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町のお医者さん
町のお医者さん2
しおりを挟む隣町まで歩いて十五分。
そう遠くない場所にその診療所はあった。
シェルアさんは慣れた様子で裏口の扉を開けて、中へ入るよう手招きした。
「い、いいんですか? こんなとこから入って……」
「許可は貰ってるから大丈夫。さ、行こう」
言われるままにシェルアさんの後ろについて行って二階へ上がると、五十代くらいの男の人がコーヒーを飲んでいた。
青色と茶色のオッドアイの強い眼差しが僕を射抜く。
「おはようございます」
「おう来たか」
渋い声だった。
男の人はマグカップをテーブルの上に置くと、おもむろにシェルアさんの顔を掴んだ。
——え?
「いたたたた」
「嘘つけ」
「定期検診忘れてたのはごめんなさい」
「言っとくが今回で二度目だからな。次忘れたら半年入院させるぞ」
男の人はシェルアさんの顔を掴んだまま怖い事を言った。
どうしようと慌てていると、男の人と目が合う。
緊張で息を呑むと、男の人はすぐにシェルアさんを掴んでいた手を離した。
「ああ悪ィな、変な所見せちまって」
「っい、いえ……大丈夫、です……」
男の人はさっきとは打って変わって、落ち着いた様子で僕に謝った。
シェルアさんは掴まれたであろう頬をさすっている。
赤みを帯びたシェルアさんの頬は僕には痛そうに見えたけど、シェルアさんは平気そうな顔をしていた。
「俺はレネー・マティアーシュ。医者をやってる」
——この人がシェルアさんの主治医か。
医者とは思えない行動をしていたけど、シェルアさんのあの感じだと普段から二人は気安い関係なのだろう。
僕はレネーさんに向き直ると、まっすぐ目を見た。
「僕はサンです。シェルアさんの所でお世話になってます」
「話はシェルアから聞いてる。早速診察するぞ」
レネーさんは後ろにある扉を開けた。
中に入ると、精密機器と思われる機械が周りにたくさん置いてあった。
「座れ」
「っはい」
僕は目の前の丸椅子に急いで座った。
レネーさんは僕の眼帯をずらして、空っぽの右目を見ている。
次にレネーさんは僕の左目を見て、口の中を見て、首を触った。
「今痛い所は」
「特にはないです」
「深呼吸してみろ」
胸に聴診器が当てられて、触れたそこがヒヤッとした。この感覚は苦手だ。
レネーさんに言われた通り深呼吸を何度か繰り返すと、当てられた聴診器は場所を変えて離れていった。
「こっちは問題ねェな」
「そ、ですか。良かったです」
「次は頭だな」
何やらVRゲームが出来そうなかっこいい装置を渡された。被ってみるとまあまあ重い。
レネーさんは何を言う訳でもなく、パソコンの画面を見つめている。
カチカチというマウスのクリック音と機械の作動音が部屋に響いた。
「もう外していいぞ」
「あ、はい」
僕はゆっくりと装置を外して、レネーさんに手渡した。
レネーさんは片手でそれを受け取ると、机の上に静かに置いた。
マウスのクリック音はまだ続いている。
「あの……」
「ん? あぁ、異常はねェよ。至って健康体だ」
「そ、そうなんですか?」
「記憶喪失は病気や事故で脳に損傷を受けるか、トラウマやストレスによって引き起こされる。お前の場合は恐らく後者だろう。最近で恐怖を感じた事は?」
「えっと……眼球愛好? でしたっけ? その人に目を取られそうになって……」
「なるほどな」
音が止まった。
今度はカルテに何か書いているみたいだったけど、字が崩れすぎて読めない。
レネーさんはギ、と椅子を軋ませながら僕に向き直ると、自分の右目を指差した。
「お前、その右目は怪我して取ったのか?」
「いえ……多分、病気だと思います。覚えてないので自信はないんですけど……」
「……そうか。にしちゃあ随分綺麗な状態だ」
僕はレネーさんの言っている事がよくわからなくて首を傾げた。
レネーさんはもう一度僕の瞼を引き上げると、右目を覗き込む。
「……義眼入れるか?」
「えっ」
