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片翼の香水瓶
敵か味方か
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『たきのや』でそんな動きがあったことなどつゆ知らず、母屋ではロッキーと煙の男が対峙していた。
「どうしてエミさんを狙った?」
鋭く問うロッキーに、男は唇を歪ませた。
「用があるのは、赤ん坊だ。あの女は俺の毒気にあてられただけさ」
今度は菊千代が牙をむく。
「若に何用でござるか」
「なぁに、簡単なことだ。俺の探し物を見つけて欲しいんだよ」
「探し物? 無理を言うでない。若はこの通り、まだ歩けもしないでござる」
「別に、あんたたちが探したっていいんだぜ。この辺りじゃ、この家が一番俺たちのような物憑きが集まりやすいって聞いたんだ」
「誰がそんなこと?」
「きりゅうという奴さ」
ロッキーと菊千代が顔を見合わせる。
「きりゅう? 桐生市と何か関係があるのか?」
「素性なんて知らないね。ただ、俺のところにふらりと現れて、そう教えてくれた」
「何者でござるか?」
「どうでもいいよ、そんなこと。とにかく、俺の探している物を見つけてくれよ」
これに唸り声を上げたのは、ロッキーだった。
「やかましい! 厄介ごとを持ち込んでおきながら厚かましい!」
「なぁんだ、ダメなの?」
「エミさんを戻せ!」
「知らないよ。だって、あれは俺のせいじゃないからね。あの女が勝手に俺に呼応して、自分の中に押し隠していたものに取り憑かれただけだからな」
それを聞いたロッキーが歯ぎしりをした。
「では、その毒気はどうすれば治る?」
「それこそ、知らないよ」
「なんだと?」
「だって、今まで毒気を祓った奴なんていなかったからな」
菊千代が泣き続けるダイキをかばいながら、「無責任な」と毛を逆立てる。ふと、煙の男がダイキを見て「そうだ」と舌なめずりした。
「その子に取り憑けばいいんだ。そうすりゃ、この手にあいつが戻ってくるかもしれない。そうしよう」
男の高笑いが響いた。
「そうだよ、面倒なことしないで、もっと早くそうすればよかった。だからさ」
すうっと、男から笑みが消え、首を傾けながら冷たい目でダイキを見下ろす。
「邪魔すんなよ」
菊千代の背筋がぞくりとした瞬間、男の目が見開かれ、口が裂けた。床を蹴り、菊千代めがけて突進してくる。
咄嗟に菊千代はダイキの前に覆いかぶさった。霊体の姿では、彼を抱えて逃げることもできない。男が拳を振りかぶったそのときだった。
男の体が真横に吹き飛んだ。ロッキーが体当たりしたのだ。彼の黒い体も床にどすんと落ちたが、すぐに立ち上がり、グローブを構える。
「油断するな、菊千代!」
「か、かたじけない」
慌てて刀を構えた菊千代に、ロッキーが男から目を離さずに言う。
「まずいぞ、負の気が強くなった」
床に伏した男が、ゆっくりと体を起こした。周囲にどこからともなく黒い影が沸き起こり、彼の体を包んでいく。
「俺はさ、邪魔すんなよって言ったけど?」
こちらを見る目が血走り、怒りに燃えていた。
「まずいでござる。なんとか若をこの場から避難させねば」
「無理だな。俺たちがあいつを祓うしかないだろ。いくぞ!」
ロッキーと菊千代が一斉に飛び出した。男は一瞬、唇を釣り上げ、身を低くして迎え撃つ。ロッキーの赤いグローブと菊千代の刀が男めがけてひたすらに打ち込まれた。だが、男は腕で払い、身を翻し、手応えがない。ロッキーたちは男の拳を避けるので精一杯だ。
「ちくしょう」
ロッキーが呟いた刹那、男が打ち込んできた。グローブで防いだものの、床に叩きつけられる。
「ロッキー!」
そう叫んだ途端、菊千代も背中に強烈な蹴りを食らって吹き飛んだ。
菊千代の体が床を滑り、ダイキの前で止まった。
「若、お逃げくだされ」
声が届くわけがない。幼いダイキが一人で歩けるはずもない。けれど、それでもそう言うしかなかった。
火がついたように泣き続けるダイキに歩み寄り、男がうんざりしたようにぼやく。
「うるさいなぁ。俺、赤ん坊の泣き声って嫌いなんだよね。俺の毒気、吸わせちゃおうかな」
菊千代が必死に男の足に噛み付いた。
男が悲鳴を上げ、力任せに菊千代を蹴り飛ばす。
「ふざけんなよ!」
煙の男は怒鳴り、ダイキを睨みつけた。
「うぜぇ!」
「うざいのはお前だ!」
ロッキーの吠えるような声が響く。男の横顔をグローブが直撃した。男は倒れこむ。
「ダイキに手を出すな」
ロッキーは乱れた息でそう言うと、ダイキの前に立ちはだかる。
「その姿をしたお前には、絶対に負けられん」
身体中に走る痛みに顔をしかめながら、菊千代がロッキーの隣に立った。
「あいつとエミさんに何があったかは知らないが、拙者とて負けられぬのは同じこと」
ロッキーと菊千代が再び走り出した。男が立ち上がる前に、菊千代の刀で顔面を床に叩きつけた。そこにロッキーが飛び上がり、深紅のグローブを振りかぶった。
「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え!」
白い光が男を包むかと思った瞬間だった。ロッキーの横腹に激しい痛みが走り、吹き飛ぶとともに光が消えた。
「あっ!」
菊千代が目を丸くした。ミサヲを祓ったときに現れた老人が、目の前に立っていた。ロッキーを打ったのは、彼の杖だ。
「お前、いつの間に!」
「さっきからいたんじゃがの」
白いヒゲを撫でつけ、老人がうそぶく。そのとき、煙の男が顔を上げ、「あっ」と声を漏らした。
「お前は、きりゅう!」
「ええっ? こいつが?」
素っ頓狂な声を上げた菊千代を無視し、老人がすっと煙の男の前に立ちはだかった。そして、その顔を杖で打つ。
「ぐあ!」
再び倒れこんだ男に、きりゅうがふんと鼻を鳴らした。
「若旦那には手を出すなと言っておいたのを忘れたか」
呻き声を上げている男に、きりゅうが吐き捨てるように言った。
「たわけめ。若旦那を殺めては水の泡じゃぞ。まったく、これだから不安定な物憑きは面倒じゃわい」
この老人は味方だろうか? 菊千代が訝しんでいると、きりゅうがまるで呪文を唱えるように話しかける。
「お主が求めていたものはなんじゃ? 探していたものはなんじゃ? 思い出せ」
ぴくりと男の耳が動いた。深い息を吐き、かすれた声がした。
「どうして離れるとわかって作ったのだ」
その声が次第に震え、太いものに変わっていく。
「どうして一人でいなければならない。あいつをどこにやったのだ。俺たちは二人で一人なのに、何故引き裂こうとした」
「ああ!」
ロッキーが叫ぶ。煙の男の顔が捻れ、歪み、まるで粘土をねじったように潰れた。全身がぶよぶよと膨れ上がり、人型をした煙の塊となっていく。ただ、顔にはぞっとするような冷たく黒い目と口がぽっかりと開いているだけだ。おぼつかない足取りで必死に立ちながら、声が漏れる。
「さ、び、し、い」
低い女の声だった。
菊千代がきりゅうに向かって唸る。
「これ、きりゅうとやら! 余計なことをするでない!」
きりゅうはひょうひょうと笑うばかりだ。
「儂は儂がしたいようにするだけじゃ」
そして、泣き叫ぶダイキのほうを向くと、「それにしてもやかましいのぉ」と眉をしかめた。
「ほれほれ、若旦那」
菊千代が「あっ!」と思わず悲鳴を漏らす。きりゅうが風のようにダイキの前に飛び、つんと額を指で小突いたのだ。
「何をする!」
菊千代が刀を振り落としたが、きりゅうはするりと避けて飛び退いた。
「眠らせただけじゃ」
慌ててダイキを見ると、ごろんと横になっている。閉じた目に涙をためたまま、胸を上下させている。菊千代は胸を撫で下ろした。
「きりゅう、お主は敵か? 味方か? 一体何がしたいでござるか」
「儂はただ、見てみたいのだ。そして救われたいだけなのじゃよ。それより、ほうれ、あやつがやってくるぞ。お主らに祓えるかな?」
きりゅうは目に見えて面白がっている。
「あれはな、香水瓶の物憑きじゃ」
ロッキーが痛みに顔をしかめながら、エミさんの持ち込んだ香水瓶を思い出した。
「やっぱりあれが原因か」
「昔、ある豪商が縁談のまとまった双子の娘たちのために一対の香水瓶を誂えたんじゃ。その片割れがこいつよ」
「それがなんだって、こんな物憑きになったでござるか」
「娘たちは同じ頃に、結婚して家を出た。ところが、妹の夫が肩書きだけは素晴らしいが、とんでもないろくでなしだったんじゃ。金にも女にもだらしない、おまけに暴力はふるう」
老人がそう言ったとき、まるで彼の言葉に反応するように香水瓶の霊が雄叫びを上げ、大きく腕を振りかぶった。
「これ、きりゅう! 霊を刺激するでない!」
菊千代が慌てて飛び退くと、霊は体の向きを変えて突進してくる。繰り出される拳を避けている間にも、きりゅうが呑気に話し続けた。
「娘は心を病んでのう。幸せの象徴だった香水瓶を抱いて泣き暮らし、ある日とうとう気が狂った。家中の物を壊し、自分は首をくくって死んでしまった」
菊千代と霊が攻防を繰り広げるのを眺め、きりゅうは肩をすくめた。
「哀れ、妹の香水瓶はそのときに割れてしまったのだ。それを知った双子の姉の恨みが香水瓶に取り憑いて、こやつが生まれた。ところが、こやつは片割れが砕けてしまったことを知らず、探し続けてきた。儂が片割れの最期を教えてやったというのに、信じようとせんで、困っておった」
脇腹をおさえて息を整えていたロッキーが、ぴくりと耳を動かした。
「お前、何故、片割れの末路を知っている?」
「儂はこやつよりずっと長く生きておるからの。この地で霊が起こした騒ぎはみな知っておる。物憑きの霊は負に堕ちると不安定で面倒なのでな、儂も困るのじゃ。それで、お前さんたちに祓ってもらいたいのよ」
「貴様、何者だ?」
ロッキーが睨みつけるが、きりゅうはふふんと鼻を鳴らした。
「この香水瓶を祓えたら、教えてやってもよい」
今度はロッキーが鼻を鳴らす。
「どのみち、祓うしかないだろうな。菊千代、助太刀頼むぞ!」
「あいわかった!」
ロッキーが突き進む。霊がそれを避けようと気を取られた隙に、菊千代が思い切り打ち込んだ。
しかし、霊は太刀筋を読んで、菊千代を押し返した。菊千代は床に着地すると、すぐさま切っ先を向けて駆け出した。霊が慌てて避けた拍子にぐらりと体がよろめく。ロッキーはその瞬間を逃さず、床を蹴り、高く飛んだ。
「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え!」
白い光が辺りを包む。目もくらむほどの眩さの中、霊の叫び声が木霊した。
「今度こそ、うまくいったでござるか?」
菊千代が見守っていると、霊から黒い影が霧散し、白い光も消え失せる。そこに残ったのは、うずくまる女の姿だった。
「どうしてエミさんを狙った?」
鋭く問うロッキーに、男は唇を歪ませた。
「用があるのは、赤ん坊だ。あの女は俺の毒気にあてられただけさ」
今度は菊千代が牙をむく。
「若に何用でござるか」
「なぁに、簡単なことだ。俺の探し物を見つけて欲しいんだよ」
「探し物? 無理を言うでない。若はこの通り、まだ歩けもしないでござる」
「別に、あんたたちが探したっていいんだぜ。この辺りじゃ、この家が一番俺たちのような物憑きが集まりやすいって聞いたんだ」
「誰がそんなこと?」
「きりゅうという奴さ」
ロッキーと菊千代が顔を見合わせる。
「きりゅう? 桐生市と何か関係があるのか?」
「素性なんて知らないね。ただ、俺のところにふらりと現れて、そう教えてくれた」
「何者でござるか?」
「どうでもいいよ、そんなこと。とにかく、俺の探している物を見つけてくれよ」
これに唸り声を上げたのは、ロッキーだった。
「やかましい! 厄介ごとを持ち込んでおきながら厚かましい!」
「なぁんだ、ダメなの?」
「エミさんを戻せ!」
「知らないよ。だって、あれは俺のせいじゃないからね。あの女が勝手に俺に呼応して、自分の中に押し隠していたものに取り憑かれただけだからな」
それを聞いたロッキーが歯ぎしりをした。
「では、その毒気はどうすれば治る?」
「それこそ、知らないよ」
「なんだと?」
「だって、今まで毒気を祓った奴なんていなかったからな」
菊千代が泣き続けるダイキをかばいながら、「無責任な」と毛を逆立てる。ふと、煙の男がダイキを見て「そうだ」と舌なめずりした。
「その子に取り憑けばいいんだ。そうすりゃ、この手にあいつが戻ってくるかもしれない。そうしよう」
男の高笑いが響いた。
「そうだよ、面倒なことしないで、もっと早くそうすればよかった。だからさ」
すうっと、男から笑みが消え、首を傾けながら冷たい目でダイキを見下ろす。
「邪魔すんなよ」
菊千代の背筋がぞくりとした瞬間、男の目が見開かれ、口が裂けた。床を蹴り、菊千代めがけて突進してくる。
咄嗟に菊千代はダイキの前に覆いかぶさった。霊体の姿では、彼を抱えて逃げることもできない。男が拳を振りかぶったそのときだった。
男の体が真横に吹き飛んだ。ロッキーが体当たりしたのだ。彼の黒い体も床にどすんと落ちたが、すぐに立ち上がり、グローブを構える。
「油断するな、菊千代!」
「か、かたじけない」
慌てて刀を構えた菊千代に、ロッキーが男から目を離さずに言う。
「まずいぞ、負の気が強くなった」
床に伏した男が、ゆっくりと体を起こした。周囲にどこからともなく黒い影が沸き起こり、彼の体を包んでいく。
「俺はさ、邪魔すんなよって言ったけど?」
こちらを見る目が血走り、怒りに燃えていた。
「まずいでござる。なんとか若をこの場から避難させねば」
「無理だな。俺たちがあいつを祓うしかないだろ。いくぞ!」
ロッキーと菊千代が一斉に飛び出した。男は一瞬、唇を釣り上げ、身を低くして迎え撃つ。ロッキーの赤いグローブと菊千代の刀が男めがけてひたすらに打ち込まれた。だが、男は腕で払い、身を翻し、手応えがない。ロッキーたちは男の拳を避けるので精一杯だ。
「ちくしょう」
ロッキーが呟いた刹那、男が打ち込んできた。グローブで防いだものの、床に叩きつけられる。
「ロッキー!」
そう叫んだ途端、菊千代も背中に強烈な蹴りを食らって吹き飛んだ。
菊千代の体が床を滑り、ダイキの前で止まった。
「若、お逃げくだされ」
声が届くわけがない。幼いダイキが一人で歩けるはずもない。けれど、それでもそう言うしかなかった。
火がついたように泣き続けるダイキに歩み寄り、男がうんざりしたようにぼやく。
「うるさいなぁ。俺、赤ん坊の泣き声って嫌いなんだよね。俺の毒気、吸わせちゃおうかな」
菊千代が必死に男の足に噛み付いた。
男が悲鳴を上げ、力任せに菊千代を蹴り飛ばす。
「ふざけんなよ!」
煙の男は怒鳴り、ダイキを睨みつけた。
「うぜぇ!」
「うざいのはお前だ!」
ロッキーの吠えるような声が響く。男の横顔をグローブが直撃した。男は倒れこむ。
「ダイキに手を出すな」
ロッキーは乱れた息でそう言うと、ダイキの前に立ちはだかる。
「その姿をしたお前には、絶対に負けられん」
身体中に走る痛みに顔をしかめながら、菊千代がロッキーの隣に立った。
「あいつとエミさんに何があったかは知らないが、拙者とて負けられぬのは同じこと」
ロッキーと菊千代が再び走り出した。男が立ち上がる前に、菊千代の刀で顔面を床に叩きつけた。そこにロッキーが飛び上がり、深紅のグローブを振りかぶった。
「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え!」
白い光が男を包むかと思った瞬間だった。ロッキーの横腹に激しい痛みが走り、吹き飛ぶとともに光が消えた。
「あっ!」
菊千代が目を丸くした。ミサヲを祓ったときに現れた老人が、目の前に立っていた。ロッキーを打ったのは、彼の杖だ。
「お前、いつの間に!」
「さっきからいたんじゃがの」
白いヒゲを撫でつけ、老人がうそぶく。そのとき、煙の男が顔を上げ、「あっ」と声を漏らした。
「お前は、きりゅう!」
「ええっ? こいつが?」
素っ頓狂な声を上げた菊千代を無視し、老人がすっと煙の男の前に立ちはだかった。そして、その顔を杖で打つ。
「ぐあ!」
再び倒れこんだ男に、きりゅうがふんと鼻を鳴らした。
「若旦那には手を出すなと言っておいたのを忘れたか」
呻き声を上げている男に、きりゅうが吐き捨てるように言った。
「たわけめ。若旦那を殺めては水の泡じゃぞ。まったく、これだから不安定な物憑きは面倒じゃわい」
この老人は味方だろうか? 菊千代が訝しんでいると、きりゅうがまるで呪文を唱えるように話しかける。
「お主が求めていたものはなんじゃ? 探していたものはなんじゃ? 思い出せ」
ぴくりと男の耳が動いた。深い息を吐き、かすれた声がした。
「どうして離れるとわかって作ったのだ」
その声が次第に震え、太いものに変わっていく。
