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第二章:図らずも始動
「嘘吐き」
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いったいなにが起こっている?
あのアレンくんが怒号を上げ、あまつさえ胸倉を掴んでいる。穏やかな状況ではないことは明らか。
彼と相対するは一人の青年。青く癖のない短髪をセンターで分け、利発そうな面立ちにはサファイアのような高級感のある瞳が埋まっていた。
アレンくんとはそう年齢も離れていないだろう。身長は彼よりも少し高い。遠目にもわかるほど質のいいシャツを身に纏っており、育ちがいい者であることは窺える。
なにはともあれ黙って見ているわけにもいかない。慌てて二人の間に入る。
「ちょ、ちょっとストップ!」
「リオ? どうしてここに……」
「いいから一旦離れる!」
ぐいと腕を引き剥がし、物理的に距離を開ける。離れれば多少は気持ちも落ち着くだろう。アレンくんはこのまま待機させておくとして、相手の方だ。
「チグサ、アレンくんの傍にいてあげて」
「ハイ!」
アレンくんの肩に圧し掛かり、耳を器用に使って頭を撫でるチグサ。
改めて相対すると、顔貌の美しさに驚かされる。表情には戸惑いが映っているものの、元の造形が整っていればそれだけで画になるものだ。
ミカエリアの政治について詳しく調べてはいなかったが、貴族もいるだろう。爵位持ちなら下手な言動は慎むべきだ。アレンくんとどういう関係かはわからないものの、貴族の息子に手を出そうものならどうなることやら。
「この度はご迷惑をおかけしました」
「あ、ああ……いや、大丈夫だ。元はと言えば僕が……」
ん? なんだこの物分かりの良さは。貴族といったらもっと傲慢で「父上にも殴られたことがないのだぞ!」とか言いそうなものだけど、いやに紳士だ。
イメージとの相違に戸惑いこそあれど、表に出してはならない。舐められたら理不尽な要求をされるかもしれない。かつ、気に入られるわけにもいかない。地位を笠に着るような輩ならこれもまた無茶なことを求められかねない。
「失礼ですが、どういった経緯でこのようなことに……?」
「それは……」
「言うのか、お前が」
アレンくんの声は尖っている。刃こぼれした鋸のように歪で、禍々しささえ感じさせる声音。
ただの怒りとは言えない。そんなちゃちなものではない、憎悪とでも言うべき響きに背筋が凍る。
ここまでの感情が乗るような関係性? 相手は貴族だ、個人商店の一人息子とどこで接点を持つ?
アレンくんについて深くは触れない方がいいのだろうと思ってた。ただ、ここまで表情を歪めるほどの出来事があったのだろう。無垢な、希望に満ちたあの瞳が淀んでいるのだ。無視できる範疇を超えている。
「アレンくんから話してくれる? 後で、二人のときにね」
「話すよ。こいつに語られるのは嫌だ」
「……そう、だな。僕が話すよりずっといい」
青年は踵を返して去っていく。その背中に気高さは感じられず、年相応の普通の青年に思えた。
そもそも貴族かどうかもわからないが、一般家庭で育った雰囲気はない。歩き方一つ取っても品の良さが窺える。
彼は何者だ? アレンくんに縁のある人物なのだろうが、やはり接点らしい接点は見出せない。背中が夜の闇に消えたところで、ようやく一息吐く。
「大丈夫?」
「……うん。ごめんな、怖かっただろ」
「ううん、私は大丈夫。ところで彼は?」
「アーサー・ランドルフ。ミカエリアで一番権力持ってる貴族の一人息子」
とんでもないお方に手を出したものだ。思春期の全能感は無限大だなぁ。
などと呑気なことを考えている場合でもない。なにがどうして胸ぐらを掴むような真似をしたのだろう。
「アーサー様となにかあったの?」
「……昔ね。あいつも口だけだった。オレの傍で応援してくれるって言ってたのにさ、いまはうちの商売敵になって」
あいつも? も、って言った?
