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第二章 朱南国
影
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四条王夏。
俺たちの母親であり、俺の対である壮透や、兄貴の対である白蓮の父、紅蓮様の対で四条家の歴代当主の中で最強と謳われた女当主。
普段は細身の外見とどこか抜けた性格のせいで、あまりパッとしない母だった。しかし、一度戦闘となれば、男顔負けの怪力と闇の力を際限なく手の物にした攻撃で紅蓮様と圧倒的な連携を見せ、ナルスの末永い安定を想起させた。誰もがこの二人を崇拝し、俺たちに口々に言った。
「あのお二人を見習え」
「あのお二人に次ぐ安寧を」
俺たちには、周りの期待と言う形で最初から進むべき道が決められていた。尊敬できる人たちだったし、追いつきたくて必死だった。
なのに、なのに。
あのお二人と敬われた紅蓮様と母は、いとも簡単に信頼を壊し、姿を消した。
生まれたときから決められてきた道を、目標をある日突然奪われた、壊された気持ちがわかるか? あんたに。壊したあんたには、わからないよな。奪われる側の気持ちなんて。
なのに、まだあんたは奪う気なのか。
俺の対が遺した、珠玉の姫。
ミーニョだかなんだか知らねえが、朱己は朱己だ。奪われてたまるか。
あんたにだけは、渡さない。この命に変えても。
ーーー
夏能殿と夏采殿からほとばしり出る怒りが、私の皮膚を叩きつける。思わず息を呑みながら、目の前で殺し合いを始めようとする親子をどうしたら止められるのか、そればかりを考えていた。
「朱己、無粋な真似はやめろよ」
「夏能殿……ですが……」
「止めようなんて考えてんじゃねえぞ。お袋が狙ってるのはお前だが、これは俺たちの問題なんだ」
夏能殿からきつく睨まれると、怯みそうになる。俺たちの問題、というのは恐らく、夏能殿達が王夏様が姿をくらませた後、名誉挽回のために血反吐を吐く思いで家を立直してきたことも含まれているだろう。
私には、当時の四条家で何があったのかはわからない。ただ、事実として「ある日突然王夏様は姿を消した」ということと、「対を失った紅蓮様は長を降り、姿をくらませた」ということだけ知っている。
以前紅蓮様は、「王夏が五条家をそそのかし、都合のいい占い結果を出させていた」と言っていた。五家を揺るがす出来事であり、許されることではなかっただろう。だが問題は、王夏様が何を目論んでいたのか、ということだ。それがわからない限り、夏能殿達の戦いは終わらないし、本当の悪が何かわからない。
「そうよ朱色の雫。貴女は下がってて頂戴ね。下手に傷つけて怒られるの嫌だし、万が一手元が狂って殺しちゃったりなんかしたら……ねえ?」
「お袋……!! させるかよ!! ってか朱己はそんな弱かねえ!!」
「ふうん?」
私の前で臨戦態勢のまま対峙し、睨み合う彼らを朝日が照らしている。闇属性は夜のほうが力を発揮しやすい。闇を全て味方にすることができるからだ。朝になった今、闇同士の戦いとなるこの戦闘は、いかに早く致命傷を負わせることができるか、が勝敗の鍵だ。
「さて……と」
完璧な笑顔で、首を傾げる王夏様。
背筋をなぞるように、静かに込み上げてくる絶望の色。鎌首をもたげる蛇の如く、けして逃さないと言われているかのようだ。
「いつまでそうしているの?」
まずい、と本能が告げている。
反射的に壁を作り出したときには、一歩遅かった。朝日に照らされた自分の影が起き上がり、私を捕らえる。私だけではない、それぞれが自分の影に捕らわれている。
「ほら、せっかく教えてあげたのに」
「……!!」
影はにたりと笑う。紛れもなく、私自身だ。
繰り出される攻撃の威力が尋常ではなく、況してや至近距離ともなれば、簡単に致命傷を負うことになるのは想像に難くない。
影は移動したところで着いてくる。腕を掴まれている状態でまともにやり合うのも現実的ではない。繰り出される攻撃を全て相殺しながら、影の隙を探すが、自分の影故か攻撃を繰り出すタイミングが同じで、隙を付くと同時に自分へも攻撃が来る。何より、命中した攻撃のダメージが自分にも返ってくることに気づいてから、相殺以外しづらくなっている。
「くっ……!」
「きりがねえ……!!」
皆陥っている状況は同じようだが、何か違和感がある。葉季が隣で舌打ちし、一目散に駆け出して建物の影へ入ると、影は姿を消した。
「なるほど、影……光がなければ存在できない!」
「本当にそうかしら」
建物の影が、揺れた。
正確には、建物の影だと思っていたものは空間への入口のようで、一瞬で葉季の姿が見えなくなる。
「葉季!!」
「頭が良いほど、この罠にはまりやすいのよ。流石白蓮の息子ね」
そうか、感じていた違和感はこれか。
自分を攻撃する自分の影とは何か違う、建物や木々の影。本物の影なのか、王夏様の力によって生み出された影なのか、それを見極めるには力の働きを見なければならない。
「四条家は二条家の影。常に寄り添い、しかしけして最後の一線だけは超えない。けして混ざり合えないのよ」
「お袋」
「なんであんたたちはまだ生きてるの? 自分の対を失ったら、四条家に残された道は死しかない。なぜなら、本来長にしか使えない魂解きの能力を、対は長殺しのために持っているからよ」
夏能殿が影に殴り飛ばされ、建物の影に飲まれていく。
「夏能殿!!」
「夏能!! おい、お袋やめろ!!」
「指図しないでくれる? 愚息たちの落とし前つけるのを手伝ってあげるって言ってるのよ。そもそも、なんで四条家が魂解きを使えるか、考えたことないの? 夏采」
王夏様の言葉に、体が固まる。
同時に背後から殴られ、体勢を崩した。影による攻撃であることは見ずともわかっていた。そのまま影の腕を後ろ手に掴み、体を翻すと右手で影の胸に腕を突き刺す。激しい痛みが自分の胸を叩くが、怯んでいる場合ではない。
「悪いけど、私の相手をしている場合じゃない!」
影を相殺するように、一気に光を埋め込む。
次第に影が粉々になっていき、やがて風が吹き抜けるように散っていった。
「あら、お見事」
「王夏様、皆の影を解いてください。解かないなら、私が全員の影を消します」
私の言葉が予想通りだったのか、広角を上げにたりと笑う王夏様。
「葉季と夏能が、どこに行ったか気になっているんでしょう?」
「はい。全員揃ったら、四条家の秘密を話してください」
「だから、指図されるのは嫌いなのよ」
王夏様が細い蔓を影から無数に生み出す。
音もなく、ただ際限なく増幅していく蔓が視界を埋め尽くしていく。
「紅蓮の孫、朱己。自分でなんとかできるなら、してみなさい。無知で口ばかり達者なら殺すだけよ」
「必ず止めてみせます」
葉季、夏能殿。必ず出てこれる、あの人たちなら。
握りしめた剣に、炎が宿る。
蔓が襲いかかる姿は、まるで黒い津波のようだった。
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