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しおりを挟む明日、とうとうイーサンが帝都に向かう。
俺はイーサンに最後会えると信じて疑わなかった。だって、夫婦が3ヶ月も離れるのだから最後の日くらい一緒にいてもなんらおかしくはない筈だ。
ルカと1週間過ごす約束はしたけれど、さすがにルカも俺の気持ちもくんでくれるだろう
まだ、話してないけど
「先に言いに行った方が良い…?」
足は既にいるかわからないイーサンの執務室に向かっている。本来イーサンの仕事中に近付くことは無い、邪魔しないことが唯一俺に出来る事だと思ったから。
やっぱり、とルカの部屋に引き返している途中、前と同じバルコニーからイーサンの姿が見えた。
俺は慌ててバルコニーからイーサンを呼ぶ
「イーサン!イーサン!」
気付くかな、気付いてと焦るがイーサンは振り返らない。
どうしよう、なんで聞こえないんだろう。行っちゃう
前回は向かってる最中に居なくなってしまったからここで気付いて貰うのが1番だ、そう思ってバルコニーから大きく身を乗り出し大きく息を吸った。
「イーーサーーン!」
気付いた!イーサンがこっち見た!
こちらを見たイーサンは焦ったようにバルコニーの下まで走ってきて手の平を前に押すような動きをしている。
下 が れ
多分そう言っている。素直にバルコニーから乗り出した体を戻して頭だけひょこりと出して下を伺う。
気付いてくれたから下に行っても大丈夫かな!と髪を整えてソワソワしていると、イーサンの後ろから結構な年配の男性が歩いてくるのが見えた。
俺はバッと屈んで体を隠し、真っ青になった。
どうしよう、仕事中なのは知ってたけどまさかお客様が居たなんて!妻がバルコニーから大声で叫でたなんて知られたらイーサンが恥をかいてしまう
そろそろと下を伺うと、男性が恐らく笑っているような様子だった
イーサンの肩を1度叩いて何か言っている。
それはからかっているような様子で、親しい仲に見える
絶対怒ってる。と視線だけをイーサンにそろりと動かすと、 なんだか困ったような表情をしていた。そりゃそうだ、あんな所見られてからかわれたのだから。
こんな失態信じられない
呆れられたまま、怒られたまま3ヶ月会えなくなるなんて!
俺は意を決してバルコニーから顔を出して
「大声出してごめんなさい!」
と頭を下げる。相手の身分も分からないまま簡単に頭を下げる行為はよろしくない、社交の場でやろうものなら確実に侮られる。だがここには誰も居ないし既に俺は恥を晒している。なら年功序列だ
俺ってほんとバカ 救いようのないバカ 愛すべきバカも居るって聞いた事あるけど多分俺はそこに当てはまらないくらいバカ
耐えきれなくなってバルコニーから逃げるように廊下を走った。
結局、ルカの部屋に行っていつも通りお茶したりする時間を過ごす。
あんな恥ずかしい話をルカに出来るはずも無く、口数少なになっているのを誤魔化すようにクッキーを口に運ぶ。ルカも喋る方では無いので静かな時間だ
カチ、と礼儀作法が徹底的に美しいルカが珍しくティーカップをソーサーに置く音を鳴らした。
「兄さんの所に…?」
「え゛」
1番触れてほしくない話題が投げかけられ噎せる。慌てて紅茶をグイッと飲むと控えていたメイドがギロリと見た気がする
「な、な、なんで」
つまりはアレだ。本日どころかここ最近の俺とイーサンの話題となるとバルコニーの大声事件しか無い。
よく考えたらあんなに大声を出してメイド達に聞こえないわけが無いのだ。
俺をよく思っていない彼女達の新しい話題として今頃屋敷中に広がっているかもしれない、それどころか下手したらルカにも直接聞こえていただろう。
自分の兄が恥をかいたと知ったらルカは俺に怒るだろう。
俺なら怒る
いや、だのその、だの意味の無い言葉を発して手をさまよわせる俺にルカは俯く
「…兄さんと話しましたか?」
「う、?ううん…」
首を振る俺に、ルカは「そうですか」とティーカップにまた手を伸ばした。
てっきり怒られる思っていた俺は何故そんなことを聞いてくるのか分からず首を傾げた
ルカはその後も特に何か聞くでもなく、話すでもなく、何度も外を眺めたり、無意味にテーブルの装飾を眺めたりしている
「…平気…?」
俺もその時間ルカになんて声をかけようかぐるぐると考えたが、ちんけなものしか浮かばい。そう聞いてみるしかなかった。
ルカは俺に目線を合わせて曖昧に笑う。
「手術、怖くないと言ったら嘘です。でも今は、それより」
あ、泣く
「ルカぁ…」言葉に詰まり、片手で顔を覆って喉を震わすルカにびっくりしながらも、傍に行って背中をさすった。
こういう時、なんて声をかければいいんだろう
俺も情けないことにもらい泣きしそうになるのを必死に耐える
メイドに目配せするけど彼女達は目を伏せたまま動かない、どうして?駆け寄ってくるぐらいはするものじゃないの?
「アーロンさん、少し手を握って貰えませんか」
震えの残る声で言うルカにそんなことならお易い御用とすぐさま手を差し出す
どっち、?どっちの手?
右手か、左手か心底どうでもいい事で手をアプアプさせる俺にルカは吹き出す
「もう…アーロンさんってば」
ルカの方から手を伸ばされ握られる。
俺よりも少しだけ大きい手
そういえば、ルカは俺より2つ程上だっけ。
俺より年上なのに義弟になるのなんか変な感じ。
ぎゅっ、と手を強く握りなおされて思わずルカの顔を見る。思ったよりすぐ側にある瞳は先程の姿が嘘のように強い意志を持っているように見える。ココ最近は、ルカの見たことない姿ばかりな気がする
「絶対元気になります。…僕の事忘れないで」
「変なルカ、忘れないよ」
俺の返答にルカが少し悲しげに笑った気がする。
ぐるぐるぐる
日はとっくの前に落ちて、時刻は恐らく深夜を回っている。
俺は1人、無駄に広い部屋で眠れず歩き回っていた。
日中に俺がやらかした件についてイーサンにどう謝ろうか考えまくっているのだ。
今日は結局会えず、もう明日見送る時にしかタイミングが無いのだが 出発時はきっと何かとバタバタするだろうから俺に割ける時間はそう無い…?いやいや俺妻だよな?流石にそんな扱いはないはず…?もうイーサンの部屋に忍び込んで謝る?いや疲れまくってるイーサン無理やり起こすとか出来ない じゃあやっぱり簡潔に謝って、あの事件の内容そこそこに夫婦2人の暫しの別れの挨拶をしたい。
置いていかれることに対して何も思ってないと言ったら完全な嘘になるけど、イーサンが俺を信じてこの屋敷を任せてくれるんだと思うことにした。まぁ残ってる仕事なんてほぼ無いんだろうけど
メイド達のことも、もしかしたらイーサンが気付いてくれるかもなんて言う甘えは捨てて自分で何とかするしかない。あまちゃんな俺が妻として成長出来るのはこの機会しかないのだ。
帰ってきたイーサンを完璧メイドさばきでびっくりさせてやるのだ!そう思えば3ヶ月間の孤独も少しは有意義な物になるだろう。
きっと、イーサンもルカも帝都で戦う。
俺も戦わないと
頭の中で納得のいってない俺をねじ伏せまくった考えを何度も繰り返す。
「どうしよう寝れる気がしないもういっその事寝ずに、ッ!……タァ~…」
馬鹿すぎる。小指をぶつけた
蹲って痛みをやり過ごそうとジンジンする指を抑える。結局イーサンに言う言葉は思い付かないし痛いし眠くないし1人だし、
「あいたいよぉ」
小指を抑えたままなんとも情けない声を出す
不意に耳に小さな音が聞こえた。
規則的な音に顔を上げると、その音はどうやら庭の方から聞こえるようだ。
キツネ?猫?カエ、
「カエル…!」
あの時の主かも!と結局庭に離してからあの巨体を何処に隠したのか、とナンバーツーの瞳がやけに可愛い顔を思い出し小指の痛みが四散する。
それにしてもノックをするなんて礼儀正しいカエルだとルンルンと庭に続く扉に向かう。
ベットがある部屋とは謎の意味があるか分からない後からつけたような壁に遮られているので寝転びながら外は見えない。不服である
「今行くよー!」
まぁノックするカエルなんて存在するはずがないので多分ただの風だけど、と心の底の自分は冷めているが どうでもいいのだ。
ひょこりと仕切り壁から顔を出すと、
俺は目を見開いた。
そして隠れた。
アピールするように両開きの扉のガラス部分を軽くノックされる。
「イーサン…」
ずっと会いたくて甘えまくりたかったイーサンがいる。そして何故か俺の庭に
余りに想定外の事に、こねくり回しながら考えた未完成の言い訳基反省してますの言葉が全て脳から消滅。俺はいつもこう。
そうは言ってもずっと会いたくて話したかった俺はそう長くは隠れては居られず、直ぐに扉に走った。
近付けば近付くほど嬉しくて笑ってしまう。
反省の色見え無さすぎだぞ俺!
