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部屋に引き篭ってから、本を読み漁ったり庭の手入れをしたり、コイや金魚の世話をしたりして過ごす。執務室から回収したイーサン宛ての手紙は、零れたインクが乾いて開ける事も出来なさそうだ
それでも手紙はほぼ毎日届くのでメイド伝いではなく、直接手紙を運ぶ強面のおじさんから貰っている
毎週来る日来る時間は決まっているので待っていると、どうやら俺を当主の妻ではなく、屋敷の小間使いだと思っているようで
えらいえらいと頭を撫でてキャンディーをくれるようになった。
照れくさいし、完全に言うタイミングを見失ったけどまぁいいかと思っている。まんざらでもないのだ

まぁそもそも重要な手紙はその手紙を出した家の者が使いを出すので、俺が受け取るものは全て無くなってしまっても問題のないものばかりだ。

そんな生活をして数週間。その間もメイド達の嫌がらせが止むことは無かった。
大きいものでは数日前にこの屋敷に来客があったのだが、アポがあったなど何も聞いていない俺は勿論何の用意もしていないし出迎える服装などしていない。それでバッタリと会ってしまい、大層先方を驚かせてしまった。
反射的に、聞いていなかった。と口走ってしまうが、慌てて案内させた部屋にはメイド達がもてなしの準備を完璧にしていたのだ。
この状態では約束を忘れていたのは妻である俺だ。
なんとか取り返そうと一生懸命話を聞くが、俺には分からないことばかり。
学んできたものと、新たに今学んでいるものがあるとはいえ現在進行形で進んでいるものは流石にイーサンに直接聞かねば分からない。先方は話の通じない俺に困った顔をして、当主が戻ったらまた来ると帰ってしまった。このアポを取ったのはメイド達が俺に恥をかかせる為だろうが、それでも俺がきちんと対応出来ればなんの問題も無かったのだ

何より、当主の妻は無能だと言う事でイーサンに恥をかかせてしまった
俺は恥ずかしくて悔しくて、先方を見送った後廊下を早足で歩いて部屋に戻る。
途中ヒソヒソとメイドの声が聞こえる
分からない、幻聴かもしれない。
見られているかもしれない、俺の思い込みかもしれない

俺は常に感じるストレスに、服の上から簡単に分かる程に痩せてしまった。








「家族は一緒に働いてねぇのか?えらく痩せちまって、見てらんねぇ。俺にもお前さんと同じくらいの娘が居るんだ。ちょっとまてよっと、ほらよ。便箋やるから、家族に連絡でもしてやれ!次俺が来る時にまた持ってこい」

昨日、そう言っておじさんが渡してくれた便箋とにらめっこしている
イーサンに手紙を送るなんて考えても見なかった。

「…何も、心配させるような事を書かなかったら…」
半日悩んで俺はペンをとった
鯉や金魚の事、庭の事、俺は元気にしている事、嘘と本当を混ぜながら。
別荘を放り出してしまった事を書くか躊躇った。だって、こっちの屋敷ですらなんの成果も得てないのに、イーサンにお願いされた事を跳ね除けてまでここに戻ってきたのに、
俺は「別荘」とまで書いて横線を引いてもう1枚に書き直す。

そういえばイーサンに手紙を送るなんて初めてだ。何度も読み返しておかしな所が無いか確認する

「あ、封蝋で妻だってバレるか」
きっとあのおじさんを驚かせてしまうだろう






















「奥様。お食事です」

「いらない」

自室で本を読んでいると食事に呼びに来た。俺が突っぱねると、メイドは困った顔をする
眉を下げて俺を覗き込むように
その行為は当主の妻への態度では無い。
駄々をこねる小さい子を相手にしているみたいに、

「ですが、昨日もお食べになられていません。このままでは倒れてしまいます、……料理長を連れてまいりました。何か少しでも食べられる物をお申し付け下さい」

「お、おお奥様!わたくしめは!この屋敷に勤めさせて頂きまして日があ、あ浅く!あっいえこれは決して言い訳ではございませんがっ!」

ひょろ長い男が舌をこんがらせながら腰を90度に折っている。自己紹介を必死にしているけど、俺、イーサンやルカ、まぁこの屋敷に限らず殆どの貴族の家では自分達の口に入るものを作る人間の顔は覚えるように幼少から教えられる。それは感謝の気持ちなんていう綺麗なものではない

