「被験者」よ、異世界の糧となれ

Nakman

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第2章:城塞都市「ナラキア」編

第10話:邂逅

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 高木の友人――園子、といっただろうか――が殺害されたのは、街からは少し離れた場所だった。高木に教えてもらった座標を頼りに道を進むにつれ、周囲から建物の影は消えていき、かわりに幹のねじれた低木がぽつぽつと姿を現した。

 日も暮れかかり、辺りは日没特有の、だいだいと黒が混じりあった闇に覆われ始めている。

「何だか不気味だな」

 思わずそう漏らすと、横を歩く豪から嘲笑が返ってくる。

「お前、幽霊とか信じるタイプか」
「別に。ただ純粋な気持ちを口にしただけだ」
「またまた。強がってんのが丸わかりだぜ」
「そういう豪君こそ、内心びくびくしながら歩いてるんじゃないの?」

 後ろを歩くあかねの声には、まだ若干のけんが残っている。意外にも、彼女はあまり怯えた様子は見せていなかった。

「意外だな。お前が一番ビビッてると思ってたのに」
「私が怖いのは、実世界で自分で傷つける存在だけよ。幽霊やお化けなんてあやふやなものは信じてないの」

 彼女の口調は力強かったが、時折表情には不安げな陰がさっとよぎる。

 ゲームの中とはいえ、僕たちは仮にも殺害の現場に向かっているのだ。死体が残っているわけではないが、高木の話を聞いた後だと、言いようのない悪寒がぞくぞくと足元からせり上がってくる。その上もしかしたら、そこにはまだ犯人が居残っているかもしれない。

 高木のスナップショットを見せてもらったが、獅子旗ししはたは想像していた外見とは大きく異なっていた。

 ――どうにも、にわかには信じ難い。あんな人懐こそうな顔をしている裏側で、醜い殺人衝動が這い回っているとでも言うのか。

「ここだ」

 教えられた場所に到着すると、豪は何やらバックパックから無線機のようなものを取り出した。アンテナを伸ばすと、その先を地面に向けて歩き始める。

「何してるんだ?」
「見りゃ分かるだろ。痕跡を追ってるんだよ」
「そんなものがあるなら、それこそ"エムワン"捜索に使ってやれば良いじゃないか」
「やつにこんな玩具は通用しない。それに、痕跡なんてすぐ消えちまうんだ。もう1週間も経ってるから、多分ほとんど残ってないだろうな」

 豪は淡々としていたが、彼の言葉に僕は一気に不安になった。
 素直に受け取るなら、この無線機でやつを追うのは非常に難しいということになる。

「その機械が役に立たなかったら、どうやって獅子旗の後なんか追うんだよ」
「……分からん。また街に戻って、スナップショットをもとに聞き込みでもするしかないだろうな」
「そんな悠長な。僕らは一応、"エムワン"捜索の命を受けてるはずだろ? それにまだ、集合場所のナラキアにすら辿り着いてない。予定より早い進捗とはいえ、獅子旗ばかり追ってたんじゃ――」

 だが豪は最後まで言わせなかった。ぐるりと首をめぐらせると、不機嫌そうに僕を遮る。

「うるせぇ! んなことは分かってんだよ」
「しっ! あなたが黙って」

 突如割り込んできた茜の声に、豪も僕も黙り込む。彼女は指を唇に押し当てたまま、目をつむっていたが、やがて、

「ほら、聞こえない?」

 樹々のざわめきの中に埋もれて、かすかなノイズが流れている。途切れ途切れながらも、その微弱な音の揺れが、豪の持っていた無線機から流れてきていることは明白だった。

「これは……!」

 先ほどまでのどこかふざけた雰囲気は鳴りを潜めて、僕たち3人の顔に緊張が張りつめる。

「……こっちだ。行くぞ」

 豪が聞き耳を立てつつ、慎重に痕跡を追い始めた。なるべく音を立てぬよう、僕と茜もゆっくりと足を運ぶ。

 この痕跡を辿っていったからといって、必ずしも獅子旗のもとに辿り着くわけではない。
 いや、むしろその可能性は万に一つもないだろう。僕がTCKにやって来るずっと前から、獅子旗はこの世界で逃げおおせてきたのだ。そんな狡猾な相手が、みすみす痕跡を残していくはずがない。

 そこまで考えて、僕は喉に小骨が引っかかるような違和感を覚えた。

 何か前提を誤っている気がする。
 致命的に、大きな勘違いを……。

 だがその正体は、いくら自分の内側を探ってもついに見つけることはできなかった。

******

 痕跡がかなでる不協和音は、今や足音を殺さずともはっきりと検知できるまでになっていた。

 低木の林を抜け、今歩いているのは見通しの良い平原の上だ。魔物が出現するエリアでないことは確認済みだが、いつでも動きだせるように心の準備は整っている。

 日はすっかり暮れ、天上には現実と違わぬ星々が輝いている。それは炎のように力強くも、蛍のようにはかなくも見える。
 そしてそのような感想が胸の内に湧き起こってきたことに気づいた僕は、内心大いに戸惑っていた。

