173 / 239
第二章 朱南国
偲の願い
しおりを挟む眩い光に包まれ、しばらく目を閉じてしまった。
気がつけば音もない空間にいて、手の中にあったはずの偲様のセンナは、どこにも見当たらない。
「センナが……! どこに!?」
あたりを見渡すが、そもそも誰もいない。
そして、この感覚。私は以前にも来たことがある。
「ここは……深層心理……?」
「そうよ、朱己。はじめまして」
突如聞こえた声に、振り返る。姿は見えない。
女性の、柔らかい声。とても落ち着く声だ。
しばらくすると、ぼんやり人影が見えてきた。
「朱己。私は、あなたの父の姉、偲。驚かせてごめんなさいね」
「さ……偲、様……」
段々とはっきりしてきた彼女の姿は、とても柔らかい笑顔の、しかし病弱そうな、儚い印象だった。
彼女は私の近くまで歩みを進めると、笑顔で口を開いた。
「会えて嬉しいわ」
「わ、私もです。光栄です……」
私は何故こんなに吃っているのだろう。
思えば私が偲様のセンナを握り潰そうとしていたのだから、今ここで漆黒の牙に襲われてもなんら不思議なことではない。
目の前の偲様が、偽物である可能性だって十分に有り得る。
そんな私の考えがわかるのか、偲様は微笑んだまま語り始めた。
「怯えないで。でも、怯えるのも仕方ないわよね。私のセンナは漆黒の牙よ」
「……!! いつ、ご存知に……いや、そもそも何故ご存知に……?」
少しだけ悲しそうに微笑む偲様は、懐かしむように視線を上げた。
「隠密室の前を通りかかったときに、父と隠密室が話していたの。漆黒の牙のセンナは、生きているのが何人で、格納庫にあといくつと」
「……でも、それだけでは……」
それだけで、自分が漆黒の牙だなどと確信が持てるだろうか。と、言い掛けて辞めた。
自分自身のことも落ち着けようとしているかのように、偲様に信じられないということを伝えようとするが、上手く言えない。我ながら度胸が足りないことに辟易する。
「朱己、良いのよ。大丈夫。私にはずっと声が聞こえていたのよ、彼の。……貴女は朱色の雫だから、こうやって深層心理に簡単に来れるでしょう? 私も、良く深層心理で会っていたの。漆黒の牙と」
「深層心理で……漆黒の牙と!?」
ほほえみながら頷く偲様は、どこか儚げで、寂しそうに目を細めた。
「最初はそれが普通だと思っていたけど……誰も、そんな経験はしていなくて。段々と違和感を覚えるようになったある日、父様と隠密室の話を聞いて、気がついたの。私は漆黒の牙で、ここに居てはいけないんだって。だって、ここでいつも見ていたセンナは、真っ黒なんですもの」
「そんな……では、自害されたのは」
漆黒の牙であることを悟り、お一人で背負われたというのか。自分の生を終わらせ、センナを砕くことで漆黒の牙に一矢報いようとしたのだろうか。驚きを隠せないまま呆然としていると、目の前で偲様が自身の胸に手を当てたと同時に、背後に大きな漆黒の球体が現れた。光をも飲み込む、吸い込まれそうな漆黒の球体が。
「これが、私のセンナ。朱己、私は自らのわがままで、自害の道を選んだ。だけど、自らの力でセンナを壊すことはできなかった」
「……壊せる可能性は、あったんですか?」
「あったと思ってるわ。だけど、そもそも私は魂解きができないから、無理だったのかもしれないわね」
偲様と視線は交わらない。だが、偲様の思っていることはわかる。今この瞬間も、壊したいのだ。自らのセンナを。
私はずっと気になっていたことを、偲様に尋ねてみることにした。
「偲様は、なぜ漆黒の牙が悪だと……思ったのですか? 自らを悪だとするのは、辛くはないですか」
「ふふ。朱己、貴女は優しいわね。漆黒の牙が悪かと言われれば、相対的に、としか言えないわ。だけど、少なくとも……」
偲様が、視線を上げて、私に合わせて来た。彼女の瞳がとても美しくて、言葉を失いそうになる。
「私は、漆黒の牙の味方をしたくないと思ったから。長き戦いに、すべての元凶に、終止符を。私のように、……時雨や、双子たちが辛い思いをしなくて済むように」
「偲様……」
気がつけば、近くで柔らかく微笑む偲様は、いつ何時でも美しかった。
「朱己、時雨を止めてほしいの。私は、私の願いは、漆黒の牙の完全復活を阻止すること、この世界を守ること。朱色の雫である貴女の力が必要よ」
「ですが時雨伯父上は、偲様を生き返らせたいと……思っているのではないでしょうか」
「わかっているわ。だからこそ、止めてあげて」
偲様を見つめると、偲様が不意に胸を抑え、その場にうずくまった。
「偲様!? どうされました!!」
「く……、もう、時間がないの……私の意識が、いつまで保てるか……っ」
「まさか、漆黒の牙……!!」
「ええ、漆黒の牙の本体は、私を遠隔で操作しようとしているから……今までは漆黒の牙の力が復活していなかったから抵抗できたけど、そろそろ無理みたいね」
偲様の額から滴る汗が、偲様の抵抗を如実に表していた。偲様の背をさすりながら、今できることを必死に探す。
「朱己。戻りなさい、そしてセンナを……壊して頂戴。貴女にしか、お願いできないことなの」
「偲様……わかりました」
「さあ、行って! 私の、意識があるうちに」
一度頷き、立ち上がると偲様に一礼して走り出した。
偲様。皆の原点。まさか漆黒の牙だっただなんて。そして、ご存知だったなんて。
皆の想いが複雑に絡み合って、誰かを救っても誰かが救われない。皆が救われる方法はないのだろうか。
いや、皆の想いを救う方法は、ある。
「偲様の願いを、伝えなければ」
早く深層心理から帰らなければ。
偲様の想いを、願いを伝えるために。
漆黒の牙のセンナを、砕くために。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。
ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。
我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。
その為事あるごとに…
「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」
「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」
隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。
そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。
そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。
生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。
一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが…
HOT一位となりました!
皆様ありがとうございます!
悪役令嬢ですが、ヒロインの恋を応援していたら婚約者に執着されています
窓辺ミナミ
ファンタジー
悪役令嬢の リディア・メイトランド に転生した私。
シナリオ通りなら、死ぬ運命。
だけど、ヒロインと騎士のストーリーが神エピソード! そのスチルを生で見たい!
騎士エンドを見学するべく、ヒロインの恋を応援します!
というわけで、私、悪役やりません!
来たるその日の為に、シナリオを改変し努力を重ねる日々。
あれれ、婚約者が何故か甘く見つめてきます……!
気付けば婚約者の王太子から溺愛されて……。
悪役令嬢だったはずのリディアと、彼女を愛してやまない執着系王子クリストファーの甘い恋物語。はじまりはじまり!
不死王はスローライフを希望します
小狐丸
ファンタジー
気がついたら、暗い森の中に居た男。
深夜会社から家に帰ったところまでは覚えているが、何故か自分の名前などのパーソナルな部分を覚えていない。
そこで俺は気がつく。
「俺って透けてないか?」
そう、男はゴーストになっていた。
最底辺のゴーストから成り上がる男の物語。
その最終目標は、世界征服でも英雄でもなく、ノンビリと畑を耕し自給自足するスローライフだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
暇になったので、駄文ですが勢いで書いてしまいました。
設定等ユルユルでガバガバですが、暇つぶしと割り切って読んで頂ければと思います。