この人はイーサンとほぼ入れ替わりで入っきた。前の料理長は高齢で引退だ

「あの、奥様…わたくしめの料理がお口に合わなければ、どうぞ…その…あっ、今回は奥様がお好きだとお聞きしましたサルシャーザを…!こんな時期ですので…その温めて私なりにアレンジを、あの」

メイドの持つプレートの上には湯気の立つ器がいくつか置かれていて、俺は知らずのうちにじっと見つめていたようだ。
その様子を見てか料理長の声は僅かに明るくなり、メイドを促す
許可をしていないのに失礼しますと部屋に入りテーブルの上に料理を置く。ナイフやフォーク、テーブルナプキン等を規則正しくセットしていく。

俺は迷った。料理長の姿は何かを企んでいるようには見えない
そんな器用な事を出来る人間だとは思えなかった。
メイドも心配そうな顔をしている気がする。これに関しては簡単に信じる事は出来ないが、それでも今の俺が必要としている感情を向けられているような気がして、思わずテーブルに向かった。

着席すると料理長が「…奥様…!」と嬉しそうな声を上げ、メイドがホッとした顔をする。俺はそれに何故か嬉しいと感じている、
疑う心は勿論あるのに。
湯気の出る食事に食欲が出てきた気がして、スープを口に運んだ。


「ッ、」
俺は思わず口を覆った

「奥様、どうされましたか?」
メイドがにっこりと笑って俺を伺う。
ほらやっぱり、俺は馬鹿じゃないのか。
その笑みは何度も見てきたものだった
嘲笑うような、有無を言わせないような
スープはまるで苦玉を入れたかのように苦くて、口に入れた途端香りでは感じなかった生臭さも感じた。

こういう扱いに慣れたと思ったのに1度緩まされた心は簡単に傷付く
料理長を伺うと変わらず期待に目を輝かせている。この男は何も知らないのだろう。
毒味の段階でメイド達が何かしたのだ

「あの、奥様…」 

俺はもう一度スープを口に含んで、「美味しいよ」と答えた。















俺は今、厩舎にいる。
部屋にいるとメイド達の存在を感じて息苦しい、だから最近はよくここで勉強をしている。初め来た頃は厩務員の人達は俺が1人で現れたのに慌てていたが、逆にその様子でメイド達の手はここまで伸びてないのだと知った

彼らの邪魔にならないように端っこで勉強するけど、時々聞こえる火竜の鳴き声が気になってぶっちゃけあまり集中は出来ない。

厩舎と一括りに言っても大規模で、火竜がいる場所とは別に馬も居る。産まれた時から火竜の近くで育てる事で、動じない馬になるんだそうだ。
俺が居るのはまさにその馬小屋だ
火竜の厩舎は護衛を付けないと近寄るのは危険だからやめろとイーサンに言われている

素人が距離感を間違えて火竜を驚かせたり怒らせたりしたら大変なのだ
だが俺は気になって気になって手が進まない、仕舞いには紙に訳の分からない単語まで書き始めた。

「見る、だけなら」

























「早く済ませてしまいなさい。何をもたついてるの」

「申し訳ありません!」

「…貴女、手が赤切れまみれじゃない。布が血で汚れたらどうするの。なぜ薬を塗らないの?」

他の者はとっくに済ませているというのに、洗濯でこんなに時間をかけられたらたまったものではない。服装を見る限り家柄など何も無い出の女だ。
薬を買う金も無いのだろう
自分から聞いたもののすぐにその判断に至って私は黙ってその場を立ち去る。
背後で息を詰めたような声が聞こえた。
それを無視して足早に廊下を進み、控え室に着くと私物の中から目当てのものを取り出して洗い場に戻る。

「これをあげるわ。寝る前に塗るのよ」

「えっ、そんな高価なもの頂けません…!」
慌てて首を振る姿に私はこれみよがしにため息をついて軟膏を押し付ける

「こんなもの高価でもなんでもないわよ。手が痛いから仕事が遅いだなんて言い訳を作らせない為でもあるの。受け取って」

押し付けられた軟膏を大事そうに抱えて何度も頭を下げてきた。私は次の仕事があるのでここにはもう用は無い
また廊下を往復しなければならない。時間が無駄になってしまった


