上 下
1 / 1

それはある朝突然に

しおりを挟む
 ぼくの名前は篠村セイ、小学校五年生。お父さんは公務員、お母さんは雑貨屋さん。ぼくの家はごく普通の一般家庭だと思っていた。

 ところがある朝、ごく普通でも、一般的でもないことが判明してしまった。

「セイ、お父さん出掛けるから、起きてお見送りしなさい」

 その朝は、お母さんのそんな言葉からはじまった。

「えー、まだ眠いよぉ。なんで見送り? お父さん、どこ行くの?」

 寝ぼけまなこで起きて来たぼくをよそに、お母さんは押し入れから風呂敷包みを取り出してお父さんに渡す。お父さんが黙って頷いて、神妙な顔で包みを開いてゆく。

 ぼくはあくびをしながら、お父さんの背中越しに中身を覗き込んだ。

 年季の入った重そうなマント、傷だらけの鞘に入った細身の剣。

 あれ?……何だか本物っぽい?

 お父さんが立ち上がってマントをバサリと羽織ると、小さなつむじ風が巻き起こった。

 コタツの上に置いてあった学校のプリントが舞い上がって、食器棚がカタカタと揺れる。
 お父さんのメガネがキラキラ光りながら、顔の下半分を覆う兜に変わってゆく。マントの下のスーツが金属の鎧に変わってカシャンと鳴る。

 ぼくが父の日にプレゼントしたネクタイは、青い宝石の付いた額当てに変わった。元ネクタイの額当てが頭にジャキンと収まると、お父さんの呑気そうな目が、引き絞るように鋭くなった。

 スーパーの二階で買ったネクタイ……元に戻るのかな。せっかくおこづかい貯めて買ったのに。

 気にするの、そこじゃないだろうって?

 たぶんそれはね、ぼくの心の危機管理が、現実感を求めて確かな記憶に縋ろうとしているんだよ。いわゆる、現実逃避ってやつ?

 目の前には、テレビのヒーローの変身シーンみたいな光景。ぼくのうちのお茶の間には、致命的に似合わない。

「ミーコ」

 お父さんが呼ぶと、コタツの中から飼い猫のミーコが顔を出した。のそりと這い出して、みるみるうちに大きくなる。

 ミーコ、猫じゃなかったんだ……。

 ぼくが赤ちゃんの頃から一緒に育った茶トラの猫は、コタツよりもソファよりも大きくなって、背中の羽根を羽ばたかせた。

「ミーコ……ドラゴンなの?」

 ぼくは何だか悲しくなって、俯いて呟いた。ぼくだけ、なんにも知らなかったんだ。

 ミーコは「みゃーん」と鳴いて、いつも通りぼくに顔を擦り付けて来た。ウロコが痛いよ!

 しかもなんでドラゴンなのに「みゃーん」なんだよ。いいよ! ぼくに遠慮なんかしないで「ガオー」って言えばイイじゃないか!

 めちゃくちゃ強そうな鎧も剣も、そんな引き締まった顔も、お父さんには似合わない。

 泣き虫で、悲しい映画を見ると必ず鼻水を啜ってるの、ぼくは知っている。虫が苦手で、クモがお風呂場にいた時、裸で飛び出して来たのだって知っている。

 そのお父さんが、その格好いい剣で、誰と戦うの? 何を切り裂くつもりなの?

 ぼくは深呼吸をして、一番最初の質問を、もう一度口にした。もう、黙って見ているのも限界だ。

「お父さん、出張……どこへ行くの?」


       * * * *


「セイ……お父さんは、異世界の勇者さまなの。魔王の軍勢が移動をはじめたらしくて……昨日、あっちの人が呼びに来たの」

 異世界ラノベによく出てくる、スタンピードというやつだろうか?

「でもさ、今日、月曜日だよ? お父さん、仕事どうするのさ」

 お母さんの恐ろしく情報量の多い説明と、ぼくの質問の落差が酷い。

「一週間、有給を取ったから大丈夫。セイ、心配してくれてありがとうな」

 お父さんが少し微笑んで言った。そうしたらいつも通りの呑気な顔になって、ぼくは涙が出そうになった。

 冗談でも、ぼくを騙して笑おうとしているのでもなければ、お父さんは今日、戦いに行く。ぼくの知らない場所で、知らない世界のために。ぼくを置いて行ってしまう。

「ま、魔王って、強いの? お父さんが戦わないといけないの? 話し合いじゃダメなの?」

 もう止まらなかった。現実感なんて一欠片ひとかけらもないけど、お父さんが怪我をするのも嫌だし、誰かを怪我をさせるのも嫌だ。

「魔王は強いけど、お父さんは負けない」

 お父さんがぼくの頭の上に手を置いて言った。

 そんな、ヒーローみたいなことを言わないで。

「負けたっていいよ! 勝たなくていいよ……。帰って来てよ!」

 ぼくの言葉にお父さんは振り返ることなく、軽く手を挙げてミーコに乗って行ってしまった。


       * * * *


 一週間後、お父さんはボロボロになって帰って来た。聞けば、厳しい戦いだったらしい。

 その晩、ぼくとお母さんの大好物が食卓を彩った。毎年、春になると必ず食べていた我が家のご馳走唐揚げ。プリプリとした歯応えと、独特の風味がたまらなく美味しい。

 ぼくは今日、初めてこの料理の正式名称を聞いた。

『魔王カエルの唐揚げ』。毎年春に群れで北上をはじめるらしいそのカエルは、異世界でもなかなか手に入らない高級食材らしい。


 ぼくのお父さんは、異世界勇者さまだ。


 カエルよりも強くて、誰よりも格好いい。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

【完結】君の世界に僕はいない…

春野オカリナ
恋愛
 アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。  それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。  薬の名は……。  『忘却の滴』  一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。  それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。  父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。  彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。

【毎日20時更新】銀の宿り

ユーレカ書房
ファンタジー
それは、魂が生まれ、また還るとこしえの場所――常世国の神と人間との間に生まれた青年、千尋は、みずからの力を忌むべきものとして恐れていた――力を使おうとすると、恐ろしいことが起こるから。だがそれは、千尋の心に呪いがあるためだった。 その呪いのために、千尋は力ある神である自分自身を忘れてしまっていたのだ。 千尋が神に戻ろうとするとき、呪いは千尋を妨げようと災いを振りまく。呪いの正体も、解き方の手がかりも得られぬまま、日照りの村を救うために千尋は意を決して力を揮うのだが………。  『古事記』に記されたイザナギ・イザナミの国生みの物語を背景に、豊葦原と常世のふたつの世界で新たな神話が紡ぎ出される。生と死とは。幸福とは。すべてのものが生み出される源の力を受け継いだ彦神の、真理と創造の幻想譚。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...