急ぎ過ぎていつもより手間取りながら鍵を開けて、間髪入れずに目の前の体躯に抱き着く。
ぎゅぅぅ、と抱き締めると喉から子犬みたいな声が漏れた。色々聞きたいことはあるけど、まずは先にするべき事
「イーサン!ごめんなさい!」
黙って俺を抱き締め返してくれてたイーサンは俺の言葉に片眉をクイッと上げて僅かに首を傾げる。かっこいい
「ほったらかしにしていた事を先に謝ろうと思っていたんだが、一体なんのことだ?その笑顔で謝罪ということは、余程の事らしいな?」
「ぶへぇ、いひゃい、」
悪戯な顔で笑って俺のほっぺたを指で伸ばしてくる。これ絶対なんの事か分かってる!やっぱり怒ってた!
「ごえんやひゃい~」
「ははは」
はははじゃないよ!伸びて戻らなくなったらどうすんだ!
でも良かった、実は怒られることよりも心配だったのはルカの手術が近いから落ち込んでるんじゃないかって、でもわりと元気そう。そう見せてるだけかもしれないけど
ようやく解放されたほっぺたを摩りながら、俺はマシンガントークを早速かます。俺の開きっぱなしの口と身振り手振りする体はそのままに、イーサンが髪を梳いてくれる。
耳を撫でたりしてきて擽ったい、この時俺は耳と傷の事なんか忘れて、さっき小指をぶつけた事、実は三つ編みが出来るようになった事、マルコに絵を描いて貰ったこと。
ルカと仲良くなれたこと。
前回ルカに歩み寄った時、イーサン嬉しそうな顔をしていたから その顔が見たくて沢山話した。
「それでさ、ルカが手を伸ばしてくれて!でもさっ結局一緒に転んじゃって泥だらけになってさ!それでさっ、んむっ」
へっ
イーサンの顔がめっちゃ近い
近過ぎてなんなら見えない
何が起きてるのか分からず俺は全身が石みたいに固まる。
そっと離れていくイーサンの首元を目で追う。
その時少し乾燥した唇が離れ難いみたいにくっ付いていたから、それでこれがキスだと認識した。
聞いて驚け、実は俺達夫婦だけどまだそういう事が無い。しないのかなと疑問に思ったことはあるけど、ぶっちゃけ俺はイーサンの傍に居られればそれでオッケーだったのでそこまで気にしていなかった。子供を産める訳でもないので、珍しくないとはいえ男同士の結婚とはそういうものだとも思っていた。
聞きたいことが沢山ある、でも取り敢えず何で庭から来たのかとか、何でキスしたの を最優先事項で聞きたい。
顔が真っ赤になってるであろう俺はイーサンの顔を直視できない。なんでなんでなんでこのタイミングっ?
俯いた俺の顔をイーサンが大きな手で包む。
上に向かせようとするイーサン。恥ずかしくて見れない!と目を瞑って抵抗するが、指で耳に触れられて体がビクリと震える
俺は恐る恐る勇気を出して目を開いた
「…イーサン?」
なんで、どうしてだろう。
イーサンが凄く怒ってる
「イーサンッ、まって」
少し手荒に抱き上げられて、俺は思わず制止の言葉をかける。
イーサンが怒っている理由が、思い当たる節がありすぎて分からない。
やはりバルコニーの件だろうか、それともルカの事?俺が今まで言ってきた我儘?でも、なんの前触れもなかった
なんにせよ、分からない事は怖いのだ
抵抗しようとイーサンの胸に手を突っぱねるが大きな手で腰を強く抱かれてビクともしない。それは痛いくらいでイーサンの顔を見上げて訴えようとするが、イーサンはこちらを見てすらいない。俺を強く捕まえたまま部屋に入る。
振り向くとベットに近付いていて体が強ばった。
なに、なにがおきるの
背中に柔らかい衝撃を感じて思わず目を瞑る
直ぐに上から大きな気配が降ってきて心臓が痛いくらいに跳ねた。
俺は混乱したままイーサンの名前を呼ぶが止まる気配は無い。
熱いくらいの大きく筋ばった手がワンピースの様な形の寝間着を裾から一気にたくしあげる。太腿から脇腹まで大きく撫で上げるように触れられてビックリして声が漏れた
「ぁっ、やだ…!」
イーサンは俺の悲鳴など無視して首に顔を埋めてくる。肉食獣みたいに噛み付いてきて舌が頸動脈に触れる 自分でも脈が打っているのが分かるくらいに全神経がそこに集中したみたいな感覚になった。唇は移動して、耳を執拗にねぶられる。水音が直接脳にこだまするようだ
その間も手は体を這うのをやめない。
足をばたつかせようにものしかかられて動かせない。胸を押す手は非力で意味が無く、されるがまま
腰の下に手を入れられてぐい、と軽く持ち上げられ、熱い手が下に滑っていき下着に手が入れられた 俺は引き攣った声を喉から出しす。尻に触れられて、ビクリと震えた反動で言葉を捻り出す
「イ、ーサン、やめて…やめて…」
震えた唇からは情けない一つ覚えの言葉しか吐けず、俺の首に顔を埋めたまま一向に目を見ようとしない。俺は自由だがまるで役にたたない両手をイーサンの髪に差し込んでこちらを向くようにする。存外素直にこちらを向いたイーサンの表情は怒っている。というより
やりきれない、とでもいうだろうか
目線が合ったのは僅かで、二の腕を痛いくらいに掴まれてうつ伏せにされる。骨が軋む音がした。口元が柔らかなベットに吸い込まれていくのが怖くて、すぐベットに手をついて起き上がろうとするが今度は項から肩や肩甲骨にキスを落とされ硬直してしまう。この乱暴な行動とは裏腹に、愛でるようなリップ音と連動するように体がビクビクと跳ねる。怖いのに、恥ずかしいのに、確かに喜びもあってその狭間で心と体がぐちゃぐちゃになりそうだった。
太腿の付け根に手を差し込まれて腰を上げられる。顔がベットに沈みそうになって慌てて肘をついて上半身を起こそうとするが、体が震えて力が入らない。それを認識した時、早くイーサンに謝らないと と思った。でも何に対して?分からない事に対して謝っちゃいけないんだ。考えなきゃ考えなきゃ、
イーサンがサイドランプを置いてる棚に手を伸ばす。さっき髪の手入れに使って置いたままだったオイルを手に取ったのが横目で見えた。蓋を開ける音が背後で聞こえて、間もなくして むき出しになっていた尻にヒヤリとしたものが触れる。
「ひっ!?」
誰にも触れられたことは無い場所にイーサンの指が、と理解した時顔が爆発寸前まで真っ赤になったのが分かった。
「やだ!やだやだやだやだ!」
「っ、」
俺のがむしゃらで本気の抵抗にイーサンが少し止まった気がした。
上にずり上がった枕を掴んで後ろに振りかざしながら体勢を変える。
バフッ と手に振動が伝わったので枕はイーサンに当たったのだろう。
俺は直ぐにずり上がった服を直してベットから転げ落ちるように脱出する。
立ち上がろうにも足に力が入らない。
ベットを軋ませてイーサンが立ち上がる。
俺は必死に考えた。何に対して謝ればいい?
どれに対して?
