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第二章 朱南国
愛してると言うまで
しおりを挟む「まずあたしの腕を落とした罰よぉ」
カヌレはゆらゆらと揺れていた、はずだった。
目の前から消えたのだ。一瞬の出来事で、わしらの目がついていかない。
次に現れたときには、瑪瑙の唇に触れそうなほど顔を近づけ、殴り飛ばしていた。
「……ぐっ……!!」
「まず一個ぉ!」
カヌレが楽しそうに握りしめていたものは、瑪瑙の右腕だった。殴り飛ばした直後にもぎ取ったのだろう。もぎ取った腕を振り回しながら飛んでいった瑪瑙を追いかける。両手で彼女の腕だったものを握り、追い打ちをかけるように瑪瑙を殴り飛ばす。瑪瑙は球のように飛び、天井付近の壁に衝突した。
「瑪瑙!! く、風華!」
すぐに加勢へ入るが、どうやら鼻が効かなくなると方向感覚に影響が出るのか、すぐにカヌレを見失う。瑪瑙の傷を治すために近づくと、後ろからカヌレに強打され地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!!」
「邪魔しないでよねぇ」
カヌレはわしに見向きもせず、吐き捨てるように言い瑪瑙への攻撃を続ける。それも、急所を外し、あえて致命傷にならぬように攻撃しているように見えた。
朱己が出ていってすぐ、カヌレとの戦闘で妲音は気を失った。高能は気を失っている妲音と神奈を守りながら、わしらの援護をしてくれているが、わしと瑪瑙でカヌレの相手をするということがどういうことか、わしらは最初から理解していた。それでも、ただ少しだけでも足を止められるなら。
一秒でも長く生きることができれば。
「ホームラーン! あっははははは!!」
「瑪瑙!! く……、陣!!」
瑪瑙がこのままでは殴り殺される。そう焦りを募らせ、陣で囲い動きを封じたはずの敵の体は、陣の中にはなかった。むしろ、稽古場の中に姿も気配も感じない。気が狂いそうなほどの甘い匂いも、嗅覚が麻痺したせいかもしれないが、してない気がする。
「……どこだ……カヌレ」
「葉季!!」
血塗れの瑪瑙が、わしの背後に降り立つ。
同時に大きな氷柱を地面から出現させ、カヌレの体を下から貫いた。
「瑪瑙! かたじけない、大丈夫か」
片腕がもがれたどころか、既に他の腕や足、体中の骨が折れている瑪瑙は、全身を氷で固定して動かしている。
血塗れのカヌレは、自分の体より太いであろう氷柱で貫かれ、氷漬けにされて動けない。
今のうちに回復させようと、瑪瑙に駆け寄り治癒しようとすると、手で制された。訝しむように見つめれば、いつものように彼女は真顔で口を開いた。
「……朱己に、愛してるって言ったこと、ある?」
「は? 何を」
いきなりこのタイミングで何を言う。
眉間に深く皺を刻みながら瑪瑙へ目をやると、彼女は視線こそカヌレから外さぬものの、真剣な顔をしていた。
「いいから、……ある?」
「いや、ないが……」
気迫に圧倒されそうになる。どうしたというのだ。こんな時に。目の前に命がけで戦って勝てる見込みがあるかどうかの、死闘の相手がいるときに。
彼女はわしを一瞥すると、少し小さく笑った。
「そう。……葉季、私今でも貴方を愛してる。貴方は、朱己に言うまで……死んじゃだめよ」
「め……」
瑪瑙、と名を呼ぶのと同時に、瑪瑙の身体が貫かれた。瑪瑙がカヌレに施した氷柱よりも太く大きい氷柱で。瑪瑙の身体は見る影もなく割かれ、わしに血の雨を降らせた。
「あーん、感動的~! そういうことだったのぉ。のんびり聞いててよかったぁ!」
目の前で起きた惨劇に体を硬直させていると、カヌレは何事もなかったかのように瑪瑙のセンナを拾い、口へ放り込んだ。随分と歯ごたえを感じさせる音が、酷く耳障りで。
