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第一話 ぼくの姉ちゃん

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 ぼくには歳のはなれた姉ちゃんがおる。

 ぼくが二歳ん時、交通事故で両親が死んでもうた。顔も覚えとらん。もの心つく頃には、姉ちゃんと二人きりで暮らしとった。
 ぼくが知っとーのは仏壇の写真と、姉ちゃんの話の中の二人だけや。

 姉ちゃんはぼくにとって、母ちゃんであり、父ちゃんであり、もちろん姉ちゃんでもあり……。つまり、たった一人の家族やった。

 ぼくが五歳ん時、ぼくのことば養子にしたかちゅう、遠か親戚ん人がやって来た。姉ちゃんはちょうど大学受験の年で、ぼくはお荷物やちゅうことになったらしい。

 そん時んことは覚えとる。寝たふりをしてこっそり、ふすまの隙間から覗いた。

「受験だけの話やない。一樹イツキくんが成人するんはまだ十五年も先や。小さい子抱えとったら遊びにも行けんちゃろう? おじさんたちに任せてくれんね? 第一、本当の……」

「イツキを手放すつもりはなかです!」

 姉ちゃんがおじさんの言葉ばさえぎって言うた。姉ちゃんは外ヅラが良うて、近所でもしっかりもんで有名や。普段は大人に向かってそげん言い方はせん。

「イツキはうちが望んで、抱えて歩くと決めた荷物ばい。重うとも、投げ出したかなんて思うたことは、一度もなかとです。手助けしたい言いなさるなら、どうか見守ってくんしゃい(下さい)」

 姉ちゃんは手をついて頭ば下げて言った。そのあとおじさんが色々言っても、頭を下げたままひと言も口をきかんかった。

 姉ちゃんが言うとったことも、おじさんが言うとったことも、ほんのチビだったぼくには、難しゅうてほとんど意味がわからんかった。今も正直、ようわからん。
 ばってん姉ちゃんがぼくと離れんですむよう、頑張ってくれとることだけはようわかった。

「ねーたん、おにもつって、どげな(どういう)いみ?」

 次の日の朝、ごはんを食べながら聞いたら、姉ちゃんは『大切な持ち物のことや』と言っていた。
 姉ちゃんぼくが大切なんやと、嬉しゅう思うたことば覚えとる。

 負けず嫌いん姉ちゃんは、ぼくの保育園の送り迎えや家事をこなしながら、根性で第一志望の大学に受かった。


 ぼくが、姉ちゃんと血がつながっとらんことば知ったんは、小学校二年生ん時や。

 姉ちゃんは大学三年生で、姉ちゃんの母校でもあるぼくの学校に、教育実習に来とった。ぼくは姉ちゃんが学校に来ることが、恥ずかしゅうてたまらんかった。

「イツキの姉ちゃん見に行こー!」とか「姉ちゃんチョーク落としとったぞー!」とか言われるのが、ちかっぱ(ものすごく)イヤやった。

 中には「おまえの姉ちゃん美人ばい!」とか「黒板ん字が上手やなぁ」言うてくれる友だちもいたばってん(けれど)、ぼくは『二週間の実習期間、早う終わって欲しか』と、そればっかり思うとった。

 やけん(だから)、クラスの女子に「イツキくんと鮎川センセー、あんまり似とらんばいね」と言われた時も『もう姉ちゃんのことはカンベンしてや』と思うた。

 ぼくと姉ちゃんが似とらんことは、言われんだっちゃ(言われなくても)ぼくが一番よう知っとーとよ。

「あっ、でも笑い方は似とーね」

 それはぼくが鏡ば見ながら、姉ちゃんと同じ笑い方、練習しとるからや。姉ちゃんと似とらん言われることが、ぼくは大嫌いやった。

「そげんわけ(そんなわけ)なか。イツキとサトコさんは血がつながっとらんって、うちの母ちゃんが言うとったばい」

「え……」

 クラスのいじめっ子に言われて、ぼくはとっさになんにも言い返せんで、頭ん中が真っ白になった。

 本当は、少し思うとった。死んだお父さんとお母さんが再婚やったのは知っとーと。ばってんぼくは少なくとも、半分は姉ちゃんの弟やて思うとった。

「そげんこつ(そんなこと)、すらごと(嘘)や! おまえん母ちゃんは嘘つきや!」

 気がつくと、そう叫んでいじめっ子に飛びかかっとった。

 ぼくはそいつの口ばふさいでやりたかった。もう二度と口がきけんくなればよか。そう思うて手足ば振り回して、前歯ば折ってやった。

「血が出とーよ! イツキくん、もうやめぇや!」

「センセー! イツキが暴れとー!」

 教室ば大騒ぎんなって先生が飛んで来た。姉ちゃんも青か顔ばして走って来た。引きはがされて、ケンカん理由ば聞かれた時も、姉ちゃんがいじめっ子ん母ちゃんに頭ば下げて謝っとる時も、ぼくはずっとそっぽを向いとった。謝るなんて真っ平ごめんやて思うた。

 そんあと校長先生が「今日はもう帰りんしゃい」て言うたけん、ぼくは姉ちゃんと二人で校門ば出た。姉ちゃんはずっと黙ったままでなにも言わん。ぼくはそれに耐えられんくなって「ぼくは絶対に謝らんけんな!」言うて逃げた。

 走って家に帰って、押し入れん中に隠れた。冬もんの布団ばかぶって、ひざを抱えて泣いた。

 姉ちゃんは、いじめっ子の言ったことを否定しなかった。ぼくは姉ちゃんの弟やなかったんや。

 ぼくと姉ちゃんの血は、ほんの少しも同じじゃなかった。

 ぼくは父ちゃんと母ちゃんがいなくても、いつも姉ちゃんがいたばってん、寂しか思うたことはなか。姉ちゃんがいるんが、当たり前や思うてた。

 その姉ちゃんが、本当の姉ちゃんじゃなかったら、ぼくはどげんしたらよかやろう(どうしたらいいんだろう)。

 いじめっ子が、前歯の抜けたふにゃふにゃの口で『イツキなん、サトコさんのお荷物や!』いうとった。五歳のあの日、遠か親戚のおじさんも言うとった。悪か意味なんやろか?

 押し入れの中で懐中電灯ばつけて、辞書で『お荷物』の意味ば調べた。

 意味は三つ書いてあった。

 一つ目は『客や敬うべき人の持ち物』。

 二つ目は『負担になる厄介やっかいで邪魔な物や人』。

 三つ目は『嫁に行く際に、すでに別の人の子供を宿していること』。

 三つ目は意味がわからんかったばってん、良かことが書いてあるとは、とても思えんかった。

 頭がぐらぐらと揺れた。そげんに(そんなに)色々なことを考えたんは、生まれてはじめてやった。

 ぼくは本当の弟でもなかくせに、厄介者で、邪魔者や。ぼくがおったら、姉ちゃんが嫁に行けんくなる。『大切な持ち物』なんかじゃなか。

 ぼくの世界はこの日、ひっくり返ってしもうた。
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