イーサンがゆっくりこっちに歩いてくる。月の逆光で表情がよく見えない
どうしよう、どうしよう
『理由が分からないのに、謝っちゃダメよ』
おばあちゃん、ごめんなさい
「イーサン、ごめんなさい」
------
止めなければ。
今の己の行いが信じられない
若々しく張りがありながらも柔らかな肌は手に吸い付くようだった。首に顔を埋めればいつも香る匂いがより一層の強く感じられた。
どこもかしこも記憶よりずっと細く、脇腹や背骨は骨が僅かに浮いている。
可哀想なくらい非力な抵抗をするアーロを見ても、止まれない。怒りが 収まらない
美しい月明かりだった。この庭は派手さはないが、細ささやかな美しさが溢れている。
帝都に行くと告げたあの日
無邪気に、この世の幸せを集めたように笑うアーロに私は全てを放り出したくなった。
同時に、逃れられないとも。
池が花の咲く整えられた木々から顔を出す
この池の魚を私に見せたがっていたな
結局、1度も共に見てやれなかった。
月明かりに照らされた水面はしっかりと水の中の様子を映す。1匹やけに大きく地味な魚がいた アーロの言っていた金魚だろう。金魚は力は強いが孤立している。
小さな非力な魚は池の端に追いやられ、きっと野生では餌を十分に食べることは出来ないだろう。
何処か、その金魚が己に重なった。弱い身でありながら、人の手によって与えられた運命に身を任せて、他の個体の生を奪う。
金魚だった頃はこんな所に放り投げられたら一瞬で死んでしまっただろうに。守られ、育てられ、特別扱いされる。その結果がこれだ。
自嘲するしかないだろう。
なんにせよ最後に2人きりで会うにはこんなに良い日はない
アーロは寝巻き姿で私を迎え、頬を染めて嬉しそうに語る。私はその姿を焼き付けた
ルカと共に過ごした日々は実際に楽しかったのだろう。身振り手振りで子供のように目を輝かせている
私は何にも気付かないふりをして、アーロの美しい髪に指を通した。
なんだ、これは
何故今まで気付かなかった
ルカは気付いているのか
アーロの小さな耳には蚯蚓脹れのような跡が残っていた。
部屋で倒れそうになったアーロを抱き上げた時も、明らかに細くなった身体に舌打ちが出そうになった。
これが本当に正しい事なのかと自問自答を繰り返した
だが、この傷。この子は何も悪くない
何故こんな目に合わなければならない
何故あんな目に晒されなければならない
何故、
私が守ってはいけないのだ
何もかもが理不尽なこの世界に
何故私が私として産まれてきてしまったのかと。こんな事なら初めから出会わければこの子はこんな目にあわずにすんだ。自由に生きられた。
既に、私とアーロは出会ったことすら罪なのだということが酷くやるせなく、理不尽な世界に強い怒りが湧いてきた
今まで感じたことのない程の。
怒りに身を任せてアーロに悲鳴を上げさせてる己が、アーロにとって理不尽な存在なのだろう。やめなければという信号はただ脳を通過するだけで、体が言う事を聞かない。
ずっと触れたかった身体に、自分以外の跡が付けられたこと。
この先、自分以外の誰かが跡を付けること
それが最善だと言い聞かせた筈だった。だがもう、なにが正しいのか分からない。
ただ今は、私という存在を他の誰でもないアーロに、肯定されたかったのだ
この情けないほど幼稚で自分勝手な考えを未だに持てるなど、今すぐナイフを己の首を掻っ切って自害したいくらいだ。
アーロが強い拒絶を示し、私の腕の中から離れた時、この状況から解放されるために私に謝った。私から、逃れたかったのだ。
見るからに震えて私を見上げるアーロに私はさっさと死にたくなった。同時に悟った
アーロは私のものでも他の誰かのものでもない。アーロのものだ。
私は、私達はこの子の幸せを履き違えている
解放されるべきだ。私から、この家から
----------------------------
「ゆるしてくれ、アーロ」
イーサンは、目の前に立ったまま、
表情が見えないままそう言った。
俺に怒っていたからあんな事をしたと思ったのに、もう訳が分からなかった
「お前が謝ることなんて、何一つないんだ」
俺に語り掛けるその声音は感情を全て切り落としたみたいで、やっぱりイーサンは俺に怒ってるんじゃないかって思う。