気が触れぬ方が、どうかしている。
「うあああぁあああああああああああ!!!!」
声になっていたのかはわからない。
雄叫びにも似た、奇声。
目の前の女は、瑪瑙を貫いた巨大な氷柱の上で足を組み、わしらを楽しそうに見下ろしている。
「あんたたちがこんなんってことは、ミーニョも変わらず雑魚のままってことかしら? さっきあれを割ってくれちゃったのはまぐれかなぁ。あー、絶対簡単に殺してなんてやらないんだからぁ……」
組んだ足を揺らしながら口をふくらませる彼女は、傍から見たらいじらしく映るのだろうか。
わしからすれば、仲間を二人もいたたまれぬ殺され方をした挙げ句、朱己さえも視野に入れる彼女は、嫌悪を抱くには十分すぎる相手だ。
失うな、理性を。
できるか? わしに。
朱己。わしらの敵は、こんなにも。
こんなにも、外道だ。
わしは、仲間を失って怒らぬことなど、できぬ。
いや、理性など初めから失っておったのだ。
「うぉああぁああぁあ!!!!」
目の前の女が嗤う。
わしも策にはまっておるのかもしれぬ。
戦場には何度も出てきた。
理性を失ったことなど無かった。
いつでも、お主が傍におったのだ。朱己。
いや、傍でなくとも。お主が必ず構えてくれていることがわかっていた。何を失っても、お主が光だった。お主が無事でいることが全てだった。お主がいれば、なんとかなる。わしらは、それを信じていた。いや、信じすぎておったのだ。わしがここで負けるとすれば、それが敗因やもしれぬ。お主なら戦い抜ける、生き抜ける。そう信じ切ることができなくなった、不安が勝ってしまった、わしの。
今は、まるで根拠も自信もない。
失わずにいられる自信などない。
朱己。わしらの敵は。
思っている以上に狂っている。
思っている以上に腐っている。
思っている以上に、相容れぬ。
杏奈や瑪瑙のような失い方で、お主を失うことを頭の隅で想像してしまったわしに、理性など欠片も残っていなかったのだ。
鉄扇を広げ、カヌレとの間合いを詰めて急所を狙う。貫くことができれば、一矢報いることができると。それしか考えていなかった。彼女が口角を上げたことに気づいたときには、彼女の繰り出す氷柱が目の端に写っていた。
「バカ野郎、葉季!! てめぇっ」
高能に激しく弾き飛ばされ、彼女の攻撃を間一髪避けることができた。避けられなかったら、今頃わしも串刺しになっていた。瑪瑙のように。
「自棄になるんじゃねえ!! 葉季!!」
高能の言葉に全神経が意識を取り戻したかのように、理性が戻ってくる。
「生きるんだろ!! 俺らが!!」
目を真ん丸に見開いているわしを庇うように、背を向けたままカヌレと対峙する高能は、全身で怒りを湛えていた。
彼の怒りが、わしにも向いていることを理解するまでに時間などいらなかった。
「高能……すまぬ、すまぬ……」
「謝ってる時間はねぇぜ、葉季! 朱己が帰ってくる場所は、俺らが守るんだろ!」
高能の黒い大剣が、光を反射して輝いた。
鉄扇を握り直し、カヌレと対峙する。
隣りにいる彼がどんな顔をしているか、見ずともわかる。だからこそ、自然と口角が上がってしまったのだ。
「うむ、そうだのう! 高能、かたじけない」
「バカヤロー、当たり前だろ!」
高能と隣で並ぶと、不思議と勇気が湧いてくる。どんな相手であっても負けぬという、根拠のない自信。それこそが高能の人柄であり、人徳なのやもしれぬ。
朱己。どうやら、まだ希望はあるようだ。
目の前の女が卑しく嗤おうとも、怯まぬように鼓舞し続け、立ち続けなければ。わしにできることは、今を生き抜くことだけだ。
朱己。お主が帰る場所は、わしらが守り抜く。
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