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第八話 はじめての親戚 ①
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「あーあ、雨ばっかりだねぇ。尻尾が湿気っちゃうよ」
ユズが窓の外を眺めながら、ため息まじりで言った。
「雨も降らねば困る。お山の草木は大喜びだ」
「お山で仔うさぎの穴を見つけたの。こーんな小さくてふわふわなんだよ! アズと見に行く約束してるのに……」
秋にはうさぎを獲物として追い回していたユズだが、それはそれ、コレはコレなのだ。
「そのうさぎも、好物の草が伸びて大喜びだろう?」
「そっか! じゃあ、あたしも大喜びだ!」
ユズが嬉しそうに、うさぎの真似をして土間を跳ねる。それを見て婆さまの眉がぴくりと動いたのは、味噌を塗ってカリッと焼いたうさぎの串焼きの味を思い出したからなのだが、わざわざ口に出して言うことでもないと膝の書物に視線を戻した。
「雲の厚さから見て、明日の朝には晴れる。そしたら暑くなるぞ」
「梅雨が明けるかな?」
ぱぁっと明かりの灯ったような顔でユズが言う。
「うんにゃ。まーだ二、三度は降るな。ユズは夏は苦手ではないのか? 去年は目を回しておっただろうに」
夏を待ちわびるような様子のユズに、婆さまが言った。
「今年は大丈夫! 去年は欲張り過ぎちゃったの。楽しいことがたくさんで、目が回ったんだよ!」
炎の一族は暑さにも寒さにも強い。強いて言うならば、身体に染み込むような湿気を嫌う。それでいて水に入るのは平気なのだから不思議なものだ。
だからユズが長雨にうんざりするのは、火の一族としては至極真っ当な成長を遂げている証拠だ。
婆さまはそれを知っていてユズのボヤきにつき合って、合いの手を入れるようなやり取りを繰り返す。
口数が少なく愛想のない炎婆が、たった一年でずいぶん変わったものだ。
妖魔の成長は、だいたい十五歳くらいまでは人間とほぼ同じだ。そこから徐々に緩やかになって、二十三、四で成熟する。あとは種族ごとに異なるのだが、炎の一族は妖魔屈指の長生きで、婆さまの年齢とユズの父さまの年齢が離れているように見えるのはそのためだ。実は父さまはそれなりに齢を経た妖魔だったのだ。
「ああ、ユズ。梅雨が明けたら今年は、炎の一族の集まりがあるぞ。ホズミの父親や兄姉もこの里にやって来る」
「ええっっ! 爺さま、生きてるの⁉︎ 父さまには、兄さまや姉さまがいるの⁉︎」
「ホズミの父親は他の里で里長をしておる。兄や姉は他の里にいる者や、年中旅をしている者もいるな。四年にいっぺん、集まるのが習わしだ」
「父さま、末っ子だったんだ⁉︎」
一家の大黒柱で、ユズと母さまを細っこい身体で軽々と抱き上げていた父さまが末っ子だなんて。ユズは末っ子は甘えん坊だと決めつけていた。
「父さまが誰かに甘えてるところなんて、想像も出来ないよ!」
父さまは穏やかな人だったけれど、花火職人仲間の間では、なぜか侮られることはなかった。父さまはそれを、職人としての腕のせいだと説明していたが、それだけではないことをユズは知っていた。
子供の父さまも想像出来ないけど、それ以上に想像もつかないのは、母親としての婆さまだったりする。あんなにも不器用で、いったいどうやって何人もの子供を育てたのだろう?
「父さまの兄姉は何人いるの?」
「兄が一人、姉が二人だな」
ユズはひとりっ子なので、兄弟姉妹には憧れがある。それはもはや叶わない憧れだが、父さまに兄姉がいるなら従兄弟・従姉妹がいるかも知れない。
「ユズのいとこはいるの?」
「ああ、小さいのも大きいのもいる」
「すごい……!」
ユズは両親を流行り病で亡くした時、寒い廊下にぽつんとひとりで立ち尽くしているような気持ちになった。もちろん一番辛かったのは二人に二度と会えなくなることだ。でもそれとは別に、身の置き所が見つからなくて困り果ててしまったのだ。
そんな時に現れたのが婆さまだ。
「お主がユズか。わしはホズミの母親だ。人間ではないが、一緒に来るか?」
ゆらゆらと揺れる背中の尻尾からは、父さまと同じ匂いがした。ユズは頭で考える前に『はい』と返事をしていた。
あれから一年。妖魔の里の婆さまの家が、すっかりユズの居場所となった。それは疑いようのない実感だ。何しろユズの帰巣本能は、迷うことなくこの場所を起点にしている。ユズと婆さまは、家族になったのだ。
「父さまの兄さまと姉さまかぁ! すごく楽しみだね!」
ユズの言葉に婆さまが渋い顔をした。眉の間の皺が一本増えているし、頬がぴくりと動いた。婆さまの表情筋の変化は、間違い探しをしているようで面白いとユズは思っている。
「婆さまは嬉しくないの? おもてなしなら、ユズも手伝うよ」
「いや……うん。ああ、そうだな」