婚約破棄ですね。これでざまぁが出来るのね
いくみ
ファンタジー
パトリシアは卒業パーティーで婚約者の王子から婚約破棄を言い渡される。
しかし、これは、本人が待ちに待った結果である。さぁこれからどうやって私の13年を返して貰いましょうか。
覚悟して下さいませ王子様!
転生者嘗めないで下さいね。
追記
すみません短編予定でしたが、長くなりそうなので長編に変更させて頂きます。
モフモフも、追加させて頂きます。
よろしくお願いいたします。
カクヨム様でも連載を始めました。

記憶喪失の転生幼女、ギルドで保護されたら最強冒険者に溺愛される
マー子
ファンタジー
ある日魔の森で異常が見られ、調査に来ていた冒険者ルーク。
そこで木の影で眠る幼女を見つけた。
自分の名前しか記憶がなく、両親やこの国の事も知らないというアイリは、冒険者ギルドで保護されることに。
実はある事情で記憶を失って転生した幼女だけど、異世界で最強冒険者に溺愛されて、第二の人生楽しんでいきます。
・初のファンタジー物です
・ある程度内容纏まってからの更新になる為、進みは遅めになると思います
・長編予定ですが、最後まで気力が持たない場合は短編になるかもしれません⋯
どうか温かく見守ってください♪
☆感謝☆
HOTランキング1位になりました。偏にご覧下さる皆様のお陰です。この場を借りて、感謝の気持ちを⋯
そしてなんと、人気ランキングの方にもちゃっかり載っておりました。
本当にありがとうございます!

聖獣達に愛された子
颯希
ファンタジー
ある日、漆黒の森の前に子供が捨てられた。
普通の森ならばその子供は死ぬがその森は普通ではなかった。その森は.....
捨て子の生き様を描いています!!
興味を持った人はぜひ読んで見て下さい!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる