新陽通り商店街ワルツ

深水千世

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第4章 新陽通り気質

初めての理事会

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 翌日の夜、亮と一緒に理事会の会場に到着した俺は、少し緊張しながら部屋を見渡した。そこには、会議用のテーブルを四角に並べてあり、すでに他の役員が揃っていた。いつだったか正誤表を届けた人たちだ。

「憲史君、お父さんの具合はどう?」

 真っ先に声をかけてくれたのは島本花店の美希さんだった。彼女は監査で、会計の収支判決、出納帳と領収書の確認が仕事だ。だけど、総会や会議に発言力はない。

「手術は無事終わりました。ありがとうございます」

「そう、ならよかった」

 そう言って、彼女はにこやかに微笑む。
 席に着くと、次に声をかけてくれたのは洋子さんだった。

「憲ちゃん、この前はどうもね。お父さん、大変だったわね」

 彼女は理事で、理事会の出席と議事の審議に発言権がある。イベントなんかに積極的に参加や協力をする役職だが、本人が言っていたように、特にトラブルがない限り、あまり仕事はない。

「そうそう、あの写真、亮ちゃんから受け取ったよ。今度孫が来るから見せるんだ」

 どこか誇らしげな様子だ。これじゃもう一度撮影し直したいなんて、とてもじゃないけど口にできない。胸にどすんと大きな石でも乗せられた気分になった。

「で、いつ掲載か決まった?」

「今、原稿書いてるんで、編集部の人からゴーサインが出たらお知らせしますよ」

 まだ見出しも書けてないなんて、それこそ言えない雰囲気だ。
 すると、そこにパン屋の吉川さんが口を挟んできた。

「どんな写真だい?」

 彼は副理事長で、理事長欠席団体の補佐をする。彼の問いに答えたのは、亮だった。

「あとでお見せしますよ。なかなかいい写真ですよ」

 本当にいい写真と思ってくれているかはわからないが、亮はにっこり微笑んでいた。

「そりゃ、楽しみだ」

 吉川さんはそれからいつもの調子で亮と世間話を始める。なんとなく聞き流していると、不意に喫茶店の大野さんが俺に話しかけてきた。

「憲史君、代理人を引き受けてくれてありがとう。お父さんの手術、無事に終わってよかったね」

 大野さんは商店街、組合員の代表である理事長を務めている。審議事項を最終的に決断し、各関連団体や商店街連合会への参加、協力をするポジションだ。

「ありがとうございます。俺、お役に立てるといいんですけど」

「大丈夫、亮君もバックアップするって言ってたし、気を楽にして」

 そう励ますように言い、みんなを見回して「さて、そろそろ始めましょうか」と声をかけた。

 全員がぞろぞろとテーブルについた。俺の役職は専務理事になるらしい。理事長の補佐をし、商店街連合会へ執行して自商店街との調整役もこなす。
 でも亮によると、総会や各会議の司会進行、年間各イベントの調整、郵便物の対応もする組合での何でも屋だそうだ。これからは会報配り、集計、集金、他団体の受付の手伝いもしなければならないだろう。

 本来なら俺が司会進行するところだが、この日はまだ不慣れだろうからと亮が代役をかって出てくれた。彼の役職は会計で、商店街の収支の管理や組合員会費の収入、各イベント収支の調整、総会での発表が仕事になる。

 こうしてそれぞれの役職を知ってみると、父親も亮も、本業以外によくやっていたもんだと半ば感嘆した。
 亮は俺の隣に座り、議題を書き留めたメモを手元に置いた。

「皆さん、既にご存知だと思いますが、高瀬駅直結のビルが着工になりました。その対策について話し合いたいと思います。また、その一環となりますが、以前お話ししていたフリーペーパーへの宣伝の件について、ご報告したいと思います」

 洋子さんの顔が期待で満ちたのを感じ取り、思わず手元に視線を落としてしまった。彼女メインの記事ではなくなるのを、まだ知らないのだ。どういう反応をされるか怖かった。
 真っ先に口を開いたのは、吉川さんだった。

