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それはある朝突然に
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ぼくの名前は篠村セイ、小学校五年生。お父さんは公務員、お母さんは雑貨屋さん。ぼくの家はごく普通の一般家庭だと思っていた。
ところがある朝、ごく普通でも、一般的でもないことが判明してしまった。
「セイ、お父さん出掛けるから、起きてお見送りしなさい」
その朝は、お母さんのそんな言葉からはじまった。
「えー、まだ眠いよぉ。なんで見送り? お父さん、どこ行くの?」
寝ぼけまなこで起きて来たぼくをよそに、お母さんは押し入れから風呂敷包みを取り出してお父さんに渡す。お父さんが黙って頷いて、神妙な顔で包みを開いてゆく。
ぼくはあくびをしながら、お父さんの背中越しに中身を覗き込んだ。
年季の入った重そうなマント、傷だらけの鞘に入った細身の剣。
あれ?……何だか本物っぽい?
お父さんが立ち上がってマントをバサリと羽織ると、小さなつむじ風が巻き起こった。
コタツの上に置いてあった学校のプリントが舞い上がって、食器棚がカタカタと揺れる。
お父さんのメガネがキラキラ光りながら、顔の下半分を覆う兜に変わってゆく。マントの下のスーツが金属の鎧に変わってカシャンと鳴る。
ぼくが父の日にプレゼントしたネクタイは、青い宝石の付いた額当てに変わった。元ネクタイの額当てが頭にジャキンと収まると、お父さんの呑気そうな目が、引き絞るように鋭くなった。
スーパーの二階で買ったネクタイ……元に戻るのかな。せっかくおこづかい貯めて買ったのに。
気にするの、そこじゃないだろうって?
たぶんそれはね、ぼくの心の危機管理が、現実感を求めて確かな記憶に縋ろうとしているんだよ。いわゆる、現実逃避ってやつ?
目の前には、テレビのヒーローの変身シーンみたいな光景。ぼくのうちのお茶の間には、致命的に似合わない。
「ミーコ」
お父さんが呼ぶと、コタツの中から飼い猫のミーコが顔を出した。のそりと這い出して、みるみるうちに大きくなる。
ミーコ、猫じゃなかったんだ……。
ぼくが赤ちゃんの頃から一緒に育った茶トラの猫は、コタツよりもソファよりも大きくなって、背中の羽根を羽ばたかせた。
「ミーコ……ドラゴンなの?」
ぼくは何だか悲しくなって、俯いて呟いた。ぼくだけ、なんにも知らなかったんだ。
ミーコは「みゃーん」と鳴いて、いつも通りぼくに顔を擦り付けて来た。ウロコが痛いよ!
しかもなんでドラゴンなのに「みゃーん」なんだよ。いいよ! ぼくに遠慮なんかしないで「ガオー」って言えばイイじゃないか!
めちゃくちゃ強そうな鎧も剣も、そんな引き締まった顔も、お父さんには似合わない。
泣き虫で、悲しい映画を見ると必ず鼻水を啜ってるの、ぼくは知っている。虫が苦手で、クモがお風呂場にいた時、裸で飛び出して来たのだって知っている。
そのお父さんが、その格好いい剣で、誰と戦うの? 何を切り裂くつもりなの?
ぼくは深呼吸をして、一番最初の質問を、もう一度口にした。もう、黙って見ているのも限界だ。
「お父さん、出張……どこへ行くの?」
* * * *
「セイ……お父さんは、異世界の勇者さまなの。魔王の軍勢が移動をはじめたらしくて……昨日、あっちの人が呼びに来たの」
異世界ラノベによく出てくる、スタンピードというやつだろうか?
「でもさ、今日、月曜日だよ? お父さん、仕事どうするのさ」
お母さんの恐ろしく情報量の多い説明と、ぼくの質問の落差が酷い。
「一週間、有給を取ったから大丈夫。セイ、心配してくれてありがとうな」
お父さんが少し微笑んで言った。そうしたらいつも通りの呑気な顔になって、ぼくは涙が出そうになった。
冗談でも、ぼくを騙して笑おうとしているのでもなければ、お父さんは今日、戦いに行く。ぼくの知らない場所で、知らない世界のために。ぼくを置いて行ってしまう。
「ま、魔王って、強いの? お父さんが戦わないといけないの? 話し合いじゃダメなの?」
もう止まらなかった。現実感なんて一欠片もないけど、お父さんが怪我をするのも嫌だし、誰かを怪我をさせるのも嫌だ。
「魔王は強いけど、お父さんは負けない」
お父さんがぼくの頭の上に手を置いて言った。
そんな、ヒーローみたいなことを言わないで。
「負けたっていいよ! 勝たなくていいよ……。帰って来てよ!」
ぼくの言葉にお父さんは振り返ることなく、軽く手を挙げてミーコに乗って行ってしまった。
* * * *
一週間後、お父さんはボロボロになって帰って来た。聞けば、厳しい戦いだったらしい。
その晩、ぼくとお母さんの大好物が食卓を彩った。毎年、春になると必ず食べていた我が家のご馳走唐揚げ。プリプリとした歯応えと、独特の風味がたまらなく美味しい。
ぼくは今日、初めてこの料理の正式名称を聞いた。
『魔王カエルの唐揚げ』。毎年春に群れで北上をはじめるらしいそのカエルは、異世界でもなかなか手に入らない高級食材らしい。
ぼくのお父さんは、異世界勇者さまだ。
カエルよりも強くて、誰よりも格好いい。
ところがある朝、ごく普通でも、一般的でもないことが判明してしまった。
「セイ、お父さん出掛けるから、起きてお見送りしなさい」
その朝は、お母さんのそんな言葉からはじまった。
「えー、まだ眠いよぉ。なんで見送り? お父さん、どこ行くの?」
寝ぼけまなこで起きて来たぼくをよそに、お母さんは押し入れから風呂敷包みを取り出してお父さんに渡す。お父さんが黙って頷いて、神妙な顔で包みを開いてゆく。
ぼくはあくびをしながら、お父さんの背中越しに中身を覗き込んだ。
年季の入った重そうなマント、傷だらけの鞘に入った細身の剣。
あれ?……何だか本物っぽい?
