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其ノ三 にゃーは役に立つ猫又にゃん!
しおりを挟む鍵の掛かった玄関のドアを、猫又の技を使って開ける。滑り込むように中へと入り、音の出ないように閉め鍵を掛ける。
玄関に立つと、家の中にはハルカの気配が色濃く漂っていた。
(良かった、ハルカは無事にゃん!)
逸る気持ちを抑えて、玄関マットで念入りに汚れを落とす。妊娠中のハルカに、汚れた手足で触れるわけにはいかない。
ハルカは、ダイスケの部屋で眠っていた。
三日前よりもさらに痩せた頰、目の下のクマ。顔色も良くない。
おまけにハルカからは、ほのかにアルコールの臭いがする。
(もう! お腹の赤ちゃんに、お酒は良くないにゃんよ!)
ニアはベッドルームから毛布を運び、ハルカに掛けたあと、家中のアルコール類を全て風呂場に流した。
(色々できるにゃん! やっぱり猫又になって良かった。これからはにゃーがハルカのお世話をするにゃ!)
ハルカの大きなお腹に、そっと耳をつける。ハルカの心臓の音とは別に、小さく健やかな音が聞こえる。
(赤ちゃんも無事にゃん!)
小さな命に愛しさがこみ上げ、ついモミモミとしてしまう。するとハルカが目を覚ました。
「ニア! 三日もどこに行っていたの?! 探したんだよ!!」
涙を浮かべて抱きしめられて、嬉しさと申し訳なさが同時に湧いてくる。猫又になったら、感情がくっきりと鮮明に感じられるようになった。
テーブルの上には、作りかけのニアのポスターが散らばっていた。手書きの文字が、ハルカの想いを伝えて来る。
『迷い猫 名前はニア、三歳のメス猫です。見かけた方は下記までご連絡お願いします』
不安と焦り。そして、また置いて行かれたという、諦めにも似たやるせない気持ち。
(心配かけてごめんにゃー)
ハルカの頰に顔を何度も擦りつけて、精一杯の愛情表現をする。
「ニアまでいなくなっちゃったら、どうしようかと思った」
(うん、ハルカの言っていることがわかる!)
今までも、自分の名前や『ごはん』や『おいで』はわかっていた。表情や声の調子で、気持ちも伝わっていた。
けれど理解してみれば、人間の言葉は驚くほどたくさんの情報を含んでいる。
(やっぱりダイスケは、どこかに行ってしまったにゃんね。身重のハルカを裏切るなんて、許せないにゃん!)
つい表情が険しくなる。危うく唸り声を上げそうになった。
「どうしたの? おなか空いてるのかな? ごはんにしようか!」
ハルカが立ち上がろうとして、バランスを崩す。貧血を起こしているのかも知れない。
(危ないにゃ!!)
ニアはとっさに二股尻尾で、素早くクッションを投げた。
(一つじゃ足りないにゃ!)
二つ、三つと投げて、更に毛布で受け止める。
(ぐぐぐっ、重いにゃんよー!)
お尻からそーっと下ろすと、一瞬意識を失っていたハルカが目を開けた。
「あれ? 転んじゃったと思ったんだけど、大丈夫だった?」
(ハルカは休んでるにゃんよ! ごはんはにゃーがなんとかするにゃん!)
にゃんにゃんにゃんと鳴いてから、急いでキッチンへと向かう。
ニアは多少怪しまれても、構わないと思っていた。今のご時世、猫又や化け猫を本気で信じる人間はいない。
(“天才猫”とでも思ってくれるとありがたいにゃんね!)
棚から自分の猫用ドライフードを取り、冷蔵庫を開けて、何かハルカの食べられそうな物を探す。
(あ、りんごがあるにゃ! あとはプリンとヨーグルトも!)
コンビニ袋に全部入れて、スプーンと果物ナイフも入れる。剥くのはハルカがやるだろう。
(ムッハー! にゃーは役に立つ猫又にゃん!)
袋を咥えて引きずって、ハルカのもとへ戻る。頭で押して差し出して、得意満面でにゃーんと鳴いてみせる。
「なぁに? 食べ物持って来てくれたの? えーっ、スプーンも入ってる!」
ハルカが袋を覗き込み、びっくりした顔をする。
(最初から飛ばし過ぎたにゃんか?)
「ふふふ。ごんぎつねみたい! ニア、すごいすごい!」
ハルカが久しぶりに……本当に久しぶりに笑顔になる。
(この調子にゃん! ハルカは何の心配もしないで、元気な赤ちゃんを産むにゃんよ!)
猫のお産は軽くない。とても苦しみ時間も掛かる。ニアは子猫を産んだことはないが、本能でそれを知っていた。出産は命がけだ。
ハルカはこれから、たった一人でそれに挑む。
子猫の頃は母のように慕っていた。成長するごとに頼もしい姉になり、仲の良い親友になり、今は可愛い妹のように思っている。
ダイスケがいなくなったことで、傷つき弱った妹が心配で仕方ない。生まれてくる新しい命が、楽しみで仕方ない。
少しでも負担を減らしてやりたい。そのためなら、猫又になることなど、容易いことだった。
(それにしてもダイスケは……今頃どこで何をしているにゃんか?)
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