アレンくんの人間関係、それも昔のこととなれば知る由はない。私が知っている彼の関係などアリスしかいない。
やはりアリスとなにかあったのか? これは触れていいことなのだろうか。言葉に詰まっていると、アレンくんは深いため息を吐いた。
「……帰りながら話すよ。夜は寒いから」
「うん、わかった。ゆっくりでいいからね」
窄んだ肩に手を置いて、私たちは帰路に着く。
あんなに天真爛漫な子が、こんな陰のある顔を見せるようになるなんて。余程のことがあったのだと思う。詳しく話を聞いてあげたい。
しかし話すことを強要するわけにはいかない。アレンくんにとっても覚悟がいる、あるいは心の整理が必要になる話のはずだ。部外者が安易に触れていい話題ではない。
沈黙が続く。気まずくはあるが、変に私が気を遣えばアレンくんも気遣ってしまうだろう。主導権は彼に預けたままにしておきたいところだが――
「なんでみんな、嘘吐きになっちゃうんだろうね」
「え?」
不意の呟きは恐ろしく鮮明に聴こえた。嘘吐き、と言った? アレンくんの言う「みんな」がどこまでを差しているのかはわからない。
ただ、アーサー様やアリスが関わっていることは間違いないと見ていいだろう。親密な仲になればなるほど、見えないものを信じたくなるものなのかもしれない。それが裏切られれば、嘘吐きと詰りたく理由もわかる気がする。
「嘘吐きって、どういう……?」
「アーサーも、アリスもいなくなった。歌が繋いでくれた人たちだったから、ずっと一緒なんだろうって思ってた」
「でも、いなくなった?」
「そう。アリスは1人でエメラトピアに、アーサーは……いや、ランドルフ家はうちの店の近くに大きいショッピングモールを作ろうとしている。うちの店を潰す気なんだ」
アリスはともかく、アレンくんとアーサー様の間でなにがあったのかはわからない。どんな過程を経て、どんな衝突があっていまに至るのか。私にはわかるはずもない。
ただ、深いところで繋がっていたことだけはわかる。アレンくんの声音や表情から、アリスともアーサー様とも心で結び付いていたことは伝わってくる。
そんな相手を嘘吐きと言うのは、言ってしまうのは、それだけ深い溝を生んでしまったとも考えられる。
「オレと一緒に夢を見てくれると思ってた。同じ夢を見てくれるって信じてた。でも、そうじゃない。みんなオレを置いていく」
天を仰ぐアレンくん。重たく、圧し潰すような分厚い煙。星空なんて見えやしない。ただただ陰鬱で息苦しい空。
俯いたかと思えば、鼻で嗤う。嘘吐きと呼んだ者たちにか、あるいは不確かなものを信じた自分にか。どちらにせよ胸が痛む。
「約束なんて信じたら駄目なんだ。だって、みんな裏切るから。だったら一人で歌ってた方がいい。一人なら……誰にも裏切られたりしないから」
あのアレンくんが怒号を上げ、あまつさえ胸倉を掴んでいる。穏やかな状況ではないことは明らか。
彼と相対するは一人の青年。青く癖のない短髪をセンターで分け、利発そうな面立ちにはサファイアのような高級感のある瞳が埋まっていた。
アレンくんとはそう年齢も離れていないだろう。身長は彼よりも少し高い。遠目にもわかるほど質のいいシャツを身に纏っており、育ちがいい者であることは窺える。
なにはともあれ黙って見ているわけにもいかない。慌てて二人の間に入る。
「ちょ、ちょっとストップ!」
「リオ? どうしてここに……」
「いいから一旦離れる!」
ぐいと腕を引き剥がし、物理的に距離を開ける。離れれば多少は気持ちも落ち着くだろう。アレンくんはこのまま待機させておくとして、相手の方だ。
「チグサ、アレンくんの傍にいてあげて」
「ハイ!」
アレンくんの肩に圧し掛かり、耳を器用に使って頭を撫でるチグサ。
改めて相対すると、顔貌の美しさに驚かされる。表情には戸惑いが映っているものの、元の造形が整っていればそれだけで画になるものだ。
ミカエリアの政治について詳しく調べてはいなかったが、貴族もいるだろう。爵位持ちなら下手な言動は慎むべきだ。アレンくんとどういう関係かはわからないものの、貴族の息子に手を出そうものならどうなることやら。
「この度はご迷惑をおかけしました」
「あ、ああ……いや、大丈夫だ。元はと言えば僕が……」
ん? なんだこの物分かりの良さは。貴族といったらもっと傲慢で「父上にも殴られたことがないのだぞ!」とか言いそうなものだけど、いやに紳士だ。
イメージとの相違に戸惑いこそあれど、表に出してはならない。舐められたら理不尽な要求をされるかもしれない。かつ、気に入られるわけにもいかない。地位を笠に着るような輩ならこれもまた無茶なことを求められかねない。
「失礼ですが、どういった経緯でこのようなことに……?」
「それは……」
「言うのか、お前が」
アレンくんの声は尖っている。刃こぼれした鋸のように歪で、禍々しささえ感じさせる声音。
ただの怒りとは言えない。そんなちゃちなものではない、憎悪とでも言うべき響きに背筋が凍る。
ここまでの感情が乗るような関係性? 相手は貴族だ、個人商店の一人息子とどこで接点を持つ?
アレンくんについて深くは触れない方がいいのだろうと思ってた。ただ、ここまで表情を歪めるほどの出来事があったのだろう。無垢な、希望に満ちたあの瞳が淀んでいるのだ。無視できる範疇を超えている。
「アレンくんから話してくれる? 後で、二人のときにね」
「話すよ。こいつに語られるのは嫌だ」
「……そう、だな。僕が話すよりずっといい」
青年は踵を返して去っていく。その背中に気高さは感じられず、年相応の普通の青年に思えた。
そもそも貴族かどうかもわからないが、一般家庭で育った雰囲気はない。歩き方一つ取っても品の良さが窺える。
彼は何者だ? アレンくんに縁のある人物なのだろうが、やはり接点らしい接点は見出せない。背中が夜の闇に消えたところで、ようやく一息吐く。
「大丈夫?」
「……うん。ごめんな、怖かっただろ」
「ううん、私は大丈夫。ところで彼は?」
「アーサー・ランドルフ。ミカエリアで一番権力持ってる貴族の一人息子」
とんでもないお方に手を出したものだ。思春期の全能感は無限大だなぁ。
などと呑気なことを考えている場合でもない。なにがどうして胸ぐらを掴むような真似をしたのだろう。
「アーサー様となにかあったの?」
「……昔ね。あいつも口だけだった。オレの傍で応援してくれるって言ってたのにさ、いまはうちの商売敵になって」
あいつも? も、って言った?
アレンくんの人間関係、それも昔のこととなれば知る由はない。私が知っている彼の関係などアリスしかいない。
やはりアリスとなにかあったのか? これは触れていいことなのだろうか。言葉に詰まっていると、アレンくんは深いため息を吐いた。
「……帰りながら話すよ。夜は寒いから」
「うん、わかった。ゆっくりでいいからね」
窄んだ肩に手を置いて、私たちは帰路に着く。
あんなに天真爛漫な子が、こんな陰のある顔を見せるようになるなんて。余程のことがあったのだと思う。詳しく話を聞いてあげたい。
しかし話すことを強要するわけにはいかない。アレンくんにとっても覚悟がいる、あるいは心の整理が必要になる話のはずだ。部外者が安易に触れていい話題ではない。
沈黙が続く。気まずくはあるが、変に私が気を遣えばアレンくんも気遣ってしまうだろう。主導権は彼に預けたままにしておきたいところだが――
「なんでみんな、嘘吐きになっちゃうんだろうね」
「え?」
不意の呟きは恐ろしく鮮明に聴こえた。嘘吐き、と言った? アレンくんの言う「みんな」がどこまでを差しているのかはわからない。
ただ、アーサー様やアリスが関わっていることは間違いないと見ていいだろう。親密な仲になればなるほど、見えないものを信じたくなるものなのかもしれない。それが裏切られれば、嘘吐きと詰りたく理由もわかる気がする。
「嘘吐きって、どういう……?」
「アーサーも、アリスもいなくなった。歌が繋いでくれた人たちだったから、ずっと一緒なんだろうって思ってた」
「でも、いなくなった?」
「そう。アリスは1人でエメラトピアに、アーサーは……いや、ランドルフ家はうちの店の近くに大きいショッピングモールを作ろうとしている。うちの店を潰す気なんだ」
アリスはともかく、アレンくんとアーサー様の間でなにがあったのかはわからない。どんな過程を経て、どんな衝突があっていまに至るのか。私にはわかるはずもない。
ただ、深いところで繋がっていたことだけはわかる。アレンくんの声音や表情から、アリスともアーサー様とも心で結び付いていたことは伝わってくる。
そんな相手を嘘吐きと言うのは、言ってしまうのは、それだけ深い溝を生んでしまったとも考えられる。
「オレと一緒に夢を見てくれると思ってた。同じ夢を見てくれるって信じてた。でも、そうじゃない。みんなオレを置いていく」
天を仰ぐアレンくん。重たく、圧し潰すような分厚い煙。星空なんて見えやしない。ただただ陰鬱で息苦しい空。
俯いたかと思えば、鼻で嗤う。嘘吐きと呼んだ者たちにか、あるいは不確かなものを信じた自分にか。どちらにせよ胸が痛む。
「約束なんて信じたら駄目なんだ。だって、みんな裏切るから。だったら一人で歌ってた方がいい。一人なら……誰にも裏切られたりしないから」
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