朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第二章 朱南国

心の奥の本音(上)

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ーーー

 壁に激突した私が顔をあげると、目の前にいる葉季はにたりと笑った。
 
 そして、私めがけて撃ち出された突風は、激しく周りを斬りつけ、巻き込んでいく。

 本能が警鐘を鳴らしている。
 避けろ。さもなくば、殺せと。
 殺さなければ、殺される。
 そう、本能が告げているような感覚だった。

 衝撃を予想して反射的に目を瞑ったが、思ったような攻撃がなく訝しむように瞼を上げた。目の前の葉季は、腕を振り上げたまま顔を歪めている。理由もわからない現象を疑いながら、気がつけば名を呟いていた。

「葉、季……?」

 彼は何かに抵抗しているようだった。
 だが、数秒抗って、また先程のようにがむしゃらに腕を振り下ろす。巻き上がる土煙が威力の凄さを物語っていた。

 さっきの背後の気配は誰だったのだろう。
 よく知っているはずなのに、わからなかった。
 また完全に理性を失ってしまった葉季を目の前にして、右手に魂解たまほどきを準備する。右手を覆うように滾る深紫色の靄。
 いちか、ばちか。
 失敗すれば殺してしまうだけでなく、私も殺されるかもしれない。
 それでも。

「葉季!! 必ず……必ず助ける!!」

 彼の懐目掛けて、巻き起こる爆風の中を駆け抜けた。
 彼の胸に突き立てようとして、ふと先程の感覚が蘇る。やはり、誰かが気がする。

「……っ!!!」

 寸前で魂解きを解除し、思い切り葉季に肩口から体当たりし、そのままなだれ込んだ。

「朱己!!」

 背後から声が聞こえたと同時に、目の前の葉季が身を翻して馬乗りになってきた。抵抗するも虚しく、髪の毛を捕まれ首を押さえつけられた。

「く……っよ、葉、季……っ」

 力の限り締め上げる葉季の手に、必死に抵抗する。
 葉季。私は、負けない。
 魂解き以外で、必ず貴方を。
 あの気配に、逆らうなと直感が告げたのだ。
 どうか、どうか。葉季を救う力を。
 彼の手を掴んでいた手を徐ろに離し、顔へと伸ばした。

ーーー

「だっ」

 突如現れた謎の地表の割れ目に落下し、思いっきり尻餅をついた。
 どれほど落ちたのかわからぬが、どうやらわしは随分深いところまで来たらしい。

「ここは……」

 さっきのマーブル状の球体を攻撃して、現れた地表の割れ目。まさか敵の攻撃を受け、なにかの空間に飛ばされたのか? それとも今も、攻撃を受けている最中なのだろうか。
 辺りを見渡しても、光一つ見えない暗い空間。真っ暗闇だ。

「……困ったのう。先程まで聞こえていた朱己の声も聞こえぬ」

 暗すぎて、自分が目を瞑っているのか、開けているのかもわからない。顔を触れている手さえも見えぬ。
 修業中に、今いるくらい真っ暗闇の中に一人閉じ込められたことがあったが、それ以来、こんな闇を経験したことはない。

「朱己……」

 わしが今仮に生きているとして、朱己にこの先会えるという確信はない。というか、わしがここから生きて出れるかもわからない。
 だが、ここで諦めるわけにも行かない。何か手を考えなければ。お互いに生きていれば、必ずいつか会えるのだから。
 とりあえず壁に手を付きながら、どこか光が見えるまで進もうとした瞬間、どこからともなく誰かの声がした。

「……き」

「!! 誰だ」

 何も見えない真っ暗闇の中で聞こえる声は、どこか穏やかではない。穏やかではないどころか、鳥肌モノだ。
 慎重に周りを見渡しても何も見えないことはわかっているが、生き物の性なのだろう、何度も目を凝らして周りを確認してしまう。

「き、葉季」

「……お主……まさか、瑠璃るりか?」

 真っ暗闇に目が慣れてくれないからなのか、全く見える気配がないが、先程まで一緒にいた瑠璃のような気がしてきた。声が、瑠璃だった。

「葉季、どうしてさっきあんなに酷いことを言ったの?」

「……お主が、本物ではないからだ」

 わしの知っている瑠璃や瑪瑙めのうは、朱己を蔑ろにするようなことが、一番嫌いだった。特に瑪瑙だ。彼女は、朱己への忠義はけして曲げない。
 そんな彼女らを知っているからこそ、見抜けたと言っても過言ではない。
 何も見えぬ闇をただ見つめながら、少しずつ後ろへ下がった。

「私が本物じゃないなんて……酷い。私、ずっと貴方を待っていたのよ。わかってるわ、寂しくて朱己に目移りしたんでしょう」

「目移りなど!! お主を失ってからのわしを、お主は知らぬだろう! どれだけ……!!」

 不意に、何かが唇へ触れた。思わずすぐに振り払うと、それは指のようだった。

「葉季。私と朱己、どっちが大事なの?」

「……は?」

「私と、朱己。どっち?」

 何故そのようなことを問われなければならぬ。いや、目の前の瑠璃が、本物であるわけがないのだ。彼女がこんなことを言うはずがない。なのに、即答することがはばかられるのは、何故なのか。思わず唇を噛んだ。

「葉季?」

「……お主が仮に本物だとして、わしがお主と答えたら、お主は満足か?」

「ええ、嬉しいわ」

「そうか、相わかった。……お主はやはり」

 鉄扇を広げ、風華かざはなを起こす。
 光がなくとも、風華は花びらが舞うように攻撃する技。対象を見つければ、自動で攻撃する。

「瑠璃ではない。瑠璃はこんなことでは喜ばぬ。……彼女を愚弄するような真似は、許さぬぞ」

「くっ……!!」

「悪いが、わしが今愛しているのは、朱己だけだ。わしの瑠璃への想いは、瑠璃を失ったあの日から止まっている。辛くて辛くて仕方がなかった。しかし、瑠璃との記憶が、わしに前を向かせたのだ」

 舞うように彼女を攻撃する風華。風にのって血の匂いがするということは、彼女は少なからず傷を負っているということになる。
 記憶の中の彼女は、笑顔が美しい人だった。
 わしの側近であり、大切な婚約者。
 もう二度と誰も失いたくないと、失うということの恐怖を教えてくれた、唯一無二の。
 
 そうか。わしの恐怖か。
 気づいた瞬間、香りが揺れた。

「……そうか、お主は……わしの、恐れが作り出したのか?」

ーー私と朱己、どっちが大事なの?
 つまり。
 過去に失った瑠璃と、今を生きる朱己のどちらなのかという問いか。
 答えは一つだ。時は巻き戻らぬ。

「わしは、朱己が」

 そうか、理解した。ほしの本音を。
 瑠璃の二の舞いになることを、恐れているのか、わしは。
 朱己を、瑠璃のように失うことを。
 瑠璃の姿をしたわしの恐れ。
 朱己を失うことを恐れるわしの本音を、気づかせようとしていたのだ。
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