17 / 34
第4章 新陽通り気質
怖いんだ
しおりを挟む
夜になって、英知の店でその話をすると、彼は愉快そうに笑った。
「いいねぇ、女の子っておしゃまだな」
「だけどさ、女に夢中になってる場合じゃないんだけど」
客が途切れた隙にたまった洗い物を片付けている俺の横で、英知はカウンターを拭きながら言った。
「いいじゃない。励みになることもあるでしょ。それに、彼女も商店街で働く仲間といえば仲間なんだから、里緒さんのためにも頑張るぞって思えるし」
「英知、前向きになったな」
少なくとも、俺の知っている学生時代の彼は引っ込み思案だった。俺が東京に行っている間に、何かが彼を変えたのだろうか。
そう思っていると、英知がすとんと落ちるような声で言った。
「好きだと思うことに罪悪感を抱くのは、辛いことだし、悔いしか残さないから」
「英知、お前もそんな想いをしたことあるのか?」
「うん、憲史は知ってるから正直に言うけど、本当はしんどいこともあるんだよ」
「そうか」
それ以上、何も言えなかった。こういうとき気の利いた言葉が何も出てこない自分に苛立つ。
「あのな、英知、俺にできること、あるか?」
「えっ? どうしたの、突然」
「いや、俺さ、お前に助けてもらうばかりで、何もしてこなかったから」
すると、彼は持ち前の穏やかな笑顔で、こう言った。
「それでいいんだ。憲史が気づいていないから救われたときだってあるんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
彼はカウンターを拭き終わると、俺が洗ったグラスを磨き始めた。慣れた手つきで優雅なのはさすがというべきか。
「それより、親父さんのほうは落ち着いたのかな? お見舞いには行ったの?」
「いや、まだ」
「えっ、じゃあ、入院してから一度も顔合わせてないの?」
「店番があるし、それに……」
「それに?」
躊躇したが、英知の顔を見ているうちに頑なになっていた何かがほつれていく。気がつけば、力なく呟いていた。
「怖いんだ」
「親父さんに会うのが?」
「うん」
「どうして?」
「役員の話はしなきゃならないだろ。フリーペーパーの記事とはいえ、俺なんかが三代目を名乗って、どんな反応するんだろうって思って。それにただでさえガリガリに痩せてるのに、もっと弱った親父を直視するのは怖い」
英知は「そういうことか」と頷いた。
「なぁ、英知」
「うん?」
「人って必ず死ぬよな? 手術しても大丈夫だって言い切れないかもしれないよな」
「憲史、なんてこと言うんだよ」
「俺、本当に怖いんだ。今まで親父がいなくなることなんて、一瞬でも想像したことなかったんだよ」
洗い物をする手を止め、英知をじっと見つめる。
「商店街が大変なときだからってわけじゃなくて、人が一人いなくなることが怖いんだ」
「憲史……」
英知は気遣うような目で視線を返していたが、やがて「よし」と声を上げた。
「僕が一緒に見舞いに行くよ」
「えっ?」
「親父さんの顔を見たいし、僕が一緒だったら弱気になっても吐き出す相手ができるでしょ?」
情けない話だが、英知がこうまで言ってくれてもまだ腰が引けていた。そんな俺に彼はこう畳み掛ける。
「もし、本当に怖いと思ってるなら、会いに行くべきだよ、なおさらね」
「そうか。そうだな」
「それに、親父さんも喜ぶよ」
「まさか」
「喜ぶさ。僕が保証するよ。なんなら亮も誘う? 三人で行こうよ」
「いや、亮には今の話、言わないでくれ」
「どうして?」
「あいつ、親父さんもおばさんも亡くしてるだろ?」
「あ、うん」
「あいつだって、今の俺みたいに怖くなったり、落ち込んでたと思うんだ。おばさんは病気で亡くしてるしな。それなのに俺ときたらあいつがそんな想いをしているときに、呑気に不倫なんかしてさ、里帰りもしないでさ、あいつに何もできなかったんだ」