なにが悪かったんだろう、少しは考えられる余裕が出来た頭でぐるぐると考える。
おばあちゃんが怒ってくれるならまだマシだって言ってた。イーサンに無関心になられたら俺は死んじゃうかもしれない
今のイーサンはそれに近いものを感じてしまう。分からない
イーサンの考えてることが全然分からない
床にへたりこんだままの俺にゆっくりと手を伸ばす。身構えたが、それは目前でとまる。
手を差し出してくれている
やはり逆光でその表情は良く見えない。
それでも俺は、躊躇いながらもイーサンの手を取った。その大きな手は先程の熱さを失っており、少し安心する
「少し話をしよう、アーロ」
それからイーサンと久々に沢山話した。
いつもは俺ばかりが話すから、少し変な感じ
イーサンはその間一切俺に触れず、少し距離を置いた所に座っていてそれに対して俺は怖くて聞くことすら出来ない
やっぱり怒ってる?なんて
怒ってる人に怒ってる?って聞くの余計怒らせるって俺知ってるんだ。
不思議なのは、イーサンが俺にやりたいことは無いのかと聞いてきたこと。
俺の望みはイーサンのそばに居ることだよって言ったらそうじゃないって。
学びたい事や、なりたいもの、叶えたい事
そんな事、医者を除けばまともに考えた事もなかったから首をひねる。うーんうーんと考える俺をイーサンはずっと待ってくれた。
「…やってみたい、事なら。あるかも…」
「……そうか」
イーサンは俺の返答を聞くと何故か安心したように目元を和らげた。
やっぱりイーサンの事が分からない。
いつもなら何でこんなことを聞くのか問うけど、さっきの事もあって今までに無いほどぎくしゃくしている。
「…私は、」
イーサンが何かを言おうとして黙る。
膝の上で拳を血管が浮き出るほど固く握っているのが見えて、俺の心拍数を上げた
イーサンは自分の事を全く話さない。だからこそ、「私は」から始まるなんて俺達の会話ではきっと初めて。
何故か分からないけど、弱ったふうにも見えるその姿に俺は泣かないでと言いそうになる。勿論泣いてなんてないが、そう見えるのだ。でもイーサンは結局、「私は」の続きを言わないことにしたようだ。
代わりに言った言葉は更に俺を混乱させた
「アーロ、お前は自由に生きるべきだ」
翌朝、俺はスッキリしない頭でベットから起き上がる。最近は血圧が低いのか立ち上がるまで時間をかけないとふらついてしまうから、暫くベッドの上にぼぅっとする時間が出来た。
昨日、イーサンが俺に言った事を頭に往復させる。
やっぱり言われた意味が分からなかった。俺は自由を奪われたなんて思ったこともないし、そもそも何故突然そんなことを俺に言うのかも分からない。これから3ヶ月会えなくなるという実感すらまともに湧いてないというのに、それは俺にとって更に難解な事だった
それに…イーサンに触られたことを思い出す。いつも優しく俺を撫でる大きな手が熱を持って俺の体を這った。それに唇が俺の肌に触れるなんてのも初めて。怖かったけど、同時に恥ずかしくて嬉しくて。だってあんなに近くにイーサンを感じたことなんて無い。
きっと俺の頭が正常に動かないのはそれのせいだ。そうに決まってる!
赤くなった顔と締め付けられる心臓に耐えきれず俺は座った体勢のまま前に倒れ込む。
それにしても、この時間になると既にメイドが来てもおかしくないのに誰もノックをしてこない。不思議に思いながらも待っていると、部屋の出入口の傍に台車が置かれていて、そこに着替えなどの一式が置いてあるのに気付いた。湯気が出ているのでお湯が入っているのだろう、という事はさほど前ではない時間にメイドが運んできたのか。何故?
まぁ、1人で用意出来るならそれに越したことはないので早いところ準備してしまおうとゆっくり立ち上がった。今日はイーサンとルカが帝都に出発する日。情けなく泣く姿なんて見せたくないのでお湯でしっかりと顔を洗ってバチンッと頬を叩き気合いを入れる。
やっぱり昨日の出来事は馬鹿な俺には理解できない。なら今考えても仕方がない
今日の俺に出来ることは2人を励まして送り出す事!
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