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第二話 はじめての晩ごはん
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ユズが婆さまに連れられて、はじめて妖魔の隠れ里に足を踏み入れたのは、梅雨の長雨がようやく上がった夕暮れ刻のことだった。
ちょうど晩ごはんの煮炊きの時間で、あちこちの家の窓から煙が立ち上り、鍋の煮える音がぐつぐつと聞こえた。
その音を聞き、味噌の焼ける良い匂いを嗅ぐと、ユズは足元からスースーと力が抜けていくのを感じた。
家族の生活を色濃く垂れ流すような里の様子が、両親との暮らしを思い出させたからなのだが、幼いユズにはそれをはっきりとした形で認識することができなかった。
ただ、それは空腹ととてもよく似たものだったので、ユズのおなかはキュルキュルと盛大な音を立てた。
「腹が減ったか?」
婆さまが振り返らずに聞いた。
ユズは少し恥ずかしい気持ちになり、おなかを押さえて小さく『はい』と返事をした。返事をしてから、妖魔である婆さまの食事内容に、そこはかとない不安を覚えた。
尻尾を切って人間になった父さまは、ユズや母さまと同じものを食べていた。茄子の漬け物と煮魚が好物で、けれどみょうがや蕗の薹など、香りの強いものは苦手だった。
それが父さまの好みなのか、元妖魔だからなのかを、ユズは知らずにいた。ましてや、婆さまをはじめとした妖魔の食卓など想像もつかない。
ユズは急いでキョロキョロとあたりを見回した。お膳に縊りたての小動物がのって出てきたら、いくら自分が半妖だと自覚のあるユズでも、泣きたくなってしまうかも知れない。
『大丈夫! 煮物の匂いがするし、煙も出てる! きっと生じゃない!』
そう言い聞かせても、今度は材料が気になってしまう。
『に、人間を食べる妖魔もいるのかな?』
婆さまが自分を食べるために連れて来たとは思わないが、もしかしてユズを見て食欲を感じる妖魔がいるかも知れない。
ユズは婆さまの背中に隠れるようにして、夕闇に沈みつつある、人気のない隠れ里を歩いた。
「妖魔が怖いか?」
婆さまが感情の読み取れない声で言った。
「わからない。怖いと思うほど、あたしは妖魔のことを知りません」
ユズは勇気を出して正直に言ってみた。『婆さまのことは怖くないよ!』。明るく無邪気を装って言うのは簡単だ。だがユズは、婆さまを相手に『上手く立ち回る』ことをしたくなかったのだ。
ユズはもの心つく頃から、自分が半妖であることを知っていた。そのため、人の視線や声の調子に敏感な子供に育った。何をせずとも受け入れられる『普通』とやらが、自分とは縁遠いものだと、ユズはよく知っていた。
「食べられないものはあるか?」
婆さまはユズの言葉については何も言わずに、また次の質問を投げて来た。
「焼き魚のニガイところと……」
ほとんど反射的に応えて、そのあと言い淀んだ。人間の食べ物しか食べたことがないことを言うべきか、でもそれは婆さまや妖魔たちに失礼なのではないだろうか?
色々なことをぐるぐると考えるうちに足が遅くなり、婆さまとの距離が開いた。
ユズはトテトテと小走りになる。その足音を聞いても振り向いてくれない婆さまの背中には、大きなふさふさの尻尾が何本も揺れていた。
(いち、にい、さん……)
全部で九本。
獣の妖魔にとって、尻尾の数はその者の力の大きさを現している。それは妖魔のことをあまり知らないユズでも知っている有名な逸話だ。
『婆さまはすごい妖魔なんだ!』
自分にも四半分だけ流れる大妖魔の血を、誇らしく思う。けれど同時に、そんな優れた婆さまの息子である父さまの尻尾が、たった一本だったことが気にかかる。
もちろんユズは尻尾が何本だろうと、父さまが大好きな気持ちは少しも揺るがない。
だが、きっと。
父さまが尻尾を切ってこの妖魔の里を降りたのは、ユズが思いもよらないような、大きな事情があったに違いない。
「魚の肝と、あとは何だ?」
婆さまが、ユズが言いかけてそのまま黙り込んだ続きを促しながら振り向いた。考えごとをしていると周りが見えなくなる。ユズのそういうところは父さまにそっくりだと、よく母さまが笑いながら言っていた。
「おなかすいたから、なんでも食べます!」
勢い良く顔を上げて言った。そして、覚悟を決めた。
(婆さまと同じものを食べよう。例え生でも、あたしの中の妖魔の血がきっと何とかしてくれる!)
