にゃむらい菊千代

深水千世

文字の大きさ
上 下
10 / 38
にゃむらい誕生

一件落着

しおりを挟む
 影を取り囲んでいた闇が離散し、菊千代が着地した瞬間、店はいつもの光景に戻った。
「うう……」
 うめき声がするほうに素早く視線を走らせると、黒電話に覆い被さるように痩せた男が項垂れて座り込んでいた。あの思い出の中にいた男に違いなかった。
「よくやった」
 秋野が軽やかに菊千代の傍に立った。
「これが影の本体だ」
 ロッキーがその後ろで首を傾げた。
「こいつが持ってた強い情念ってなんだ?」
 菊千代が口を開こうとしたが、答えたのは他ならぬ影の男だった。
「……私の悔いです」
 その声からは先ほどまでの陰湿な響きが消え失せ、力なかった。男は頬のこけた顔を上げ、菊千代を見つめる。
「私の一人娘への悔いが、この身を縛りつけてしまったのです」
 マリアが秋野に問いかける。
「ねぇ、この霊はどうなるの?」
「怨念を祓われたあとは、霊自身が決めるのだ。依り代と共に静かに暮らすか、それとも霊の還る道を通り、次の生へ歩み出すか」
 菊千代が「おい」と、霊に向かって声をかけた。
「あんたは、娘に会いたかったんだろう?」
 男は弾かれたように菊千代を見た。ロッキーとマリアは『何を言っているんだ』と言わんばかりに不思議そうな顔をしていたが、狛犬たちは何かを察して、じっと菊千代を見守っていた。
 男はうつむき、そして小さく頷いた。
「……はい」
「来ない者を待ち続ける辛さはわかるよ。でも、あんたは待つだけじゃなくて、娘を捜して走り回るべきだったんだ。段ボールを越えた俺みたいにね」
 菊千代が刀を腰に戻し、胸を張った。
「ときには自分の足を動かして、手を伸ばして、大事なものを掴まなきゃならないときがあるんだよ」
 それを聞いた男がすすり泣いた。
「……私は怖かったのです。今更娘に会いに行っても、許してもらえないんじゃないかと。それに、自分から私を恋しがって戻ってきてはくれないかという意地もあったのです」
「馬鹿だな、あんた」
 菊千代があっけらかんと言い放った。
「許してもらえなくても、あんたが娘を恋しく思うってことは絶対にどうやってでも伝えなきゃいけなかったんだ」
「……今からでも間に合うでしょうか」
 顔を上げた男の痩せた頬は、涙で濡れていた。菊千代が肩をすくめた。
「さぁ、それは神様仏様、もしくはあんた次第だ。娘は一足先に次の生に向けてあの世へ旅立っているんだろう?」
「はい」
「だったら、今から追いかけなよ。本当は家を出たときに、そうしたかったんだろう? 変な意地は張らないことだよ」
 そして彼は男を優しく見つめる。
「心の声に従うべきさ。うちのマリアが言うにはね、考えるより感じることが大事なんだってさ」
 それを聞いた男の顔に、小さな笑みが浮かんだ。その途端、天から光が射した。みるみるうちに男の体が透けていき、天上に昇っていく。
「……なんだ、待ってたんじゃないか」
 見上げた菊千代が呟いた。その向こうにあの娘の顔が見えた気がしたのだ。だが、ハッとして声を上げる。
「おい、お前! さっき『聞いた』って言っていたけど、誰から何を聞いたんだ?」
 だが、男にはその声は届かなかった。彼の姿と天上の光はすぐに消えてしまったのだ。
「あぁ、行っちゃった」
 ぽつりと漏らした菊千代の顔は、知らないうちに微笑んでいた。
「菊千代、お前は物憑きの霊の過去を見たのか?」
 時雨の声に、菊千代が頷く。
「周囲の人間の心を引きずり込むって言ってたけど、真っ先に引きずられたのは、俺だったのかもしれないな」
「今回は力の弱い霊だからまだよかったのだ。もっと情念の強いものだと、何も知らない人間に悪影響が出かねない。それに、ここにはそういうものが集まりやすいのだ」
「どういうこと?」
 首を傾げた菊千代に、秋野が答える。
「お前たちの主人は骨董市であれこれ買ってくるのが好きなようだが、どうも『物憑きの霊』を引き寄せる体質なのだ。しかも、今日生まれた赤ん坊が、特にこういう霊に好かれる定めなのだ」
「じゃあ、赤ん坊には何か特別な力があるってこと?」
「そうだ。それで『物憑きの霊』が情念をまき散らして周囲に影響を及ぼすとき、今夜のように鎮めるのが、お前たちに課せられた使命なのだよ」
 菊千代が頷こうとした瞬間、「私は嫌だからね」というマリアの声が響いた。彼女はつんと澄まし、不機嫌そうに尻尾を揺らす。
「私、赤ん坊は好きじゃないの。守るなら、勝手にしなさいよ」
 そして、彼女は声を落としてこう呟く。
「どうせ、どんなに一生懸命守ったところで……」
 だが、その言葉は最後まで声になることはなかった。途中で彼女は平屋のほうに駆けだしてしまったのだ。
 追いかけようとした菊千代の肩をロッキーが掴んで引き止めた。
「そっとしてやれ。大丈夫、頭ではわかっているさ。あいつは情が深い猫だからね」
「でも……」
「なぁに、メス猫も三年生きていれば傷の一つや二つあるってことさ」
 そう言うと、ロッキーが狛犬を見上げる。
「さて、今夜は一件落着だ。だが、また異変が起きたらどうすればいい?」
 時雨が答えた。
「また『解』と唱えて、その姿になるといい。それに、もし我らの力が必要であれば名を呼ぶといい。いつでもはせ参じよう」
「わかった。それで、この体を元に戻すには?」
「ただ『散』と唱えれば元の姿に戻るだろう。あの意地っ張りなサビ猫にも教えてやるのだな」
 そう言うと、狛犬たちは踵を返し、あっという間に駆けて行った。店に取り残された菊千代とロッキーは顔を見合わせる。
「なんだか、いろんな意味で賑やかになりそうだな」
「本当だね。それにしてもロッキー、そのグローブ似合ってるよ」
 ロッキーが小さく笑う。
「まさか、この俺が『イタリアの種馬』になるなんてな。猫の一生にも何が起こるかわからないものだな」
「イタリアの種馬ってなんだ?」
「俺の名前のもとになったロッキー・バルボアという男のニックネームだ」
「なぁ、種馬ってなんだ?」
「……お前が去勢手術を受ける頃に教えてやる」
 ロッキーはそう言って高らかに笑うと、首を傾げている菊千代に「さぁ、戻ろう」と促したのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ガラスペンを透かせば、君が

深水千世
ファンタジー
「おばあちゃんと住んでくれる?」 受験に失敗し、両親が離婚した渡瀬薫は、母親の一言で札幌から群馬県にやってきた。 彼女を待っていたのはガラス工房を営む親子に二匹の猫、そして初めて会う祖母だった。 風変わりな面々と暮らすうち、ガラス工房にはちょっと不思議な秘密があると知る。 やがて、ゆきばのない想いの行方を見届けるうち、薫に少しずつ変化がおとずれる。実は彼女自身にも人知れず抱える想いがあったのだった……。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

佐世保黒猫アンダーグラウンド―人外ジャズ喫茶でバイト始めました―

御結頂戴
キャラ文芸
高校一年生のカズキは、ある日突然現れた“黒い虎のような猫”ハヤキに連れられて 長崎の佐世保にかつて存在した、駅前地下商店街を模倣した異空間 【佐世保地下異界商店街】へと迷い込んでしまった。 ――神・妖怪・人外が交流や買い物を行ない、浮世の肩身の狭さを忘れ楽しむ街。 そんな場所で、カズキは元の世界に戻るために、種族不明の店主が営むジャズ喫茶 (もちろんお客は人外のみ)でバイトをする事になり、様々な騒動に巻き込まれる事に。 かつての時代に囚われた世界で、かつて存在したもの達が生きる。そんな物語。 -------------- 主人公:和祁(カズキ)。高校一年生。なんか人外に好かれる。 相棒 :速来(ハヤキ)。長毛種で白い虎模様の黒猫。人型は浅黒い肌に金髪のイケメン。 店主 :丈牙(ジョウガ)。人外ジャズ喫茶の店主。人当たりが良いが中身は腹黒い。   ※字数少な目で、更新時は一日に数回更新の時もアリ。  1月からは更新のんびりになります。  

転生したけど平民でした!もふもふ達と楽しく暮らす予定です。

まゆら
ファンタジー
回収が出来ていないフラグがある中、一応完結しているというツッコミどころ満載な初めて書いたファンタジー小説です。 温かい気持ちでお読み頂けたら幸い至極であります。 異世界に転生したのはいいけど悪役令嬢とかヒロインとかになれなかった私。平民でチートもないらしい‥どうやったら楽しく異世界で暮らせますか? 魔力があるかはわかりませんが何故か神様から守護獣が遣わされたようです。 平民なんですがもしかして私って聖女候補? 脳筋美女と愛猫が繰り広げる行きあたりばったりファンタジー!なのか? 常に何処かで大食いバトルが開催中! 登場人物ほぼ甘党! ファンタジー要素薄め!?かもしれない? 母ミレディアが実は隣国出身の聖女だとわかったので、私も聖女にならないか?とお誘いがくるとか、こないとか‥ ◇◇◇◇ 現在、ジュビア王国とアーライ神国のお話を見やすくなるよう改稿しております。 しばらくは、桜庵のお話が中心となりますが影の薄いヒロインを忘れないで下さい! 転生もふもふのスピンオフ! アーライ神国のお話は、国外に追放された聖女は隣国で… 母ミレディアの娘時代のお話は、婚約破棄され国外追放になった姫は最強冒険者になり転生者の嫁になり溺愛される こちらもよろしくお願いします。

新陽通り商店街ワルツ

深水千世
青春
乾いた生活を送っていた憲史が6年ぶりに実家の写真館に戻ってきた。 店があるのは、北海道の新陽通り商店街。 以前よりますます人気のない寂れた様子にげんなりする憲史。 だが、そんな商店街に危機がおとずれようとしていた。押し寄せる街の変化に立ち向かう羽目になった憲史が駆け抜けた先にあるものとは。 ※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体などとは一切関係ありません。 カクヨム・小説家になろうでも公開中です。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

猫の罪深い料理店~迷子さんの拠り所~

碧野葉菜
キャラ文芸
アラサー真っ只中の隅田川千鶴は仕事に生きるキャリアウーマン。課長に昇進しできない男たちを顎で使う日々を送っていた。そんなある日、仕事帰りに奇妙な光に気づいた千鶴は誘われるように料理店に入る。 しかしそこは、普通の店ではなかった――。 麗しの店主、はぐれものの猫宮と、それを取り囲む十二支たち。 彼らを通して触れる、人と人の繋がり。 母親との確執を経て、千鶴が選ぶ道は――。

処理中です...