「対策っていってもよ、俺らがいろいろ提案しても、組合員が動かないんだからしょうがねぇべ。ボヌールができたときだってそうだったろ」

 洋子さんが相槌を打つ。

「そうだよ、あのときだってもっとPRしようとか、一斉にセールをしたらどうだとかあれこれ考えたけどさ、やる気のある人なんていなかったよね」

 思わず「へぇ」と驚きの声が漏れそうになった。彼らは何もしなかったわけではないんだ。結果的に何もできなかったが、あがいてみようという気持ちはあったなんて知らなかった。何も知らずにやきもきしていた自分が恥ずかしく、ちょっと罪悪感を抱いてしまった。
 そんな俺をよそに、美希さんも「まったくねぇ」とため息まじりに肩を落とした。

「どんどん組合員だって減ってるしね」

 思わず「そうなんですか」と相槌を打つと、洋子さんが口を挟んだ。

「そりゃそうよ、なんたって年寄りが多いからさ、棺桶に入るか、倅に代替わりするも若いのは入りたがらなかったり。最近じゃ、新規の人って、なかなか入らないのよ」

 吉川さんはそれを聞いて、ふんと鼻を鳴らして椅子の背もたれにのけぞった。

「組合に入らないかって誘っても、口を開けばすぐに『うちにメリットはあるのか』だ。昔はまず顔をつなぐために入ったもんだぜ」

 うんうんと、洋子さんが指折数え出した。

「道路に街路灯の整備、花壇設置、除雪、イベント。これだけやってんのにさ。少なからずメリットはあるわよねぇ」

 大野さんが俺に向かって口を開いた。

「居酒屋が増えてるのも良し悪しなんだよ。彼らは夜働くから、日中の活動なんてできないし、このご時世だから会費を捻出するのも惜しいんだろうね」

 そして、全員の顔を見回し、残念そうな声で言った。

「この前、各商店街にもっと賑わいをって趣旨で、市の要請で委員会が立ち上がったでしょう? あのとき、それぞれの商店街の代表者と一緒に高瀬市民のアンケートをもとにして問題点を整理したんだけどね、商店街そのものを知らない人も多くて、そもそも興味もないんだそうだ」

「知らないって、商店街を? そんなことあるの?」

 目を見張った美希さんに、大野さんが頷く。

「うちの商店街は飲屋街だと思われてることが多いね。居酒屋が増えてるし、そもそも飲屋街が近いから」

 途方にくれた顔で、美希さんがぼやく。

「客の認識がそれだもんね。組合員にもやる気ないし、このままじゃ、どうせダメだって雰囲気ですよね」

 もはや会議というより愚痴大会だ。こんな重苦しい話し合いをしていれば、そりゃ父親も帰ってくるたびに「疲れた」と言うはずだ。
 どんよりした空気を打ち破り、亮がなだめるような声をかけた。

「まぁ、とりあえず、フリーペーパーのほうを進めましょうか。それだって対策になると思いますし」

 美希さんが持ち前の明るさを取り戻し、「そうだよね」と顔を輝かせた。

「私、洋子さんの写真見たい!」

 慌ててバッグからプリントアウトした写真を取り出し、「これです」と差し出した。

「おお、どれどれ」

 身を寄せ合って見つめる面々の後ろで、洋子さんはちょっとにやけている。

「へぇ、いい写真じゃない」

「うん、朗らかでいいね」

 そんな声の中、吉川さんが「あはっ」と笑った。

「それにしても洋子さん、ずいぶん張り切って洒落込んだなぁ」

「えぇ? どこがよ」

 吉川さんの口調にからかうような響きを感じ、洋子さんは少し気分を害したようだ。

「なに言ってんの、私はいつもこうでしょ」

 今まさにスッピンの洋子さんだが、胸を張って言いのけた。吉川さんは苦笑して、「はいはい」とあしらう。

 賑わいが落ち着いた頃、亮が静かに切り出した。

「実はですね、今回フリーペーパーの担当者から提案がありまして」

 とうとう、その話題になった。亮が記事の概要と料金の説明をするごとに、どんどん洋子さんの顔がむすっとしていった。

「じゃあ、私が主役じゃないの?」

 開口一番、唇を尖らせ、面白くないといった態度を露わにする。周囲の人たちも顔を見合わせ、ちょっと気まずそうな顔になった。
 だが、亮が「しょうがないんですよ」といつもの口癖で返す。

