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精霊の吟遊詩人
黄泉の帝王と時の女帝
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神殿の広間には玉座が二つ並んでいた。右の玉座のほうが一回り大きく、黒い金剛石で出来ていた。いかにも黄泉の帝王に相応しい荘厳な輝きを放っている。その隣にある玉座は金緑石で出来ていて、青い松明の光を浴びて幻想的な色合いをしていた。
だが、女王の玉座は空だった。
「さぁ、こっちだよ」
黄泉の帝王が玉座の間をすり抜け、そのうしろにある大きな扉の前に立った。
「ここは?」
訝しげなナディアに、帝王が目を細める。
「すべての命が還り、また旅立つところ。そして、時の女帝が鎮座する場所だ。あの玉座など飾りに過ぎないのだよ」
両開きの扉を開かれると、穏やかな光がナディアを照らした。その先にあったのは、鈍く光りながら苔むす大地だった。白い半透明の木々が生い茂り、その中央に小さく丸い泉があった。
中庭というよりは、むしろ神殿がこの地を取り囲むように造られているようだった。月のように光る木々が、泉に影を落としている。泉から流れ出る水は脇に小川を作り、神殿の外に流れ出ている。
そして、泉のほとりに一人の女性が立っていた。まるで少女のようにあどけない顔だが、その無垢な顔の造りに似合わぬ威厳のある口許をしている。
「ダグラス、おかえりなさい。無事に連れて来てくれたのね」
女性に『ダグラス』と呼ばれた帝王が小さく笑う。
「君の言う通りだったよ。パーシーは今回も遅れをとったらしいね」
ナディアは思わず眉を上げる。また彼を置いて来てしまったことに気づいたのだ。今頃、自分を捜しているかもしれないと焦りだしたナディアに、時の女帝は平然と言った。
「しょうがないわ。ナディアには時の女帝の言霊の力があるんですもの」
「言霊の力?」
「そうよ。強く念じて口にした言葉が本当になろうとする力を言霊というの。私とあなたは特にその力が強いのよ。身に覚えはない?」
答えにつまるナディアに、女帝は微笑む。
「火山の街や砂漠の街で闇をまといながら口にしたことはすべて叶っているんじゃないかしら? 今も、セシリアを取り戻すと口にした途端、冥界へ飛んできたでしょう。未来の女帝がそう強く念じたからよ」
ダグラスが口を挟む。
「妻も若い頃は力を調節しきれなくてね。時折、私のところへ突拍子もなく飛んできてしまったものだ」
「逆にダグラスを置いて、どこかに飛んでしまうこともあったけど」
パーシヴァルを思い出し、ナディアは気まずい顔になる。また『勝手に一人で何をしてる』と叱られそうだ。そんなナディアを見透かしたのか、帝王たちは顔を見合わせて微笑んだ。
「パーシーのことなら気にしなくていいのよ、ナディア。彼は直に追いかけてくるでしょうから」
そして、音もなく苔を踏みしめ、女帝が歩み寄る。ふわりと垂れた長い金髪が柔らかそうだった。彼女が動くたび、芳しい匂いがした。
「あなたにとっては『初めまして』ね。私にとっては『久しぶり』だけど」
そう言って鈴を鳴らすように笑う。
「私は時の女帝タニア。こちらは夫のダグラスよ」
「久しぶりとはどういう意味?」
「私はあなたに訊きたいことが山のようにあるわ。一体、何から訊いていいかわからないくらい」
ナディアが拳を握りしめる。
「だけど今は、セシリアの居場所を真っ先に教えてもらいたい」
「自分の定めよりも、セシリアのほうが大事なんて、彼女も幸せ者ね。彼女ならあそこにいるわ」
タニアが指差したのは、泉のほとりの木だった。その幹の中央が透けていて、その中に何かが埋もれている。
恐る恐る近づいたナディアの目から、音もなく一筋の涙がこぼれた。一糸まとわぬ姿のセシリアが、そこにいた。
白く輝く長髪と少し日に焼けた肌はあの日のままだ。その頬に赤みはないが、懐かしい顔つきをした、愛しい吟遊詩人の亡骸は腐敗することなく、まるで眠っているようだった。あの日、小川のそばで迎えた最期のときと同じように。
「セシリア!」
思わず幹にしがみつく。ひやりと冷えたそれを撫でるが、セシリアに触れることは叶わなかった。涙でぼやける視界の中、必死に目を凝らし、求め続けた人を見つめる。
「会いたかった」
嗚咽が漏れ、何度も透けた幹を撫でる。ダグラスとタニアが顔を見合わせ、ナディアに話しかける。
「こちらにお座り。セシリアはどこにも行かないから、落ち着いてね」
しゃくり上げながら振り返ると、ダグラスが優しくナディアの肩を抱き、タニアの傍らへ誘う。
「私たちのセシリアを大事に想ってくれてありがとう」
「私たちの?」
きょとんとするナディアを、ダグラスが座らせた。その目の前にタニアが牡丹のように座り、ダグラスもそれに寄り添う。
「セシリアはね、人間ではないんだよ」
ダグラスが闇色の瞳で、ナディアをじっと見据えていた。
「黄泉の帝王はここに生える木を基にして傀儡を造ることができる。それは時の女帝によって魂をこめられ、己の使命を全うする。ある者は帝王の使者として生き、ある者は人間界で使命を果たす。セシリアはまさに、私たちの命で人間界に舞い降りた傀儡なんだよ」
傀儡という聞き慣れない言葉に、ナディアが言葉を失った。
「お前が力を誤ることがないよう、セシリアは造られた。お前を見守り、天命に負けない心を育てるために」
すると、タニアが柔らかく笑う。
「そして、私が魂を授けたの。最初に彼女が生まれたときの天命は『三つの生を授かる者』よ」
「三つの生?」
「そう。三度生まれる定め。セシリアは二つ目の命の名。彼女は他にも違う名を持っていた時期があるのよ」
「待って。待ってよ」
すっかり狼狽えている彼女に、タニアが朗らかに笑う。
「それを説明するのは、やはり本人のほうがいいかしら。パーシーも戻って来たようだし。ほら、足音がするわ」
そう言った途端、扉が開く。その向こうにいたのは肩に白い鳥を乗せたパーシヴァルだった。パーシヴァルは憮然とした顔をしながら、泉のほとりに歩み寄る。
置いて来てしまったことを怒られるだろうか。戸惑うナディアの前で、彼は真っ先に両親に向かって頭を下げた。
「ただいま戻りました」
「よく戻った。座りなさい」
ダグラスは父の威厳を示し、パーシヴァルが素直に従った。ナディアには親子の中に帝王と王という縛りが見て取れた。
「パーシー、ナディアがセシリアから話を聞きたいそうよ」
タニアの顔には、凛としたものがあった。
いつか垣間みたパーシヴァルの過去が甦る。親子でありながらも定めに逆らえない彼は、恐らく寂しい想いもしたのだろう。
ナディアはふと彼に憐憫の情を抱いていることに気づき、自嘲する。望むように両親に愛されなかった自分と、望むように愛情を示されない彼の、どちらが辛いかなどわかりはしないのに。
パーシヴァルがナディアを見て、ふっと眉を下げた。
「いつでもお前は俺を置いて先に走ってしまうんだな」
「ごめん。つい、カッとなった」
素直に謝ると、彼は肩のセシリアを撫でた。
「お前は短気なところがあるからな。そうならないように、このセシリアも尽力してきたはずなのにな。なぁ、セシリア」
そのときだった。
白い鳥が「えぇ」と言葉を発したのだ。驚愕のあまり声も出ないナディアに、白い鳥が話しかける。
「まったく、お前は昔から勝ち気で困ったもんだ。だからこそ生き抜いてこれたんだろうが」
「その声は……」
ナディアの声が震えていた。白い鳥が発する声色は紛れもなく、あの吟遊詩人のものだった。
「セシリアが本当にセシリアなの?」
白い鳥はたき火のはぜるような鳴き声を上げた。
「話してあげよう。お前が知りたがっていたことを」
セシリアが静かに語り出した。
時の女帝の魂がここから旅立った日のことを。そして、セシリアがナディアと出逢うまでを。
ナディアはただただ、聞き入っていた。
だが、女王の玉座は空だった。
「さぁ、こっちだよ」
黄泉の帝王が玉座の間をすり抜け、そのうしろにある大きな扉の前に立った。
「ここは?」
訝しげなナディアに、帝王が目を細める。
「すべての命が還り、また旅立つところ。そして、時の女帝が鎮座する場所だ。あの玉座など飾りに過ぎないのだよ」
両開きの扉を開かれると、穏やかな光がナディアを照らした。その先にあったのは、鈍く光りながら苔むす大地だった。白い半透明の木々が生い茂り、その中央に小さく丸い泉があった。
中庭というよりは、むしろ神殿がこの地を取り囲むように造られているようだった。月のように光る木々が、泉に影を落としている。泉から流れ出る水は脇に小川を作り、神殿の外に流れ出ている。
そして、泉のほとりに一人の女性が立っていた。まるで少女のようにあどけない顔だが、その無垢な顔の造りに似合わぬ威厳のある口許をしている。
「ダグラス、おかえりなさい。無事に連れて来てくれたのね」
女性に『ダグラス』と呼ばれた帝王が小さく笑う。
「君の言う通りだったよ。パーシーは今回も遅れをとったらしいね」
ナディアは思わず眉を上げる。また彼を置いて来てしまったことに気づいたのだ。今頃、自分を捜しているかもしれないと焦りだしたナディアに、時の女帝は平然と言った。
「しょうがないわ。ナディアには時の女帝の言霊の力があるんですもの」
「言霊の力?」
「そうよ。強く念じて口にした言葉が本当になろうとする力を言霊というの。私とあなたは特にその力が強いのよ。身に覚えはない?」
答えにつまるナディアに、女帝は微笑む。
「火山の街や砂漠の街で闇をまといながら口にしたことはすべて叶っているんじゃないかしら? 今も、セシリアを取り戻すと口にした途端、冥界へ飛んできたでしょう。未来の女帝がそう強く念じたからよ」
ダグラスが口を挟む。
「妻も若い頃は力を調節しきれなくてね。時折、私のところへ突拍子もなく飛んできてしまったものだ」
「逆にダグラスを置いて、どこかに飛んでしまうこともあったけど」
パーシヴァルを思い出し、ナディアは気まずい顔になる。また『勝手に一人で何をしてる』と叱られそうだ。そんなナディアを見透かしたのか、帝王たちは顔を見合わせて微笑んだ。
「パーシーのことなら気にしなくていいのよ、ナディア。彼は直に追いかけてくるでしょうから」
そして、音もなく苔を踏みしめ、女帝が歩み寄る。ふわりと垂れた長い金髪が柔らかそうだった。彼女が動くたび、芳しい匂いがした。
「あなたにとっては『初めまして』ね。私にとっては『久しぶり』だけど」
そう言って鈴を鳴らすように笑う。
「私は時の女帝タニア。こちらは夫のダグラスよ」
「久しぶりとはどういう意味?」
「私はあなたに訊きたいことが山のようにあるわ。一体、何から訊いていいかわからないくらい」
ナディアが拳を握りしめる。
「だけど今は、セシリアの居場所を真っ先に教えてもらいたい」
「自分の定めよりも、セシリアのほうが大事なんて、彼女も幸せ者ね。彼女ならあそこにいるわ」
タニアが指差したのは、泉のほとりの木だった。その幹の中央が透けていて、その中に何かが埋もれている。
恐る恐る近づいたナディアの目から、音もなく一筋の涙がこぼれた。一糸まとわぬ姿のセシリアが、そこにいた。
白く輝く長髪と少し日に焼けた肌はあの日のままだ。その頬に赤みはないが、懐かしい顔つきをした、愛しい吟遊詩人の亡骸は腐敗することなく、まるで眠っているようだった。あの日、小川のそばで迎えた最期のときと同じように。
「セシリア!」
思わず幹にしがみつく。ひやりと冷えたそれを撫でるが、セシリアに触れることは叶わなかった。涙でぼやける視界の中、必死に目を凝らし、求め続けた人を見つめる。
「会いたかった」
嗚咽が漏れ、何度も透けた幹を撫でる。ダグラスとタニアが顔を見合わせ、ナディアに話しかける。
「こちらにお座り。セシリアはどこにも行かないから、落ち着いてね」
しゃくり上げながら振り返ると、ダグラスが優しくナディアの肩を抱き、タニアの傍らへ誘う。
「私たちのセシリアを大事に想ってくれてありがとう」
「私たちの?」
きょとんとするナディアを、ダグラスが座らせた。その目の前にタニアが牡丹のように座り、ダグラスもそれに寄り添う。
「セシリアはね、人間ではないんだよ」
ダグラスが闇色の瞳で、ナディアをじっと見据えていた。
「黄泉の帝王はここに生える木を基にして傀儡を造ることができる。それは時の女帝によって魂をこめられ、己の使命を全うする。ある者は帝王の使者として生き、ある者は人間界で使命を果たす。セシリアはまさに、私たちの命で人間界に舞い降りた傀儡なんだよ」
傀儡という聞き慣れない言葉に、ナディアが言葉を失った。
「お前が力を誤ることがないよう、セシリアは造られた。お前を見守り、天命に負けない心を育てるために」
すると、タニアが柔らかく笑う。
「そして、私が魂を授けたの。最初に彼女が生まれたときの天命は『三つの生を授かる者』よ」
「三つの生?」
「そう。三度生まれる定め。セシリアは二つ目の命の名。彼女は他にも違う名を持っていた時期があるのよ」
「待って。待ってよ」
すっかり狼狽えている彼女に、タニアが朗らかに笑う。
「それを説明するのは、やはり本人のほうがいいかしら。パーシーも戻って来たようだし。ほら、足音がするわ」
そう言った途端、扉が開く。その向こうにいたのは肩に白い鳥を乗せたパーシヴァルだった。パーシヴァルは憮然とした顔をしながら、泉のほとりに歩み寄る。
置いて来てしまったことを怒られるだろうか。戸惑うナディアの前で、彼は真っ先に両親に向かって頭を下げた。
「ただいま戻りました」
「よく戻った。座りなさい」
ダグラスは父の威厳を示し、パーシヴァルが素直に従った。ナディアには親子の中に帝王と王という縛りが見て取れた。
「パーシー、ナディアがセシリアから話を聞きたいそうよ」
タニアの顔には、凛としたものがあった。
いつか垣間みたパーシヴァルの過去が甦る。親子でありながらも定めに逆らえない彼は、恐らく寂しい想いもしたのだろう。
ナディアはふと彼に憐憫の情を抱いていることに気づき、自嘲する。望むように両親に愛されなかった自分と、望むように愛情を示されない彼の、どちらが辛いかなどわかりはしないのに。
パーシヴァルがナディアを見て、ふっと眉を下げた。
「いつでもお前は俺を置いて先に走ってしまうんだな」
「ごめん。つい、カッとなった」
素直に謝ると、彼は肩のセシリアを撫でた。
「お前は短気なところがあるからな。そうならないように、このセシリアも尽力してきたはずなのにな。なぁ、セシリア」
そのときだった。
白い鳥が「えぇ」と言葉を発したのだ。驚愕のあまり声も出ないナディアに、白い鳥が話しかける。
「まったく、お前は昔から勝ち気で困ったもんだ。だからこそ生き抜いてこれたんだろうが」
「その声は……」
ナディアの声が震えていた。白い鳥が発する声色は紛れもなく、あの吟遊詩人のものだった。
「セシリアが本当にセシリアなの?」
白い鳥はたき火のはぜるような鳴き声を上げた。
「話してあげよう。お前が知りたがっていたことを」
セシリアが静かに語り出した。
時の女帝の魂がここから旅立った日のことを。そして、セシリアがナディアと出逢うまでを。
ナディアはただただ、聞き入っていた。
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