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しおりを挟む時が止まったように感じた。
まるで、戦闘中に神経が極限まで張り詰めた時のように、空気が見えるような感覚
後を着いてきていたエルが怯えるように足の後ろに隠れる
ソイを見つけた。
だが1人ではなかった
あの時の白銀の狼に、寄り添うように眠っている
カチャリと、剣を握った
狼はとっくにアラヘルドの存在に気付いている。だが特に驚く事も、警戒することもない。そしてあの闘技場での狂気は身を潜め、その瞳には知性と理性があった
思い出すのは幼少期、自分を噛み殺そうとした狼。そうだ、これらは所詮獣
次の瞬間にはソイを噛み殺す筈
足を1歩踏み出した時、ソイが微かな声を上げて身じろいだ。その柔らかな手が狼の毛並みを優しく縋るように掴む。
アラヘルドがずっと欲しかった、求めるような仕草で
狼はマズルをソイの額に当て、目を閉じてからアラヘルドを見た。
「俺を殺せ」
この獣と言葉を交わすのも腹立たしい
アラヘルドは言われずとも、と剣を持ち上げた。だが
「…殺さないで」
弱々しい声で、こちらを見もせず訴えるソイに止まる
「……お願い、アラヘルド…お願い……」
狼にしがみつき、幼子のように訴える
火が火薬に引火したのだろう。
遠くで爆発音が聞こえる
窓ガラスは割れ、煙が濃くなった
この城はもう駄目だ。
兵器は逃げ、兵士は散り散りに
第2王子はこの事を嬉々として祖国に報告するだろう。
莫大な金を使った今回の戦争は、始める前から負けたと
アラヘルドの帰還は、避けられない事だった。ソイはミスを犯した将の原因である情人として扱われ、王座を狙う者に腹の子共々命を狙われ続ける
『エル、頑張れ!』
『いい子だねぇ』
『おいでっ!上手上手!』
もし連れていけば
アラヘルドが愛したソイは死ぬ
この決断は、アラヘルドの心を引き裂いた
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暖かい日差しがソイの顔を照らしている。
アラヘルドはそれを眺めながら、柔らかな髪を梳いた。覚醒しそうなのだろうか、眉が不機嫌そうに寄せられている。
数日、ただ共に眠るだけの日々を過ごし分かった事が1つ。ソイの寝起きはあまり良くない
「起きたか」
アラヘルドの声に合わせて目を開けたというのに、こちらをぼぅっと眺めてくる。普段なら目もまともに合わせてこない。
完全に寝惚けている
「んぅ…」
幼子がぐずるようにシーツに顔を擦り付けうつ伏せになったソイにわいてくるのは懐かしい感情。悪戯心のようなものだろうか
それと、抱かぬからと言って無防備な姿に怒りも少々。
腰をぐいと引き寄せて、項に唇を落とす。
きっと怒り怯えながら避けられるだろうと予測したが、結果は違った。
ソイの肩が震える。
「く、ふふっ…くすぐったぁい」
寝惚けているのだ。大方、あの犬と勘違いでもしている。分かっている
だが、初めて
初めて2人きりの空間でソイが笑った。じゃれるような甘さで
噛み付いて起こしてやろうとするが惜しく感じてしまう己が馬鹿馬鹿しかった。
「いだぁ~…っこら、エル!…ぇ、え、ぎゃっ!」
痛みに覚醒したソイが怒りに振り返り、アラヘルドを見た途端ベットから落ちた。やはり犬と間違えていたようだ
「……」
歯型をつけた肩を抑えながらこちらを睨んでくるが、なんの効力も無い
「寝汚い事だ」
「な、あんたが夜引っ付いてくるから寝れないんだ!寝汚いのはどっち…!」
このようなやり取りも、アラヘルドには楽しく感じる。目が覚めて人を殺しまた眠る それだけの生き方が、変わるのだろうかと頭の片隅で考えた朝だった
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「お命頂戴」
この炎燃え盛る城から、簡単には抜け出せないようだ。恐らく第2王子が送り込んできた刺客。1人では無い
「…アラヘルド」
「下がれ」
エルを火から守るように抱いて不安げな声を出したソイを背に庇うが、後ろからは炎が迫ってきている。
だが、数多の戦場を駆けたアラヘルドにとってこの程度の刺客相手では無い。
向かってくる者共を次々と切り捨てていく。
「うぁっ」天井の装飾が落ちてきた
「ソイ!」ほぼ同時に剣を受け止めていたアラヘルドは思わず名を呼んだが、腹立たしい事に心配は要らなかった。
「サラン…!火の粉が!」
瓦礫から身を呈したのだろう。
狼の背をソイが必死に払っている
それを横目で見ながら次々と切り捨てていけば、身体の痛みなど忘れる程剣が軽くなった
腹立たしい
「エル!じっとしてて…!」
不安げに鼻を鳴らすエルに煙を吸わせぬように服の中に入れたソイだが、その当の本人こそ煙を吸わせては行けない。
早く外に出なければと走るが、ここは2階だ。炎は下から燃え盛っているはず
アラヘルドはソイを下がらせ、一か八かで開閉する目的では無い窓を割った。
火事が起きた時酸素を急に入れると爆発する可能性があるが、天が味方をしたようだ
爆発は起きず高さもこの程度ならばソイに傷を負わせず降りることが出来る。背中の傷は完全に開くだろうが
「来い、」
手を差し出すとソイはアラヘルドの手にエルを当てた
「違う、お前だ」
「エルを先に」
「駄目だ、ソイ」
「サランがいる」
この言葉は、アラヘルドの心に傷を負わせる
ソイはそれを知っていてか、知らずか
背後には火が迫っている。
今は押し問答をしている時間はなかった
「…必ず来い」
アラヘルドはエルを受け取り、懐に入れると着地点を見定め、飛び降りた。
ソイは不安ながらその様子を見つめ、無事着地しこちらを伺うように仰ぐエルとアラヘルドを見てほっと息を吐いた。
「…サラン、どうやって」
振り返ろうと足を1歩戻すと、とん、と背中に何かが当たった。
「え…」
そこには、アラヘルドと同じくらいの体格の男が立っていた。褐色の肌に銀髪、そしてアンバーの瞳
「……サラン……?」
そっと頬に手を伸ばせば、サランは目をつぶり、ソイの手を受け入れる。
初めてだ、初めてサランの人型を見た。
「サラ、…っ!」
ドン、と爆発音が聞こえ狼狽えると、サランは間髪入れずソイの身体を軽々と抱き、迷わず飛び降りた
ぎゅ、とソイが固く目をつぶり開けた時には既に地上にいた。
アラヘルドは獣人となったサランに一瞬剣を抜こうとするが、誰であるかすぐ理解した。そして剣をおさめるどころか抜ききってしまった
地面に降ろされたエルが吠え続けている
ほんの一瞬、一触即発のような空気か流れた
が、アラヘルドは自身の後頭部付近から、強い気配を感じて自嘲した。
背後を取られるなど、なんと情けない。これでは馬鹿な兵となんら変わりないでは無いか
ソイがアラヘルドの背後を見て目を見開いている
「…君は、」
「ソイ、遅くなって悪い」
村の、若者だった。
だがあの時の姿とは大きく違って、アラヘルドの国の鎧を纏い、何より顔に痛々しく大きな傷跡があった。村で別れた時には無かったはず、一体何が
ソイの揺れた瞳に気付いた若者は、傷のせいで濁った片目ごと軽く笑った
「忍び込むためには変装が必要だろ。ちょっとやり過ぎたけどな」
自ら切ったという事か、ソイは顔を青ざめさせた。
「舐められたものだな。呑気におしゃべりか」
アラヘルドは目にも留まらぬ速さで姿勢を変え、若者の剣を自らの剣で弾き飛ばした。
「火をつけたのも貴様だな」
ソイは、いつの間にかまた狼の姿に戻ったサランの毛並みをぎゅ、と握る。昔から見たいと焦がれていたサランの人型だが、狼の姿の方がずっと良いと感じた
村にいる時、あの若者は立派な体躯に見えたのに アラヘルドと並ぶとまるで違う。
筋肉の重さだろうか、まるで重りをつけているかのように重厚であるのに身体能力は目を見張る。まるで、狼と犬の違いのように
「だめだ!」
戦闘が始まってしまう。この時ソイは、アラヘルドの持つ剣に縋りついてでも止めようと覚悟したが、驚いた事にアラヘルドから剣を下げた。
「馬は」
「…何」
「馬は居るのかと聞いている。」
眉を寄せたままの若者を使えぬと鬱陶しそうに視線をずらすと、アラヘルドは指笛をした。生きていればいいが
何度か鳴らすと、蹄の音が聞こえ始めた。しっかりとした足取りに怪我は無いと知る。
「ぁ、…アテヤ…?」
ソイはアラヘルドの愛馬の名を覚えていた。
忠実に主の元に走ってきたアテヤだが、流石に炎に興奮気味だ。
アラヘルドは口元をしっかりと抑え落ち着かせると、ソイに手を伸ばした。
まるで、村を離れたあの時と同じだ
「…待て…!!」
若者が忍ばせていた心許ないナイフで切りかかろうとするが、光った刀身に驚いたアテヤが嘶き立ち上がった事でそれは阻まれる。
「私はいかぬ」
「……え」
身構えたソイは、アラヘルドの言葉に瞳を揺らした。
いつかずっと来ると願っていた 飽き が
来たのかと、だがそうではなかった
「アテヤに乗り遠くへ走れ。そこの使えぬ若者と、…獣と共に」
アラヘルドの決断は、ソイを死なせない事だった。その為にはアラヘルドの傍には居させられない
殺したい程憎かろうが、ソイを守るものはどれだけ多くてもいい
結局、アラヘルドはソイに負けたのだ。
欲しいなら祖国に連れて帰り、死なせたくないなら部屋に閉じ込めればいい。
それが出来ぬのは、弱いからだとアラヘルドは認識する。しかし、その弱さを受け止めて貰える愛し方をアラヘルドはソイにしてこなかった。
「サラン、」
サランはただ舞う火の粉からソイを守っていたが、ソイの言葉にそっと身体を離した
ソイを引き止める権利など無いからだ
ソイはアラヘルドの手を取った。
そこに怯えはない それだけで十分と言いたい所だが、アラヘルドは傲慢な男だ
近くに来たソイの耳元で、静かに告げてやる
「…腹の子の名は、」
ソイの瞳が開かれたのが間近で分かる
そうだ、最後に息が出来ぬ程苦しめばいい。アラヘルドと同じように
「女ならエレティア、男ならばクラトールと名付けよ。」
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