同じものを食べて、『おやすみ』と『おはよう』を繰り返す。そうすれば、きっと婆さまのことも妖魔のこともわかってくるはずだ。
ユズは婆さまに駆け寄りじっと顔を見つめた。婆さまの顔はシワだらけだったけれど、額や顎に父さまの面影がある。
それは同時にユズにも似ているということだ。ユズは『もしかしてあたしは母さまではなく、父さまから産まれたんじゃないだろうか?』と思うくらい、父さまにばかり似ていた。
「今日の晩めしは山鳥と青菜の雑炊だ」
意外と普通だった。
ユズは肩透かしを食らった気持ちになり、はくはくと口を開け、こくこくとうなずいた。
「言っておくが、婆は煮炊きが苦手だぞ。魚は焦がすし、団子も作れん。ぬか漬けも上手くできた試しがない」
婆さまは、バツが悪そうにそっぽを向いた。そんな様子は、なぜか料理に失敗した時の母さまに似ていると思った。
(婆さまと父さまの間に、何があったかわからないけれど……)
父さまは婆さまが好きだった。ユズはそう確信した。
「あたし、たくさん、手伝いします」
ユズの顔にようやく笑顔が乗った。口のはしっこがくすぐったい気がして、ユズは自分がもうずいぶんと長いこと笑っていなかったことに気がついた。
ユズと婆さまは、これからきっと少しずつ……。
家族になる。
ちょうど晩ごはんの煮炊きの時間で、あちこちの家の窓から煙が立ち上り、鍋の煮える音がぐつぐつと聞こえた。
その音を聞き、味噌の焼ける良い匂いを嗅ぐと、ユズは足元からスースーと力が抜けていくのを感じた。
家族の生活を色濃く垂れ流すような里の様子が、両親との暮らしを思い出させたからなのだが、幼いユズにはそれをはっきりとした形で認識することができなかった。
ただ、それは空腹ととてもよく似たものだったので、ユズのおなかはキュルキュルと盛大な音を立てた。
「腹が減ったか?」
婆さまが振り返らずに聞いた。
ユズは少し恥ずかしい気持ちになり、おなかを押さえて小さく『はい』と返事をした。返事をしてから、妖魔である婆さまの食事内容に、そこはかとない不安を覚えた。
尻尾を切って人間になった父さまは、ユズや母さまと同じものを食べていた。茄子の漬け物と煮魚が好物で、けれどみょうがや蕗の薹など、香りの強いものは苦手だった。
それが父さまの好みなのか、元妖魔だからなのかを、ユズは知らずにいた。ましてや、婆さまをはじめとした妖魔の食卓など想像もつかない。
ユズは急いでキョロキョロとあたりを見回した。お膳に縊りたての小動物がのって出てきたら、いくら自分が半妖だと自覚のあるユズでも、泣きたくなってしまうかも知れない。
『大丈夫! 煮物の匂いがするし、煙も出てる! きっと生じゃない!』
そう言い聞かせても、今度は材料が気になってしまう。
『に、人間を食べる妖魔もいるのかな?』
婆さまが自分を食べるために連れて来たとは思わないが、もしかしてユズを見て食欲を感じる妖魔がいるかも知れない。
ユズは婆さまの背中に隠れるようにして、夕闇に沈みつつある、人気のない隠れ里を歩いた。
「妖魔が怖いか?」
婆さまが感情の読み取れない声で言った。
「わからない。怖いと思うほど、あたしは妖魔のことを知りません」
ユズは勇気を出して正直に言ってみた。『婆さまのことは怖くないよ!』。明るく無邪気を装って言うのは簡単だ。だがユズは、婆さまを相手に『上手く立ち回る』ことをしたくなかったのだ。
ユズはもの心つく頃から、自分が半妖であることを知っていた。そのため、人の視線や声の調子に敏感な子供に育った。何をせずとも受け入れられる『普通』とやらが、自分とは縁遠いものだと、ユズはよく知っていた。
「食べられないものはあるか?」
婆さまはユズの言葉については何も言わずに、また次の質問を投げて来た。
「焼き魚のニガイところと……」
ほとんど反射的に応えて、そのあと言い淀んだ。人間の食べ物しか食べたことがないことを言うべきか、でもそれは婆さまや妖魔たちに失礼なのではないだろうか?
