新陽通り商店街ワルツ

深水千世

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第4章 新陽通り気質

怖いんだ

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 夜になって、英知の店でその話をすると、彼は愉快そうに笑った。

「いいねぇ、女の子っておしゃまだな」

「だけどさ、女に夢中になってる場合じゃないんだけど」

 客が途切れた隙にたまった洗い物を片付けている俺の横で、英知はカウンターを拭きながら言った。

「いいじゃない。励みになることもあるでしょ。それに、彼女も商店街で働く仲間といえば仲間なんだから、里緒さんのためにも頑張るぞって思えるし」

「英知、前向きになったな」

 少なくとも、俺の知っている学生時代の彼は引っ込み思案だった。俺が東京に行っている間に、何かが彼を変えたのだろうか。
 そう思っていると、英知がすとんと落ちるような声で言った。

「好きだと思うことに罪悪感を抱くのは、辛いことだし、悔いしか残さないから」

「英知、お前もそんな想いをしたことあるのか?」

「うん、憲史は知ってるから正直に言うけど、本当はしんどいこともあるんだよ」

「そうか」

 それ以上、何も言えなかった。こういうとき気の利いた言葉が何も出てこない自分に苛立つ。

「あのな、英知、俺にできること、あるか?」

「えっ? どうしたの、突然」

「いや、俺さ、お前に助けてもらうばかりで、何もしてこなかったから」

 すると、彼は持ち前の穏やかな笑顔で、こう言った。

「それでいいんだ。憲史が気づいていないから救われたときだってあるんだよ」

「そういうもんか?」

「そういうもんだよ」

 彼はカウンターを拭き終わると、俺が洗ったグラスを磨き始めた。慣れた手つきで優雅なのはさすがというべきか。

「それより、親父さんのほうは落ち着いたのかな? お見舞いには行ったの?」

「いや、まだ」

「えっ、じゃあ、入院してから一度も顔合わせてないの?」

「店番があるし、それに……」

「それに?」

 躊躇したが、英知の顔を見ているうちに頑なになっていた何かがほつれていく。気がつけば、力なく呟いていた。

「怖いんだ」

「親父さんに会うのが?」

「うん」

「どうして?」

「役員の話はしなきゃならないだろ。フリーペーパーの記事とはいえ、俺なんかが三代目を名乗って、どんな反応するんだろうって思って。それにただでさえガリガリに痩せてるのに、もっと弱った親父を直視するのは怖い」

 英知は「そういうことか」と頷いた。

「なぁ、英知」

「うん?」

「人って必ず死ぬよな? 手術しても大丈夫だって言い切れないかもしれないよな」

「憲史、なんてこと言うんだよ」

「俺、本当に怖いんだ。今まで親父がいなくなることなんて、一瞬でも想像したことなかったんだよ」

 洗い物をする手を止め、英知をじっと見つめる。

「商店街が大変なときだからってわけじゃなくて、人が一人いなくなることが怖いんだ」

「憲史……」

 英知は気遣うような目で視線を返していたが、やがて「よし」と声を上げた。

「僕が一緒に見舞いに行くよ」

「えっ?」

「親父さんの顔を見たいし、僕が一緒だったら弱気になっても吐き出す相手ができるでしょ?」

 情けない話だが、英知がこうまで言ってくれてもまだ腰が引けていた。そんな俺に彼はこう畳み掛ける。

「もし、本当に怖いと思ってるなら、会いに行くべきだよ、なおさらね」

「そうか。そうだな」

「それに、親父さんも喜ぶよ」

「まさか」

「喜ぶさ。僕が保証するよ。なんなら亮も誘う? 三人で行こうよ」

「いや、亮には今の話、言わないでくれ」

「どうして?」

「あいつ、親父さんもおばさんも亡くしてるだろ?」

「あ、うん」

「あいつだって、今の俺みたいに怖くなったり、落ち込んでたと思うんだ。おばさんは病気で亡くしてるしな。それなのに俺ときたらあいつがそんな想いをしているときに、呑気に不倫なんかしてさ、里帰りもしないでさ、あいつに何もできなかったんだ」

 濡れた手を拭きながら、低い声で言う。亮に何もできなかったことは、ずっと、胸の奥に引っかかっていた悔いだった。
 不思議なもんだ。英知の醸し出す柔らかい雰囲気は、人の心を裸にする。他の人には素直に言えないことも、するっと出てきてしまう。

「あいつに親父が死ぬのが怖いなんて、言える資格はないんだ。それに、亮にいろいろ思い出させたくない」

「そうか」

 英知は、そっと目を細めた。

「たまに君たちは思いやりが空回りするね」

 照明で輝くグラスを置き、英知が静かに言った。

「でも、僕はそういう不器用なとこが好きだよ」

 不器用と言われても、何も反論できない。もう少し器用に生きられたら、どんなに楽だろう。そう言うと、英知は笑い飛ばす。

「でもねぇ、楽な道は味気ないから」

 同い年だというのに、どれだけ乗り越えたものを積み重ねれば、こう言い切れるのだろう。ただ言えることは、俺はいい友達を持っているということだ。そう思った。
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