「このままの状態だと瞼の癒着や空洞の萎縮でいずれは塞がる。以前は見えない義眼だの使っていたが、今は技術の進歩で見える義眼もある。まあ神経を繋がなきゃならねェから医者の腕にもよるが」
「えーっと……」
「どうすんだ? 金の心配ならいらねェぞ」
答えはすぐに出なかった。だって元々ない物だと思っていたし、ない事に対する違和感もなかったのだ。
きっと優しいシェルアさんは僕が望んだら、必要な出費としてお金を出してくれるのだろう。
でも僕はなんとなく、このままの状態の方がいいような気がした。
それが何故かはわからない。だけど今義眼を入れるのは、なんだか違うように思った。
「……今はその……ちょっと、保留でお願いします」
「そうか。理由はあんのか?」
「な、なんとなく今じゃ駄目だと思って」
「なんとなく、ねえ」
「……駄目、ですか?」
「いいや、駄目じゃねェよ。傷跡を消さずに残したいと思う人間も中にはいるからな」
僕はそっと胸を撫で下ろした。
レネーさんは瞼を引き上げていた手を離すと、カルテの続きを書き始めた。
「色の方は先天的なモンか?」
「た、ぶん……? よく覚えてないです」
「視力は?」
「悪くはなかったと思います」
僕がそう答えると、レネーさんは何か考えるように顎に手を当てて、机の引き出しから小さなケースに入ったパネルを取り出した。
がちゃがちゃと雑にパネルが混ぜられる。
「おし。この色に近い順から並べてみろ」
「え、あ、はい……」
レネーさんが最初に置いたパネルの色は青だった。
青に近い色を選んで順番に並べていくと、最後の色は紫になった。これは合っているのだろうか。
レネーさんはパネルの全ての色を裏返して番号を確認すると、またケースを机の引き出しにしまった。
「問題ねェ。じゃあ次だ」
「はい」
「見える数字を言っていけ」
見せられたのはパソコンの画面だった。
色の中にある別の色の数字を言っていくのがこの検査の内容らしい。
見にくいといえば見にくいけど、わからなくはなかった。
僕はレネーさんが指差したその数字を順番に答えていった。
「……」
「ど、どうですか?」
「問題ねェな。むしろなさすぎて感心してるくらいだ」
「?」
「目の色での赤は珍しい部類に入るからな。虹彩に色素がないと、光の反射で目が赤く見えるようになっている。これがどういう事かわかるか?」
「いえ……」
「ああ……いや、俺が悪かった。ついシェルアに話すように言っちまった。簡単に言うとだな、視力が弱かったり、光を眩しく感じやすかったりするんだよ。まあお前には当てはまらねェようだが」
——目が赤いとそういう事もあるのか。
鏡を見てもいちいち目の赤さに注目なんてしていなかったから、僕は大変だなと他人事のように思った。
レネーさんはカルテを書いて閉じると、机の上に置いて僕に向き直った。
「とにかくしばらくは要観察だな。何か気になる事があればいつでも言ってこい。診察は以上だ」
「あっはい! ありがとうございました」
椅子から立ち上がって御礼を言うと、レネーさんは短く返事をして立ち上がった。
そしてレネーさんはツカツカと早足で歩くと、扉を開けて僕に診察室を出るよう促した。
僕は慌てて小走りで診察室を出る。
部屋の端っこに大福とよもぎちゃんが座っているのが見えた。
「おい終わったぞ」
「ありがとうレネーさん」
「結果は異常なしの要観察だ。——で、」
「「?」」
「次はお前だシェルア。定期検診忘れたんだ。それなりの覚悟は出来てんだろうな?」
「……」
凄みのある声に僕は思わず肩が震えた。
恐る恐るシェルアさんを見てみると、シェルアさんは気まずそうにレネーさんから目を逸らしていた。
「入院はやだ」
「それは医者の俺が決める事だ」
レネーさんは逃がさないとばかりにシェルアさんの腕を掴んで診察室に連れて行った。
やだとか無理とかシェルアさんの声が途切れ途切れに聞こえてくる。
心配になったけど、扉の外から声をかける勇気もない僕は、大福とよもぎちゃんと一緒に二人が診察室から出てくるのを待った。
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