上 下
9 / 25

第九話 バタフライ効果を知らないわけじゃない

しおりを挟む
 姉貴が帰ったあと、俺はファミレスに残って一人で卒業文集を確認することにした。
 名簿の名前をクラスごとに丁寧に追ってゆく。蓮水達彦の名前を見つけたのは三冊目……梅田中学三年二組の名簿だった。卒業アルバムで顔を確認する。
 七年以上前の写真だがないよりはマシだろう。一応スマホのカメラで写真をアップで撮影しておく。

 写真の蓮水達彦は普通の中学生だった。野球部だったらしく中途半端に伸びた前髪を立ち上げて、精一杯大人ぶっている。

 じっと写真を眺めていたら、仄暗い想いがふつふつと湧いてきた。

(こいつのせいで美咲は……! 助けてやる必要なんかないんじゃないか? 酔っ払い運転なんて、死んだって自業自得だろう⁉︎)

 美咲を死なせ、一緒に歩いていていた早川亜紀に大怪我をさせて、罪を自覚することもなく逃げるように死んだ。そんなやつにヘラヘラと近寄って『今日は酒を呑むのは止めた方がいい』などと忠告するのは、どうにも滑稽こっけいに思えた。

 イラついて、肩掛けバッグから電子タバコを取り出す。完全に禁煙が出来なくて、三年前から電子に変えた。

 あ、でも二十年前だと、電子タバコってどうなんだろう? まだ流通していないのか?

 目立たないように喫煙席内を見回す。みんな普通の煙草を吸っている。電子タバコはらしい。


 頭の中が喫煙モードになってしまったので、ファミレスを出てコンビニへと向かう。その途中で朝から何も食べていなかったことを思い出し、段取りの悪さに舌打ちをする。
 仕方ないのでコンビニで煙草とライターの他にも、おにぎりと缶コーヒーを買ってブラブラと歩きはじめる。ビジネスホテルは連泊の手続きをして来たが、あの狭苦しい室内へ戻る気にはなれなかった。

 何も考えずに歩いていると、どうしても足は実家の方角へと向いてしまう。昨日と同じ道を辿り、河川敷へと向かう。そして途中で後悔する。
 俺が過ごしていた時間軸では、八月は終わり九月に入っていた。ところがでは、今日の日付は八月四日。夏真っ盛りだ。太陽が真上に差し掛かったこの時間に、外でのランチは無謀だった。

 引き返す気にもならなくて、俺はそのまま足を進めた。河川敷に上がるのはやめて、橋を渡る。この橋を渡り終わったところで、美咲は事故に遭った。

 橋の真ん中まで来ると、川の上を吹く風が強くなる。俺は橋の欄干に両肘をついて、煙草に火を点けた。

 久しぶりに本物の煙を、ゆっくりと肺に入れながら卒業写真の蓮水の顔を思い浮かべる。今は二十二、三歳になっているはずだ。酒を飲んで酔っ払い、中型バイクで美咲を跳ね飛ばし、自分も吹っ飛んで死んだ。

 いや……それは俺の時間軸での話だ。ここでは、まだ何もしていない。酔っ払い運転をしなければ……事故を起こさなければ、けっこう平和に普通の人生を過ごすのかも知れない。
 無関係の女子高生を二人も巻き添えにして死んだのだ。家族は俺以上に苦しんだに違いない。

(つい魔が差したとか、どうしてもの理由があったのかも知れないしな……)

 それに、ここで蓮水を見殺しにして恨みを晴らすのは、あまりにも自分勝手な押し付けだ。

 この時間軸で未来を知る俺の動きは、おそらく多くのものに影響する。自分の願う通りの未来を作ることは、生身の人間には荷が重い。

 俺は本来、ここにはいないはずの人間だ。影響は最小限に留めたい。バタフライ効果とか、考えると怖くなるな。



 見飽きた景色を眺める。

(ほんっと、この辺は変わんねーな……)

 土手の上の自転車道、その内側の寂れた公園と野球場。川沿いに広がるススキ野原と石だらけの川原。この先二十年後もこのままだ。

(本当にそうなのか?)

 克哉や姉貴と話すたびに、頭に浮かんだことがある。

 この景色は二十年前の俺の知るものだが、二十年後に俺の知る景色と丸っ切り同じになるとは限らない。

 この時間軸の克哉や美咲や姉貴は、すでに俺の知らない未来へと向かっているんじゃないかと思う。

 八月六日に美咲が死なない未来を作れるとしたら、その後の美咲は『俺の知らない美咲』だ。
 克哉は高校生の頃の俺だが、二十年後にはおそらく『俺とは違う克哉』になる。

 つまりこの時間軸で美咲が死なずに済んで、俺が元の時間に戻れたとしても……。

 そこで生き返った美咲に会えるわけじゃない。

 なぜなら、俺は美咲が死んだあとの時間が『今の俺』を形作っているから。

 それでも俺は、必死になって美咲の事故を回避する方法を探している。手を差し出せば死なずに済みそうな人間がいたとしたら、普通の倫理観を持った人間ならば、当然手を伸ばすだろう。それが見知った人間ならば尚更だ。ましてや、美咲は俺の初めての恋人なのだ。

 だが……それだけじゃない。


『くだらない喧嘩なんかしなければ良かった』
『すぐに謝って仲直りすれば良かった』
『何で簡単に別れの言葉を口にしてしまったのか』
『俺が一緒に祭りに行けば、守ってあげられたかも知れない』
『もっと優しくすれば良かった』
『大好きだと、なぜ伝えられなかったのか』

 俺は自分部屋の壁に頭をぶつけながら、何度も何度も後悔した。何もかもが取り返しのつかない、『もう遅い』ことだった。


 目の前にあるのは『今ならまだ間に合う』という、あの頃の俺がどう足掻いても手に入れられなかったアドバンテージだ。

 美咲が死なずに祭りの初日を乗り越えれば……。あとのことは、本当に美咲と克哉だけの問題になる。

 あの焼けつくようなにがい後悔を、克哉に味わせずに済むと同時に、俺の舌に残る苦味もやわらぐような気がした。


「おい、何やってんだよ」

 後ろから唐突に声を掛けられた。

 振り向かなくてもわかる。俺に声をかけるような人間は、この時間軸に三人しかいない。

「飛び降りる直前の人みたいだぞ」

 自転車に乗った克哉が、顎まで垂れた汗を手の甲で拭いながら言った。髪の毛の蒸れた臭いが鼻をくすぐる。

 うわ、すげぇ懐かしいな。夏の部室の臭い。姉貴や母さんに『チャー介よりケモノ臭い』とか言われていた。思春期特有の汗の臭いだ。うん、クッセェ!

「部活、終わったのか? 美咲は?」

「うん、バイト。ちゃんと送り届けた。六時に迎えに行く」



 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

僕の世界が色で満ちる時

金木 あみす
恋愛
交通事故の後遺症で、色別が出来なくなった翔。 翔の世界は黒色で染まっていた。 事故後、人と話すことを極力避けていたが高校での文化祭をきっかけに、綺羅という不思議な女の子と出会う。 綺羅によって翔の運命は大きく動く…!?

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)

幻田恋人
恋愛
 夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。  でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。  親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。  童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。  許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…  僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…

処理中です...