お父さんが立ち上がってマントをバサリと羽織ると、小さなつむじ風が巻き起こった。
コタツの上に置いてあった学校のプリントが舞い上がって、食器棚がカタカタと揺れる。
お父さんのメガネがキラキラ光りながら、顔の下半分を覆う兜に変わってゆく。マントの下のスーツが金属の鎧に変わってカシャンと鳴る。
ぼくが父の日にプレゼントしたネクタイは、青い宝石の付いた額当てに変わった。元ネクタイの額当てが頭にジャキンと収まると、お父さんの呑気そうな目が、引き絞るように鋭くなった。
スーパーの二階で買ったネクタイ……元に戻るのかな。せっかくおこづかい貯めて買ったのに。
気にするの、そこじゃないだろうって?
たぶんそれはね、ぼくの心の危機管理が、現実感を求めて確かな記憶に縋ろうとしているんだよ。いわゆる、現実逃避ってやつ?
目の前には、テレビのヒーローの変身シーンみたいな光景。ぼくのうちのお茶の間には、致命的に似合わない。
「ミーコ」
お父さんが呼ぶと、コタツの中から飼い猫のミーコが顔を出した。のそりと這い出して、みるみるうちに大きくなる。
ミーコ、猫じゃなかったんだ……。
ぼくが赤ちゃんの頃から一緒に育った茶トラの猫は、コタツよりもソファよりも大きくなって、背中の羽根を羽ばたかせた。
「ミーコ……ドラゴンなの?」
ぼくは何だか悲しくなって、俯いて呟いた。ぼくだけ、なんにも知らなかったんだ。
ミーコは「みゃーん」と鳴いて、いつも通りぼくに顔を擦り付けて来た。ウロコが痛いよ!
しかもなんでドラゴンなのに「みゃーん」なんだよ。いいよ! ぼくに遠慮なんかしないで「ガオー」って言えばイイじゃないか!
めちゃくちゃ強そうな鎧も剣も、そんな引き締まった顔も、お父さんには似合わない。
泣き虫で、悲しい映画を見ると必ず鼻水を啜ってるの、ぼくは知っている。虫が苦手で、クモがお風呂場にいた時、裸で飛び出して来たのだって知っている。
そのお父さんが、その格好いい剣で、誰と戦うの? 何を切り裂くつもりなの?
ぼくは深呼吸をして、一番最初の質問を、もう一度口にした。もう、黙って見ているのも限界だ。
「お父さん、出張……どこへ行くの?」
* * * *
「セイ……お父さんは、異世界の勇者さまなの。魔王の軍勢が移動をはじめたらしくて……昨日、あっちの人が呼びに来たの」
異世界ラノベによく出てくる、スタンピードというやつだろうか?
「でもさ、今日、月曜日だよ? お父さん、仕事どうするのさ」
お母さんの恐ろしく情報量の多い説明と、ぼくの質問の落差が酷い。
「一週間、有給を取ったから大丈夫。セイ、心配してくれてありがとうな」
お父さんが少し微笑んで言った。そうしたらいつも通りの呑気な顔になって、ぼくは涙が出そうになった。
冗談でも、ぼくを騙して笑おうとしているのでもなければ、お父さんは今日、戦いに行く。ぼくの知らない場所で、知らない世界のために。ぼくを置いて行ってしまう。
「ま、魔王って、強いの? お父さんが戦わないといけないの? 話し合いじゃダメなの?」
もう止まらなかった。現実感なんて一欠片もないけど、お父さんが怪我をするのも嫌だし、誰かを怪我をさせるのも嫌だ。
「魔王は強いけど、お父さんは負けない」
お父さんがぼくの頭の上に手を置いて言った。
そんな、ヒーローみたいなことを言わないで。
「負けたっていいよ! 勝たなくていいよ……。帰って来てよ!」
ぼくの言葉にお父さんは振り返ることなく、軽く手を挙げてミーコに乗って行ってしまった。
* * * *
一週間後、お父さんはボロボロになって帰って来た。聞けば、厳しい戦いだったらしい。
その晩、ぼくとお母さんの大好物が食卓を彩った。毎年、春になると必ず食べていた我が家のご馳走唐揚げ。プリプリとした歯応えと、独特の風味がたまらなく美味しい。
ぼくは今日、初めてこの料理の正式名称を聞いた。
『魔王カエルの唐揚げ』。毎年春に群れで北上をはじめるらしいそのカエルは、異世界でもなかなか手に入らない高級食材らしい。
ぼくのお父さんは、異世界勇者さまだ。
カエルよりも強くて、誰よりも格好いい。
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