朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第二章 朱南国

黒い龍

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 心底感じる嫌悪の正体がなんなのか、私にはまだわからない。視線はカヌレに向けたまま、師走に問う。

「師走……あのカヌレという人と、何が関わりがあるの?」

「我が前世、曆の姉だ。尤も、遡ればきりがないが。曆の姉以降生まれ変わらず、この五千年ずっとこのままだ。カヌレは偽名。当時の名はーー」

 言いかけたところで、突如現れた円盤。
 師走の顔の横に現れた円盤から息つく間もなく濁流が現れた。
師走は片手で濁流を弾くと、一瞬で溢れ出た水を消した。

「プラティ? 名前をバラすのはだめよぉ。女の子の秘密を簡単にバラすなんて、モテないぞぉ!」

「……モテるつもりはない、必要もない」

 師走は相変わらず、目障りと言わんばかりの顔をしている。仲が悪い姉弟なのか、それとも何か事件があったのか。だが、今は彼らの都合にかまっている暇はない。
 彼女と対峙しているヴィオラに駆け寄る。

「よかった、怪我はないみたいね」

「当たり前でしょお? だけど、カヌレが今来るとはね。あの女とは昔から相性が悪いのよ。考え方も戦い方も、好きじゃないわ」

 苦虫を噛み潰したような顔でカヌレを睨んでいる。あまり戦いたくない相手であることは明白だろう。好きではない戦闘形態、好きではない思想の相手。私だって戦いたくないと思う。
 力量があからさまに上である自信があれば戦うのはやぶさかではない。だが、相手はカヌレ。五珠の一人。拮抗しているか、もしくは……ともすれば、自分の方がより危ない橋を渡ることになる。
 私とヴィオラの目の前に、一瞬で現れた彼女は、酷く歪んだ笑顔で私に話しかけてきた。

「……ミーニョ。お久しぶりねぇ。あたしよ、黄金の果アウルムポームムよ。どう、消滅したはずなのに生まれ変わっちゃった気分は! 五珠の中でも殺戮に特化したあんたは、さぞかし今も殺しまくって人生謳歌してるんでしょ?」

「……殺戮に、特化……」

「カヌレ。あんた、本当に外道で下品ね!!」

 ヴィオラが腕を出して、戦闘態勢に入る。カヌレと呼ばれた彼女は、心の底から嬉しそうに笑っているのだ。そして、私を見て嗤ったのだ。

「あんたの親友の雑魚センナ、悪くなかったわよ!」

 ヴィオラが声を掻き消すように弦を弾いたが、私には一言一句聞こえてしまった。親友。そう呼べる者など、私にはもう一人しかいない。真っ白になる頭と、こみ上げる吐き気。胸騒ぎの正体。
 ヴィオラが舌打ちしながら飛び上がり、カヌレを殴り飛ばした。カヌレは大して痛くも痒くもないようで、手に持った円盤で思い切りヴィオラを叩き落とす。建物ごと潰されるかのようなけたたましい音と衝撃とともに、ヴィオラが地面に埋まった。

「ヴィオラ……!!」

 ヴィオラに駆け寄ろうとすれば、阻むように目の前に降りてくる彼女。反射的に睨みつければ、彼女は恍惚とした表情で手のひらを胸に当てていた。

「あーん、あんたの相手はぁ! このあたし! ね、ミーニョ。この国の民全員のセンナを賭けて、あたしと戦いましょうよぉ!!」

「……!!」

 以前、ヴィオラが言っていた。カヌレの能力は、センナの価値に匹敵する物へセンナを変換することだと。民を渡せば、残らず利用されるだろう。

「……杏奈……貴女が殺したの?」

「ん? ああ、杏奈ってあの雑魚のこと? 威勢だけはよかったけど、雑魚中の雑魚だったわよぉ。よく」

 最後まで彼女の言葉が聞こえていたら、発狂していたかもしれない。だけど、聞こえなくてよかった。私が首を切り落としたから。
 すぐに再生した彼女の顔は怒りに震えていた。

「あんたよくも!!!」

「民も臣下も渡さない、貴女には」

 刀を構えたと同時に彼女の円盤とぶつかり合った。濁流を生み出す彼女の円盤は、先に壊すに限る。
 力で押し切り、よろけた彼女を蹴り飛ばす。
 吹き飛んだ彼女についていくようにして、円盤に刀を突き立てた。
 私の頭を掴んだ彼女の手を、間髪入れず振り払い、刀の先に力を最大まで凝縮すれば、円盤にビビが入った。

「ちぃっ!! この泥棒猫!! 弁えなさい!! あんたが壊していい代物じゃないのよ!!」

「その言葉そのままお返しするわ!! 貴女が殺していい者たちなんていないのよ!!」

 殴られたところから体が崩壊しているが、構うことなく修復していく。泥棒猫と言われる道理は身に覚えがないが、確かに野良猫の喧嘩のようだ。取っ組み合って、お互いの体を崩壊させながら、それでも刀に集中する。
 やがて円盤が粉砕され、同時に彼女が吐血した。やはり、彼女のセンナが作り出した円盤だったようだ。

「がっ……あ、はっ……は」

「言い残すことは?」

「……あっははははは……っちゃったぁ」

 よく聞こえなかった。俯き呟く彼女の言葉が。眉をひそめて耳を傾けた瞬間、ヴィオラが叫んだ。

「朱己!! 避けなさい!!」

 ヴィオラの鬼気迫る声と重なるようにして現れた黒い龍は、稽古場の天井さえ破壊して青空を見せた。咄嗟に顔を腕で覆って避けたが、私の腕が消し飛んだ。

「あっははは!!! 怒っちゃった! あたし怒っちゃったぁ!! この国とっとと潰しちゃお!!」

 空に舞う黒い龍は、体がいくつにも分裂し四方八方へ散った。

「あんたの民、一人残らず食い尽くしてやるわ。あんたもね。あたしの餌になりなさい」

 狂気に染まった彼女の目が、怪しく光っていた。
 ここにいるのは、葉季、妲音、瑪瑙、高能、そして神奈。光琳と兄様、朱公はおそらく休暇か外勤だろう。守れるとしたら三人だけだが、国全土を同時に守れるか。いや、無事なのかもわからない。彼らが無事でなかったら、不可能ということだ。

 できるとすれば、今の自分しかいない。
 でも、傷だらけの皆にカヌレの相手など。
 どうする、私。私は、私は。
 迷っている時間などない。わかっている。
 なのに、足が竦んで動かない。
 私がここを離れたら。それは、つまり。
 何が、正解だ。何が最適解だ。
 私の頭の中は、酷く混乱していた。
 一番混乱してはいけない場面で。

「朱己!!」

 彼女の声が、聞こえるまでは。
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