すこぶる歯切れが悪い。
その原因がわかるのは、炎の一族が里を訪れてすぐ。梅雨が明けた三日後のことだ。
ユズが窓の外を眺めながら、ため息まじりで言った。
「雨も降らねば困る。お山の草木は大喜びだ」
「お山で仔うさぎの穴を見つけたの。こーんな小さくてふわふわなんだよ! アズと見に行く約束してるのに……」
秋にはうさぎを獲物として追い回していたユズだが、それはそれ、コレはコレなのだ。
「そのうさぎも、好物の草が伸びて大喜びだろう?」
「そっか! じゃあ、あたしも大喜びだ!」
ユズが嬉しそうに、うさぎの真似をして土間を跳ねる。それを見て婆さまの眉がぴくりと動いたのは、味噌を塗ってカリッと焼いたうさぎの串焼きの味を思い出したからなのだが、わざわざ口に出して言うことでもないと膝の書物に視線を戻した。
「雲の厚さから見て、明日の朝には晴れる。そしたら暑くなるぞ」
「梅雨が明けるかな?」
ぱぁっと明かりの灯ったような顔でユズが言う。
「うんにゃ。まーだ二、三度は降るな。ユズは夏は苦手ではないのか? 去年は目を回しておっただろうに」
夏を待ちわびるような様子のユズに、婆さまが言った。
「今年は大丈夫! 去年は欲張り過ぎちゃったの。楽しいことがたくさんで、目が回ったんだよ!」
炎の一族は暑さにも寒さにも強い。強いて言うならば、身体に染み込むような湿気を嫌う。それでいて水に入るのは平気なのだから不思議なものだ。
だからユズが長雨にうんざりするのは、火の一族としては至極真っ当な成長を遂げている証拠だ。
婆さまはそれを知っていてユズのボヤきにつき合って、合いの手を入れるようなやり取りを繰り返す。
口数が少なく愛想のない炎婆が、たった一年でずいぶん変わったものだ。
妖魔の成長は、だいたい十五歳くらいまでは人間とほぼ同じだ。そこから徐々に緩やかになって、二十三、四で成熟する。あとは種族ごとに異なるのだが、炎の一族は妖魔屈指の長生きで、婆さまの年齢とユズの父さまの年齢が離れているように見えるのはそのためだ。実は父さまはそれなりに齢を経た妖魔だったのだ。
「ああ、ユズ。梅雨が明けたら今年は、炎の一族の集まりがあるぞ。ホズミの父親や兄姉もこの里にやって来る」
「ええっっ! 爺さま、生きてるの⁉︎ 父さまには、兄さまや姉さまがいるの⁉︎」
「ホズミの父親は他の里で里長をしておる。兄や姉は他の里にいる者や、年中旅をしている者もいるな。四年にいっぺん、集まるのが習わしだ」
「父さま、末っ子だったんだ⁉︎」
一家の大黒柱で、ユズと母さまを細っこい身体で軽々と抱き上げていた父さまが末っ子だなんて。ユズは末っ子は甘えん坊だと決めつけていた。
「父さまが誰かに甘えてるところなんて、想像も出来ないよ!」
父さまは穏やかな人だったけれど、花火職人仲間の間では、なぜか侮られることはなかった。父さまはそれを、職人としての腕のせいだと説明していたが、それだけではないことをユズは知っていた。
子供の父さまも想像出来ないけど、それ以上に想像もつかないのは、母親としての婆さまだったりする。あんなにも不器用で、いったいどうやって何人もの子供を育てたのだろう?
「父さまの兄姉は何人いるの?」
「兄が一人、姉が二人だな」
ユズはひとりっ子なので、兄弟姉妹には憧れがある。それはもはや叶わない憧れだが、父さまに兄姉がいるなら従兄弟・従姉妹がいるかも知れない。
「ユズのいとこはいるの?」
「ああ、小さいのも大きいのもいる」
「すごい……!」
ユズは両親を流行り病で亡くした時、寒い廊下にぽつんとひとりで立ち尽くしているような気持ちになった。もちろん一番辛かったのは二人に二度と会えなくなることだ。でもそれとは別に、身の置き所が見つからなくて困り果ててしまったのだ。
そんな時に現れたのが婆さまだ。
「お主がユズか。わしはホズミの母親だ。人間ではないが、一緒に来るか?」
ゆらゆらと揺れる背中の尻尾からは、父さまと同じ匂いがした。ユズは頭で考える前に『はい』と返事をしていた。
あれから一年。妖魔の里の婆さまの家が、すっかりユズの居場所となった。それは疑いようのない実感だ。何しろユズの帰巣本能は、迷うことなくこの場所を起点にしている。ユズと婆さまは、家族になったのだ。
「父さまの兄さまと姉さまかぁ! すごく楽しみだね!」
ユズの言葉に婆さまが渋い顔をした。眉の間の皺が一本増えているし、頬がぴくりと動いた。婆さまの表情筋の変化は、間違い探しをしているようで面白いとユズは思っている。
「婆さまは嬉しくないの? おもてなしなら、ユズも手伝うよ」
「いや……うん。ああ、そうだな」
すこぶる歯切れが悪い。
その原因がわかるのは、炎の一族が里を訪れてすぐ。梅雨が明けた三日後のことだ。
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