていない」
そう言い残すと、彼は僕に背を向けた。もう用は済んだと言いたげに、足早に立ち去ろうとする。
その背中に、僕は声を投げかけた。
「あ、あのっ」
「……何か」
「僕にも、教えて欲しいことがあるんですけど」
「俺が知っていることなら、なんなりと」
ツカサの残した言葉が、頭にこびりついている。
豪や茜に尋ねようかとも思ったが、聞く機会を逸していた。それに、彼らでは分からない気がしたのも事実だ。この世界のことを良く知っている人間でなければ、知り得ない情報だと直観が叫んでいた。
この男は、何か知っている気がする。
間違っていても、少々おかしなやつだと思われるだけですむ。今後も仲良くすることはなさそうだし、彼にならどう思われたって構わない。
そんな捨て鉢な考えも若干抱きつつ、僕は路唯に尋ねた。
「『変性者』って、何ですか。
それから、『転回者』って? 『地平線』ってどういう意味でしょう」
僕の問いかけを耳にした瞬間、路唯は少しだけその形の良い眉をひそめた。
「何で、そんなことが気になるの」
「分からない……ツカサと"蟲堕ち"がその言葉を口にしたんです。意味は分からなかったんですが、何だかとても気になって」
「……」
路唯は、見定めるように僕を見すえている。外国人のように彫りの深い眼窩から放たれる視線は、内臓はおろか、頭の中の考えまで見透かされてしまいそうな気分にさせる。
そうして彼はしばらく僕を矯めつ眇めつしていたが、やがてほっと息を吐き出した。
「まあ良いさ。減るもんじゃないし。
結論から言えば、『変性者』ってのは知らないな。ただ、『転回者』の方なら、ぼんやりとだけど知ってる。
『転回者』ってのは、通常の"サンプル"以上の力を備えた者たちの総称だ。圧倒的な演算性能を持ち、この世界では文字通り神に近い存在だ。俺たちみたいな貧弱な"サンプル"だったら、オーバーフローして死んじまうような桁外れの力だって、彼らになら扱える。
普通の"サンプル"の処理能力の限界点を『地平線』と呼ぶことがある。つまり『転回者』ってのは、限界――『地平線』を超えた先の世界を知っているやつらのことさ」
「……そんな怪物みたいな存在が、本当にいるんですか」
「俺が知ってるのは、3人――TCKの開発当初から存在している3人だけだ。
原初の"リ"……"サンプル"である"エムワン"、サイコ野郎の殺人鬼、"獅子旗"、そして王都『イラムス』の統治者、"女王"」
他ならぬ"エムワン"と獅子旗の名前が出てきたが、僕は驚きはしなかった。"エムワン"がTCK脱出の手がかりを知っている可能性があるということは、この世界の理に最も近い場所にいるということに他ならない。
「何で、そんな強大な力を有することができるんでしょう」
「君は、本当に質問ばかりだな」
路唯はやれやれと頭を振ったが、無表情のまま、こつこつと頭を指で叩いた。
「多分、ここのできが、俺たちとは根本から違うんだろうねぇ。
ま、何にせよ、俺たちには関係ない話だけどな」
これで話は終わりだとばかりに、今度こそ路唯は僕に背を向けると、振り向くことなく歩き去ってしまった。
もう、ほんの目と鼻の先に、目的の地がある。そう考えると、今すぐに駆け出してしまいそうな高揚感がある。
だがここで浮ついてしまうようなら、この先生き残ることはできない。最後の最後まで、気を緩めることは死につながる。
「もう、こんなとこでつまづいているお前らじゃないだろ」
先行ってるからな。
そう残すと、豪は巨大な門を通過して、さっさと歩いて行ってしまった。
「あれは……信頼されていると捉えて良いんだよね?」
僕の問いかけに、茜は苦笑いを返してくる。
「それは少し楽天的すぎじゃないかな。あれはむしろ、無関心だと思うけど」
「……ま、良いや。こいつを倒せば、とうとう到着するんだ――行こう、茜ちゃん」
「私、もう何もしなくて良いでしょ? 座ってるから、丈嗣君頑張ってね」
「ちょ、何でそんなこと言うんだよ!」
軽口を叩きあいながらも、門をくぐる直前、僕たちは表情を引き締めた。
