千夜の檻

千日目の左目

　千夜は最近売れ出した小説家だった。女性向けの文芸で、しっとりとした情愛を描くのに定評がある。

　この男は、千夜が昔の男を思い出して書いているんだろうと邪推していた。そのうち、浮気でもしているんじゃないかと疑うようになった。
　千夜の小説に出てくる男たちは、彼と似ても似つかなかったし、睦み合う様子も彼との情事とはまったく別物だったのだ。

「今日も彼、アパートに来るんだって。また殴られるのかな」

　鳥かごに向かってそう愚痴ることが増え、千夜は泣いて暮らすようになった。

「違うのに。そりゃあ、私が生みだしたお話とキャラだけど、それって私じゃないの。違う人間で、話を動かすのはキャラなの」

　執筆しているときの千夜は何者かに憑依されているような目をする。きっと彼女にもどんな話ができるのかわかっていないのだと思う。

　だが、男は「自分の中にあるものじゃないと書けないだろ。他の男とこういうことをしてきたってことだろう」と嫉妬するらしかった。

　ふと、俺は泣きはらした千夜の目を見て、腑に落ちる。
　千夜の左目は、男に殴られた後遺症で視力ががくっと落ちていた。見えるものが見えず、見えないものが見える目になって、今日でちょうど千日目だった。あの左目に映っていたのは彼女の逃げ場であり、呼吸をするために身の内に描いていた世界なのだ。