「被験者」よ、異世界の糧となれ

Nakman

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第2章:城塞都市「ナラキア」編

第11話:感情の蠱毒

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 ……何訳の分からないことを言ってるんだ、豪のやつは。

 ツカサってのは、お前の親友の名前じゃないか。

 今目の前にいるのは、その親友の仇だろう。

 事実、高木の撮ったスナップショットには、その男の顔がくっきりと――。

「久しぶりだね、豪ちゃん」

 月明かりに照らされた「ツカサ」の表情はいだ湖面のように穏やかだ。愛嬌のある、クリクリとしたどんぐりのような瞳に、少し厚ぼったい唇。歳上から可愛がられそうな顔立ちをした青年は、何の気負いも感じさせず、真っ直ぐその場に立っていた。

 僕もあかねも、口を開くことはできない。部外者を寄せ付けぬ見えない有刺鉄線が、2人の周りを|幾重<にも取り囲んでいるのが見える。

「探したぞ、馬鹿野郎」
「……ごめんね、突然飛び出していったりなんかして」
「とにかく、帰ろう。皆待ってる」

 しかし、ツカサは残念そうに首をゆるゆると振った。

「悪いけど、それはできない」
「ふざけたこと言ってんなよ。お前を探すためにどれだけ……!!」
「豪ちゃん……誰を追ってここまで来たの」

 豪は押し黙ったまま、ツカサにじっと視線を向けている。彼はしばらく無言だったが、やがて重たそうに口を開いた。

「……俺はずっとお前を探してた。お前さえ見つかれば、あいつなんてどうだって良い」
「あいつって?」
「……」
「もしかして、獅子旗ししはたさんのことか?」

 ツカサの口からその言葉が飛び出した途端、豪の目がカッと見開かれた。

「何あいつのこと『さん』付けで呼んでんだよ! "サンプル"狩りの糞野郎だぞ!」
「獅子旗さんのこと、あいつ呼ばわりはやめてよ」
「……ツカサ、お前ちょっとおかしくなっちまってるんだよ。とりあえず、早くこっちに来い。最寄りの街までファストトラベルすれば、宿だって取ってある」
「分かってないな、豪ちゃん」

 そう言ったツカサの表情は蛇のように毒々しく、僕たち3人の視線を奪った。瞳孔どうこうが猫のように細くなり、残されていた感情の残り香が空気中へと溶けていく。

「いや、ホントは分かってるんだ。分かった上で、自分を偽ろうとしている」
御託ごたく並べてんじゃねぇよ。良い加減、こっち来いよ」
「目ましなよ。ほら、後ろにいるお友達2人も、心配そうにこっちを見てる」
「その口調やめろ。あいつを思い出す」
「……豪君、もうやめなよ。彼は――」

 我慢できず口を挟んだ茜を、豪は後ろ目にギロリとにらみつける。その視線は月のように冷ややかで、あらゆる感情を削ぎ落した怜悧れいりな横顔は、近づいただけで身が切れてしまいそうだ。

「鬼が棲んでたんだね」

 ツカサは穏やかに目を細めると、嚙みしめるようにうなずいた。
 その穏やかな表情が、この場面にはひどくちぐはぐに見える。

「……あ?」
「豪ちゃん、いつも怒ったフリしてたけど、根っこは優しいやつだっただろ。今だって、ずいぶん前にふいっといなくなった僕なんかを追っかけて、こんな山奥までやってきてくれた。
 そんな君が……心の中に、こんなおっきなもの飼ってたなんて。醜く不快でぐつぐつと煮え立った、負の感情の蠱毒こどくを」
「その口調、やめろって言ってんだろ。良いか、テメェをぶっ飛ばしてでも、流王さんたちのとこに連れて帰る。俺は、絶対に約束は破らない」

 しかしツカサには、豪の声は届いていないようだった。自分に酔いしれているのか、恍惚とした笑みが月明かりに照らされ、白い輝きを放っている。

「僕が育てたんだね……君の中の鬼を。哀しみと怒りと寂しさを糧に、長年かけてゆっくりと育ったんだ」

 豪は悦に入っているツカサをじっと観察していたが、

「茜、お前の力でツカサを拘束することはできるか」

 唐突な豪からの質問に、茜は目を丸くした。

「え?! 一時いっときなら可能だと思うけど……何考えてるの」
「抑えつけて、無理矢理にでも連れて帰る」
「そんな、無茶よ。そもそも決闘モードでもないのにあんまり派手にやっちゃうと、運営に気づかれるかもしれないし……。
 それに、どんな方法かは分からないけど、仮にも"サンプル"を殺してるのよ。味方かどうか分からないし、どんな隠し玉があるか分からない以上、下手に動くべきじゃない」

 茜は必死に説得しようとしたが、豪はまるで聞く耳をもたない。

「ツカサは殺してねぇ! あれは獅子旗の仕業に決まってる」
「そんなことは今関係ない! 少なくとも、獅子旗の後を追ったらツカサ君がいて、どうやら友好的じゃないことくらいは私にだって分かる。彼は危険よ」

 同じ意見だった僕も、茜に加勢する。

「そうだよ、ここは一旦冷静になれよ、豪。ツカサ君が洗脳されてる可能性だってあるし、無防備に突っ込むのは――」

 だがなおも言葉をつごうとした僕を、豪は手で制した。彼にしては珍しく、目を合わそうとしない。

「分かったよ。お前らがその気ならそれでも良い」

 豪はどこか遠くを見ていた。ツカサでもその背後の星々でもなく、更にその向こう側を。

 ただ――邪魔だけはすんなよ。

 そう言い残すと、豪は僕たちの制止を振り切り、一気にツカサとの距離をつめた。ツカサも近づく豪には気づいたものの、慌てる様子はない。鷹揚おうようとした態度で、豪と正面から向き合った。

 やはり何か隠しているのか。或いは、PK禁止ルールのある中で、何もできまいと高をくくっているのか。
 いずれにせよ、今余裕がないのはどう見ても豪の方だ。

「まずい、豪のやつ、周りが見えてない。PK禁止ルールもあるし、死ぬようなことはないかもしれないけど……。まずくなったらすぐに離脱できるように、こっちも準備しとこう」
「結局、あれはツカサ君なの? それとも、獅子旗なの?」

 茜の問いかけに、僕は腰に下げた木刀に手をかけながら応えた。

「僕は、2つの可能性があると思ってる」
「1つ目は?」
「獅子旗の正体は、実はツカサだったって説。そうすれば、今までの出来事は全てしっくり枠にはまる」

 彼女は納得したように軽くうなずいたが、引っかかりを覚えたのか首をかしげた。

「確かに。ただそれだと、身近にいた流王さんたち全員騙されてたってことになっちゃうわね。豪君や私の目ならごまかせるかもしれないけど、流王さんまであざむき続けることなんてできるのかな。
 それに、ツカサ君って獅子旗を追うために姿を消したんでしょ? 自作自演だとすると良く分からないし、その後を追った流王さんから何の話もなかったことを考えると、つじつまが合わない気がする」

 そうなのだ。最初はこの1つ目の説ではないかと考えていたのだが、よくよく考えてみるとあらが目立つ。

「それは僕も思った。だから、2つ目の説が有力だと思ってる」
「……今回の事件は全てツカサ君が起こしたもので、獅子旗は絡んでいないって説ね」

 茜に綺麗に言い当てられてしまい、思わずつんのめりかける。彼女の顔を見たが、特別得意げな表情はしていない。

 したり顔でさぁ話そうと思ったのに、出鼻をくじかれるとはこのことだ。何より、言い当てた茜がすましているのがますますいたたまれない。ドヤ顔で若干にやけていた僕のこの気持ちを一体どうしてくれるんだ。

 しかしそんな様子はおくびにも出さず、まるで予想していたかのように言葉をついだ。

「あ……ああ。そもそも今回の事件が獅子旗の仕業だと思ったのだって、"サンプル"が殺されたからっていう理由だけだ。獅子旗以外に"サンプル"殺しを行う者がいる可能性だって、ゼロとは言えないと思うんだ」

 豪は未だに現実と向き合えていないようだったが、あのツカサの様子を見る限り正気を保てているとは思えない。獅子旗に親しみを覚えているような口調からすると、少なからず関係はしているようだが……。

 豪の方を見やると、彼は一歩一歩ツカサへと近づいていくところだった。

「どうするつもり?」

 ツカサの問いかけに、豪は鼻を鳴らした。

「力業だ」
「豪ちゃん、僕に勝ったことないじゃん」
「だから、今日初めて勝つんだよ」
「手加減しないと、僕死んじゃうかもしれないよ? 本気出せるの?」
「安心しろ。PK禁止縛りでダメージは入らねぇ。逃げる間もなく身体の自由を奪ってやる」

 豪はいつの間にか手錠のようなアイテムを片手に携えている。拘束具のようだが、あんなアイテムがこの世界にあったとは知らなかった。

 それを見たツカサはふーんと独り言ちると、背後にいる僕たちを指さした。

「後ろの2人は? 可哀想に、退屈そうだよ」
「あいつらには手出しさせねぇ」
「せっかくついてきたんだから、同じ体験を共有すべきだよ。仲間外れはいつだって寂しい」
「べらべらしゃべってる暇あるなら、逃げる算段でもしとくんだな」

 豪の語調は強かったが、ツカサはさらりと言い返す。

「……逃げる? それはないな」

 彼は不敵な笑みを浮かべていた。もうあとほんの数歩で、豪の手が届くというのに。

 僕は周りを吹く風が、急に冷たくなったような錯覚を覚えた。ツカサはやはり、何か隠している。僕たちが予想もつかないなにかを。

 ツカサの口が、ゆっくりと動いた。

「いらっしゃい、豪ちゃんとそのお友達。これが君たちの――」


 最後に見る景色になる。


 突如として、耳慣れない警告音が耳の奥で鳴り響いた。
 直接頭に流れ込んでくる、不穏な音の連鎖。

 それがどうやらシステムアラートであることに気づき、僕は急いでメニューボードを開こうと空を叩く。

丈嗣たけつぐ君、どうなってるの?!」
「わ、分からない! TCK自体のバグかも」
「こんなタイミングで……あれ、おかしい」
「どうした?」
「メニューボードが開かない! それどころか、これ――」

 茜の言葉を待たず、僕の眼前に出現したメッセージを見て愕然がくぜんとした。

 決闘モードを開始?
 何言ってるんだ。そんな操作は何も――。

「ダメ……キャンセルがきかない! それどころか、ああっ」

 不可視の力が、僕のもつあらゆるアイテム、あらゆる資金をベットフィールドに突っ込んでいく。あっという間に手持ちの財産が全てベットフィールド上に並べられ、あとはもうOKボタンの押下を待つばかりになった。

 どうなってる。こんなこと、それこそゲームマスターにしかできなような領域のはずだ。
 ツカサ――彼がやったのか? しかしただの"サンプル"にこんな芸当ができるものなのか。

 そういえば、豪は。
 彼は大丈夫なのか。

「豪君!」

 彼は先ほどの位置から一歩たりとも動かず、その場に立ち尽くしていた。
 僕の呼びかけにも、電池切れのブリキ人形のようにピクリとも動かない。愕然としているのか、混乱して訳が分からなくなってしまっているのか、或いはその両方か。

 普段から冷静で、判断力のある豪がこれほど心を揺さぶられているという事実に、僕は彼の中に息づくツカサの大きさを垣間見た気がした。

「クソッ、茜ちゃん、僕らも豪君のもとへ行こう!」
「う、うん!」

 その時、背後に感じたその感覚を、何と言葉にすれば良いだろう。

 悪徳と、愉悦と、強欲と、狂気と。
 恍惚と、敵意と、邪悪と、快感と。

 それら全てを混ぜ合わせて、水に溶かして絵具にしたような。
 それを身体に塗りたくり、真っ白いカンバスの上で這いまわったような。

 振り返ると、そこにはそんな男が音もなく立っていた。先ほどまで見せていた愛嬌のある表情は一転し、あらゆる感情が混ざり合ったな顔が、そこにはあった。

 茜がつばを飲み込む音が、ここまで聞こえてくる。

「お前は一体――」

 僕の喉からしぼり出された潰れた声に、ツカサは歌うように返した。

「安心して良い。君たちも、私の中で永遠に生き続ける。この世界が、続く限り」

 OKボタンが押下される電子音が、小気味良く闘いの始まりを告げた。
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