「っありがとうございます……!ナラ様…!」






ルカ様に使えて18年
あの方を幼少の頃からお傍で見守ってきた。
私はそれなりの家柄の4女として生を受け、幼少期父にダナヘギス家に連れられ、ゆりかごの中で眠る小さな小さなルカ様を見た。
この世の幸福を詰めたかのような寝顔に子供ながら感動したものだ
そして父に、お前がお仕えするお方だと言われた時、全てを捧げようとも。

病に伏せって身体的な苦しみは当然の事、そのお心も酷く傷付けられてしまった瞬間も、孤独に戦うお姿も見てきた

やっと、今ルカ様が報われようとしている。
私も昔から頭に思い描いていた光景が現実になろうとしているのだ。
当主様が当初の予定とは違う動きを見せてアーロン様を別荘にとあの庭師に告げていると知った時、全てが水の泡になると思ったが
アーロン様は自らこの屋敷に戻ってきて下さった
きっとこれはルカ様のために神が動いたのだ

この計画を何としても成功させなければならない。

正直、ルカ様から直接お話を聞いた時、戸惑わなかったと言ったら嘘になるが、私自身も怒りがおさまらないのだ。
当主様にも、アーロン様にも。ダナヘギス家にも。
もはやそれは怒りなどでは済まない物ですらある。私と同じくルカ様が幸せそうに笑う光景を当然のように思い描いてきたメイド達も等しく皆そうだろう

アーロン様は簡単に傷付いている。追い詰められ、疲弊して苦しんでいる
私達の幼稚で、みっともなくて、哀れともとれる行いに
それはここまでとてもうまくいっていると言えるだろう、後は最後の仕上げに取り掛かるだけだ。



「ナラ様、アーロン様が厩舎に行かれました」

「そう。なら暫く戻ってこないでしょう、さっさと始めるわよ」
同じくルカ様を傍で見守ってきたメイド、アンナが私に声をかける。控え室にもう1度戻ってきていた私は洗い場で濡れてしまった服を着替えようとしていた。だがその報告を聞いて服を戻す  今がチャンスなのだ

「…あの、ナラ様…本当に」
「なんなの」
「…わたし…」
ボソボソと話すアンナに私は苛立つ。
さっさと向かわないと時間が無い

「あの、私…っ!出来ません…!もう…出来ません…」

それは何度目か分からない言葉だった
今までに何人ものメイドにそう言われたからだ。
初めはルカ様への仕打ちに怒っていたメイド達は仕返しと言わんばかりに寧ろ楽しんで自らこうしよう、ああしようとアーロン様を痛めつける方法を考えていた者も多かったように思える。
だが次第に疲弊しながらも私達に笑いかけようと努力するお姿に胸を打たれるのだ。
そして自分達のしている行いの非道さにおかしくなっていく

皆、ルカ様の幼少を知っているものは等しく、アーロン様の幼少も知っている
そのお姿を見たことがあり、子供らしく笑い声をあげる記憶も鮮明に頭に浮かぶ
それは私だって同じく。
でも、中でもアンナは私とほぼ同時期にルカ様付きに選ばれた   

だからこそ、折れるなんて許せなかった
貴女だって全てを見てきたじゃない、

「もうっもう無理です…ぅっ、どんどん、お痩せにっなられて…もうできない、わたしもうっできなぃ…!こんなこと、本当にルカ様は望んでいるのっ、こんな、こ、」

「……ッ今更もう引き返せないの!!ずっと…!ずっと準備してきたんじゃない!なんの為に私達が…!っ…よく聞いて!ルカ様のお傍を離れることになっても…!ルカ様が幸せになるなら…!」

アンナの嗚咽する声につられるように、私の喉も絞られるような感覚に襲われる。
本当は分かっているのだ

ルカ様の計画はあまりにも幼稚で、単純で、遠回りだ。そしてそれを成功させる為には私たちはルカ様のお傍を離れなければならない、ルカ様にはそれしか手段がない。いや、それしか残されていない
だって他の道は奪われてしまったから
こんな理不尽な目にあうのがルカ様だけなんて許せない、どうしても許せないのだ
例えお傍で見守る事が出来なくなっても、私達がその幼稚で、単純で、遠回りなルカ様のお可哀想な願いを、叶えて差し上げるのだ。
なんとしても

私は震える手で涙を拭って、泣き崩れるアンナの腕を引いて立たせた。

「行くわよ、最後の仕事をしに行きましょう」










______________________________








「わぁ、やっぱりかっこいい…!」

俺は結局我慢ならず火竜の所まで来てしまい、案の定厩務員に見つかり大騒ぎになった。本来ならここには当主でさえ滅多に来ることは無い
早急に屋敷に帰らせようとして来るので、邪魔にならないようにするからと頼み込んだ。
俺はどうしても気を紛らわしたいのだ
それが出来るのは憧れの火竜しかいない。

渋々折れてくれた厩務員達は屋敷から護衛を呼んできた。正直屋敷の中にいる人間は誰であってもストレスだが、それも火竜が目に入ると吹き飛ぶ

「なぁ、奥様大丈夫なのか…?」

「…どうだろうな、何があったんだ」

後ろの君たち、聞こえているよ。
多分痩せた俺の体を見ての事だろう
服の上からでも分かるんだから、一体どれくらい落ちてしまったんだろう。
マルコがくれたクッキーももう無くなってしまった。流石に、メイド達も普通の食事を出す時の方が多いが、手を付ける気になれない







イーサンに出した手紙はあれから10通を越えた。そして1度も返事はかえってきていない、
分かってる、きっとそれどころじゃない
予定していた3ヶ月間の内2ヶ月が経とうとしている。
手術は無事終わっただろうか、
次の手紙こそは読む時間がある時に届くだろうか、今度はルカ宛も一緒に書いて送ろう
そしたらイーサンの目にも止まるかもしれない。


「…おれ、」

続く言葉は出なかった。
もう、何を感じたら正解なのか分からない
泣きたくない、上を向いて堪えると突然、鳴き声と共に巨体が凄い速さで通り過ぎた。

思わず目を丸くした俺に、柵越しに厩務員が慌てて声をかける
「奥様!大丈夫でしたか!?申し訳ありません!驚かれたでしょう」

「…あの子、」

「え?あぁ、前回お乗りになった老竜ですね。今日はほかの個体を出さずにこの子だけ放牧する日なんですよ」

遠乗りの日、イーサンと乗れなかった代わりに帝国騎士と乗った桃色の火竜だ。

「…よかったら近くで見ますか?あの個体は大人しいし柵越しです。あ、でも離れていてくださいね」
じっと見ている俺に嬉しいことを言ってくれた。この厩務員はさっき俺の事を話していた人だ 
気を使ってくれているのかもしれない

「でも、ずっと遠くに」

「大丈夫です。」

厩務員は何処か誇らしげに笑って、大きな声を出した。

「ロゼーーー!ロゼーー!」
手を叩きながら呼びかける厩務員に俺はキョトンとしてしまう。火竜を呼び集める時は基本呼び笛という物だ。卵の頃から聴かせ訓練する。呼び掛けに答える火竜等いるのだろうか、という疑問は直ぐに解消された。
遠くから低空飛行で小山を下って降りてくる姿に俺は感嘆の声を漏らす。

「よぉーしいい子だ」
柵越しに体を擦り付けて甘えるような仕草をする火竜、ロゼ  は前回見た時よりも色が抜けている気がして、より淡い色になっている

「ロゼって可愛いね」

「ええ!ありがとうございます!……おや?奥様、もう一度呼んでみてください」

「…?…ロゼ」
厩務員に言われた通り名前を呼ぶと、柵に顔を押し付けていたロゼの顔が俺に向かって正面に向く。その目はしっかりと俺を見ていて、俺が驚きの声をあげる前に厩務員が手を叩いて興奮したように言葉弾ませる

「おお!ロゼは呼び掛けに反応するの俺含めて2人だけなんです!奥様気に入られてますよ!」

「ほんと…!?」

俺は嬉しくて何度も何度も呼ぶ。
その度に反応するように喉を鳴らすロゼに、破顔した










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