「どうして一人でいなければならない。あいつをどこにやったのだ。俺たちは二人で一人なのに、何故引き裂こうとした」
「ああ!」
ロッキーが叫ぶ。煙の男の顔が捻れ、歪み、まるで粘土をねじったように潰れた。全身がぶよぶよと膨れ上がり、人型をした煙の塊となっていく。ただ、顔にはぞっとするような冷たく黒い目と口がぽっかりと開いているだけだ。おぼつかない足取りで必死に立ちながら、声が漏れる。
「さ、び、し、い」
低い女の声だった。
菊千代がきりゅうに向かって唸る。
「これ、きりゅうとやら! 余計なことをするでない!」
きりゅうはひょうひょうと笑うばかりだ。
「儂は儂がしたいようにするだけじゃ」
そして、泣き叫ぶダイキのほうを向くと、「それにしてもやかましいのぉ」と眉をしかめた。
「ほれほれ、若旦那」
菊千代が「あっ!」と思わず悲鳴を漏らす。きりゅうが風のようにダイキの前に飛び、つんと額を指で小突いたのだ。
「何をする!」
菊千代が刀を振り落としたが、きりゅうはするりと避けて飛び退いた。
「眠らせただけじゃ」
慌ててダイキを見ると、ごろんと横になっている。閉じた目に涙をためたまま、胸を上下させている。菊千代は胸を撫で下ろした。
「きりゅう、お主は敵か? 味方か? 一体何がしたいでござるか」
「儂はただ、見てみたいのだ。そして救われたいだけなのじゃよ。それより、ほうれ、あやつがやってくるぞ。お主らに祓えるかな?」
きりゅうは目に見えて面白がっている。
「あれはな、香水瓶の物憑きじゃ」
ロッキーが痛みに顔をしかめながら、エミさんの持ち込んだ香水瓶を思い出した。
「やっぱりあれが原因か」
「昔、ある豪商が縁談のまとまった双子の娘たちのために一対の香水瓶を誂えたんじゃ。その片割れがこいつよ」
「それがなんだって、こんな物憑きになったでござるか」
「娘たちは同じ頃に、結婚して家を出た。ところが、妹の夫が肩書きだけは素晴らしいが、とんでもないろくでなしだったんじゃ。金にも女にもだらしない、おまけに暴力はふるう」
老人がそう言ったとき、まるで彼の言葉に反応するように香水瓶の霊が雄叫びを上げ、大きく腕を振りかぶった。
「これ、きりゅう! 霊を刺激するでない!」
菊千代が慌てて飛び退くと、霊は体の向きを変えて突進してくる。繰り出される拳を避けている間にも、きりゅうが呑気に話し続けた。
「娘は心を病んでのう。幸せの象徴だった香水瓶を抱いて泣き暮らし、ある日とうとう気が狂った。家中の物を壊し、自分は首をくくって死んでしまった」
菊千代と霊が攻防を繰り広げるのを眺め、きりゅうは肩をすくめた。
「哀れ、妹の香水瓶はそのときに割れてしまったのだ。それを知った双子の姉の恨みが香水瓶に取り憑いて、こやつが生まれた。ところが、こやつは片割れが砕けてしまったことを知らず、探し続けてきた。儂が片割れの最期を教えてやったというのに、信じようとせんで、困っておった」
脇腹をおさえて息を整えていたロッキーが、ぴくりと耳を動かした。
「お前、何故、片割れの末路を知っている?」
「儂はこやつよりずっと長く生きておるからの。この地で霊が起こした騒ぎはみな知っておる。物憑きの霊は負に堕ちると不安定で面倒なのでな、儂も困るのじゃ。それで、お前さんたちに祓ってもらいたいのよ」
「貴様、何者だ?」
ロッキーが睨みつけるが、きりゅうはふふんと鼻を鳴らした。
「この香水瓶を祓えたら、教えてやってもよい」
今度はロッキーが鼻を鳴らす。
「どのみち、祓うしかないだろうな。菊千代、助太刀頼むぞ!」
「あいわかった!」
ロッキーが突き進む。霊がそれを避けようと気を取られた隙に、菊千代が思い切り打ち込んだ。
しかし、霊は太刀筋を読んで、菊千代を押し返した。菊千代は床に着地すると、すぐさま切っ先を向けて駆け出した。霊が慌てて避けた拍子にぐらりと体がよろめく。ロッキーはその瞬間を逃さず、床を蹴り、高く飛んだ。
「祓え給え清め給え、守り給え幸え給え!」
白い光が辺りを包む。目もくらむほどの眩さの中、霊の叫び声が木霊した。
「今度こそ、うまくいったでござるか?」
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