濡れた手を拭きながら、低い声で言う。亮に何もできなかったことは、ずっと、胸の奥に引っかかっていた悔いだった。
不思議なもんだ。英知の醸し出す柔らかい雰囲気は、人の心を裸にする。他の人には素直に言えないことも、するっと出てきてしまう。
「あいつに親父が死ぬのが怖いなんて、言える資格はないんだ。それに、亮にいろいろ思い出させたくない」
「そうか」
英知は、そっと目を細めた。
「たまに君たちは思いやりが空回りするね」
照明で輝くグラスを置き、英知が静かに言った。
「でも、僕はそういう不器用なとこが好きだよ」
不器用と言われても、何も反論できない。もう少し器用に生きられたら、どんなに楽だろう。そう言うと、英知は笑い飛ばす。
「でもねぇ、楽な道は味気ないから」
同い年だというのに、どれだけ乗り越えたものを積み重ねれば、こう言い切れるのだろう。ただ言えることは、俺はいい友達を持っているということだ。そう思った。
「いいねぇ、女の子っておしゃまだな」
「だけどさ、女に夢中になってる場合じゃないんだけど」
客が途切れた隙にたまった洗い物を片付けている俺の横で、英知はカウンターを拭きながら言った。
「いいじゃない。励みになることもあるでしょ。それに、彼女も商店街で働く仲間といえば仲間なんだから、里緒さんのためにも頑張るぞって思えるし」
「英知、前向きになったな」
少なくとも、俺の知っている学生時代の彼は引っ込み思案だった。俺が東京に行っている間に、何かが彼を変えたのだろうか。
そう思っていると、英知がすとんと落ちるような声で言った。
「好きだと思うことに罪悪感を抱くのは、辛いことだし、悔いしか残さないから」
「英知、お前もそんな想いをしたことあるのか?」
「うん、憲史は知ってるから正直に言うけど、本当はしんどいこともあるんだよ」
「そうか」
それ以上、何も言えなかった。こういうとき気の利いた言葉が何も出てこない自分に苛立つ。
「あのな、英知、俺にできること、あるか?」
「えっ? どうしたの、突然」
「いや、俺さ、お前に助けてもらうばかりで、何もしてこなかったから」
すると、彼は持ち前の穏やかな笑顔で、こう言った。
「それでいいんだ。憲史が気づいていないから救われたときだってあるんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
彼はカウンターを拭き終わると、俺が洗ったグラスを磨き始めた。慣れた手つきで優雅なのはさすがというべきか。
「それより、親父さんのほうは落ち着いたのかな? お見舞いには行ったの?」
「いや、まだ」
「えっ、じゃあ、入院してから一度も顔合わせてないの?」
「店番があるし、それに……」
「それに?」
躊躇したが、英知の顔を見ているうちに頑なになっていた何かがほつれていく。気がつけば、力なく呟いていた。
「怖いんだ」
「親父さんに会うのが?」
「うん」
「どうして?」
「役員の話はしなきゃならないだろ。フリーペーパーの記事とはいえ、俺なんかが三代目を名乗って、どんな反応するんだろうって思って。それにただでさえガリガリに痩せてるのに、もっと弱った親父を直視するのは怖い」
英知は「そういうことか」と頷いた。
「なぁ、英知」
「うん?」
「人って必ず死ぬよな? 手術しても大丈夫だって言い切れないかもしれないよな」
「憲史、なんてこと言うんだよ」
「俺、本当に怖いんだ。今まで親父がいなくなることなんて、一瞬でも想像したことなかったんだよ」
洗い物をする手を止め、英知をじっと見つめる。
「商店街が大変なときだからってわけじゃなくて、人が一人いなくなることが怖いんだ」
「憲史……」
英知は気遣うような目で視線を返していたが、やがて「よし」と声を上げた。
