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第二部 無色の誓い
第1話 恋愛ミステリー
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私が大地と付き合い始めたのは大学受験のまっただ中だった。三つ下の大地は高校受験を控えていたっけ。
夕暮れの図書館から帰ろうとしたとき、大地は出入り口で待ち伏せしてた。
「あの、突然ですけどお話いいですか?」
今でも彼の顔が真っ赤だったのを覚えてる。お互い受験生でクリスマスどころじゃなかったはずなのに、彼はイブに告白してくれた。浮かれてる場合じゃないのに、即座に「ありがとう」って言ってしまったっけ。
やけに鉢合わせするたびに魅かれてたから嬉しかったけど、未だにわからないの。なんで、大地は私を選んだのかな? お互い、図書館で受験勉強をしていただけ。
制服で学校は私の母校だってわかったけど、名前も知らない。
本の虫で地味だった。恥ずかしくて、遠くから彼を見ていることしかできなかった臆病だった。それなのに、大地は私を好きだと言い続けてもう十年を越える。どんなミステリーを読んで推理力をつけても、解けない謎だ。
「千里、あんた宛に郵便物が届いてるから取りに来てくれる?」
久しぶりに聞いた母親の声は相変わらず声が大きくて、携帯電話を思わず耳からちょっと離した。
「うん、わかった」
大地と一緒に住み始めてもう二年になる。転送届けの期限が切れてるから、たまにこんな連絡が入る。
チェロを弾く大地は、今年の春に音大を卒業した。彼は小料理屋の跡取り息子として高校を卒業してから、ずっとそこで修行してたんだけどね。チェロを捨てきれず、バイオリニストである祖母のお凛さんの手助けもあって遅まきながら音大に入ったんだ。
ただし、その条件が自炊生活すること。そのうち、彼の父親からの頼みで、週末だけは小料理屋を手伝うことになっていた。段々身の回りのことに手がつかなくなってきた大地を見かねて、一緒に暮らし始めたんだ。うちの両親は大地がお気に入りだし、『どうせ結婚するなら予行演習のつもりでいけ』って快諾してくれたっけ。
大地は、この春からは音楽教室のチェロ講師として頑張ってる。でも週末は相変わらず小料理屋に行っていた。
今日は大地も帰りが遅いはず。そう思いながら、実家へ向かう。夕飯、何にしようかな? 帰りに食材買って帰ろうかな。なんだか、こんな考え事をするとき、自分がまるで奥さんになった気分でほっこりする。大地の好きなハンバーグにしちゃおうかな。目玉焼きも乗せてあげようっと。
「あれぇ、お姉ちゃん! 珍しいね」
実家に帰ると、妹の美咲がリビングで本を読んでいた。この子は三つ下で大地と同い年だ。学校は同じだけど、クラスは違った。
大地を気になり出したとき、何度も妹に彼のことを訊こうとしたことがある。けれど、名前も知らないのにどう訊いていいかもわからなくて、結局何も口にしなかった。
私たちが付き合い出して、妹と大地がクラスは違うけど同じ学校の同じ学年ってことがわかったときは『世間って狭いな』って心底思ったっけ。
「美咲、もう仕事終わったの?」
「うん、早番だから。てか、お姉ちゃん、太った?」
彼女は小野不由美の小説を膝に置いて、私をまじまじと見た。本好きは父親の影響だけど、この子の性格は母親似。なんでもはっきり言うタイプなんだよね。
「失礼ね。変わってないわよ」
「そう? ならいいけど。大地は元気?」
「うん。相変わらず」
「あぁ、そっか」
たいして興味もない様子で、妹はまた本を手にした。
「美咲こそ、彼氏は元気?」
「ん? 別れた」
「えぇ? なんで?」
「終わったものはしょうがないのよ」
妹は眉間にしわを寄せて、顔を上げる。
「お姉ちゃん、無粋」
......物怖じして言いたいことも言えない私には、この性格が心底羨ましい。そんな会話をしていると、母親が二階から降りて来た。
「あら、千里。なんか、相変わらず顔が暗いわよ。いやぁね」
お母さん、美咲は間違いなくあなたのDNAを受け継いでいます。羨ましいくらいに。なんだか、力が抜けてしまった。
「はい、これで全部」
「うわ、結構あるんだね」
母親が封筒と葉書をゴムで束ねたものを渡してくれた。
「......あ、誰か結婚するんだ」
一通だけ、寿の切手が貼ってある封筒がある。差出人を見ると、同級生だった貴子だった。そういえば、婚約したって言ってたっけ。母親が紅茶を煎れながら、感慨深そうに言う。
「へぇ、あの大人しそうな貴子ちゃんがねぇ」
「確か相手は二つ年上の人だったと思うけど」
私が手紙を束ねてバッグにしまっていると、母親が眉を下げて言う。
「あんたはいつになったら、大地君と結婚するの?」
あぁ、またその話題......。私は肩をすくめるしかなかった。そりゃあ、娘が29歳にもなれば心配なんでしょうけど。こればっかりは二人の問題だから。
......というか、大地の問題なのかな。私は左手の薬指に光る指輪を見た。それは大地からのクリスマス・プレゼントだった。シンプルで細い輪に、小さなサファイアが埋め込まれてる。大地は「虫除け」って言ってたけど、彼はいまだにダイヤモンドを贈ってくる気配がない。
この指輪を選んだのは私。どうしてこれを選んだかっていうと、裏表逆になると、まるで結婚指輪みたいに見えるから......。大地は私がそんなことを考えているなんて、知らないけどね。
「大地は三つ下だから、まだ結婚する気ないんじゃないの?」
誤摩化そうとすると、母親が口を尖らせた。
「高校生のときから付き合ってるし、一緒に暮らしてもう二年でしょ? そろそろいいんじゃない?」
私だってね、そう思うよ。でも、大地はそうじゃないらしい。これもいつまで経っても解けない謎だ。大地は結婚したくないのかな?
一度だけ、彼が言っていたことがある。
「俺さ、小料理屋を継ぐにしても、ばーちゃんみたいにチェロ教室をやるにしても、定期収入もないだろ? 情けないよな」
そんなこと気にしないのに。私だって司書として働いているから、それなりに収入もあるし、助け合っていけばいいじゃない。そう思ったけど、言えなかった。大地がすぐ話題を変えてしまったから。
あのときは、それを気にして結婚に踏み切れないのかなって思った。だから、音楽教室のチェロ講師って仕事に就いたのかなって。だけど、チェロ講師になって定期収入を得た大地は、今も結婚の『け』の字も考えてないみたい。......一緒に暮らすだけでいいのかな?
ここのところ、ずっと考えてる。大地はどうして私を好きになったの? どうして結婚しようとしないの?
自分に自信がなくて、三十路崖っぷちだからかなぁ。くよくよしてる自分が情けなくて、大地がちょっと恨めしい。......やっぱり、目玉焼きは抜きにしようかな。
夕暮れの図書館から帰ろうとしたとき、大地は出入り口で待ち伏せしてた。
「あの、突然ですけどお話いいですか?」
今でも彼の顔が真っ赤だったのを覚えてる。お互い受験生でクリスマスどころじゃなかったはずなのに、彼はイブに告白してくれた。浮かれてる場合じゃないのに、即座に「ありがとう」って言ってしまったっけ。
やけに鉢合わせするたびに魅かれてたから嬉しかったけど、未だにわからないの。なんで、大地は私を選んだのかな? お互い、図書館で受験勉強をしていただけ。
制服で学校は私の母校だってわかったけど、名前も知らない。
本の虫で地味だった。恥ずかしくて、遠くから彼を見ていることしかできなかった臆病だった。それなのに、大地は私を好きだと言い続けてもう十年を越える。どんなミステリーを読んで推理力をつけても、解けない謎だ。
「千里、あんた宛に郵便物が届いてるから取りに来てくれる?」
久しぶりに聞いた母親の声は相変わらず声が大きくて、携帯電話を思わず耳からちょっと離した。
「うん、わかった」
大地と一緒に住み始めてもう二年になる。転送届けの期限が切れてるから、たまにこんな連絡が入る。
チェロを弾く大地は、今年の春に音大を卒業した。彼は小料理屋の跡取り息子として高校を卒業してから、ずっとそこで修行してたんだけどね。チェロを捨てきれず、バイオリニストである祖母のお凛さんの手助けもあって遅まきながら音大に入ったんだ。
ただし、その条件が自炊生活すること。そのうち、彼の父親からの頼みで、週末だけは小料理屋を手伝うことになっていた。段々身の回りのことに手がつかなくなってきた大地を見かねて、一緒に暮らし始めたんだ。うちの両親は大地がお気に入りだし、『どうせ結婚するなら予行演習のつもりでいけ』って快諾してくれたっけ。
大地は、この春からは音楽教室のチェロ講師として頑張ってる。でも週末は相変わらず小料理屋に行っていた。
今日は大地も帰りが遅いはず。そう思いながら、実家へ向かう。夕飯、何にしようかな? 帰りに食材買って帰ろうかな。なんだか、こんな考え事をするとき、自分がまるで奥さんになった気分でほっこりする。大地の好きなハンバーグにしちゃおうかな。目玉焼きも乗せてあげようっと。
「あれぇ、お姉ちゃん! 珍しいね」
実家に帰ると、妹の美咲がリビングで本を読んでいた。この子は三つ下で大地と同い年だ。学校は同じだけど、クラスは違った。
大地を気になり出したとき、何度も妹に彼のことを訊こうとしたことがある。けれど、名前も知らないのにどう訊いていいかもわからなくて、結局何も口にしなかった。
私たちが付き合い出して、妹と大地がクラスは違うけど同じ学校の同じ学年ってことがわかったときは『世間って狭いな』って心底思ったっけ。
「美咲、もう仕事終わったの?」
「うん、早番だから。てか、お姉ちゃん、太った?」
彼女は小野不由美の小説を膝に置いて、私をまじまじと見た。本好きは父親の影響だけど、この子の性格は母親似。なんでもはっきり言うタイプなんだよね。
「失礼ね。変わってないわよ」
「そう? ならいいけど。大地は元気?」
「うん。相変わらず」
「あぁ、そっか」
たいして興味もない様子で、妹はまた本を手にした。
「美咲こそ、彼氏は元気?」
「ん? 別れた」
「えぇ? なんで?」
「終わったものはしょうがないのよ」
妹は眉間にしわを寄せて、顔を上げる。
「お姉ちゃん、無粋」
......物怖じして言いたいことも言えない私には、この性格が心底羨ましい。そんな会話をしていると、母親が二階から降りて来た。
「あら、千里。なんか、相変わらず顔が暗いわよ。いやぁね」
お母さん、美咲は間違いなくあなたのDNAを受け継いでいます。羨ましいくらいに。なんだか、力が抜けてしまった。
「はい、これで全部」
「うわ、結構あるんだね」
母親が封筒と葉書をゴムで束ねたものを渡してくれた。
「......あ、誰か結婚するんだ」
一通だけ、寿の切手が貼ってある封筒がある。差出人を見ると、同級生だった貴子だった。そういえば、婚約したって言ってたっけ。母親が紅茶を煎れながら、感慨深そうに言う。
「へぇ、あの大人しそうな貴子ちゃんがねぇ」
「確か相手は二つ年上の人だったと思うけど」
私が手紙を束ねてバッグにしまっていると、母親が眉を下げて言う。
「あんたはいつになったら、大地君と結婚するの?」
あぁ、またその話題......。私は肩をすくめるしかなかった。そりゃあ、娘が29歳にもなれば心配なんでしょうけど。こればっかりは二人の問題だから。
......というか、大地の問題なのかな。私は左手の薬指に光る指輪を見た。それは大地からのクリスマス・プレゼントだった。シンプルで細い輪に、小さなサファイアが埋め込まれてる。大地は「虫除け」って言ってたけど、彼はいまだにダイヤモンドを贈ってくる気配がない。
この指輪を選んだのは私。どうしてこれを選んだかっていうと、裏表逆になると、まるで結婚指輪みたいに見えるから......。大地は私がそんなことを考えているなんて、知らないけどね。
「大地は三つ下だから、まだ結婚する気ないんじゃないの?」
誤摩化そうとすると、母親が口を尖らせた。
「高校生のときから付き合ってるし、一緒に暮らしてもう二年でしょ? そろそろいいんじゃない?」
私だってね、そう思うよ。でも、大地はそうじゃないらしい。これもいつまで経っても解けない謎だ。大地は結婚したくないのかな?
一度だけ、彼が言っていたことがある。
「俺さ、小料理屋を継ぐにしても、ばーちゃんみたいにチェロ教室をやるにしても、定期収入もないだろ? 情けないよな」
そんなこと気にしないのに。私だって司書として働いているから、それなりに収入もあるし、助け合っていけばいいじゃない。そう思ったけど、言えなかった。大地がすぐ話題を変えてしまったから。
あのときは、それを気にして結婚に踏み切れないのかなって思った。だから、音楽教室のチェロ講師って仕事に就いたのかなって。だけど、チェロ講師になって定期収入を得た大地は、今も結婚の『け』の字も考えてないみたい。......一緒に暮らすだけでいいのかな?
ここのところ、ずっと考えてる。大地はどうして私を好きになったの? どうして結婚しようとしないの?
自分に自信がなくて、三十路崖っぷちだからかなぁ。くよくよしてる自分が情けなくて、大地がちょっと恨めしい。......やっぱり、目玉焼きは抜きにしようかな。
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