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第三章 最終決戦
恐怖の背後につく好奇心
しおりを挟む気がつくと私は、人らしきものを掴んだ状態で浮いていた。
手には握り込まれたセンナ。
視界と頭の中が一気に晴れていく。
首に走る僅かな痛みと、体にのしかかる重み。
酷く懐かしい匂い。
前にも覚えのある体温。
「し……わ?」
「遅い。もう少しで殺すところだった」
「ご、ごめんなさい……」
鈍い音を立てながら手を引き抜くと、彼の白金色のセンナは少しばかり歪み、ひび割れている。
「師走……!」
「騒ぐな。前にもあったな、貴様が我がセンナを見て狼狽えたことが」
「こんな……前とは比べ物にならないわ、それに貴方のセンナはあの秘薬を使った状態でしょう!?」
「だからなんだ」
全身血まみれで傷さえ修復できない状態になった師走が、私を黙って見つめている。真紅の瞳は相変わらず美しくて、心がすべて露わになってしまうような錯覚さえあった。
今この瞬間の戸惑いさえも、全て見抜かれているように。
「漆黒の牙の弱点は貴様だ」
「え?」
「最大の標的であり、最大の弱点。貴様にしか漆黒の牙は倒せぬ。もう時間がない。……解除は扱えるな?」
師走が折れた腕を僅かに上げる。
指の先には、葉季が同じく血まみれで玄冬と相まみえていた。
「葉季!」
「やつも限界だ。貴様が戦っている間に、我と葉季が漆黒の牙の隙きを作る。その隙きを使ってセンナを砕け」
「……それしかないわね。お願い」
「無論。嫌と言われてもさせるがな」
肩で息をする彼も、言葉だけはいつもの余裕が垣間見える。全身複雑骨折しているような状態で、まだ戦えるのが不思議なほどだ。
「朱己、解除から帰ってきたこと、理性を取り戻したこと。敬意に値する」
「貴方から褒められるなんてね」
「貴様を褒めたのではない、貴様を信じ貫いた我自身を褒め称えただけだ」
しばし無言で見つめ合った後、小さくため息をつく。彼はそういう人だった、と小さく笑った。
彼の言うとおり、体が軽く爆発しそうな滾る力は感じない。ただ、体の奥底に無限に使えそうな力があることは直感的にわかる。
手を何度か握り、頷く。
「ありがとう、師走。信じてくれて」
「……貴様はいつも礼を言うな」
「貴方はいつも私を信じて待ってくれるから」
「貴様を信じない理由がない」
真っ直ぐ見つめられると、何も言葉を紡げなくなる。
真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに。
彼はいつも、私を貫く。
「自惚れるなよ。貴様のために信じているのではない、我が為だ」
「そうね」
いつもより饒舌な彼に思わず笑みが溢れる。
彼の傷だらけになった手を握り、少しだけ力を送るように祈った。
「行きましょう、全ての禍根を焼き尽くすために」
「ああ」
弾き飛ばされた葉季を背後へ回って受け止める。
限界まで目を見開いた葉季は、口を何度か開け、やがて少しだけ涙をうかべた。
「よくぞ戻った、朱己!」
「ええ、ありがとう、葉季」
私達の喜びの再開を睨みつける、もうひとりの男。彼に視線を移すと、鬼の形相で私達を見つめていた。
「玄冬、貴方の思惑どおりにはいかないってこと、少しはわかってもらえたかしら」
「小癪な……朱色の雫の分際で!」
私が構えると同時に、頬が熱くなる。どうやら痣が反応しているようだ。
私の動きに合わせて、背後から彼らが飛び出した。
玄冬の手から無数の闇の塊が生まれる。
左手を横に払うと、闇の塊は音を立てて消滅した。舞い上がる塵の中から、玄冬が現れ球体のものをいくつか投げつけてくる。叩き落とそうとして気づいた。
「甲ね……あまり使いたくない手だけど。師走!」
甲型爆弾。カヌレお手製のセンナに巣食う爆弾だ。当たればセンナまで一気に浸潤する。対処できるかもしれないが、下手な手負いは命取りだ。
彼は瞬時に前に出ると、爆弾を全て叩き落とし空間の中で一度爆発した。
煙が立ち昇る空間の割れ目から、相変わらず血まみれの師走が現れる。
「人使いが荒い」
「ごめん、次はしないわ」
「構わん、甲なら我がセンナが適任だ」
額の血を拭い首を軽く回した彼は、顔の痣を濃くする。たちまち傷は大方消え、いつもの師走になった。
「痣がもうそんなに濃く……」
「貴様に言われる筋合いはない。行くぞ」
彼の言うとおり、彼のセンナの特性を利用して盾にした私が言うことではない。だが、私の把握できる範囲では、彼のセンナはあともって二回ほど。何より、痣の濃さが彼の限界を示している。
甲型ほどの威力の攻撃、もしくは甲型爆弾を二回食らったら回復ができなくなり、間違いなく死ぬ。それだけは避けなければ。
「倒すぞ、奴を」
「ええ」
「そうだのう!」
三人で向き直る先に、禍々しいほどの殺気を放つ幼い子ども。彼との距離を縮めるためなら、彼を倒すためなら。
誰だって盾にする。
何だって矛にする。
私自身さえも利用して。
「お前たち……俺の理想を邪魔するなら殺す」
「やれるものならやってみろ」
「白金の灯! ……まずはお前だ!」
師走の元へ一目散に駆け抜ける、玄冬の眼の前に乱入する。玄冬は心底邪魔そうに私を睨んだ。
私を薙ぎ払おうとする彼の手を掴み、振り回した。
「解除のお礼よ!」
彼を大きな割れ目のできた地表へ投げつける。もう片方の手を彼に向けた。
「爆発!」
「朱色の雫ぁあ!」
叫んだ彼の姿は、炎に包まれ見えなくなる。
彼がこのまま死ぬことはないだろうが、少なからず時間を稼げる。師走と葉季へ向き直ると、手をかざした。
「ごめん、もう少しだけ私の盾になって」
「……哀の力か」
「哀の力とはなんだ?」
「解除には四つの力があるみたいなの。今のは哀。貴方たちが傷ついて哀しい、無事でいてほしい。その心が治癒を発動させるわ」
そして青く光る手のひらが、彼らを治癒し始めた瞬間、師走の手が私を弾いた。正確には、私を押した。
そして吹き飛ぶ師走の体。
「おいおい、せっかく朱己にお灸をすえるチャンスだったのにな。よく見てるじゃないか、白金の灯」
「師走! 玄冬……!」
思った以上に戻ってくるのが早い。つまりは、回復が驚異的ということだ。まだ底なしの力があるという事実は、私達の恐怖を駆り立てるには十分だ。
「どうした? ほら、やるぞ。かかってこい、朱己」
彼の心底楽しそうな笑顔が、頭に焼き付いて離れない。
先代の朱色の雫、祭様と対峙したときの冠様は、こんな気持ちだったのだろうか。
底知れぬ恐怖と、湧き上がる好奇心。
彼を止められるのは、私しかいない。
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