「僕が一緒に見舞いに行くよ」
「えっ?」
「親父さんの顔を見たいし、僕が一緒だったら弱気になっても吐き出す相手ができるでしょ?」
情けない話だが、英知がこうまで言ってくれてもまだ腰が引けていた。そんな俺に彼はこう畳み掛ける。
「もし、本当に怖いと思ってるなら、会いに行くべきだよ、なおさらね」
「そうか。そうだな」
「それに、親父さんも喜ぶよ」
「まさか」
「喜ぶさ。僕が保証するよ。なんなら亮も誘う? 三人で行こうよ」
「いや、亮には今の話、言わないでくれ」
「どうして?」
「あいつ、親父さんもおばさんも亡くしてるだろ?」
「あ、うん」
「あいつだって、今の俺みたいに怖くなったり、落ち込んでたと思うんだ。おばさんは病気で亡くしてるしな。それなのに俺ときたらあいつがそんな想いをしているときに、呑気に不倫なんかしてさ、里帰りもしないでさ、あいつに何もできなかったんだ」
濡れた手を拭きながら、低い声で言う。亮に何もできなかったことは、ずっと、胸の奥に引っかかっていた悔いだった。
不思議なもんだ。英知の醸し出す柔らかい雰囲気は、人の心を裸にする。他の人には素直に言えないことも、するっと出てきてしまう。
「あいつに親父が死ぬのが怖いなんて、言える資格はないんだ。それに、亮にいろいろ思い出させたくない」
「そうか」
英知は、そっと目を細めた。
「たまに君たちは思いやりが空回りするね」
照明で輝くグラスを置き、英知が静かに言った。
「でも、僕はそういう不器用なとこが好きだよ」
不器用と言われても、何も反論できない。もう少し器用に生きられたら、どんなに楽だろう。そう言うと、英知は笑い飛ばす。
「でもねぇ、楽な道は味気ないから」
同い年だというのに、どれだけ乗り越えたものを積み重ねれば、こう言い切れるのだろう。ただ言えることは、俺はいい友達を持っているということだ。そう思った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
#星色卒業式 〜きみは明日、あの星に行く〜
嶌田あき
青春
2050年、地球の自転が止まってしまった。地球の半分は永遠の昼、もう半分は永遠の夜だ。
高校1年の蛍(ケイ)は、永遠の夜の街で暮らしている。不眠症に悩む蛍が密かに想いを寄せているのは、星のように輝く先輩のひかりだった。
ある日、ひかりに誘われて寝台列車に乗った蛍。二人で見た朝焼けは息をのむほど美しかった。そこで蛍は、ひかりの悩みを知る。卒業したら皆が行く「永遠の眠り」という星に、ひかりは行きたくないと言うのだ。
蛍は、ひかりを助けたいと思った。天文部の仲間と一緒に、文化祭でプラネタリウムを作ったり、星空の下でキャンプをしたり。ひかりには行ってほしいけれど、行ってほしくない。楽しい思い出が増えるたび、蛍の胸は揺れ動いた。
でも、卒業式の日はどんどん近づいてくる。蛍は、ひかりに想いを伝えられるだろうか。そして、ひかりは眠れるようになるだろうか。
永遠の夜空に輝くひとつの星が一番明るく光るとき。蛍は、ひかりの驚くべき秘密を知ることになる――。
僕たちの中から一人『消えた』、あの夏の日
木立 花音
青春
【第2回Solispia文学賞で佳作を受賞しました。ありがとうございました!】
病気で父親を亡くした少年、高橋都(たかはしいち)は、四年ぶりに故郷である神無し島に戻ってきた。
島根県の沖にあるこの島は、守り神がいるという言い伝えがある反面、神の姿を見た者は誰もいない。そんな状況を揶揄してついた名が、「神無し島」なのであった。
花咲神社の巫女である、花咲夏南(はなさきかな)と向かった川で、仲良しグループの面々と川遊びをしていた都。そんなおり、人数が一人増えているのに気が付いた。
しかし、全員が知っている顔で?
誰が、何の目的で紛れ込んだのか、まったくわからないのだった。
――増えたのは誰か?
真相を知りたければ、御神木がある時超山(ときごえやま)に向かうといいよ、と夏南に聞かされた鮫島真人(さめじままさと)は、新條光莉(しんじょうひかり)、南涼子(みなみりょうこ)、に都を加えた四人で山の中腹を目指すことに。
その道中。『同じ道筋を誰かがたどっていた』痕跡をいくつか見つけていくことで、増えた人物の『正体』が、段々と浮き彫りになっていくのであった。
増えたのは誰だ?
増えた者はいずれ消えるのか?
恋愛×青春ミステリー、ここに開幕。
※この作品は、小説家になろう、カクヨム、ノベルアッププラス、Solispiaでも連載しています。
※表紙画像は、SKIMAを通じて知様に描いて頂きました。
※【これは、僕が贈る無償の愛だ】に、幽八花あかね様から頂いたFAを。【十年後。舞台は再び神無し島】に、知様から頂いたFAを追加しました。
ありがとうございました。
その溺愛は伝わりづらい
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】
【続編も8/17完結しました。】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
神様自学
天ノ谷 霙
青春
ここは霜月神社。そこの神様からとある役職を授かる夕音(ゆうね)。
それは恋心を感じることができる、不思議な力を使う役職だった。
自分の恋心を中心に様々な人の心の変化、思春期特有の感情が溢れていく。
果たして、神様の裏側にある悲しい過去とは。
人の恋心は、どうなるのだろうか。
【アルファポリスで稼ぐ】新社会人が1年間で会社を辞めるために収益UPを目指してみた。
紫蘭
エッセイ・ノンフィクション
アルファポリスでの収益報告、どうやったら収益を上げられるのかの試行錯誤を日々アップします。
アルファポリスのインセンティブの仕組み。
ど素人がどの程度のポイントを貰えるのか。
どの新人賞に応募すればいいのか、各新人賞の詳細と傾向。
実際に新人賞に応募していくまでの過程。
春から新社会人。それなりに希望を持って入社式に向かったはずなのに、そうそうに向いてないことを自覚しました。学生時代から書くことが好きだったこともあり、いつでも仕事を辞められるように、まずはインセンティブのあるアルファポリスで小説とエッセイの投稿を始めて見ました。(そんなに甘いわけが無い)
どこぞのドアと澄香とすみか 〜妹と同じくらい好きな彼女が出来たら神と喧嘩する羽目になったのは一体どういう了見だ〜
板坂佑顕
ライト文芸
【完結に伴いED曲楽譜と音源をつけました】
●SoundCloud
https://soundcloud.com/user-84998149/ancient-water-featuring-zunko
●YouTube(低音質)
https://youtu.be/DQJ4aKUxJas
●nana
https://nana-music.com/sounds/0596c701
全ての音楽好きお兄ちゃん&お姉ちゃんに捧ぐ、ロック×妹×異次元ストーリーです。
1980年代終盤。バブルの終焉にしてバンドブームに沸く、ざわついた時代が舞台。
モテない兄と完璧な妹の剣崎姉妹は、グダグダで楽しい日常を謳歌中。そのモテない兄をなぜか慕う謎の少女、それに輪をかけて訳のわからんドアが登場したせいで、異次元にぶっ飛ばされたりトラウマと対峙したり神的な何かと喧嘩する羽目になったりと、日常は異常な方向へ転がり始めます。
全編に散りばめた音楽ネタは無駄に豪華。分かる人だけニヤリとできる、ためにならない細かさにつき、音楽ストリーミングとwikiを傍にどうぞ。
きっとあなたも、澄香に会いたくなる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる