17 / 18
第17話 黄昏ハイボール
しおりを挟む
ある夏の夜、真輝さんが何度も寝返りを打つ気配に目を覚ました。
「眠れないの?」
寝ぼけ眼で尋ねると、暗がりの中で「うん」と小さな掠れ声がした。そっと髪を撫で、優しく「おいで」と、声をかける。
やがて俺は彼女を琥珀亭のカウンターに連れ出した。
真輝さんは少しうつむいて、自分の髪の先を撫でるように弄んでいる。琥珀色のライトに照らされた彼女の目に映っているものは、きっと過去だ。そこにはかつて彼女の中に見た、遠くに行ってしまうような憂いがひっそりと佇んでいる。いくら二人の時間を重ねても、それは影をひそめるだけ。完全に消せるものではないんだ。
俺はそれを責めることも問いただすこともなく、ただ黙って彼女からリクエストされたハイボールを作った。冬ならホット・バタード・ラムといきたいところだが、夏には熱すぎるからね。
グラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぐ。最近、彼女はタリスカーを飲まなくなった。今夜はジャパニーズ・ウイスキーだ。
次にソーダを入れたいところだが、誰よりも彼女の好みを心得ている俺は、冷蔵庫から黄色いラベルのトニック・ウォーターを取り出した。
炭酸が抜けないように、そっと混ぜる。焦らすように、優しく。そう、まるで真輝さんが俺を見る目のようにね。
俺たちはうっすら琥珀色に染まるグラスで乾杯した。この琥珀亭に流れる時間のように、ゆったりとした穏やかな気持ちで。
そして手を重ねた。二人の体温が馴染むと、彼女の細い指から安堵が伝わってきた。
これから先も、彼女が眠れない夜が幾度となくあるだろう。だけど、そこには琥珀色の時間と酒がある。そして傍らには俺がいて、こうして手を握る。
俺たちの時間は始まったばかりだ。焦ることはない。彼女の中の時間が過去に引きずられて止まりそうなときは、俺がこうやって、じっくり動かせばいいんだ。ハイボールの氷が溶けていくように、ゆっくりと心のわだかまりを溶かしていこう。そう心に決めているんだ。
ほら、今日もまた日が傾き、辺りは黄昏に包まれる。そしてどこからか音もなく滲み出た闇が空を染めていく。
今夜も琥珀亭にはいろんな人々が集い、人生の一幕を垣間見せるだろう。一杯の酒に感情を託して、それを飲み干す。琥珀色の照明を浴びながらつかの間の主役を演じた後は、空のグラスをそっと置いて、また日常に戻っていくんだ。
それを見守る俺と真輝さんは、琥珀色の時間に身を委ねながら肩を並べている。
会いたくなったらおいで。俺たちはここにいる。
手をつないで。同じ明日を見て。今日を生きている。
今夜も琥珀亭で。
「眠れないの?」
寝ぼけ眼で尋ねると、暗がりの中で「うん」と小さな掠れ声がした。そっと髪を撫で、優しく「おいで」と、声をかける。
やがて俺は彼女を琥珀亭のカウンターに連れ出した。
真輝さんは少しうつむいて、自分の髪の先を撫でるように弄んでいる。琥珀色のライトに照らされた彼女の目に映っているものは、きっと過去だ。そこにはかつて彼女の中に見た、遠くに行ってしまうような憂いがひっそりと佇んでいる。いくら二人の時間を重ねても、それは影をひそめるだけ。完全に消せるものではないんだ。
俺はそれを責めることも問いただすこともなく、ただ黙って彼女からリクエストされたハイボールを作った。冬ならホット・バタード・ラムといきたいところだが、夏には熱すぎるからね。
グラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぐ。最近、彼女はタリスカーを飲まなくなった。今夜はジャパニーズ・ウイスキーだ。
次にソーダを入れたいところだが、誰よりも彼女の好みを心得ている俺は、冷蔵庫から黄色いラベルのトニック・ウォーターを取り出した。
炭酸が抜けないように、そっと混ぜる。焦らすように、優しく。そう、まるで真輝さんが俺を見る目のようにね。
俺たちはうっすら琥珀色に染まるグラスで乾杯した。この琥珀亭に流れる時間のように、ゆったりとした穏やかな気持ちで。
そして手を重ねた。二人の体温が馴染むと、彼女の細い指から安堵が伝わってきた。
これから先も、彼女が眠れない夜が幾度となくあるだろう。だけど、そこには琥珀色の時間と酒がある。そして傍らには俺がいて、こうして手を握る。
俺たちの時間は始まったばかりだ。焦ることはない。彼女の中の時間が過去に引きずられて止まりそうなときは、俺がこうやって、じっくり動かせばいいんだ。ハイボールの氷が溶けていくように、ゆっくりと心のわだかまりを溶かしていこう。そう心に決めているんだ。
ほら、今日もまた日が傾き、辺りは黄昏に包まれる。そしてどこからか音もなく滲み出た闇が空を染めていく。
今夜も琥珀亭にはいろんな人々が集い、人生の一幕を垣間見せるだろう。一杯の酒に感情を託して、それを飲み干す。琥珀色の照明を浴びながらつかの間の主役を演じた後は、空のグラスをそっと置いて、また日常に戻っていくんだ。
それを見守る俺と真輝さんは、琥珀色の時間に身を委ねながら肩を並べている。
会いたくなったらおいで。俺たちはここにいる。
手をつないで。同じ明日を見て。今日を生きている。
今夜も琥珀亭で。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編
タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。
私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが……
予定にはなかった大問題が起こってしまった。
本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。
15分あれば読めると思います。
この作品の続編あります♪
『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』
ガラスペンを透かせば、君が
深水千世
ファンタジー
「おばあちゃんと住んでくれる?」
受験に失敗し、両親が離婚した渡瀬薫は、母親の一言で札幌から群馬県にやってきた。
彼女を待っていたのはガラス工房を営む親子に二匹の猫、そして初めて会う祖母だった。
風変わりな面々と暮らすうち、ガラス工房にはちょっと不思議な秘密があると知る。
やがて、ゆきばのない想いの行方を見届けるうち、薫に少しずつ変化がおとずれる。実は彼女自身にも人知れず抱える想いがあったのだった……。
新陽通り商店街ワルツ
深水千世
青春
乾いた生活を送っていた憲史が6年ぶりに実家の写真館に戻ってきた。
店があるのは、北海道の新陽通り商店街。
以前よりますます人気のない寂れた様子にげんなりする憲史。
だが、そんな商店街に危機がおとずれようとしていた。押し寄せる街の変化に立ち向かう羽目になった憲史が駆け抜けた先にあるものとは。
※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体などとは一切関係ありません。
カクヨム・小説家になろうでも公開中です。
副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~
真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。
琥珀色の日々
深水千世
ライト文芸
北海道のバー『琥珀亭』に毎晩通う常連客・お凛さん。
彼女と琥珀亭に集う人々とのひとときの物語。
『今夜も琥珀亭で』の続編となりますが、今作だけでもお楽しみいただけます。
カクヨムと小説家になろうでも公開中です。
嘘は溺愛のはじまり
海棠桔梗
恋愛
(3/31 番外編追加しました)
わけあって“無職・家無し”になった私は
なぜか超大手商社の秘書課で働くことになって
なぜかその会社のイケメン専務と同居することに……
更には、彼の偽の恋人に……!?
私は偽彼女のはずが、なんだか甘やかされ始めて。
……だけど、、、
仕事と家を無くした私(24歳)
Yuma WAKATSUKI
若月 結麻
×
御曹司で偽恋人な彼(32歳)
Ibuki SHINOMIYA
篠宮 伊吹
……だけど、
彼には、想う女性がいた……
この関係、一体どうなるの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる