精霊綺譚

深水千世

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精霊の吟遊詩人

二人の旅立ち

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 翌朝、ナディアは熱にうなされていた。
 パーシヴァルが呆れたように、寝床のナディアを見下ろしている。

「だから言わんこっちゃない。あんな真夜中に湖なんかに入るからだ」

 苦笑するパーシヴァルが煎じ薬をナディアに飲ませる。解熱作用のあるそれは、吐き気がするほど苦かった。

「今日はゆっくり寝ていろ。出発は明日に伸ばそう」

 ナディアは朦朧とする意識でただ頷く。パーシヴァルの足音が遠のき、扉が静かに閉められた。

「情けない」

 ナディアは目を閉じたまま、自分自身に呆れ返った。風邪をひいたのはずいぶん久しぶりのことだった。最後にひいたのはセシリアがいた頃だろう。そう考えているうちに煎じ薬が効いたのか、意識を手放して深い眠りの中に落ちていった。
 一方、パーシヴァルは宿屋の階段を下り、懐に収めた物を取り出した。それは、ナディアの持つセシリア名義の通行手形だった。

 ナディアが目覚めたのは、もう陽が沈んでからのことだ。
 部屋はひっそりとし、闇に滲んでいる。かなりの時間を寝て過ごしたらしいと気づくと、起き上がることもせず、ただ朦朧としていた。
 そうしているうち、廊下を軋ませる音が近づき、部屋の扉が開いた。顔だけ動かすと、パーシヴァルの姿がそこにあった。その手には水の入った桶と濡れた布を持っている。

「目覚めたか?」

 月明かりに照らされた彼の顔に安堵が浮かんだ。桶を置くと、彼は部屋の灯りをつけた。ゆらぐ炎が壁に大きなパーシヴァルの影を作った。
 彼の骨張った手が額に触れる。ひんやりと冷たく、彼女は思わず身をすくめた。

「大分いいな。明日には動けるはずだ」

 彼は濡れた布でナディアの顔を拭いてやった。ナディアはされるがまま、ぼんやりしている。
 ふと、彼女の脳裏にセシリアの姿が浮かんだ。施設を抜け出した翌朝、彼女は噴水の水で同じように顔を拭いてくれたのを思い出したのだ。妙に胸が温かくなって、彼女は小さくため息を漏らした。言いようのない安堵がじんわりと広がる。
 パーシヴァルが布を桶に戻し、そっと囁いた。

「もう少し寝るといい」

 部屋を出たパーシヴァルは宿の外へ出ていった。穏やかな月明かりの中、彼は馬車へ歩み寄る。
 セシリアが荷台の手すりにうずくまっているのを見つけると、パーシヴァルがそっと歩み寄り、その名を呼んだ。

「セシリア」

 威厳すら感じる低い声だった。セシリアが頭をもたげ、パーシヴァルを見た途端、白い鳥の羽が興奮で膨らんだ。
 パーシヴァルはそんなセシリアに、口の端をつり上げる。

「久しぶりだね」

 紅玉のような目がおどおどと彼を見た。微かに鳴き声を上げ、しきりに足踏みをする。

「なに、案ずるな。彼女はまだ何も知らないよ。お前は天命を懸命に全うしてくれているらしい」

 そして、彼は闇色の瞳に白い鳥を映したまま微笑んだ。

「……なぁ、『三つの生を授かる者』よ」

 セシリアが羽を何度かばたつかせる。すると、彼はふっと笑って頷いた。

「わかったよ。お前に力を貸してやろう」

 それを聞いた途端、白い鳥は羽ばたきと共に、空の彼方へ小さくなっていく。パーシヴァルがそれをいつまでも見送っていた。

 そのときのナディアが見た夢には、あの闇の人影は出てこなかった。代わりに現れたのは、白い髪を垂らしたセシリアだった。
 ナディアは夢の中で歓喜する。せめて夢の中で会いたいとどんなに願っても、一度も見せてくれなかった姿がそこにあった。

「セシリア!」

 夢の中のナディアが駆け寄った。だが、走っても走っても、セシリアには手が届かない。セシリアはただ黙って突っ立っているだけなのに、距離が縮まることはなかった。

「セシリア!」

 もう一度、名を呼んだ。すると、セシリアが唱えるように呟いた。

「闇に呑まれるな。愛しい子よ」

 その言葉を聞いた途端、夢は唐突に終わった。
 次にナディアが見たものは、宿屋の天井だった。

「あぁ、セシリアが消えちゃった」

 そう思わず漏らし、彼女は顔を撫でた。

「闇に呑まれるな、か」

 それはセシリアの最期の言葉だった。
 セシリアの言葉を一語一句、肝に銘じてきたつもりだったが、『精霊には用心なさい』という教えに影をひそめていた一言だ。
 強く自分を持てというセシリアの教えが彼女の中に再び刻まれた。

「そうだ、自分を強く持てば、あの体から出る闇だって、怯むことではないんだ」

 ナディアがゆっくりと呟く。
 己から産み出されるものだとしたら、それを操れるのも己のみだろう。それが、たとえ自分を蝕むものだとしても。
 彼女はそれからしばらくの間、薄汚れた天井を見つめながら、じっと物思いに耽っていた。だが、喉が渇いたことに気づき、水を飲もうと体を起こしたとき、右手に何かが当たった。

「なんだ?」

 灯りをつけた彼女が目を見開く。それはパーシヴァルの描いた自分の寝姿だった。

「いつの間に描いたんだ」

 半ば呆れながら絵を見ると、木炭で描かれた自分は安らかに眠っていた。口許に微笑みを浮かべていて、今にも静かな寝息が聞こえてきそうだ。穏やかな表情なのはセシリアの夢を見たからだろうかと、ナディアが苦笑する。

「こんな顔もできるんだな」

 寝入る前に顔を拭いてくれたパーシヴァルにセシリアを重ねたせいで、あんな夢を見たのかもしれない。そんなことを考え、矢車菊の色をした目で、じっと絵に見入っていた。
 ナディアは絵の中の自分の唇をそっとなぞる。黒く塗られたそれは、ふっくらと描かれていた。指先に木炭の色が移ったのを擦りながら、彼女は孤独な顔だけではない自分に安堵していた。
 パーシヴァルの絵は不思議だった。彼は表面だけを見ている絵描きではなかった。ナディアの中にあるものを如実に浮き彫りにしてしまう。それが彼の意図するところではなかったとしても、彼女にはそう思えた。
 ふと、絵の右隅に『おやすみ』という短い言葉が走り書きされているのに気づく。このとき、ナディアは自分でも気づかぬまま、はにかんでいた。
 水を飲んでから再び寝台に横たわると、口許まで隠すように毛布にくるまった。

「……おやすみ」

 一人、呟いてみると、懐かしさが込み上げてきた。最後に言ったのはいつだっただろうか。
 ふと窓を見ると、星の精の歌に合わせて月の光の精が踊っていた。一人でいるときは興味もなく、むしろ心の荒んだ彼女を苛立たせていた能天気な光景だ。
 だが、このときは違った。

「綺麗だな」

 彼女は素直にそう呟いて、穏やかな気持ちで目を閉じたのである。
 吟遊詩人にだけ見せていた表情がそこにあった。

 翌朝、ナディアの熱は下がっていた。
 彼女は湯浴みを済ませ、身支度を済ませる。身支度といっても化粧もせず、歯を磨いて髪に櫛を入れる程度のものだった。
 部屋を出ると、宿屋の主人がこう声をかけてきた。

「お連れ様が馬車でお待ちでしたよ」

 『連れ』という聞き慣れない言葉に片方の眉を上げたが、彼女は「ありがとう」とだけ言い残して宿を出る。
 馬車のところに行くと、その荷台で横になっているパーシヴァルがいた。

「お前はそこで何をしている?」

 呆れたようにナディアが言うと、彼はむくりと起き上がる。そして目を細めた。

「おはよう」

 ナディアは思わず言葉に詰まった。久しぶりに自分にかけられた挨拶に、戸惑いを隠せなかった。
 だが、パーシヴァルは挨拶が返ってこないことに構わず、にっこり微笑んでいた。

「熱はもういいみたいだな」

「あぁ。世話をかけたね」

 ぎこちなく礼を言い、ナディアが馬車に乗る。
 セシリアを探して辺りを見回していると、パーシヴァルが隣に腰を下ろしながら言った。

「セシリアならどこかに飛んで行ったよ」

「それなら、いつものことだ」

 今回は何日後に帰ってくるだろうと苦笑し、ナディアは馬に鞭を打った。
 馬車を走らせながら、目の端に映るパーシヴァルの肩に奇妙な感覚を覚えた。隣に誰かいるのは久しぶりだった。
 半ば脅された形で嫌々ながら連れになったものの、あの絵のせいか不思議とそんなに距離を感じない。なかなか人間と打ち解けようとしないナディアにしては珍しいことだった。ナディアは何よりも、そんな自分自身に驚いていたのである。

 街の出口が見えてくると、ナディアがふと『そういえば、証明書を忘れていた』と思い出す。
 都市を出入りするためにセシリアの通行手形を使っていたが、それはナディア一人のときしか通用しないことを知っていた。連れがいるときには、肉親である証明書が別に必要になるのだ。実際、彼女もセシリアと旅をしていたときは娘である証明書を必ず見せていた。今思えば、それは偽造されたものだったのだろうが。
 ナディアはどこかほっとしていた。この男に証明書がない以上、彼はここで馬車を降りることになる。人間を信用していない彼女にとって、それは好都合だった。だが、心のどこかでそれを残念に思う自分も確かにいた。
 ナディアは目を伏せ、『おはよう』と言ってくれたとき、自分も返せば良かったかと少しは悔いた。
 パーシヴァルとは出逢って間もないというのに、隣にいても何故か違和感がない。それはセシリア以来の感覚だった。
 こうして街の出口まで、パーシヴァルはずっと鼻歌を歌っていたが、気に障ることもなかった。それどころか昔から知っているような懐かしささえ覚える。
 そんなことを考えている間にも、馬車は門番の前に進み出ていた。粗末な鎧を身につけた門番が手を差し出した。

「通行手形を見せてください」 

 ぴたりと鼻歌を止め、パーシヴァルは懐から手形を取り出した。

「はい、これね」

 何故、セシリアの手形を彼が持っているのかと怪訝そうな顔をしているナディアを、門番がじっと見つめる。

「えっと、吟遊詩人のナディアさんですね」

 セシリア名義でないことに、ナディアの目が見開かれる。慌ててパーシヴァルを見ると、彼は素知らぬふりで懐から丸めた羊皮紙を取り出した。

「これが俺の証明書だよ」

 門番が受け取り、素早く目を通す。すると、彼はにこやかな顔になり、パーシヴァルとナディアにこう言ったのだ。

「ご結婚されたばかりですか。おめでとうございます。いいですなぁ。これから新婚旅行ですか?」

 ナディアの口がぽかんと開いた。パーシヴァルがぐっと彼女の肩を引き寄せ、頬を寄せた。

「そう。うちの妻は綺麗でしょう?」

「な、何をする!」

 顔を真っ赤にしたナディアがパーシヴァルを突き放すと、彼は飄々と肩をすくめた。

「彼女は恥ずかしがり屋でね。まだ夫婦ってことに慣れてないんだ」

 門番が呆れたように笑いながら、通行手形と証明書をパーシヴァルに返した。

「奥さんをからかうのも大概にしたほうがいいですよ。顔が真っ赤ですから」

「それはどうも」

 パーシヴァルは口の端をつり上げ、ナディアの手から手綱を取り上げた。ゆっくり動き出した馬車を、門番が「お気をつけて」と見送っている。

「……お前、一体何をした?」

 出入り口が遠ざかってから、ナディアがやっと声を上げる。

「私がお前の妻だって?」

「だってそのほうが自然だろう。親子じゃ年が近すぎるし、兄妹でもあまりに似ていないし。それに、こんなに美人な奥さんがいるというのは、俺も鼻が高い」

 愉快そうにパーシヴァルが笑う。

「ふざけるな! それに、いつの間に通行手形の名義を変えた? どうやって?」

 セシリア名義の通行手形は、名義を変更したくても出来なかった。彼女が死んだ今、名義変更しようとすればその通行手形を返上し、ナディアが新規のものを手に入れなければならなかった。そして、それには大枚が必要になるだけでなく、呆れるほどの時間と手続きを要するのだ。

「どこの街にも後ろめたい職業の奴らがいるもんさ」

 ナディアが呆気にとられる。セシリアも自分と出会ったばかりの頃、そう言ってパーシヴァルのように笑っていた。

「なぁに、お前が寝込んでいる間にいろいろとね」

 パーシヴァルは通行手形と証明書を荷台に戻す。

「あ、それからここから二枚借りたから」

 彼がそう言って懐から取り出したのは、ナディアが施設を抜け出す際に持ち出した金貨だった。

「お前!」

 ナディアの顔にさっと怒りがさす。それは今まで一度も手をつけたことのないものだった。パーシヴァルの手から奪い返すと、懐にねじ込んだ。

「怒るなよ。言っておくけど、証明書のほうは俺の持ち金で用意したんだ。お前の金貨は通行手形の名義を偽造した分の支払いだよ」

「私はセシリアのままでいい」

 やはり人間など信用できるものではない。憮然として答えるナディアに、パーシヴァルは「俺は嫌だ」と笑う。

「どうせ俺の妻にするなら、あの白い鳥よりもお前のほうがいいしな」

「その通行手形のセシリアは、鳥ではない」

「だが、生きてはいないだろう?」

 弾かれたようにナディアがパーシヴァルを見ると、彼の顔から笑みが消えていた。

「こうしてお前が別人の名義を持っているってことは、そのセシリアは死んだってことだ」

「……育ての母だ」

「知ってるよ。親子の証明書を見たが、偽造だろう。今度の証明書を作ってくれた奴が教えてくれたよ。同じ穴の狢《むじな》の手仕事はわかるらしい」

 パーシヴァルがあくびを噛み殺しながら続けた。

「それにいつまでも偽名が通用するとは限らないぞ。お前は奇跡の踊り子として既に知られつつある。顔を見るだけで『あいつはナディアだ』と知れる日が来るかもしれないんだからな」

「わかっている」

「なら、どうして普段からセシリアを名乗らなかったんだ?」

 不思議そうにパーシヴァルがナディアを見やった。

「そうすれば、この通行手形がニセモノだとばれる日も来ないだろうに」

 すると、ナディアが街道の先を見つめたまま呟いた。

「母がくれた名を捨てられなかったからな」

 愛されたいと願った実の母を思い出し、彼女は唇を噛んだ。

「それに、セシリアに『新しい名をつけてくれ』と願っても、彼女は拒んだ。私の気持ちを見抜いていたのかもしれないな」

 パーシヴァルは何も言わなかった。ただ、黙ってナディアを見ているのだった。

「お前こそ何故だ?」

 ナディアが言葉を続ける。

「第一、証明書くらいは作れる金があったなら、通行手形を再発行すればいいものを」

「最初はそうしようかと思ってたさ」

 パーシヴァルが肩をすくめる。

「えらい時間と手間がかかるけどな。だけど、そう考えていたときにお前が宿に来た」

 ナディアが隣を見ると、彼は再び笑みを浮かべていた。

「興味が沸いたんだ。すぐにでもお前と一緒に居たいと思った。だから、あの提案をした」

「理解できないな。私の日々などつまらぬものだ。私の金貨を使って自分名義の通行手形を用意すればよかっただろうに」

「だから言っただろう? 俺は興味がある。お前はつまらぬ日々と思っていても、その日々が今のお前を作り出しているんだから。あの絵を見たお前の言葉が、俺にそう決意させた」

 『こんなに孤独な顔をしているんだな』と言ったことを思い出し、ナディアがため息を漏らした。

「その言葉の何が興味深いというんだ。絵描きとはみんなそんなに風変わりなものなのか?」

 そう吐き捨てるように言うと、彼から手綱を取り返した。
 パーシヴァルが声を上げて笑う。

「お前こそ、吟遊詩人はみんなそんな堅苦しく話すものなのか? セシリアには打ち解けた話し方をしていただろうに」

 ナディアが黙り込む。セシリア以外の誰かと、素の自分を晒して話せる日が来るとは思えなかった。
 パーシヴァルに「おはよう」と自然に返せることができるのだろうかと考え、ナディアは手綱を持つ手に力をこめた。
 彼女は精霊と話す自分を知られ、彼の顔に畏怖が浮かぶ日がくるのを心のどこかで恐れていた。あの父と母の姿が脳裏から離れなかったのだ。

