朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第三章 最終決戦

あとがき ー月と太陽の昔話ー

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 窓際で、ふと空を見上げた。
 月明かりが照らす空は、ほのかに星の煌めきを許すのみで、淡い輝きは月に飲み込まれてしまう。
 だが不思議と、月を邪魔だと思ったことはない。

かむり

 大げさに肩を震わせて、ゆっくりと振り返る。

れき……気づかなかった、すまない」
「扉は叩いたが……考え事か」

 部屋の入口から歩み寄ってくる私の主は、相変わらず気配も音もさせない。窓際の私のところまで、躊躇することなく近づくと、私の頬に手を添えた。

「月が似合うな」
「そうか?」
「ああ。祭は太陽のようだが、冠は月のようだ」

 月。
 月は太陽が無ければ輝くことができない。曆は、私には祭がいないとならぬと言いたいのだろうか。
 彼の言いたいことを勝手に察して、頬の手を擦り抜けると、近くの椅子へ腰掛けた。

「祭が居なければ、という意味ではない」
「……心を読んだのか?」
「貴様の顔に書いてある。勝手に察するのは悪い癖だ、冠」

 彼は笑いながら私の近くの椅子に腰掛け、手を握る。少しバツが悪いようにして視線を逸らせば、彼の小さく笑う息が聞こえた。

「太陽は民を救うこともあれば、輝き故に悩ませ、病ませることもある。月は太陽のような強さこそないものの、常に道標となる。迷う民を照らす」
「……何が、言いたい?」
「長とは、両面なければならない。祭だけでも、冠だけでもなく、二人なら長になれよう」

 曆の笑顔が、優しく照らされる。
 私と祭が出ていくことを最後まで反対していた人とは思えない。呆気にとられていると、気がつけば唇が重なっていた。
 暫くの後唇は離れ、頭を引き寄せられる。

「眞白は……漆黒の牙ニゲルデンスは、一筋縄ではいかぬ。無理なら戻れ」
「ああ。……だが、少し心外だ」
「なに?」

 彼の胸から頭を引き剥がし、少しばかり睨みつけた。怪訝そうな彼の目が、真紅に輝く。

「私達は、紛いなりにも朱色の雫ミニオスティーラ。必要があれば戦う。逃げはしないよ、曆」
「冠、逃げろと言っているわけではない」
「じゃあ何だ、はっきり言って。わからない」

 今度は彼がバツが悪そうに口を噤んだ。
 月が雲に隠れ、少し暗くなる部屋の中で、彼の目だけが見える。

「失いたくない」
「れっ」

 気がついたときには、強く抱きしめられていた。
 息をするのも躊躇するほどに。

「愛している、冠。必ず、生きろ。失うことを考えたくない。必ず、生きて戻れ」
「曆……」

 彼の背中に恐る恐る腕を回して、何度か擦る。
 彼も、恐れることがあるのだ。
 あの冷徹で瞳に温度がないと評判の長にも。
 本当はわかっている、彼が私達をどれだけ想ってくれているか。残される彼の心情を想って、胸に頬擦りした。

「曆、できない約束はしない主義だ。生きて帰れるかはわからない。だが……」

 彼の腕の中で、深呼吸する。
 彼の香りが、体中に染み渡るように。

「例え死んだとしても、必ずまた逢える。約束する。どんな死に方をしても、必ず生まれ変わって逢いに行く」
「……」
「祭になにかあれば、止めるのは私だ。共に朽ちることもあるだろう。それでも、必ず。必ず、逢いに行くよ、曆」

 私が月だとするなら。祭に寄り添い、常に共にいる。私が望む形。眼の前の愛しい人を見上げれば、少しだけ口を尖らせていた。

「祭に負けるとはな」
「勝負しないでくれ、曆」
「祭に次会ったら、手合わせは厳し目に相手しよう」
「お手柔らかに頼む」

 どちらからともなく笑い合うこの時間が、願わくば永遠に続くように。
 無理だとわかっているけれど。
 私達の運命は、交わらない。いざとなれば五珠を殺すのは私達の役目だ。
 彼はふと口許に手を当てると、少しだけ考え込んだ。

「祭と冠の生まれ変わりか……大層頑固になるだろうな」
「ああ、不器用だと思う。それに……きっと無理をする」
「一度出鼻を挫いてやる必要がありそうだな」
「ああ。曆が頼り方を教えてやってくれ」

 彼が優しく頭を撫でてくれる。
 彼は優しい。本当にいつも、寄り添ってくれる月のような。
 思わず目を見開いて、彼を見上げた。

「曆」
「どうした」
「……曆も、月だな。いつも寄り添い、道を照らしてくれる」
「……白金の灯プラティニルクス、だからな」
「そうか。それなら、曆は私といつも一緒だ」
「ああ」

 いつか、別れる日が来ても。
 お互いに寄り添える関係でい続けられるように。
 愛しい人を、幾度巡っても見つけられるように。
 月が照らす、この大地の何処かで。
___

 暗闇となった世界が、赤く染まる。
 血で染まる世界というのは、思っていたよりも黒い。まるで暗闇と同化するかのように、世界を暗くしていく。

漆黒の牙ニゲルデンス、そちの負けじゃ」
「……朱色の雫ミニオスティーラ
「なんじゃ」
「出来損ないの、朱色の雫ミニオスティーラが」

 奴の目が、妾を貫く。
 心底羨むような、妬むような、それでいて憎んでいるような目。
 
漆黒の牙ニゲルデンス。そちは何故死にたがる?」
「……何を馬鹿な。死にたがりではない」
「いや、死にたがっているじゃろ。今も、妾に殺されるのを待っておる」

 奴の目に潜む、一縷の望み。
 妾には、視える。

「長きにわたる禍根の中心で生きるのが、辛くなったか? それとも、飽きたか。眞白」
「知ったような口を利くな!」
「知らぬよ、そちのことなど。じゃが、妾はわかる。そちが羨望の眼差しを向ける理由が」

 手をかざし、奴の目を塞ぐ。
 漆黒の瞳に潜む、重く冷たい鉛。
 野望と羨望の入り交じる、幼子のような目。

「そちを、いつか殺してやる」
「ほう……?」
「じゃが、今はせぬ。そち、共に来い」
「笑わせるな、朱色の雫ミニオスティーラ! 誰もお前のような出来損ないに!」

 腹を抱えて笑う彼の姿は、妾には痛々しく映る。
 そうやって、絶望を嘲笑ってきたのだろうか。
 そうやって、羨望を野望と塗り替えて、自分を納得させてきたのだろうか。

「妾にしか出来ぬことじゃ、漆黒の牙ニゲルデンス。そちの漆黒、妾が染め替えてみせよう」
「……笑わせるなと言っている、たわけが」
「たわけで結構。妾はそちを独りにはしない」

 僅かに目を見開いた彼が、すぐに牙を剥く。

「俺は! 独りではない! 勘違いするなよ、出来損ないが!」
「そうじゃな。今はそう言っておれば良かろ」
「お前……愚弄するのも、大概に……!」

 まるで野良猫が牙を剥くように、妾を威嚇する彼が酷く滑稽で、それでいて、どことなく愛おしく思えたのは。
 彼が妾の能力を渇望しておるからであろうことはわかっていた。
 
「何はともあれ、妾は今日からそちの主。よろしく頼む、眞白」

 いつか、眼の前の奴を殺せるか、などわからない。奴の言う通り、妾たちは出来損ないの朱色の雫ミニオスティーラ漆黒の牙ニゲルデンスを殺せるかなど、わからぬ。
 だが、いつか必ず奴の孤独を砕いてみせよう。
 この寂しい目をした、野良猫を救えるように。
 愛情が何かを知らぬ、可哀想な野良猫を。

「まずは、妾の側近として国を整備するのじゃ、眞白」
「勝手に話を進めるな」
「良かろ? そちは妾に負けた。理由は十分じゃ。悔しかったら妾を屈服させてみせよ」

 奴の試し行動も全て、受け止めてこそ。
 妾が持てる全てをもって、奴に教えてやらねば。

「この世は、そちが思うほど悪くないぞ? 眞白」
「うるさい!」
「そうか、そうか。まあ良い、行くぞ。ついて参れ」

 いつか奴が自分の孤独に気づき、自らの牙で孤独を砕けるように。弱みを見せられる存在を、見つけられるように。
 手を差し出せば、思い切り弾かれた。それでも出し続ければ、諦めたように手を掴まずに立ち上がる眞白。

「素直じゃないのう! よろしく頼む、眞白」

 目も合わせずに歩き始める眞白の背を追いかける。
 妾は何があろうと奴を見捨てぬ。奴の抱える孤独に向き合い、手を差し出し、奴の弱さを照らせるように。いつか、奴の太陽が現れる日まで。
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