「少しでも料金を抑えたほうが、他の組合員が『うちもやろう』って思いやすいでしょうし。それに、価格的に広告として出すと中面の一段しかスペースを確保できないんですけど、この方法だと二段もらえるんです」

「でもさ、あんまり言いたくないけど」

 洋子さんは俺のほうをちらっと見て、苦々しい顔をした。

「撮影料はどのみち一万五千円かかるわけでしょ? それで本当に効果あるの?」

 すると、吉川さんが「そうなんだよな」と相槌を打った。

「憲坊、ボランティアじゃないんだったら、ちゃんと広告になってくれないと、誰も出したがらないぞ」

 カチンときた。俺の写真に金を出す価値がないと言っているように聞こえたのだ。それに、洋子さんも広告の件については丸投げだったくせに、自分勝手だ。そもそも言い出したのは自分じゃないか。
 俺はたとえ親友の頼みだとしても、生まれ育った商店街のためだとしても、仕事として引き受けたつもりだった。なのにそんな言い草をされたら、頭にくる。

 だけど、洋子さんの撮影で手痛いミスをしたことがよぎり、ぐっと口をつぐんだ。仕事として引き受けたくせに、俺の中で『親友の依頼だから、商店街の写真だから』と甘えていたところがなかったといえば嘘になる。けれど、それでも面白くなかった。
 俺の怒りを感じ取ったのか、亮がすかさず静かに説明する。

「不安はもっともです。今回はまだ記事ができてないんで、イメージが湧かないせいもあると思います。ちゃんと写真モデルの店を紹介するスペースもあるんで、結果的には広告になりますよ」

「でもねぇ」

 まだ渋っている洋子さんに、亮が宥めるように言った。

「記事が形になったら、またこの席でお見せします。そのときに出せるか判断してくれませんか?」

「それはいいけど、ずいぶんゆっくりね。いつ載る予定なの?」

「三月上旬を予定してたんですけど、どのみち、憲史の親父さんが退院するまでは、記事が出来上がらないんです。ただ、三月中には完成させたいと考えてます」

「それなら、まぁ、記事を見てみましょうか」

 そうは言いながら、まだ少し不満が残る声で洋子さんは頷いた。

 結局、この日のうちに話が進んだのはその件だけで、新しい対策は何も出ないまま、お開きになった。
 帰り道、真っ暗な商店街に足音を響かせながら、ムカムカした気分を抑えるのに必死だった。
 すると、隣を歩いている亮がぽつりとこう言った。

「よく我慢したな」

 それを聞いた途端、堪えていたものがどっと噴き出した。

「我慢しきれてないよ。顔に出てただろ?」

「あぁ」

 亮が苦笑する。

「俺がプロ失格の仕事をしたのは悪いと思ってるよ。洋子さんの場合はタダでもいいと思うくらいには。だけど、あのとき、俺が商店街のために撮るんだったら金を取らないのが当たり前って態度だったのが腹立ったんだよ」

「まぁな、ボランティアとして依頼したわけじゃないからな」

「俺だってカメラマンの端くれだ。技術は商品なんだ」

「うん、そうだな」

 亮はぽつりとそう言ったきり、何も言わなかった。沈黙の中、次第に俺の怒りが萎えていく。こいつと喧嘩すると、いつもこうだ。俺が一方的に怒って、亮はただ黙って聞いている。そして彼の冷静さにつられて、俺も落ち着いてくるんだ。

 怒りがおさまった途端、ため息が漏れた。写真館の三代目として記事を書く流れは避けられなくなってきたことが憂鬱だった。
 でも、他の誰でもない、自分のせいだ。三代目を名乗る勇気が持てないと亮にすら打ち明けていなかったのがいけないんだ。それに、現段階では一番ベストな方法だってこともわかってる。

 俺に足りないものは覚悟だ。それはわかってる。けど、それってどうやって見つけるものなんだろう。

 隣を歩く亮も、今日はいつもより口数が少ない。役職は会計でも、年齢的には近い将来、うちの商店街を引っ張っていくと期待されている。本人も薄々それは感じているはずだ。ボヌール撤退に折り重なるように入ってきた駅ビル着工の知らせに、何を思ったんだろう。きっと、俺より重圧を感じているはずだ。

『親父、早く戻ってこいよ』

 生まれて初めて、父親を頼りにした瞬間だった。
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