長かったが、ようやく到着するのだ。このエリアボスを倒せば――流王さんたちが待つ、城塞「ナラキア」に。
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「いや、本当にお疲れ様! それにしても、何だか皆、たくましくなったねぇ」
流王は感慨深げにそうつぶやくと、僕たち全員と握手をした。
ナラキア郊外にあるその屋敷は、外観は注意深く観察しないと見つけられないよう隠されていたが、内装は以前いた街と同様、趣深い造りになっている。
「ようこそ、城塞都市『ナラキア』へ」
「何様だよ。別にこの地を治めてるわけでもあるまいに」
そんな豪の嫌味に取り合わず、流王は僕たち3人を丁重に労った。久しぶりに会えたことの嬉しさも会ったが、これほど惜しみない歓迎を受けるとは思ってもおらず、何だか面映ゆい気分だったことも事実だ。
温かい歓迎ムードの中で、豪から流王にここまでの道程の報告がなされた。
エリアボスであれば、何の苦労もなく倒せるほど、僕と茜が成長していること。
ミルゲの決闘を受け、窮地に陥ったが、何とか資金を取り返したこと。
そして――。
「そうか。ツカサは生きていたか」
「だから、最初から俺はそう言ってただろ。言っとくけど、ホラ吹いてるわけじゃねぇからな。何ならこの2人に聞けば――」
「いや、疑ってないよ。すまなかった」
流王は沈鬱そうに肩を落としていたが、やがて上げた顔には厳しさも漂っていた。
「それはそうとして、安易に獅子旗を追跡したことは褒められたことじゃないな」
「違う! "エムワン"の捜索をしていたら、偶然見つけただけだ」
「噓だな。君は普段冷静で状況も見誤らないが、やつに対してだけはどうにも熱くなってしまうのが心配だ。現に、2人のことも危険にさらしているわけだろう」
図星をつかれ、豪は力なくうなだれた。いつもの威勢は鳴りを潜め、彼らしからぬしおらしさがだらりとたれた腕から伝わってくる。
その様子を見て、流王はふっと表情を和らげた。
「ま、誰にだって弱点はある。それに、人は学習できる生き物だ。本当に大切なものは何か、今の君ならきっと分かっている」
そう言って立ち上がると、彼はぱん、と手を叩いた。
「さ、しけた話はこれくらいにしておこう。それに、俺なんかと話していてもつまらないだろうしね」
「いや、そんなことは……」
「世辞は良い。さあ、行きなさい。皆会いたがってる」
部屋から出た途端、突然大きな掌で、首根っこをむんずと掴まれた。身体が持ち上げられ、声にならない悲鳴が飛び出す。
「ヒエッ」
「よう来たな、丈坊! なんだぁ、その情けない声は」
「一条さん、突然やめて下さい! びっくりするじゃないですか」
「まったく、強いんだか弱いんだか、はっきりせんなお前は」
一条は破顔すると、力いっぱい僕を抱きしめた。
「……何してるんですか」
「歓迎の抱擁だが」
「変な目で見られるからやめてくださいッ」
何とか一条の締めつけから抜け出そうと躍起になっていると、
「あ、丈嗣君!」
懐かしい声が、耳に届いた。
「宇羅ちゃん!」
一条の腕が緩んだ隙にするりと抜け出すと、宇羅がこちらに駆けてくるのが見えた。その後ろには、阿羅が腕を組みながら立っている。
「ごめん、予想外に時間がかかっ……おわっ」
宇羅が飛びついてきた瞬間に、それまで考えていた言葉は綺麗さっぱり消えてなくなった。柔らかな肌の感触が、僕の鼓動を一気に最大ビートまで引き上げる。身体の中で炎が舞い上がり、全身が熱く火照り始めた。
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「良かった~。なかなか来ないから、皆心配してたんだよ?」
「何言ってんの。豪からちょくちょくメッセージで共有はもらってたでしょ」
呆れ顔をしたまま、阿羅が近づいてくる。
「宇羅、いつまで抱きついてんの。
丈嗣もニヤニヤすんな。気持ち悪いよ」
「なっ、ニヤついてなんかっ」
「あ、茜ちゃん! 心配したんだよ~」
部屋から出てきた茜を目にすると、宇羅はするりと僕から離れ、彼女へと駆け寄っていく。
予想はしていたけど、残念な気分であることは否めない。先ほどまでの肌の感触を忘れないよう、しっかりと記憶に刻みつけておかなければ。
「なに、抱き着かれちゃって勘違いでもしちゃった?」
下卑た笑いを口元に浮かべる阿羅をにらみつけると、彼女はふふんと鼻を鳴らした。
「別に、勘違いなんかしてないよ」
そう強がったみせたが、彼女の表情は揺らがない。
「その割には、鼻の下が伸びまくって馬面になっちゃってたけど」
「そ、そんなことないっ」
「丈坊……どうして……どうして俺のは駄目なんだ……」
「一条さんは黙ってて下さい!」
その後、皆でリビングに移ってから、僕たち3人は文字通りの質問攻めにあった。概要は豪からのメッセージで知っていたようだったが、詳しい話となると当事者の口から直接聞くほかはない。
特に"蟲堕ち"の話になると、次から次へと質問が飛んできた。
「え、ホントに間近で見たの?」
「どんな顔してるの? 蟲みたいなノイズが出てるってほんと?」
「不死身なんでしょ。闘った感想は?」
矢継ぎ早の質問に、僕は答えるので精一杯だった。茜は茜でてんぱっていたし、豪は普段通りむすっとしたままだんまりを決め込んでいるせいで、質問のほとんどには僕が応える形になった。
そんな軽い軟禁状態から解放されたのは、もう夕暮れになる頃合いだった。
僕と茜は揃ってため息をつくと、リビングのソファに身体を預けた。
「いやぁ、まさかこんなに息つく間もなく質問が飛んでくるとは」
「……茜ちゃんはテンパッてただけじゃないの?」
「そ、そんなことないわよ! それに豪君だって黙ったままだったじゃない」
ねぇ、と同意を求めるように豪に視線をやった彼女だったが、豪の物思いにふける表情を見て視線を戻す。
結局、誰もツカサについては質問をしようとしなかった。
むしろそこだけ聞かれないというのは違和感があったが、メンバー全員、彼に気を遣っているのだろう。阿羅などは時折口を滑らせていたが、豪はそれにも反応せず、黙って下を向いていた。
今は、そっとしておいた方が良い。
そんなにおいをかぎとって、僕はおもむろに立ち会った。
「それじゃ、ちょっと疲れたし、部屋に戻って休むよ」
「うん、そうだね。私も行こうかな」
茜と別れ、部屋へと戻る途中、廊下の向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。最初は誰か分からなかったが、近づいてくるにつれ、僕の脳裏に男の顔がぼんやりと浮かんだ。
「あ、路唯さん」
声をかけると、路唯もこちらに気づいたようだった。無表情なその顔はしかし、世に稀な美形だ。女性であれば、誰もが1度は抱かれたいと考えてしまうような、怪しい美貌をマントのように羽織っている。
そういえば、この人とはあまり話したことがない。それに、さっき軟禁されていた時も姿が見えなかった。一匹狼なのだろうが、豪とは少し雰囲気が違う。
そもそも、僕は路唯さんのことを何もしらない。他のメンバーとはそれなりに話をしているが、彼については全てが謎に包まれている。
声をかけたは良いものの、その後気まずい沈黙が流れた。元来引っ込み思案な僕と、無口そうな路唯。その上、これまでほとんど言葉を交わしたことすらない。こうなることは、目に見えていた。
何故、声なんかかけた。
僕の馬鹿。
沈黙に耐え切れず、「今日の夕食について」というとんでもなくつまらない話題を引き合いに出そうとした時、路唯の形の良い唇が動いた。
「ツカサに会ったんだってね」
唐突に、しかも今日誰も触れなかったような繊細な話題を突き出され、僕は狼狽した。
「え、ええ」
「彼のことで、1つ聞きたいんだが、良いかな」
有無を言わさぬ、とはこのことか。
こちらの了解を取り付けるような口調だが、その声音には「はい」以外の返事を許さない峻烈さが込められている気がした。無表情を保ってはいるが、全身から凄まじい圧力を感じる。
「は……い」
「それは良かった。
彼、どんな力を使ってたか覚えてるか」
「ええと、正直分からないんです」
的を得ない回答に、路唯の顔が怪訝そうにひそめられる。
「君は、一応彼と一戦交えたと聞いたんだが」
「ええ。それは、そうなんですけど……」
路唯には申し訳ないが、これは偽らざる本音だ。確かに、1つ1つの力は覚えているが、全体を俯瞰してみると、どうにも説明が難しい。
彼の力を、無理矢理にでも一言で表すとするなら――そう、まるで能力のごった煮のような、そんな印象を受けた。
それを話すと、路唯は何か納得したように頷いた。
「うん。分かった。心配しなくて良い。君の感覚は間違っていない」
そう言い残すと、彼は僕に背を向けた。もう用は済んだと言いたげに、足早に立ち去ろうとする。
その背中に、僕は声を投げかけた。
「あ、あのっ」
「……何か」
「僕にも、教えて欲しいことがあるんですけど」
「俺が知っていることなら、なんなりと」
ツカサの残した言葉が、頭にこびりついている。
豪や茜に尋ねようかとも思ったが、聞く機会を逸していた。それに、彼らでは分からない気がしたのも事実だ。この世界のことを良く知っている人間でなければ、知り得ない情報だと直観が叫んでいた。
この男は、何か知っている気がする。
間違っていても、少々おかしなやつだと思われるだけですむ。今後も仲良くすることはなさそうだし、彼にならどう思われたって構わない。
そんな捨て鉢な考えも若干抱きつつ、僕は路唯に尋ねた。
「『変性者』って、何ですか。
それから、『転回者』って? 『地平線』ってどういう意味でしょう」
僕の問いかけを耳にした瞬間、路唯は少しだけその形の良い眉をひそめた。
「何で、そんなことが気になるの」
「分からない……ツカサと"蟲堕ち"がその言葉を口にしたんです。意味は分からなかったんですが、何だかとても気になって」
「……」
路唯は、見定めるように僕を見すえている。外国人のように彫りの深い眼窩から放たれる視線は、内臓はおろか、頭の中の考えまで見透かされてしまいそうな気分にさせる。
そうして彼はしばらく僕を矯めつ眇めつしていたが、やがてほっと息を吐き出した。
「まあ良いさ。減るもんじゃないし。
結論から言えば、『変性者』ってのは知らないな。ただ、『転回者』の方なら、ぼんやりとだけど知ってる。
『転回者』ってのは、通常の"サンプル"以上の力を備えた者たちの総称だ。圧倒的な演算性能を持ち、この世界では文字通り神に近い存在だ。俺たちみたいな貧弱な"サンプル"だったら、オーバーフローして死んじまうような桁外れの力だって、彼らになら扱える。
普通の"サンプル"の処理能力の限界点を『地平線』と呼ぶことがある。つまり『転回者』ってのは、限界――『地平線』を超えた先の世界を知っているやつらのことさ」
「……そんな怪物みたいな存在が、本当にいるんですか」
「俺が知ってるのは、3人――TCKの開発当初から存在している3人だけだ。
原初の"リ"……"サンプル"である"エムワン"、サイコ野郎の殺人鬼、"獅子旗"、そして王都『イラムス』の統治者、"女王"」
他ならぬ"エムワン"と獅子旗の名前が出てきたが、僕は驚きはしなかった。"エムワン"がTCK脱出の手がかりを知っている可能性があるということは、この世界の理に最も近い場所にいるということに他ならない。
「何で、そんな強大な力を有することができるんでしょう」
「君は、本当に質問ばかりだな」
路唯はやれやれと頭を振ったが、無表情のまま、こつこつと頭を指で叩いた。
「多分、ここのできが、俺たちとは根本から違うんだろうねぇ。
ま、何にせよ、俺たちには関係ない話だけどな」
これで話は終わりだとばかりに、今度こそ路唯は僕に背を向けると、振り向くことなく歩き去ってしまった。
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同じ眼鏡者として期待せざるを得ない出だし。
早速有難うございます。お眼鏡にかなうように頑張ります(上手くない)。