 こんな感情、現実世界にいた時には心に浮かんだことすらない。毎日家の中でモニターばかり見ていたせいか、久しぶりに仰ぎ見る星空はいやに鮮烈だ。

「どうしたの、丈嗣たけつぐ君」

 不意に耳元で声がしたものだから、文字通り飛び上がりそうになった。いつの間にか横に並んでいた茜の顔が、不思議そうに傾けられる。

「いきなりやめてよ、茜ちゃん」
「いきなりって、さっきから横にいたけど。気付かなかったの?」
「あ、いや……」
「空なんか見上げちゃって。意外にロマンチストね」
「そ、そんなんじゃ……!」

 しかし、茜に深い意図はないようだった。先ほどまでの僕同様空を見上げると、中天に散りばめられた星々に見入っている。

「不思議だよね」

 独り言だと思った僕は、彼女がちらりとこちらに視線をくれたのに気づき慌てて答える。

「な、何が?」
現実世界あっちにいた頃より、今の方が『生きてる』って感じがする……気持ち悪いよね。本当の私の身体は、今も白い部屋の中に横たえられてるままだって言うのに」
「……」
「私の現実世界あっちにいた時の話って、誰かから聞いてる?」

 何気ない口調だったが、僕は彼女の声がかすかに震えているのを感じ取った。気づかないふりをして、さらりと返事を返す。

「いや。そんな大事なこと、皆が勝手に話すはずないだろ」
「それもそうね……ま、家の中で引きこもってただけだし、中身のあるような話でもないんだけど。
 私、極端な上がり症だったの。TCKにきてから少しは落ち着いたんだけど、現実世界あっちにいた時は本当にひどくて。知らない人と話す時なんて、頭が真っ白になっちゃうの。当然、友達もできなかった」
「でも、今こうして話せてるじゃんか。ピンチの時だって、何度も茜に助けてもらってるし」
「そう。私は変われたのかもしれない。
 ……最近、時々考えるの。この変化は、私自身の変化なのか、それともTCKが与えた見せかけの変化なのか、って」

 茜の横顔が、闇夜よりも濃いうれいに陰った。その輪郭が闇と溶け合うような錯覚に襲われて、僕は何度もまばたきをした。

「分からないの。この世界から脱して元の世界に戻りたいのか、永遠にこうして旅を続けていたいのか。元の世界に戻ったら、私の変わった部分はなくなっちゃって、元の私に戻っちゃうのかな。もし、そうなんだとしたら……」
「僕も、同じだよ」
「え?」
「僕だって、同じ気持ちだ。さっき星を見てて、『綺麗だ』って思った。現実世界あっちにいた頃は、そんなこと思いもしなかったのに」

 口にしてみると、自分の中でわだかまっていたおりがどんどん流れ出ていく気がした。

 思い切り息を吸うと、かすかな草いきれの香りが鼻をつく。

「答えはまだ出てないけど……この世界を脱するまでには、心の整理をつけとかなくちゃね」

 茜の横顔が、再び輪郭を取り戻していく。彼女はこちらを向くと、穏やかな微笑みを浮かべた。

「意外に色々考えてるね、丈嗣君」
「……考えるさ。誰かと一緒にされちゃ困る」

 その時、何か硬いものが地面に落ちる音がした。
 反射的に前を見やると、あの痕跡探知機が地面に転がっているのが目に入った。いつの間にか、流れだすノイズは鼓膜を震わすほどの音量になっている。気づかないほどに話に夢中になってしまっていたようだ。

 初めは、豪がその大音量に驚いて取り落としただけなのかと思った。

「だ、大丈夫か」

 彼を無視して話し込んでしまった気負いもあり、恐る恐る尋ねてみる。

 しかし、豪はぴくりとも動かない。仁王立ちしたまま、正面をにらみすえている。
 その背中から、尋常ならざる感情がほとばしるのを僕は見た。

 様子がおかしい。

 彼の視線の先に、外套がいとうをまとった人影があった。
 宵闇に包まれ、姿形ははっきりしない。

 だが、僕は瞬時に悟った。
 ――やつだ。

「丈嗣君、あれは」
「ああ、間違いない」

 茜の声音から、隠しきれない怯えが感じ取れる。僕にしても、平常心を保てているとは言い難い。

 そして不意に、先ほどまで感じていた違和感の正体にいきついた。
 真綿で首を絞められるような、空気が喉に張りついてくるような息苦しさが、僕の頭を恐怖で浸していく。

 そう……獅子旗は

 そもそも、高木を見逃している時点でおかしいのだ。その場で殺してしまえば、手がかりは残らない。そんなミスを犯すような輩であれば、何年も前に尻尾を掴まれているはずだ。

 逆だ。
 僕たちは、
 まんまとやつの術中にまったのだ。

 冷静に考えれば、おかしなことだらけだった。目の前の手がかりに夢中になり、気づくことができなかった。
 都合の良い目撃者に都合の良い痕跡。

 そして、その先に待ち受けるは――。

 豪の口から、ぎりりという歯を食いしばる音が聞こえた。

 遂に邂逅かいこうしたのだ。親友の仇である男に。その胸に今、何を想っているんだ、豪――。

 しかし次の瞬間、彼の口から飛び出した名前に、僕と茜は呆然とするしかなかった。

「何やってんだよ……ツカサァ!!!」
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