2 / 22
始まりを間違えた女
告発文
しおりを挟む
告発文の内容はしごく簡単なものだった。
直属の上司である大野係長と並んで歩く千津の隠し撮り写真がプリントされ、その上に『大野係長と永井千津は不倫している』という明朝体の文字があった。郵便で大野の上司に届けられると同時に、社内の総合掲示板にも貼り出されていたのだった。
掲示板の告発文はすぐに撤去されたが、千津は大野の上司に呼びされて告発文を見せられた。その写真は先週の新年会の二次会へ移動している最中のものだとすぐにわかった。プライベートで大野と飲むことはなかったし、心当たりはそれしかなかったのだ。着ている服にも覚えがあった。
「係長とはそんな関係じゃありません。第一、私にはお付き合いしている男性が別にいます」
千津には美容師をしている和哉という名の恋人がいた。少し短気なところがあるものの、明るく社交的な性格だった。カットを担当してもらったことがきっかけで付き合ったのが半年前。三ヶ月もすると、和哉は千津の家に入り浸り、半同棲状態になった。
とはいっても、最近は相手の態度がよそよそしく、家にいても会話すらない。彼は早朝から出勤し、帰りも遅い。真夜中に戻ることも多かった。こうなっては、もはや寝るために帰ってきているようなものだ。
交際がうまくいっているとはとても言えないが、それでも付き合っていることには違いはない。
千津の言葉に上司は「わかった」と言ったものの、苦り切った顔は相変わらずだった。
大野係長は濡れ衣だと笑い飛ばしていたが、人の噂というのは厄介なものだ。人間の好奇の目が人を追い詰めるものだというのを思い知るのに、そうはかからなかった。どこに行っても視線を感じ、いつも一緒にランチをしていた友達はよそよそしくなった。
家に帰っても、食欲がわかず、夜もろくに眠れない。しかし、和哉はそんな千津の様子に無関心で、スマートフォンでゲームばかりしている。話しかけても返事はろくになく、それどころか視線を合わせることも稀になっていた。
その横顔にため息をこぼしそうになるたび、彼女は慌てて口に手を当てる。千津がため息を漏らしたり、「さびしい」と口にすると、彼は途端に不機嫌になって家を飛び出てしまうからだった。
正直、愛情は冷めている。それなのに、彼を怒らせたくない。ただでさえ告発文のことで疲れているのに、プライベートでまで揉め事を抱えたくなかった。
誰にも何も言わず、一人で苦悩を抱え込む日々が一週間ほど続いた。
人の噂も七十五日と念仏のように呟きながら過ごしていたある日、給湯室から聞こえてきた世間話が、千津に退職を決意させた。
話をしていたのは同じ課の広瀬涼子だった。社内でも可愛いと評判の後輩だった。普段は千津を『先輩』と呼んで慕っている素振りを見せていた。ところが、彼女は嘲笑うような声で、こう噂していたのだ。
「永井先輩が誘ったって話だよ。先輩って真面目そうに見えて、同棲してる彼氏がいるくせにセフレが一杯いるんだって。たいして可愛くない人ほど、セフレって多いよね」
頭を鈍器で殴られた気がした。気がつけば千津は自分のスマートフォンで『退職届の書き方』と検索をかけていたのである。
直属の上司である大野係長と並んで歩く千津の隠し撮り写真がプリントされ、その上に『大野係長と永井千津は不倫している』という明朝体の文字があった。郵便で大野の上司に届けられると同時に、社内の総合掲示板にも貼り出されていたのだった。
掲示板の告発文はすぐに撤去されたが、千津は大野の上司に呼びされて告発文を見せられた。その写真は先週の新年会の二次会へ移動している最中のものだとすぐにわかった。プライベートで大野と飲むことはなかったし、心当たりはそれしかなかったのだ。着ている服にも覚えがあった。
「係長とはそんな関係じゃありません。第一、私にはお付き合いしている男性が別にいます」
千津には美容師をしている和哉という名の恋人がいた。少し短気なところがあるものの、明るく社交的な性格だった。カットを担当してもらったことがきっかけで付き合ったのが半年前。三ヶ月もすると、和哉は千津の家に入り浸り、半同棲状態になった。
とはいっても、最近は相手の態度がよそよそしく、家にいても会話すらない。彼は早朝から出勤し、帰りも遅い。真夜中に戻ることも多かった。こうなっては、もはや寝るために帰ってきているようなものだ。
交際がうまくいっているとはとても言えないが、それでも付き合っていることには違いはない。
千津の言葉に上司は「わかった」と言ったものの、苦り切った顔は相変わらずだった。
大野係長は濡れ衣だと笑い飛ばしていたが、人の噂というのは厄介なものだ。人間の好奇の目が人を追い詰めるものだというのを思い知るのに、そうはかからなかった。どこに行っても視線を感じ、いつも一緒にランチをしていた友達はよそよそしくなった。
家に帰っても、食欲がわかず、夜もろくに眠れない。しかし、和哉はそんな千津の様子に無関心で、スマートフォンでゲームばかりしている。話しかけても返事はろくになく、それどころか視線を合わせることも稀になっていた。
その横顔にため息をこぼしそうになるたび、彼女は慌てて口に手を当てる。千津がため息を漏らしたり、「さびしい」と口にすると、彼は途端に不機嫌になって家を飛び出てしまうからだった。
正直、愛情は冷めている。それなのに、彼を怒らせたくない。ただでさえ告発文のことで疲れているのに、プライベートでまで揉め事を抱えたくなかった。
誰にも何も言わず、一人で苦悩を抱え込む日々が一週間ほど続いた。
人の噂も七十五日と念仏のように呟きながら過ごしていたある日、給湯室から聞こえてきた世間話が、千津に退職を決意させた。
話をしていたのは同じ課の広瀬涼子だった。社内でも可愛いと評判の後輩だった。普段は千津を『先輩』と呼んで慕っている素振りを見せていた。ところが、彼女は嘲笑うような声で、こう噂していたのだ。
「永井先輩が誘ったって話だよ。先輩って真面目そうに見えて、同棲してる彼氏がいるくせにセフレが一杯いるんだって。たいして可愛くない人ほど、セフレって多いよね」
頭を鈍器で殴られた気がした。気がつけば千津は自分のスマートフォンで『退職届の書き方』と検索をかけていたのである。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
【完結】やさしい嘘のその先に
鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。
妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。
※30,000字程度で完結します。
(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
---------------------
○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
---------------------
ただいま冷徹上司を調・教・中!
伊吹美香
恋愛
同期から男を寝取られ棄てられた崖っぷちOL
久瀬千尋(くぜちひろ)28歳
×
容姿端麗で仕事もでき一目置かれる恋愛下手課長
平嶋凱莉(ひらしまかいり)35歳
二人はひょんなことから(仮)恋人になることに。
今まで知らなかった素顔を知るたびに、二人の関係は近くなる。
意地と恥から始まった(仮)恋人は(本)恋人になれるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる