精霊綺譚

深水千世

文字の大きさ
上 下
7 / 43
精霊の吟遊詩人

奇跡の踊り子

しおりを挟む
 『奇跡の踊り子』が噂になり始めたのは、一年前のことだ。
 彼女が最初に現れたのは、とある火山の麓の街だった。ふらりとやって来た彼女は、地鳴りを鎮める儀式をいともたやすく成功させたのだ。
 祈りの踊りが終わらぬうちに、火山の神を鎮めてしまった奇跡に、人々は恐れと感嘆を抱いた。
 踊り子は名乗ることもなく、すぐに火山の街から姿を消したが、今度は東方の砂漠の街に姿を現した。
 その街では巫女の代わりに雨乞いの儀式で目映いほどの踊りを見せ、見事に無情の空から雨が降り出したのだという話がまことしやかに囁かれていた。

「一度でいいから、その奇跡の踊りを見たいものだ」

 誰もがそう願った。
 人々は都市から都市へ、こう言い伝えた。

「金の髪をなびかせ踊る様はさながら風のよう。可憐な矢車菊の瞳に見つめられれば、神すら心を奪われる」

 そんな噂は、都会だけでなく、山間の田舎町にまで届いていた。
 その町の食料品店に一人の旅人が入ってきた。四弦の楽器を入れた革の大袋を背負い、布で頭を隠している。その布の隙間から紫がかった蒼い瞳がのぞいていた。

「いらっしゃいませ。何をご入り用で?」

 猫撫で声の店の主人に、旅人は品物を指差し、布の奥からくぐもった声で「これを一袋」と短く指示した。
 愛想のない客だと呆れながらも、店の主人は頼まれたままに、乾燥させた果物や肉の燻製を袋に入れてやる。
 その合間に、旅人を好奇心あふれる目で盗み見た。頭に巻かれた古びた布から金色の美しい髪が漏れているのに気づき、思わず問いかける。

「なぁ、あんたも旅人だろ?」

 旅人は「あぁ」と短く答える。顔は見えないが、その声色が「見ればわかるだろう」とでも言いたげに素っ気ない。

「だったら『奇跡の踊り子』を知っているか? あんたと同じ金髪らしいんだが」

「……噂なら、よく聞く」

 ためらいがちに、小さな声が聞こえた。

「あんたは見たことがあるか?」

「残念ながら、ない」

「あんた、顔を隠してはいるが、その声は女だね。もしや、あんたが『奇跡の踊り子』じゃあるまいね?」

 期待で胸を膨らませながら問いかける店の主人に、旅人が鼻で笑った。

「残念ながら私は踊り子ではなく吟遊詩人だし、この肩に白い鳥はいない」

「確かにそうだ」

 店の主人ががっくりと肩を落とした。店に入ってきたときから、背中の楽器には気づいていたし、『奇跡の踊り子』が常に従えているという噂の白い鳥もいなかった。

「そうか、残念だな。一度でいいから顔を拝みたいもんだよ。神話に出て来る精霊のように美しい顔をしているそうだからね」

 旅人は「邪魔したな」とだけ言い残して店を出る。

「毎度ありがとうございました」

 店の主人が幌馬車に乗り込む旅人を見送っていたときだ。
 辺りにたき火のはぜるような鳥の鳴き声が響き渡った。思わず空を仰ぐと、長い尾の白い鳥がまっすぐ向かって来る。

「あ、あれは……白い鳥?」

 店の主人が目をぱちくりさせていると、白い鳥が旅人の肩にひらりと乗った。

「あぁ! やっぱり、あんたが!」

 店の主人が興奮して叫んでいる隙に、旅人は馬に鞭を打った。
 走り出した馬車の上で旅人が布を外す。豊かな金髪が華奢な背中にこぼれ落ち、矢車菊の色をした瞳が左肩にとまった鳥を愛おしそうに見た。

「セシリア、お前が三日ぶりに戻ってきてくれて嬉しいけれど、今回ばかりはちょっと早過ぎたわね。あの主人が騒いでいるわ」

 後ろを振り返ると、食料品店の前に人だかりができている。その中央で店の主人が身振り手振りしながら何かを叫んでいた。

「靴も新調したかったけど、この町にこれ以上いるのは無理そうね」

 ナディアがため息を漏らし、街の出口へ馬を走らせる。

「なにが『奇跡の踊り子』だ。まったく、やりにくいったらありゃしない」

 顔を歪ませても、なお美しい。背中まで伸びた金髪は艶やかで、体つきは女らしい肉づきを見せ始めている。矢車菊の色をした瞳には憂いが帯び、それがまた美しさを際立たせていた。
 ナディアは十六歳になっていた。
 
「吟遊詩人でよかったわ。踊り子で生計を立てていたら、好奇心の格好の餌食だもの」

 セシリアが応えるように小さく鳴く。
 なるべく人と接したくないナディアにとって、奇跡の踊り子の噂は厄介だった。踊りを見せれば収入は増えるとしても、それだけで済まなくなるのが人の欲だと、彼女はよく知っていたのだ。
 目立たないようにやり過ごしていたナディアだったが、それでもなお、一つの流れに巻き込まれることを、そのときはまだ知らなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...