 その夜、野宿のたき火の前で、ナディアはため息を漏らしていた。
 パーシヴァルとの旅は思っていたよりも骨が折れた。精霊の声だけならまだしも、姿が見えてしまうナディアにとって、それをすぐ隣にいる誰かにひた隠しにするのは意外と難しい。かといって無視していると精霊もいじけてちょっかいを出してくる。
 今も自分に構って欲しいと言わんばかりにたき火の精が目の前で座り込み、ナディアの目と鼻の先に顔を近づけてくるのだ。

 鬱陶しさに顔をしかめるナディアは、傍らに寝そべるパーシヴァルを見やった。彼は今日一日、ずっと馬車の上でナディアの知らない歌を口ずさみながら、絵を描いていた。
 この男に精霊のことを話してみたら、何と言うだろうという疑問がよぎる。不安もあったが、興味もあった。パーシヴァルはどこまでも飄々としていて、他人の価値観など気にしない性分のようだった。自分を強く持つ様は、セシリアの姿を思い起こさせる。
 ナディアがぼんやりと膝を抱いていると、パーシヴァルがむくりと起き上がった。

「ナディア、そろそろ休もうか」

「……あぁ」

「一緒に寝る?」

「ふざけるな」

 ナディアは眉間にしわを寄せ、馬車に上がり込む。幌の真ん中に壁を作るように荷物を積んで、両端に毛布を置いた。

「お前はそっち。私はこっち」

「つれないなぁ、夫婦なのに」

「書類上のことだ。それにお前が勝手にそうしただけだろう」

 すげなく言うと、ナディアは自分の毛布にくるまった。

「人肌は温かいらしいぞ。まぁ、身持ちが固いのも魅力だけどな」

 パーシヴァルが高らかに笑い、自分の毛布にくるまった。

「おやすみ、ナディア」

 ナディアは閉じていた目をうっすら開けた。しばらく躊躇っていたが、小さな掠れ声でこう呟いた。

「……おやすみ」

 パーシヴァルの反応はない。ナディアは自分の声が彼に届いていることを願いながら、また目を閉じた。

 翌朝のことだ。

「なぁ、パーシヴァル」

 荒野の真ん中を貫くように続く街道で、ナディアが不意に問いかける。

「なんだ?」

 パーシヴァルが木炭を走らせる手を止めて、ナディアを見た。

「お前には家族がいるんだろう? 家族はどうしてるんだ?」

「あぁ、まぁ、故郷で仕事してるよ」

「優しいか?」

「まぁな。厳しいけどな」

「そうか」

 ナディアは手綱を持つ手に目を落とす。優しい両親とはどんなものか、もう記憶もおぼろげだった。

「なんだ、お前も俺のことパーシーって呼びたいのか?」

 きょとんとした彼に、ナディアが鼻で笑う。

「それは家族だけの呼び名だろう。軽々しくそんなことを言うな」

「お前ならいいぞ」

「私は嫌だ」

「でも、お前は家族を望んでる。そうだろ?」

 弾かれたようにパーシヴァルを見ると、彼は真摯な眼差しで彼女を射ていた。

「違うか?」

「そうだとしても、お前には関係ない」

 何故、この男は何でも見透かしてしまうのだろう。腹立たしいほど的確に、心の奥底にしまいこんだものを見つけてしまう。

「俺はお前となら家族になってもいいけど」

「出逢って間もないのに、そういうことを軽々しく言うな。勘違いする女が出て来るぞ」

「構わないよ、ナディアなら」

 それきりパーシヴァルは鼻歌を歌い出した。またナディアの知らない歌だった。だが、何故か懐かしい匂いのする歌だ。彼女は少しだけ、口許を緩めた。

「パーシヴァル、その歌は故郷のもの?」

「うん」

「教えてくれないか」

「……いいよ」

 パーシヴァルがまるで少年のように微笑んだ。ナディアにはそれが、ただただ眩しかった。
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