色々なことをぐるぐると考えるうちに足が遅くなり、婆さまとの距離が開いた。
ユズはトテトテと小走りになる。その足音を聞いても振り向いてくれない婆さまの背中には、大きなふさふさの尻尾が何本も揺れていた。
(いち、にい、さん……)
全部で九本。
獣の妖魔にとって、尻尾の数はその者の力の大きさを現している。それは妖魔のことをあまり知らないユズでも知っている有名な逸話だ。
『婆さまはすごい妖魔なんだ!』
自分にも四半分だけ流れる大妖魔の血を、誇らしく思う。けれど同時に、そんな優れた婆さまの息子である父さまの尻尾が、たった一本だったことが気にかかる。
もちろんユズは尻尾が何本だろうと、父さまが大好きな気持ちは少しも揺るがない。
だが、きっと。
父さまが尻尾を切ってこの妖魔の里を降りたのは、ユズが思いもよらないような、大きな事情があったに違いない。
「魚の肝と、あとは何だ?」
婆さまが、ユズが言いかけてそのまま黙り込んだ続きを促しながら振り向いた。考えごとをしていると周りが見えなくなる。ユズのそういうところは父さまにそっくりだと、よく母さまが笑いながら言っていた。
「おなかすいたから、なんでも食べます!」
勢い良く顔を上げて言った。そして、覚悟を決めた。
(婆さまと同じものを食べよう。例え生でも、あたしの中の妖魔の血がきっと何とかしてくれる!)
同じものを食べて、『おやすみ』と『おはよう』を繰り返す。そうすれば、きっと婆さまのことも妖魔のこともわかってくるはずだ。
ユズは婆さまに駆け寄りじっと顔を見つめた。婆さまの顔はシワだらけだったけれど、額や顎に父さまの面影がある。
それは同時にユズにも似ているということだ。ユズは『もしかしてあたしは母さまではなく、父さまから産まれたんじゃないだろうか?』と思うくらい、父さまにばかり似ていた。
「今日の晩めしは山鳥と青菜の雑炊だ」
意外と普通だった。
ユズは肩透かしを食らった気持ちになり、はくはくと口を開け、こくこくとうなずいた。
「言っておくが、婆は煮炊きが苦手だぞ。魚は焦がすし、団子も作れん。ぬか漬けも上手くできた試しがない」
婆さまは、バツが悪そうにそっぽを向いた。そんな様子は、なぜか料理に失敗した時の母さまに似ていると思った。
(婆さまと父さまの間に、何があったかわからないけれど……)
父さまは婆さまが好きだった。ユズはそう確信した。
「あたし、たくさん、手伝いします」
ユズの顔にようやく笑顔が乗った。口のはしっこがくすぐったい気がして、ユズは自分がもうずいぶんと長いこと笑っていなかったことに気がついた。
ユズと婆さまは、これからきっと少しずつ……。
家族になる。
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